wonderland code

 どこまで追いかけて、どこで諦めればいいのか。その境界線を測るのが、いつも通りのレベッカの初動であった。
 弱いのであれば、殺した痕跡を残さず止める手を考える。強いとみれば、手段を選ぶことをまずやめる。
 しかし境界線を測りかねたとき、即ち初動を奪われたとき、形勢不利になるのは自明である。故にレベッカは、戦う前から慎重に、慎重に相手を調べ、見極める。 見誤ったことは、未だない。

「さっきもせんせに呼び出しくらったんだよね、他の講義で課題がたくさんあるって話したら、今度にしてくれたけど」
 と、隣を歩く友人が愚痴を零す。まったくもう。次世代候補がどうとかいう話も並べられて、不満の山がレベッカを困らせた。このレテという学友は只者ではない。それは、単に彼がレベッカと同じ魔導師だからというわけではない。
 生まれてから今までの年数と生きている時間が違う、という不思議な話を聞いたのだ。長命種として数百年を生きる者は魔導師には多い。幼く見える年上もざらにいる。が、“生年から現在の年数”と“実年齢”に差があるという話は聞いたことがなかった。
 本人曰く、「複雑な事情がってものがあるんだよ」だとか、「これでもおまえよりは少し昔に生まれてる」とのこと。理由までは教えてもらえなかった。聞こうとして、睨まれて、やめたのだ。
 秘匿は護身だ。魔導師ならなおさら。そういうもの。仕方ない。友と手を切らないために、問いの続きを切り上げる。

 対人関係における「相互理解」とは、ある種の「諦め」を伴うものだ。それがレベッカの持論であった。
 他者とは他者。思想を同一化させることはできない。ならば、相手に対して「こいつはこういう奴だ」という諦めを作らなければならない。――作っておいたほうが、うまくやれる。

 少なくとも、故郷はそうだった。
 物心ついてから、レベッカが育ったのは冬の館という大きな建物だった。
 館の主――レベッカを学園に入れた主と、その信奉者や世話人、さらには自分のような拾われ者。立場も性格も経歴も年齢も、名前も魔法も関係なく入り乱れたうつくしい牢獄。

 主人かつ囚人であるミランダは、長く生きた魔導師だと聞く。
かつて王家のどこかに生まれ、マリアベルという人間と王位継承権の争いの渦中にいたらしい。秘密裏に刺客を差し向け、政敵マリアベルを傷つけた。その罪により、ミランダは最終的に投獄された。

 レベッカにはわからない。なぜ当時のミランダが、マリアベルを傷つけるような行為をしたのか。魔法で雪風から守られた庭園には、白い薔薇が植えてある。あとは赤い薔薇が、遠くに一株だけ。かつてふたりの少女が愛した花壇を、再現したものらしい。
 ミランダはマリアベルの友であった。

 当時はルーン術もなかったし、絶対的な王がいるわけでもない。魔導師を囚人にすることで冒す諸々の危険を加味して、王家はミランダを隔離する、という措置をとった。
 北の果て、雪原の向こうに屋敷を建て、そこを彼女の牢獄としたのだ。長い命を、王都から離れた館で暮らせ、魔法があるならなんだってできるだろう、と。好きなことをしていいから、代わりにその箱庭から出てはいけないと。
 すべてミランダ本人から聞いた話だが、真偽のほどはわからない。館の中には、本当はマリアベルの方が悪だとか、間違った歴史が伝わっているとか語る者もいた。けれど彼らもまた、ミランダが通れば頭を下げて黙るのだ。
 レベッカは、彼女の過去について深く考えてはいない。ただ、命の恩人を信頼しているだけだ。ミランダはそういうひとで、レベッカはそういう忠臣であった。

 箱庭に置いていかれた、美しく強い魔導師。誰が言い出したのか、ミランダは「白薔薇愛でるハートの女王」として、おとぎ話めいた存在になっていた。
 ――本人が王位を得ることはなかったのに。
 女王マリアベルが死に、そののちに王家がオズの傘下となってから幾年が経ったのか、レベッカは知らない。

 ただミランダは、長い命で冬の館を機能させてきたらしい。少しずつ建物を広くして、暮らせる人数を増やしていった。使用人とされる住人の中には人間もいて、流れ着いた館で出会い結ばれた血筋の者もいる。外の奴らには、小さな地下街のようだと説明すればわかってくれる。年上の魔導師にそう教わった。長命の者には、ミランダは館の主として知られるようになっていた。
 冬の館にて、魔導師としては年若いレベッカは、いわゆる戦闘員の仕事を任されていた。「外」や「悪」から仲間を守る、その最前線。といっても戦う相手は主に魔物で、他の誰でも対処できそうなものだった。ミランダからは「選ばれた」としか説明されなかった。だからこそレベッカ自身は、これが役割だと信じ込んでいた。
 それなのに。
 それなのに、突然飛ばされた先は学園で、命じられたのは密偵だった。

