[2]目覚める闇
魔物の連携に苦戦していたのは、三番隊だけではなかった。とっくに消灯時間を過ぎているにも関わらず、リンは部屋にはいない。治癒術を買われて、膨大な怪我人の対処に駆り出されているのだ。
行き場のない視線が天井を彷徨う。ベッドに腰掛けてはいるが、眠気は全くなかったのだ。
黙っていると、嫌でも気になるものがあった。身の内に潜んでいる、謎の力。話し相手もいない空間が、じりじりと無知を責めたてていく。
扉に手をかけたのは、ほぼ無意識だった。
普段ならば夢を見ている時間、しかし今日は状況が違う。逃げ場を求めて歩くうちに、ウィリアムは館の外にいた。夜の空気が少年を包み込む。絡まった思考は、すっきりと冷えていく。
何となしに人気のなさそうな方へ歩を進める。降り注ぐ月の光が、うっすらと何かの影を落としていた。影は不規則に動き回っている。それが覚えのある姿だと気づき、ウィリアムは思わず声を張り上げた。
「シオン!」
名を呼ばれて彼は動きを止める。
「お前か」
振り返ってこちらを確認する、強さを湛えた黄金の瞳は、見るたびにウィリアムの胸を揺さぶってくる。記憶の中の誰かかもしれない少年。月光に照らし出された銀の髪と白い肌。造られたような美しさとは裏腹に、その表情は芳しくないようだった。
訓練であろう動きを中断し、シオンは時が止まるほどこちらを見つめてくる。
「ちょうどいい、聞きたいことがあった」
夜の囁きすら聞こえない中で、潜めていた声が突然に研ぎ澄まされた。
「お前の力は、何だ?」
目を見開いたのが自分でもわかった。思ってもいなかった可能性の中心を、まっすぐに貫かれたのだ。――聞かれても困る、というのが本音だ。いくら探し回っても、正しい答えが見つかることはない。当然だ。薄く息を吸う。
「わからないんだ、オレにも。でも、それを知るために、もっと……もっと、強くなりたい」
態度から真実だと悟ったのか、シオンは問いただそうとはしなかった。それが妙に嬉しくて、気がつくと唇は跳ね、会話を続けていた。
「お前さ、知り合いなのか、あの男と。マルクって呼んでたみたいじゃねえか」
歪んだ笑みを浮かべた男。不揃いな橙の髪が風に靡いていた。討伐隊の面々を嘲笑うかのように、その手で魔物をけしかけた。
彼も思い出しているのか、僅かに顔を背けると、それだけでシオンの表情は伺えなくなる。僅かな星の光に照らされ、銀の髪と頬の白さだけが見てとれた。
「マルク、か。昔、縁があっただけだ。奴と魔物の関係は知らない」
とだけ答えると、彼はゆっくりと目を伏せた。長い睫毛がつつかれたように震える。視線はウィリアムでなく地面に返されて、そのゆらぎはまるで戸惑いのようだった。
なぜか謝りたくなって、口はその通りに動いた。けれど、返事はウィリアムを無視して冷たかった。
「用はそれだけか」
ここで退くわけにはいかない、と意志が脈打つ。同じ鍵を持つ、運命の相手。記憶の中の金眼。何かきっと、ふたりを繋ぐものがあるはずなのだ。
「待てよ。お前、オレと昔に会ったことないか」
「少なくとも、ここまで目立つ頭の奴を見たことはないな」
抱き続けていたささやかな希望は、あっさりと打ち砕かれた。深い藍と、赤みを帯びた紫。確かにこの髪に覚えがないなら、会ったことはないのだろう。それでも心をひく何かが彼にはあって、視線はそちらへつられていく。跳ねのけるように睨み返されるが、それが何だというのだろう。
やがて、まるでウィリアムなどいなかったかのようにシオンはそのまま訓練に戻ってしまう。立ち去る機会すら失い、ウィリアムはただそれを眺めていた。わざとひとりきりになって、ひたすら剣を振り続けている姿。それはまるで取りつかれたようで、ふいに恐ろしくなる。
果たして、そこに見出されたのは孤独の影だった。彼は強いから、勿論幻かもしれない。それでも、一度見えてしまったものを無視することはウィリアムにはできなかった。
(あいつには、味方がいないんだ)
突然それに気がついた。あんなにも自分を心配してくれたチームメイトが、彼にはいない。息を呑むとともに、湧いてきたしっとりした想い。ウィリアムは自然に言葉を紡ぎ出す。
「お前は、どうしてここにいるんだ? この討伐隊に、」
――と聞いて、彼が応えてくれるはずもなく。深く息をつき、向き合うのは夜の闇。先が見えないのは、未来も記憶も同じことだ。返答を待つのをやめて、ウィリアムは自分から扉を開く。
「オレは、大切なものを取り戻すために戦ってる」
大切なもの。その響きがシオンを振り返らせた。黄金の瞳が、真っ直ぐにウィリアムを見る。ここまで二人の影が近づいたのは、きっと初めてだった。正面からかち合う視線を間違いだとでも言うように目を伏せて、彼は遅れた答えを落とす。
「俺は、魔力を集めている」
暗闇の静寂に映える、冷たく、でもどこか強さをもって響いた声。その回答の重さに気づき、息が詰まった。だから欠片も拾わず、かといって誰かに獲物を譲ることもしないのだろう。
「……何の、ために?」
やっとのことで絞り出した続きに、求めた反応はなかった。天を仰ぐと、木の葉の隙間から夜空が覗く。ふいに思いついて、それから勝手に声が出た。
「そうだ、シオン。手合せしないか」
「お前と?」
試すように響く語調でありながら、目が答えを出していた。挑戦を受けて、戦意に輝く瞳。生まれる間合いは、決闘のそれ。
前回と異なり、ウィリアムの剣は既に魔力を纏っていた。無意識に捻りだした力は電流となり、刃の上で舞い散る。
(決める!)
