wonderland code
昼はあかるすぎて、ねむりを遠ざけてしまう。
夜はまっくらで、くらやみから逃げられない。
その境目にある夜明けは、ただひたすらに不確かで――。
◇■□◆□■◇
靴音が鳴る。
ロキという魔導師とひと悶着あった後。ドロシーは、再度スノウホワイトのもとを訪れた。見覚えのある魔導師に迎えられる。夕空の色は灯りをつけるか迷う頃合いで、夜はすぐ追ってくるだろう。
少女人形は眠っているようだった。伝言のつてがある以上、わざわざキスをするまでもない。スノウホワイトには眠ったままでいてもらうことにした。
「ロキくんはもう来ないよ」
と、通告をする。相手の魔導師は改めて墓守と名乗った。決まった名前を使っていないが、魔導師にはよくある話だ。特に役職と現状がズレている場合はだいたいがそうと決まっている。
ドロシーのように名を出す者は相応の魔力を持つのか、そうでなければ無鉄砲か、無数の偽名を使っているかだ。
この墓守は、いわゆる特別な者ではないだろう。
(けど、彼の態度は信用できる)
墓守と個人的な話をするつもりはなかった。当然だが、ずっと警戒されている。それでいい。それでこそ。言いたいことだけ告げて、聞いてもらえればそれでよかった。
「ボクはアリスと話してくる。スノウホワイトが安心できる結果になるかわからないけど」
ああ。あの日からそう経たないのに、鈴蘭薔薇はもう、花を落としてしまった。
旬の短い花だから。いや、花はみな儚いか。生きている者は、みな。
「アリスの考えが変わって、ボクが来なくてもよさそうなら、勧誘にももう来ない。けど――」
次の誘いに墓守がどう返事をしたか、ドロシーはあまり覚えていない。
「もし運命が便りを運んだら、公演に招待するよ。そのときには、みんなで来てほしいかな」
友達とは、長く仲良くいたいから。
◇■□◆□■◇
ドロシーは階段を上っていく。
木でできた古い階段だ。軋みそうな見た目とは裏腹に、高い靴で上っても音はしない。さっき通り過ぎた壁の照明に、音を殺す魔法がかかっている。
ドロシーは階段を上っていく。
どことも知れぬ階段だ。魔導師ドロシーは、自らの固有発現によって靴に場所を覚えさせることができた。だから、彼女は何も経由せずここまでたどり着くことができる。
ドロシーは階段を上っていく。
そもそもこの階段には、単なる場所としての行き方がない。もしかしたら場所もないかもしれない。
ドロシーは階段を上っていく。
上り切って、幼い扉を開ける。
屋根裏部屋がそこにあった。
ほんとうの家なら、屋根裏に着く前にちゃんとした暮らしの部屋があるはずだが、秘密の扉は屋根裏部屋にしかつながっていない。
ドロシーは歩きながら部屋を見渡した。前に来たときから何も変わらない。
窓もなく薄暗い室内は、何もみえないわけじゃない。
帽子をかぶったウサギの像が、光るランタンを掲げている。この灯りが、橙の光で足元を照らす。寝室がくらやみに吞まれないように。
ひかりを広げるのは、大人びた鏡台だ。大きな鏡にはきらり、ドロシーの長い三つ編みが映った。台には花瓶が置かれていて、白い花が飾られている。
鏡を過ぎて数歩先が、ドロシーの目的地。
天蓋つきのベッドがある。ゆらりと垂れるカーテンは、ケーキに飾るクリームのようにやさしく甘く寝床をつつむ。ゆったりした重さのドレープが、ランタンの灯りを受けて橙色にあわく染まった。光から、少女のねむりを守るかのように。
「アリス、ボクだよ」
そのベッドで、布団にくるまれて。アリスはまどろみに揺蕩っている。いつも屋根裏で半分が眠り、半分だけが起きている少女。金髪を波打たせ、青い目で友達を見つける。アリスは薔薇色の頬をゆるめて存在のオモテで笑った。
ドロシーは、アリスの半分と、お喋りをはじめる。
◇■□◆□■◇
「スノウホワイトが、そんなことを?」
「そう。友達なんだって」
「それは、よかったわ。本当によかった。彼女の存在が誰の手にも渡らないようにしなくちゃ。お友達があの子を守れれば、きっと素敵よ」
