[3]守るべきもの


 神殿での予知によると、魔物が現れるのは、翌日の早朝らしい。討伐隊員は僅かな休息を過ごしていた。
「後で詳しく聞いてきたのだけれど、神殿の古代魔術は、伝説に出てきた治癒術なんですって」
 カップを傾け、ジェシカは語った。いつもは丸く結っている髪を、今は解いている。
「伝説?」
「ああ、ウィリアムは知らないよね。世界を支える大きな樹を大賢者が蘇らせた、って伝説さ」
「大賢者と世界樹の伝説、今でも残っているところが多いんだよ。たとえば世界樹の上に住んでいる天使たち」
 かちゃり。ユンが何気なく紡いだ話題の間を、高い音がすり抜けた。カップが置かれたのだ。飲みかけの紅茶へと落とされた、ジェシカの蒼い視線。
「この世界にも天使の力が伝わっていて、どこかの街では今でもその力が受け継がれている、とか聞いたよ」
「そうらしいわね。話を戻しましょう」
「そう、だね」
 やけに早い切り替えにひっかかりながらも、ユンは頷く。再びカップの取っ手にかけられる白い指が、彼女の目にはやけにゆっくりと映った。
 ジェシカは続ける。賢者の伝説の一説には、彼が呪いに臥せったが場面があるという。仲間の治癒術師が、ある特別な方法で賢者を助けた――。
「それがこのオーブリにある治癒術みたい。きっと特別なものよ」
「歓迎会で言ってた、『古代魔術』ってやつか」
 それなら古代と呼ばれていることも理解できる。納得の響きは独り言にとどめて、青い瞳に続きを促した。
「ただ、禁術とされていた治癒術を使ってしまった治癒術師は、それ以降の伝説には出てこないの」
「そうだったっけ? よく覚えてないや」
 そこに、見慣れない姿が割って入った。
「やあ、三番隊のみなさん。お揃いで」
「えっと、誰?」
 少し大人びた少年がそこにいた。目立ちそうな麦色の髪、額には真っ赤に燃え盛るバンダナを巻いた、快活そうな姿。見知らぬ顔に名を聞くと、彼は素直に教えてくれた。
「酷いな、おれは一番隊のヒューゴ。呼び捨てで構わないよ、こっちもそうするからさ」
「じゃあヒューゴ。何か用か?」
「いやいや、興味深い話してるからね。ちょうどさっき村のおばあさんから、治癒術について詳しく聞いてきたところだったからさ。つい自慢したくなっちゃってな」
 髪をかき上げて、ヒューゴは歯を見せて笑う。人差し指を立て、秘密を明かすかのように声を潜めた。
「伝説によると、古代治癒術には代償があったらしいのさ」
「代償?」
 落とされた言葉はやけにひっかかる。確かに、治癒術を受けたときには沁みるような痛みが伴う。だが、それ以上に失うものがあるというのだろうか。
「そもそもオーブリの治癒術には制限がある。術者は、治癒を受ける対象者と深い縁を持つものでなければならなかったらしい」
「ということは、仲がいいとか血の繋がりがあるとか、そういう相手にしか使えないのね」
「まあそうなるな。で、伝説によると、大賢者の呪いを治癒した代わりに、術者は患者である大賢者に忘れられてしまったらしい」
――その治癒術を受けたものは、術者、つまり「縁の者」の記憶を失う。
「術の代償として記憶が……?」
 だから、代償となるほどの思い出をもつ相手でなければならない。記憶、その単語がウィリアムの中でひっかかった。まさか、自分も何かの代わりに過去を失ったのか。仲間の動揺を知ってか知らずか、ユンはヒューゴに食ってかかる。
「でも、なんでわざわざそれを教えてくれたわけ? ボクら、競争相手なんでしょ? 一番隊さん」
「いや、確かに得点は欲しいけど、競争とまで捉えてるのはルビウスくらいだろ。あいつももうちょっとおれや他の連中と連携してくれればいいのにな。頼られるくらいの実力はあるんだぜ」
 目新しい事実がウィリアムを引き上げた。一番隊は一枚岩ではないらしい。ルビウスの存在は思い出すだけで神経を逆撫でされるが、目の前にいる彼からは同じ空気はさっぱり感じられなかった。
「そういうわけで、おれはお前らの敵じゃないから! なんかあったら声かけてくれよな」
 手を振って去っていったヒューゴは、まるで吹きすぎる風のようだった。
「なんかいい奴そうだよな。親切にいろいろ教えてくれたし」
「一番隊ってルビウスみたいなのばっかだと思ってたけど、あの人とは協力できるかもしれないね」
 すっかりいい気になって、ウィリアムは胸の奥をかすめた疑問など忘れてしまった。
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