 第一の目的は人探し。それに付随した、ある禁器の調査。これらに関しては協力者―― 便宜を図ってくれる教授がいるらしい。それ以外には普通の学生として振る舞うこと。
 第二に命じられたのは、アカデミーの単位を取り、他の学生と同じように卒業すること。魔導師の仲間を作っておくのが好ましい、と。
 対人関係は、同年代の中ではうまくやれるという自負があった。戦のやり方が通用する。
 どこまで追いかけて、どこで諦めればいいのか。その境界線を測るのが、いつも通りのレベッカの初動であった。大丈夫だ。理解している。誰のことも、自分のことも――。

「おい、聞いてないよねレベッカ? 今から何するかわかってる?」
 そうだった。
「おまえはそういうところある。反省しなよ」
 まったく。どいつもこいつも。……と不満をぶつけてくるさまは、ぷりぷり怒るという表現がふさわしい。
 こういう振る舞いなので、彼は人間・魔導師問わず学生に年下扱いされている。――レテ本人が気づいているかは知らないが、あれは完全に年下を可愛がる接し方だ。レベッカは魔導師どころか人間相手でも若者だったから、身に染みてわかる。
「あーえっと、課題を教えてくれーみたいな話だったか」
「おまえが教わる側だろ!」
 ふわふわしている白い髪も、片方の三つ編みも、見上げて怒鳴る目つきも。これは可愛がられる。が、直接指摘したら怒る。事情は話さないわりに、年上ぶりたいらしい。レテはそういう奴だ。

 というわけで、レテの協力のもと、まずは複数の課題を講義ごとに整理するところから始まった。
 途中「どうしてこんなの取ったの」だの「この単位は捨てていい」だの口を挟んでくる。
 さすがに魔導師に探りを入れるため、とは答えにくかった。魔導師の講師が受け持っている講義にはほとんど出ている。その中でも、レベッカはアカデミーに四人しかいない特別魔導教授に目を付けた。ミランダと接点がある。あるいは、彼女がそう見込むほどの何かがある。

 特に、魔物の生態に関する講義が好きだった。ずっと魔物と戦ってきたから得意だろう、と思ったが、実際に聞いてみるとレベッカの知らない種類が多く、話として面白いのだ。既に課題を提出しているくらいには。それに講義を担当している魔導師・リナも、魔物との戦闘経験が豊富なようだ。戦法や戦術も話すことは話すが、口ぶりからするにおそらく感覚派だろう。
 逆にルーン基全般を扱う……はずの恐ろしく気まぐれな講義は、どうすればいいのかわからない。教授の雑談で終わることもあれば、工学の分野で専門的な話をすることもある。時折講義の途中で何か思いついた教授がいなくなり、講義そのものが終わる。単位は試験一発で決まるが、情報によると出題内容も気まぐれらしい。恐ろしい。ゼル博士と呼ばれる男に関しては、……頭がいいのはわかった。あと、同じきまぐれをレベッカがやったら、たぶんレテは課題を教えてくれなくなる。
 ただ、先ほどレテを呼び出したという教授――キャロが今期に担当する歴史学は、取っていない。史実にはミランダの名がどう刻まれているのか、見たくなかった。
 ルーン術の教授は、そもそも前評判の影響が大きい。葡萄酒のようだと称される瞳を筆頭にその容貌への噂は非常に多かった。当たり障りのない程度に見ていたが、第一印象は「なるほど」だった。話すのが上手いし学生の質問には答える、講義そのものの人気も「なるほど」という感想だった。

 魔導師たちとの間合いを計算しながら、ミランダの声を思い出していた。協力者の教授は、名前までは教えてもらえなくて。
「レベッカ。あなたは慎重だからあえて言う。協力者には、連絡や依頼をしたわけじゃない。――けれど、奴は私を知っている。だから、あなたから。あなたから話をきけば。きっと手を貸してくれる。私は奴のことを、そういう魔導師だと確信している」

「おまえはいつも、突然声が聞こえなくなる!」
「うわ! いや……えっと、ごめん。ふいに、つい」
 思い出すと、今を忘れる。故郷だけは、いつもこうなってしまう。そんな本当の自分を、どこまで見せればいいのやら。秘匿は護身だが、それで関係が壊れるくらいなら、少しでも真実を話したかった。正直なところ、レテと友人をやめるのは、……寂しいから。
「わかってるよ。悪気がないのと、反省するつもりはあるってことは。試験中にやらかさないでね」
 たしかに、学生っぽく話を聞くのは好きだった。講義にはほとんど出席している。だが、課題はまだ終わっていない。試験が思いやられるというレテの気持ちもわかる。
「とりあえず、同じ講義のやつ。課題一覧と、レポートの方は僕が使った資料の一覧もつけとく。問題解くだけのやつとかは、いま終わらせちゃうよ。手伝うから」
 けっこう世話やけるよねという皮肉も否定できない。だって、課題に手が回らなかったのは。ミランダに授かった使命のためだ。禁忌研究の手掛かりとして、学園の研究資料を探し回っていたからだ。単位取得も卒業も、同じミランダに命じられているのに!