やがて意識は、目の前の少年に集中していく。
「始めようか」
どこか秘密めいた声が、昂りを後押しする。奮い起されるままに駆け――力を、振り上げる。
一撃、反撃、衝撃。
滑るように、自然に身体が逸れる。弾かれた剣に引っ張られている――気づいたときには、もう遅かった。雷を忍ばせていたのは自分なのに、いま痺れているのはこの手なのだ。そして、首元で感じる鋭利。剣を突きつける彼の姿は、あの時とほとんど変わらない。決着がついても動かない頑なさに、思わず肩をすくめた。
「まいったよ」
なぜかその瞬間は、晴れやかだった。
「なあ、もう一本やろうぜ!」
「俺には、やることがある」
そんな挑戦さえも跳ね除けて、シオンは以前と変わらない様子で去っていく。一度開きかけた扉は、さらに固く閉ざされてしまった。
「どこ行くんだよ、もう夜中だぞ?」
「お前には関係ない」
いつかも聞いた言葉と共に、シオンは闇夜の向こう側へと消えていく。背中が「ついてくるな」と語っていた。伸ばした手は、届くことなく空を切る。その遠さが、ウィリアムの今の力量なのだ。これでは何度聞いても教えてはくれないはずだ。その結論に至った瞬間――魔力。そのフレーズで、ぴんと来た。
(まさか、夜の魔物と戦うんじゃ)
倒れた魔物は魔力を残す。彼の目的が魔力集めなら、ありえない話ではない。隊全体の方針から外れている夜間討伐。けれど彼は討伐隊の、たった一人の例外なのだ。なにより、夜の魔物は強敵であるはず。はじき出した正解に、思わず余計な一言を飛ばしていた。
「無理すんなよー!」
遠い背中に向けたお節介には、やはり、返事はなかった。
◆◇◆
同じころ。そっと部屋を抜け出したユンは、迷うことなくシュバルトのもとへ向かった。
「……ってわけで、魔物を操る悪いやつが出てきたんだ」
語ったのは、マルクという邪悪な存在について。真剣な面持ちで聞いていたシュバルトは、ユンの思った通りの返事をした。
「やはり、現れたか」
「聞いてたんだね」
刹那、一瞬の静けさが二人の距離を詰めた。ユンは波を立てない声で食らいつく。
「どうしてボクには、何も教えてくれないの? それがシュウさんにとって都合がいいから?」
「間違ってはいない。ただ、むやみに不安を煽ることはしたくなかった」
「ボクら、そんなに弱くないよ」
それから先、いくら言葉が返ってこなくとも、ユンはシュバルトから目を逸らさない。
「ところで、ユン」
やわらかな声は、しかし、響き以上の力強さを持っていた。
「あのことは、言わないんだね」
話題を変えたふりをして、あからさまにユンの疑問を遮る。シュバルトの意図は伝わっているはずだが、ユンは追求をしてこない。与えられた一滴の問いが波紋を広げていく。
「言わないよ。言ってもどうにもならないもの」
「そうか、なら、僕も彼らには言わないよ。君のことを」
「そうだね。そうしてよ」
「ああ」
続けた会話は、そのうち意味を為さなくなっていく。向けられた背に求めるものがないと見て取ると、ユンは静かに部屋を出る。
「一体、どこにいるんだ、『彼』は……」
残されたシュバルトの問いに、答える者は誰もいなかった。
◆◆第二章 目覚める闇 完◆◆
行き場のない視線が天井を彷徨う。ベッドに腰掛けてはいるが、眠気は全くなかったのだ。
黙っていると、嫌でも気になるものがあった。身の内に潜んでいる、謎の力。話し相手もいない空間が、じりじりと無知を責めたてていく。
扉に手をかけたのは、ほぼ無意識だった。
普段ならば夢を見ている時間、しかし今日は状況が違う。逃げ場を求めて歩くうちに、ウィリアムは館の外にいた。夜の空気が少年を包み込む。絡まった思考は、すっきりと冷えていく。
何となしに人気のなさそうな方へ歩を進める。降り注ぐ月の光が、うっすらと何かの影を落としていた。影は不規則に動き回っている。それが覚えのある姿だと気づき、ウィリアムは思わず声を張り上げた。
「シオン!」
名を呼ばれて彼は動きを止める。
「お前か」
振り返ってこちらを確認する、強さを湛えた黄金の瞳は、見るたびにウィリアムの胸を揺さぶってくる。記憶の中の誰かかもしれない少年。月光に照らし出された銀の髪と白い肌。造られたような美しさとは裏腹に、その表情は芳しくないようだった。