「一人きりじゃないなら、安心できるかも。……その人たちにはもう来ないって言っちゃったけど、様子、見に行きたいな。ボクは彼女の友達になりたかった」
「なって。ドロシー。私のぶんまで」
口を噤むドロシーに、アリスは何度も、やわらかく微笑む。
「もう半分を眠らせなきゃいけない、私の代わりになって。きっとよ」
◇■□◆□■◇
外に降り立って、ドロシーは夜明けの空を見つめていた。薄い雲をあかく染める陽の光が、きれいで恐ろしい。やがて色を変える空。そして、彼女が見ることもない空。
アリスの目覚めは、この国を壊す。
彼女もはっきりとそれを知っている。
だからこそ、アリスはウラの眠りを寝かせている。彼女が抱えるもう半分の目覚めから、この国を守っている。隠された屋根裏で、アリスのスベテが目を覚ましてしまわないようにまどろみ続けている。
半分だけ起きたまま、劇作家という配役に扮して、不思議の少女を秘匿している。
――私、この国が好きよ。だからオズをお願い。
――オズはきっと王様になるわ。
――夢から抜け出して、私と国とを切り離せる決意の刃に。最初の王様に――。
お喋りの中で、アリスが繰り返した願い。
「ドロシー、オズをお願い。オズならきっと、星と会える」
アリスが唱える“星”の意味を、ドロシーは知らない。
◇■□◆□■◇
彼はまだ、配役の大きさに戸惑っているだけだ。王様という言葉に、当時から今でも向けられ続けている民からの視線に囚われているだけだ。――いわれなき畏怖に。
アリスの言葉通りなら、王様の方が違う。王様という役割の表向きの意味と、アリスがオズに望む王の姿とが違う。
王の在り方など、ドロシーが問う話ではない。けれど。確信があった。
「成れるはずだ、オズ。ボクだって、ほんとのドロシーになれるから」
ドロシーにはドロシーの、オズにはオズの。全てを晒せぬ決まった名前がある。
「キミにだって、成れる。玉座の少年」
未だ目覚めぬもう一人のボク。
昼はあかるすぎて、夜はまっくらで。
その境目にある夜明けの先で、キミは何を見る?
夜はまっくらで、くらやみから逃げられない。
その境目にある夜明けは、ただひたすらに不確かで――。
◇■□◆□■◇
靴音が鳴る。
ロキという魔導師とひと悶着あった後。ドロシーは、再度スノウホワイトのもとを訪れた。見覚えのある魔導師に迎えられる。夕空の色は灯りをつけるか迷う頃合いで、夜はすぐ追ってくるだろう。
少女人形は眠っているようだった。伝言のつてがある以上、わざわざキスをするまでもない。スノウホワイトには眠ったままでいてもらうことにした。
「ロキくんはもう来ないよ」
と、通告をする。相手の魔導師は改めて墓守と名乗った。決まった名前を使っていないが、魔導師にはよくある話だ。特に役職と現状がズレている場合はだいたいがそうと決まっている。
ドロシーのように名を出す者は相応の魔力を持つのか、そうでなければ無鉄砲か、無数の偽名を使っているかだ。
この墓守は、いわゆる特別な者ではないだろう。
(けど、彼の態度は信用できる)
墓守と個人的な話をするつもりはなかった。当然だが、ずっと警戒されている。それでいい。それでこそ。言いたいことだけ告げて、聞いてもらえればそれでよかった。
「ボクはアリスと話してくる。スノウホワイトが安心できる結果になるかわからないけど」
ああ。あの日からそう経たないのに、鈴蘭薔薇はもう、花を落としてしまった。
旬の短い花だから。いや、花はみな儚いか。生きている者は、みな。
「アリスの考えが変わって、ボクが来なくてもよさそうなら、勧誘にももう来ない。けど――」
次の誘いに墓守がどう返事をしたか、ドロシーはあまり覚えていない。
「もし運命が便りを運んだら、公演に招待するよ。そのときには、みんなで来てほしいかな」
友達とは、長く仲良くいたいから。
◇■□◆□■◇
ドロシーは階段を上っていく。
木でできた古い階段だ。軋みそうな見た目とは裏腹に、高い靴で上っても音はしない。さっき通り過ぎた壁の照明に、音を殺す魔法がかかっている。
