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■Wheel of Fortune‐supplement
――あなた、新しいチャンスが欲しいなら、手を空けて。
握っているもの全部棄てて、未来を掴みに行きましょう。
スキャットを交えて人間の女が軽快に歌う。王都最大の酒場。いくつものバーカウンター、舞台と客席を設えた特別な広間に、歌姫ルルの繊細な声が悠々と響く。
しっとりした人波の端で、ガルネは歌を酒の肴にしている知人を見つけた。盛り上がる歌を耳で追いながら、邪魔しないようなタイミングで声をかけようと見計らう。
いま「彩りの家」には異常事態が起きている。調査を進めたものの、内部の者ではどうにもならないと気づき始め、初めて外を頼ることにしたのだ。
情報通の魔導師・イレヴン。面識もあり、世界を知る彼なら。拳を握って、はやる期待を抑え込む。
ガルネは赤の翻訳者をまとめるリーダーだ。仲間の証である腕輪の赤を身に着け、居場所も知らせてここに来た。
当初の予定では、もう一人の翻訳者仲間――青の長男も来るつもりだったが、彼は彼で他をあたることになった。いまカウンターにいる男と合わせて、我々は二つの情報源を得たことになる。
だがイレヴンには、深き何かを知る者特有の底知れなさがある。ガルネとしてはなるべく油断なく、スマートに切り出したいのが本音だった。
ちょうど、ホールが拍手に包まれる。名曲「Wheel of Fortune」と歌姫の挨拶が終わったところで、ガルネはイレヴンに近づいて声をかけた。
「カジノに向かう客が多いな」
「曲が曲ですから」
幕間のホールは歓談の空間だ。人波がざわめきと共に流れを変える。歌舞台は二幕からが本番だが、カジノ目当ての客は二幕を待たずして本番へ向かう。歌に酔うより、酒に酔うより欲深い時間に。
「さっきの歌、一発当てるならカジノに行こうって感じだったもんなあ」
当然のように隣を陣取る。相手はグラスを運ぶ手を止めて、言外にこちらの出方を見ている。目だけでこちらを捉え、眉をひそめる。何か言いたげな表情で、何も言わない。言葉を残さないでくれるなら、空気を作りやすくて助かる。
「カウンターが寂しいのは、嫌いだろ?」
譲歩してやったのだという体で話を進めた。お前はそうされるのが好きだろう、そちらが望んだことだ、と。
イレヴンは態度を変えない。手元の白い酒を飲み干して、まだ砂の落ち切らない時計の傍にショットグラスを置いた。
目の合わない瞬間を狙って呼び鈴を鳴らすと、きっちりとしたバーテンダーが現れて一礼。後に「ご注文は」と若い声が聞く。
「こいつの次の一杯、俺の奢りで。俺のぶんも同じのを頼む」
ちらりと横を伺うと、イレヴンは私物の砂時計を弄んでいる。袖から手首が見えるのは、隙を晒しているに近い。拒まれてはいないようだ。視線で会話のパスを回す。
「では、『歌姫に捧ぐ一杯』を頂きましょう」
ここにしかないメニューだ。歌姫ルルをイメージしたオリジナルカクテルで、ルルの代替わりと同時にレシピも変わる。
注文を終えて、ガルネが切り出す前に、同席の男が会話を爪弾いた。仕掛けてきたか。
「ガルネ様は『Wheel of Fortune』の本当の意味をご存知でしょうか」
カウンターの向こう、バーテンダーの後ろ姿を眺めて、あの曲の意図を問う。わざわざ今持ち出される話題は、単なる雑学ではないように思えた。
「表向きは、貴方のおっしゃるとおり、賭けへと誘う曲です」
ならば聞くのみだ。「裏があるのか?」と相槌を打って続きを待つ。本題は焦らなくていい。まずはお喋りでもして、肩の力を抜くところからだ。さっき彼が嗜んでいた一杯もそう示している。
ガルネが聞く姿勢を示すと、イレヴンは流麗に語り出した。
「――遥か昔の歌姫から教えていただいたお話になります」
そもそも歌姫ルルが受けついでいるのは、「歌」と「詩集」なのだという。
元々は人間が語らう夢物語や童話をもとに詩集として書き起こしたものが、様々な人の手が加わって歴史あるバーの名物になったのだ。
先ほど歌われた「Wheel of Fortune」は、詩集では「運命の輪」という題名だった。
運命の輪という詩には、契機をもたらす運命の輪が登場する。さらにその起源となる童話は“代償契約の魔女”の話だ。