訓練であろう動きを中断し、シオンは時が止まるほどこちらを見つめてくる。
「ちょうどいい、聞きたいことがあった」
夜の囁きすら聞こえない中で、潜めていた声が突然に研ぎ澄まされた。
「お前の力は、何だ?」
目を見開いたのが自分でもわかった。思ってもいなかった可能性の中心を、まっすぐに貫かれたのだ。――聞かれても困る、というのが本音だ。いくら探し回っても、正しい答えが見つかることはない。当然だ。薄く息を吸う。
「わからないんだ、オレにも。でも、それを知るために、もっと……もっと、強くなりたい」
態度から真実だと悟ったのか、シオンは問いただそうとはしなかった。それが妙に嬉しくて、気がつくと唇は跳ね、会話を続けていた。
「お前さ、知り合いなのか、あの男と。マルクって呼んでたみたいじゃねえか」
歪んだ笑みを浮かべた男。不揃いな橙の髪が風に靡いていた。討伐隊の面々を嘲笑うかのように、その手で魔物をけしかけた。
彼も思い出しているのか、僅かに顔を背けると、それだけでシオンの表情は伺えなくなる。僅かな星の光に照らされ、銀の髪と頬の白さだけが見てとれた。
「マルク、か。昔、縁があっただけだ。奴と魔物の関係は知らない」
とだけ答えると、彼はゆっくりと目を伏せた。長い睫毛がつつかれたように震える。視線はウィリアムでなく地面に返されて、そのゆらぎはまるで戸惑いのようだった。
なぜか謝りたくなって、口はその通りに動いた。けれど、返事はウィリアムを無視して冷たかった。
「用はそれだけか」
ここで退くわけにはいかない、と意志が脈打つ。同じ鍵を持つ、運命の相手。記憶の中の金眼。何かきっと、ふたりを繋ぐものがあるはずなのだ。
「待てよ。お前、オレと昔に会ったことないか」
「少なくとも、ここまで目立つ頭の奴を見たことはないな」
抱き続けていたささやかな希望は、あっさりと打ち砕かれた。深い藍と、赤みを帯びた紫。確かにこの髪に覚えがないなら、会ったことはないのだろう。それでも心をひく何かが彼にはあって、視線はそちらへつられていく。跳ねのけるように睨み返されるが、それが何だというのだろう。
やがて、まるでウィリアムなどいなかったかのようにシオンはそのまま訓練に戻ってしまう。立ち去る機会すら失い、ウィリアムはただそれを眺めていた。わざとひとりきりになって、ひたすら剣を振り続けている姿。それはまるで取りつかれたようで、ふいに恐ろしくなる。
果たして、そこに見出されたのは孤独の影だった。彼は強いから、勿論幻かもしれない。それでも、一度見えてしまったものを無視することはウィリアムにはできなかった。
(あいつには、味方がいないんだ)
突然それに気がついた。あんなにも自分を心配してくれたチームメイトが、彼にはいない。息を呑むとともに、湧いてきたしっとりした想い。ウィリアムは自然に言葉を紡ぎ出す。
「お前は、どうしてここにいるんだ? この討伐隊に、」
――と聞いて、彼が応えてくれるはずもなく。深く息をつき、向き合うのは夜の闇。先が見えないのは、未来も記憶も同じことだ。返答を待つのをやめて、ウィリアムは自分から扉を開く。
「オレは、大切なものを取り戻すために戦ってる」
大切なもの。その響きがシオンを振り返らせた。黄金の瞳が、真っ直ぐにウィリアムを見る。ここまで二人の影が近づいたのは、きっと初めてだった。正面からかち合う視線を間違いだとでも言うように目を伏せて、彼は遅れた答えを落とす。
「俺は、魔力を集めている」
暗闇の静寂に映える、冷たく、でもどこか強さをもって響いた声。その回答の重さに気づき、息が詰まった。だから欠片も拾わず、かといって誰かに獲物を譲ることもしないのだろう。
「……何の、ために?」
やっとのことで絞り出した続きに、求めた反応はなかった。天を仰ぐと、木の葉の隙間から夜空が覗く。ふいに思いついて、それから勝手に声が出た。
「そうだ、シオン。手合せしないか」
「お前と?」
試すように響く語調でありながら、目が答えを出していた。挑戦を受けて、戦意に輝く瞳。生まれる間合いは、決闘のそれ。
前回と異なり、ウィリアムの剣は既に魔力を纏っていた。無意識に捻りだした力は電流となり、刃の上で舞い散る。
(決める!)