ドロシーは階段を上っていく。
どことも知れぬ階段だ。魔導師ドロシーは、自らの固有発現によって靴に場所を覚えさせることができた。だから、彼女は何も経由せずここまでたどり着くことができる。
ドロシーは階段を上っていく。
そもそもこの階段には、単なる場所としての行き方がない。もしかしたら場所もないかもしれない。
ドロシーは階段を上っていく。
上り切って、幼い扉を開ける。
屋根裏部屋がそこにあった。
ほんとうの家なら、屋根裏に着く前にちゃんとした暮らしの部屋があるはずだが、秘密の扉は屋根裏部屋にしかつながっていない。
ドロシーは歩きながら部屋を見渡した。前に来たときから何も変わらない。
窓もなく薄暗い室内は、何もみえないわけじゃない。
帽子をかぶったウサギの像が、光るランタンを掲げている。この灯りが、橙の光で足元を照らす。寝室がくらやみに吞まれないように。
ひかりを広げるのは、大人びた鏡台だ。大きな鏡にはきらり、ドロシーの長い三つ編みが映った。台には花瓶が置かれていて、白い花が飾られている。
鏡を過ぎて数歩先が、ドロシーの目的地。
天蓋つきのベッドがある。ゆらりと垂れるカーテンは、ケーキに飾るクリームのようにやさしく甘く寝床をつつむ。ゆったりした重さのドレープが、ランタンの灯りを受けて橙色にあわく染まった。光から、少女のねむりを守るかのように。
「アリス、ボクだよ」
そのベッドで、布団にくるまれて。アリスはまどろみに揺蕩っている。いつも屋根裏で半分が眠り、半分だけが起きている少女。金髪を波打たせ、青い目で友達を見つける。アリスは薔薇色の頬をゆるめて存在のオモテで笑った。
ドロシーは、アリスの半分と、お喋りをはじめる。
◇■□◆□■◇
「スノウホワイトが、そんなことを?」
「そう。友達なんだって」
「それは、よかったわ。本当によかった。彼女の存在が誰の手にも渡らないようにしなくちゃ。お友達があの子を守れれば、きっと素敵よ」
「一人きりじゃないなら、安心できるかも。……その人たちにはもう来ないって言っちゃったけど、様子、見に行きたいな。ボクは彼女の友達になりたかった」
「なって。ドロシー。私のぶんまで」
口を噤むドロシーに、アリスは何度も、やわらかく微笑む。
「もう半分を眠らせなきゃいけない、私の代わりになって。きっとよ」
◇■□◆□■◇
外に降り立って、ドロシーは夜明けの空を見つめていた。薄い雲をあかく染める陽の光が、きれいで恐ろしい。やがて色を変える空。そして、彼女が見ることもない空。
アリスの目覚めは、この国を壊す。
彼女もはっきりとそれを知っている。
だからこそ、アリスはウラの眠りを寝かせている。彼女が抱えるもう半分の目覚めから、この国を守っている。隠された屋根裏で、アリスのスベテが目を覚ましてしまわないようにまどろみ続けている。
半分だけ起きたまま、劇作家という配役に扮して、不思議の少女を秘匿している。
――私、この国が好きよ。だからオズをお願い。
――オズはきっと王様になるわ。
――夢から抜け出して、私と国とを切り離せる決意の刃に。最初の王様に――。
お喋りの中で、アリスが繰り返した願い。
「ドロシー、オズをお願い。オズならきっと、星と会える」
アリスが唱える“星”の意味を、ドロシーは知らない。
◇■□◆□■◇
彼はまだ、配役の大きさに戸惑っているだけだ。王様という言葉に、当時から今でも向けられ続けている民からの視線に囚われているだけだ。――いわれなき畏怖に。
アリスの言葉通りなら、王様の方が違う。王様という役割の表向きの意味と、アリスがオズに望む王の姿とが違う。
王の在り方など、ドロシーが問う話ではない。けれど。確信があった。
「成れるはずだ、オズ。ボクだって、ほんとのドロシーになれるから」
ドロシーにはドロシーの、オズにはオズの。全てを晒せぬ決まった名前がある。
「キミにだって、成れる。玉座の少年」
未だ目覚めぬもう一人のボク。
昼はあかるすぎて、夜はまっくらで。
その境目にある夜明けの先で、キミは何を見る?