魔女に代償を払えば、人々は「運命の輪を回す権利」を手にできる。様々な犠牲を払い、人々が代わる代わる運命に挑戦する。挑戦し続ける。他の者が悲劇に終わっても、契機を夢見て挑む者は後を絶たないという。未来を掴んだ者がいるのだから。
「このような夢の物語を商いに組み替えるなんて、人間らしいやり方だと思いませんか」
と、何か言いたげなまま、イレヴンは続きを形にはしない。
「悪いが、それはわからないな」
二重の意味で。と頭の中でだけ付け足した。
会話にできた隙間を埋めるように、バーテンダーが「どうぞ」とグラスを運んできた。注文通りの二人分。鮮やかなオレンジ色をしている。ガルネが色味を確かめる横で、イレヴンは二つ目の砂時計をカウンターに置いた。
「これを頂いて、歌姫の舞台が終わるころに店を出ましょう」
「さっきみたいな強い酒はいいのか?」
「あまり酔わせすぎてはいけないかと。お話があるのでしょう?」
情報通の魔導師が笑う。口の端をふっと上げるだけの、含みがある笑いだ。
――お互い、この程度で酔うわけがないのに。
目線が、こちらの本心を見透かしていた。困っているのは自分で、用事があるのも自分。余裕ぶった駆け引きも詮無く、彼に借りを作ることになりそうだ。
「それじゃ、歌姫に乾杯」
「乾杯」
静かにグラスを鳴らす。少し豪快に一口。後味が香り豊かで、旨い。魔導師に酔いを回すような酒ではないが、好きな風味だった。
バーテンダー曰く、当代の「ルル」は紅茶畑出身らしい。だから「歌姫に捧ぐ一杯」も紅茶の蒸留酒をベースにしたオレンジ風味のドリンクなのだとか。言われてみれば、衣装もそんな色だった。
さっきより大きめの砂時計が、オレンジの砂を落としていく。酒に拘りのある奴は、この手の時計をいくつも持っているらしい。
「いつでも、ここには『ルルという歌姫』がいらっしゃいます」
歴代の歌姫はルルという名を襲名する。彼女の本当の名前を我々が知ることはない。――別の名前を纏って役割に扮する。
カランとひときわ強い氷の音がした。はっとして手元を見ると、グラスを揺らしたのはガルネの方だった。
「似ていると思われましたか?」
いま、「彩りの家」に起きている事態を調べるには、ガルネは何も知らなかった。拠点に集う誰もがそうだ。
翻訳者はこの国の発展を支える縁の下の力持ちだが、縁の下以外ではただの魔導師。本来の役目に関係のないことを、誰も彼も異様なほど何も知らない。自分たちはそういう集団だった。
「向こうの方が、ずいぶんいい人生だろ」
いつからか、うっすらと“ガルネ”の意義の薄さに気づいていた。被っている偽名の下には、カーネリア・ワン という本名がある。一族の名前はこんなものばかり。翻訳者ほど「機能」を本質とする魔導師もいない。
彼の問いはそういうことだ。
さっきの話だと、運命の輪のモデルは、魔女と契約したことで悲劇が起こるんだったか。
「詩集の童話そのものが、この国で眠る代償契約の魔女そのものとも関係があるといわれています」
感傷的になったのを察してか話を切り替えてくれたが、あまり楽にはならない。
「代償契約ねえ」
舌打ちの代わりに酒を飲み干す。先ほどは聞き流せたが、実際ガルネはそれも知らないのだ。視界の端で、話し相手が目を伏せるのがわかった。
魔女の件に関してはバーテンダーが説明してくれた。詩集より有名な逸話らしい。代償を払う代わりに、魔女は自分にはないものを授けてくれるのだと。
「代償も悪い話ばかりじゃない。勝ち取るためには、時に手放すことも必要です。ここは『Wheel of Fortune』だ、ってよく言うでしょ?」
バーテンダーの口先で回された運命の輪は曲名ではなくスラングだ。よく賭場で聞くような、流れを変えるテクニック。持ち札を入れ替える――手札を捨てて、新たに引く。
酒場を去った先で、自分は何を得るのだろうか。グラスの底で、氷だった水が徐々に溜まっていく。
「なにかお思いになるところがあるのでしょう。これ以上何も頂戴することはありません」
もうご馳走して頂いたのですから、と、グラスを示してイレヴンは笑う。それでは困る。何も得ずに帰る予定はない。代償が要るなら、まずはこの無知の殻を剥がすべきだ。