 自分で自分に嫌気がさす。学生という身分に慣れるまで、ずいぶんと時間がかかってしまった。敵を倒せばよかったころとは違う。おかげでこのザマだ。
「こんな俺に、よくしてくれるもんだな」
「はぁ? おまえの世界せますぎだろ、もっとやばいのたくさんいるよ」
 わかりやすく整理された資料を借りたうえに、アカデミーの図書館でレベッカが参考にできそうな本の在り処まで教えてもらった。課題の進行に、やっと光が見えてきた。
 帰り際にもう一度「こんなによくしてもらっていいのか」と聞くと、レテはため息をついて強気に言った。
「見返りがなければ許さない!」
 なぜか知らないが、レベッカは友人のこういうところが好ましいのだ。

 後日、レベッカは課題の提出に奔走していた。誰かに渡したり、箱に放り込んだり、とにかく色々な仕組みがあった。書館の本を貸し借りして、受付係に教授を呼んでもらって。
 人間と魔導師とが関係なく、それぞれの暮らし方を築いている。そう思うと、学園は知っている空間だった。

 夜。
 何の変哲もない夜。

 まだ提出していない課題が一つ、〆切が今日。それなのに学内にいないから、担当教授を探しに行く羽目になった。
 ルーン術の担当教授・クラウツは、近くのバーに通い詰めているらしい。――協力者かもしれないうちの一人。
 ターゲットは噂通りの店、噂通りの席に座っている。変わった格好をしているわけでもないのに、いつもと雰囲気が違う。
 理由はわからないが、未知の世界にいる気がして足が強張る。緊張しているだけだ。緊張している? 今更だろ、なんでだ。講義は受けた、簡単に話もした。慎重ながら観察もしてきた。
 怖いことはない。普通にやればいい。学業のために来た一般学生と同じ対応でいい。彼に近づいて、講義室と変わらぬように声をかける。

「……、あの、先生っ、」
 空気が変わった。

 何気ない一言のはずだった。
 他意のない発言だった。

 立ったままのレベッカが声をかけた。座ったままのクラウツがそれを見上げた。
 それだけのこと。
 それだけのことを、その他大勢が異変と見なした。

「こんなところまで、どうされました?」
 教員のそれではない声色に寒気がした。

 その他大勢が日常に隠れ、レベッカだけが異常事態に取り残される。どこか静けさをはらんだ目としなやかな手で、どうぞ、と向かいの席を勧められ、腰を下ろして、そのときにはもうとっくに初動を握られていた。
 ――こいつの何かを、確実に見誤った。

 レベッカの非日常と、クラウツの日常。交わった点に、今この夜は二人きり。学び舎から余計な秩序を取り去ったような空気感が、どこか不思議に思えた。酒場に一人で来たのは、はじめてだ。
 息をする。小さな賑わいが遠く聞こえて、なぜか静かに思える。眩しくない灯りが、緊張も警戒もほどいてしまう。
 そこでやっと、“酒場の客”である彼をはじめて見た。知っている。知らないけれど、わかる。このひとだ。何かが、――似ている。
 後から思えば、これが本当の出会いだった。そして恐らくこの時点で、レベッカ、あるいはミランダの計画はきっと透けていた。


 本を読む後ろ姿。女学生の声に答えて、少し待っていただけますか、と返事をした。きりのいいところまでと文字を追いながらも、質問した娘を蔑ろにしなかった。他にも学生たちが、静かに彼を待っている。
 同じ光景だ。
 昔話や知識の話をねだる自分、学びにきた人間、魔法を教わりたい魔導師。順番だ、と手を叩いて、多くの聞き手を振り返る。呆れたようで、けれど楽しそうな様子の彼女を思う――。
 かの主のため、レベッカは声と勇気を絞る。

「魔導師クラウツ。あんたに話がある」
 学園の研究か資料か。とにかくどこかに必ずあるはず。ある「禁器」と、ミランダの「探し人」。その手がかりが。そして、人のほうは、もしも会えたら、頼みがあると伝えてほしい。切り出さなければならないのは、きっとそういう話だ。
「――課題は受け取りました。大事な話はあとで、二人きりで」
 まなざしを交わすと、対応の余裕がよくわかる。噂に葡萄酒と言われた瞳の赤が、レベッカには薔薇のそれに見えた。

 そもそも追いかけてはいけなかった、それでも触れてみるほかになくなっていた。
(ミランダ様、なんのために俺を、いきなり探し物に付き合わせた?)
 それにクラウツは彼女にとって何なのか。調査や研究はまだしも、急ぎの人探しにこの人まで巻き込む理由は?
「怖い顔はおやめなさい。ここは酒場で、戦をするところではありませんから」
 あ、と声が漏れる。やっと気が付いた。レベッカが見誤ったのは、“相手”というより“場所”だった。空間には役割があるのだと、初めて学んだ。ゆれる赤い瞳が時間を続けていく。
「お酒は飲めますか? せっかくですから奢りましょう。少なくとも、私は敵ではありません」
 グラスの淵にくちづけをして、男は言う。
「そうご理解いただければと」
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