やがて意識は、目の前の少年に集中していく。
「始めようか」
どこか秘密めいた声が、昂りを後押しする。奮い起されるままに駆け――力を、振り上げる。
一撃、反撃、衝撃。
滑るように、自然に身体が逸れる。弾かれた剣に引っ張られている――気づいたときには、もう遅かった。雷を忍ばせていたのは自分なのに、いま痺れているのはこの手なのだ。そして、首元で感じる鋭利。剣を突きつける彼の姿は、あの時とほとんど変わらない。決着がついても動かない頑なさに、思わず肩をすくめた。
「まいったよ」
なぜかその瞬間は、晴れやかだった。
「なあ、もう一本やろうぜ!」
「俺には、やることがある」
そんな挑戦さえも跳ね除けて、シオンは以前と変わらない様子で去っていく。一度開きかけた扉は、さらに固く閉ざされてしまった。
「どこ行くんだよ、もう夜中だぞ?」
「お前には関係ない」
いつかも聞いた言葉と共に、シオンは闇夜の向こう側へと消えていく。背中が「ついてくるな」と語っていた。伸ばした手は、届くことなく空を切る。その遠さが、ウィリアムの今の力量なのだ。これでは何度聞いても教えてはくれないはずだ。その結論に至った瞬間――魔力。そのフレーズで、ぴんと来た。
(まさか、夜の魔物と戦うんじゃ)
倒れた魔物は魔力を残す。彼の目的が魔力集めなら、ありえない話ではない。隊全体の方針から外れている夜間討伐。けれど彼は討伐隊の、たった一人の例外なのだ。なにより、夜の魔物は強敵であるはず。はじき出した正解に、思わず余計な一言を飛ばしていた。
「無理すんなよー!」
遠い背中に向けたお節介には、やはり、返事はなかった。
◆◇◆
同じころ。そっと部屋を抜け出したユンは、迷うことなくシュバルトのもとへ向かった。
「……ってわけで、魔物を操る悪いやつが出てきたんだ」
語ったのは、マルクという邪悪な存在について。真剣な面持ちで聞いていたシュバルトは、ユンの思った通りの返事をした。
「やはり、現れたか」
「聞いてたんだね」
刹那、一瞬の静けさが二人の距離を詰めた。ユンは波を立てない声で食らいつく。
「どうしてボクには、何も教えてくれないの? それがシュウさんにとって都合がいいから?」
「間違ってはいない。ただ、むやみに不安を煽ることはしたくなかった」
「ボクら、そんなに弱くないよ」
それから先、いくら言葉が返ってこなくとも、ユンはシュバルトから目を逸らさない。
「ところで、ユン」
やわらかな声は、しかし、響き以上の力強さを持っていた。
「あのことは、言わないんだね」
話題を変えたふりをして、あからさまにユンの疑問を遮る。シュバルトの意図は伝わっているはずだが、ユンは追求をしてこない。与えられた一滴の問いが波紋を広げていく。
「言わないよ。言ってもどうにもならないもの」
「そうか、なら、僕も彼らには言わないよ。君のことを」
「そうだね。そうしてよ」
「ああ」
続けた会話は、そのうち意味を為さなくなっていく。向けられた背に求めるものがないと見て取ると、ユンは静かに部屋を出る。
「一体、どこにいるんだ、『彼』は……」
残されたシュバルトの問いに、答える者は誰もいなかった。
◆◆第二章 目覚める闇 完◆◆