新たなる光明を呼び込むためには、今この手にあるものを棄て去らなければならない。ガルネは地下のカジノを想った。誰かが何かを、今日もどこかで棄てたのだろう。
――あなた、新しいチャンスが欲しいなら、手を空けて。
握っているもの全部棄てて、未来を掴みに行きましょう。
スキャットを交えて人間の女が軽快に歌う。王都最大の酒場。いくつものバーカウンター、舞台と客席を設えた特別な広間に、歌姫ルルの繊細な声が悠々と響く。
しっとりした人波の端で、ガルネは歌を酒の肴にしている知人を見つけた。盛り上がる歌を耳で追いながら、邪魔しないようなタイミングで声をかけようと見計らう。
いま「彩りの家」には異常事態が起きている。調査を進めたものの、内部の者ではどうにもならないと気づき始め、初めて外を頼ることにしたのだ。
情報通の魔導師・イレヴン。面識もあり、世界を知る彼なら。拳を握って、はやる期待を抑え込む。
ガルネは赤の翻訳者をまとめるリーダーだ。仲間の証である腕輪の赤を身に着け、居場所も知らせてここに来た。
当初の予定では、もう一人の翻訳者仲間――青の長男も来るつもりだったが、彼は彼で他をあたることになった。いまカウンターにいる男と合わせて、我々は二つの情報源を得たことになる。
だがイレヴンには、深き何かを知る者特有の底知れなさがある。ガルネとしてはなるべく油断なく、スマートに切り出したいのが本音だった。
ちょうど、ホールが拍手に包まれる。名曲「Wheel of Fortune」と歌姫の挨拶が終わったところで、ガルネはイレヴンに近づいて声をかけた。
「カジノに向かう客が多いな」
「曲が曲ですから」
幕間のホールは歓談の空間だ。人波がざわめきと共に流れを変える。歌舞台は二幕からが本番だが、カジノ目当ての客は二幕を待たずして本番へ向かう。歌に酔うより、酒に酔うより欲深い時間に。
「さっきの歌、一発当てるならカジノに行こうって感じだったもんなあ」
当然のように隣を陣取る。相手はグラスを運ぶ手を止めて、言外にこちらの出方を見ている。目だけでこちらを捉え、眉をひそめる。何か言いたげな表情で、何も言わない。言葉を残さないでくれるなら、空気を作りやすくて助かる。
「カウンターが寂しいのは、嫌いだろ?」
譲歩してやったのだという体で話を進めた。お前はそうされるのが好きだろう、そちらが望んだことだ、と。
イレヴンは態度を変えない。手元の白い酒を飲み干して、まだ砂の落ち切らない時計の傍にショットグラスを置いた。
目の合わない瞬間を狙って呼び鈴を鳴らすと、きっちりとしたバーテンダーが現れて一礼。後に「ご注文は」と若い声が聞く。
「こいつの次の一杯、俺の奢りで。俺のぶんも同じのを頼む」
ちらりと横を伺うと、イレヴンは私物の砂時計を弄んでいる。袖から手首が見えるのは、隙を晒しているに近い。拒まれてはいないようだ。視線で会話のパスを回す。
「では、『歌姫に捧ぐ一杯』を頂きましょう」
ここにしかないメニューだ。歌姫ルルをイメージしたオリジナルカクテルで、ルルの代替わりと同時にレシピも変わる。
注文を終えて、ガルネが切り出す前に、同席の男が会話を爪弾いた。仕掛けてきたか。
「ガルネ様は『Wheel of Fortune』の本当の意味をご存知でしょうか」
カウンターの向こう、バーテンダーの後ろ姿を眺めて、あの曲の意図を問う。わざわざ今持ち出される話題は、単なる雑学ではないように思えた。
「表向きは、貴方のおっしゃるとおり、賭けへと誘う曲です」
ならば聞くのみだ。「裏があるのか?」と相槌を打って続きを待つ。本題は焦らなくていい。まずはお喋りでもして、肩の力を抜くところからだ。さっき彼が嗜んでいた一杯もそう示している。
ガルネが聞く姿勢を示すと、イレヴンは流麗に語り出した。
「――遥か昔の歌姫から教えていただいたお話になります」
そもそも歌姫ルルが受けついでいるのは、「歌」と「詩集」なのだという。
元々は人間が語らう夢物語や童話をもとに詩集として書き起こしたものが、様々な人の手が加わって歴史あるバーの名物になったのだ。
先ほど歌われた「Wheel of Fortune」は、詩集では「運命の輪」という題名だった。
運命の輪という詩には、契機をもたらす運命の輪が登場する。さらにその起源となる童話は“代償契約の魔女”の話だ。
魔女に代償を払えば、人々は「運命の輪を回す権利」を手にできる。様々な犠牲を払い、人々が代わる代わる運命に挑戦する。挑戦し続ける。他の者が悲劇に終わっても、契機を夢見て挑む者は後を絶たないという。未来を掴んだ者がいるのだから。
「このような夢の物語を商いに組み替えるなんて、人間らしいやり方だと思いませんか」
と、何か言いたげなまま、イレヴンは続きを形にはしない。
「悪いが、それはわからないな」
二重の意味で。と頭の中でだけ付け足した。
会話にできた隙間を埋めるように、バーテンダーが「どうぞ」とグラスを運んできた。注文通りの二人分。鮮やかなオレンジ色をしている。ガルネが色味を確かめる横で、イレヴンは二つ目の砂時計をカウンターに置いた。
「これを頂いて、歌姫の舞台が終わるころに店を出ましょう」
「さっきみたいな強い酒はいいのか?」
「あまり酔わせすぎてはいけないかと。お話があるのでしょう?」
情報通の魔導師が笑う。口の端をふっと上げるだけの、含みがある笑いだ。
――お互い、この程度で酔うわけがないのに。
目線が、こちらの本心を見透かしていた。困っているのは自分で、用事があるのも自分。余裕ぶった駆け引きも詮無く、彼に借りを作ることになりそうだ。
「それじゃ、歌姫に乾杯」
「乾杯」
静かにグラスを鳴らす。少し豪快に一口。後味が香り豊かで、旨い。魔導師に酔いを回すような酒ではないが、好きな風味だった。
バーテンダー曰く、当代の「ルル」は紅茶畑出身らしい。だから「歌姫に捧ぐ一杯」も紅茶の蒸留酒をベースにしたオレンジ風味のドリンクなのだとか。言われてみれば、衣装もそんな色だった。
さっきより大きめの砂時計が、オレンジの砂を落としていく。酒に拘りのある奴は、この手の時計をいくつも持っているらしい。
「いつでも、ここには『ルルという歌姫』がいらっしゃいます」
歴代の歌姫はルルという名を襲名する。彼女の本当の名前を我々が知ることはない。――別の名前を纏って役割に扮する。
カランとひときわ強い氷の音がした。はっとして手元を見ると、グラスを揺らしたのはガルネの方だった。
「似ていると思われましたか?」
いま、「彩りの家」に起きている事態を調べるには、ガルネは何も知らなかった。拠点に集う誰もがそうだ。
翻訳者はこの国の発展を支える縁の下の力持ちだが、縁の下以外ではただの魔導師。本来の役目に関係のないことを、誰も彼も異様なほど何も知らない。自分たちはそういう集団だった。
「向こうの方が、ずいぶんいい人生だろ」
いつからか、うっすらと“ガルネ”の意義の薄さに気づいていた。被っている偽名の下には、
彼の問いはそういうことだ。
さっきの話だと、運命の輪のモデルは、魔女と契約したことで悲劇が起こるんだったか。
「詩集の童話そのものが、この国で眠る代償契約の魔女そのものとも関係があるといわれています」
感傷的になったのを察してか話を切り替えてくれたが、あまり楽にはならない。
「代償契約ねえ」
舌打ちの代わりに酒を飲み干す。先ほどは聞き流せたが、実際ガルネはそれも知らないのだ。視界の端で、話し相手が目を伏せるのがわかった。
魔女の件に関してはバーテンダーが説明してくれた。詩集より有名な逸話らしい。代償を払う代わりに、魔女は自分にはないものを授けてくれるのだと。
「代償も悪い話ばかりじゃない。勝ち取るためには、時に手放すことも必要です。ここは『Wheel of Fortune』だ、ってよく言うでしょ?」
バーテンダーの口先で回された運命の輪は曲名ではなくスラングだ。よく賭場で聞くような、流れを変えるテクニック。持ち札を入れ替える――手札を捨てて、新たに引く。
酒場を去った先で、自分は何を得るのだろうか。グラスの底で、氷だった水が徐々に溜まっていく。
「なにかお思いになるところがあるのでしょう。これ以上何も頂戴することはありません」
もうご馳走して頂いたのですから、と、グラスを示してイレヴンは笑う。それでは困る。何も得ずに帰る予定はない。代償が要るなら、まずはこの無知の殻を剥がすべきだ。
新たなる光明を呼び込むためには、今この手にあるものを棄て去らなければならない。ガルネは地下のカジノを想った。誰かが何かを、今日もどこかで棄てたのだろう。