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【-no-tice】 開け手明かな意

 雨が上がった。講義室では雨音の代わりに、外の声が増えはじめていた。鉱物学を受けているレベッカは窓際の席で分厚い資料をめくっていた。
 窓の外、アカデミー講義棟の中庭では、学生が朗らかな会話を広げている。教壇では、教授が受講生へとまろやかに語り掛けている。
「このうち鉱石には資源としての側面があり、様々な機械に使用され――」

 レベッカに課せられた二つの任務、学生生活と調査の両立にも慣れてきた。この講義は好成績だし、禁器探しもまた、わずかな進展を見せていた。
「――魔力を含んでいるものもある。それらの詳しい話は、魔導師の教授に任せるとして――」
 何度か怪しい噂話を追って、遠くまで行った。現地を調べたり、話を聞いたりした。これだという新発見があったわけはないが、前進している実感はあった。

 ――魔導師が人間を守り切れなかった、という共通点に気づいたからだ。
「ということで、次回は歴史の観点から――」
「こっちに来て」
 そのとき突然声がして、レベッカは顔を上げた。他の誰も気づいていなかった。

 教授でも、中庭の学生でもない。ここにいる受講生でもなかった。では誰が?
 レベッカはいてもたってもいられなくなった、誰かが呼んだ。呼んでいるのだ!

 ――どこからだろうか。ここではない、もう少し遠くだ。教授が講義を締めくくる、最後の一言がじれったい。学生の誰よりも早く立ち上がり、レベッカは走り出した。
「聞こえるなら、来て。こっち」
 それは確かな呼び声だった。懸命に、何かを求める何者かに応えるべく、レベッカは息を弾ませて駆ける。花めく昼下がり、雨上がりのきらめきもぬかるみも目に入らない。

 声の導く先へ一心不乱に向かうと、石段の上、扉と窓の多い建物に行きついた。
 アカデミー西棟。レベッカにとっては普段は縁のない場所――学生の日常生活に使われる区域だ。部やサークル活動の拠点が多く、部室棟や学生棟と呼ばれることもある。
 声に呼ばれた先の一室は満席だった。それは学生棟の日常にない景色で、けれどレベッカは構いやしなかった。いま彼が考えているのは、あの声の主はどこにいるのか――それだけだ。
 呼び声はもうしない。それどころか、ここにいる誰もが話をしていないようだった。皆、まっすぐに前を向いて、感情のない目で黙り込んでいる。

 人の多さに見合わない静寂。――おかしい。違和感を捉えた瞬間、レベッカに調査者としての感覚が蘇った。ここで、何かが起きている!
 今いる誰もなにも言わないのに、確かにここから声がした。それ自体が事件の糸口だ。レベッカはその先を探ろうと耳を澄ました。

 硬い音がカツンと響く。割り込んできたのは、足音。
 レベッカの他にもう一人、動く姿がある。
「君も同志かい? 歓迎するよ」
 あやしく響く声で、レベッカに対峙したのは――学生であろう、外套を広げた礼服の魔導師だった。

■◇◇■◇◇◇◇

「ええっ」
 魔導師の談話室は、驚嘆の声に揺れる。キャロは驚いて、確かめるように聞き返した。
「ゼル博士もやられたの?」
「も、ってことは、あんたたちもか」
 と続けるのはリナの方だった。キャロがお茶会と称して呼びつけた特命魔導教授たちは、四人全員が談話室に揃っている。

 そもそも主催・キャロにとって、今回の「お茶会」は名目だ。元々、キャロの身に起きている事件について話し合うつもりではあった。――学生、おもに人間に襲撃されるのだ、と。

 アカデミー敷地内、人気のないところで学生が攻撃をしてくる。石を投げたり、刃物を向けてきたりするのだ。教授として、なにか、学生に深い恨みを買うようなことをしてしまったのかな、なんて相談をする台詞を作ってきていた。
 しかし、どうやら襲撃に遭ったのは自分だけではないらしい。

「襲われるといっても、魔法は使われていませんでした。痛みを与えるより、憎しみを表すほうが目当てのようにも見えますが……。どちらにせよ、あまりお利口ではありませんね」
「ん、あれって人間だったっけ?」
「ああ、だいたいは人間だった。まあ魔導師だろうが、勝ち目のあるやり方じゃないね」
 四人全員が、同じように攻撃されている。キャロがこの一件を聞いて肝を冷やしたのは、何も同僚を案じてのことではなかった。思いを馳せたのは加害者たる学生のほうだ。

「博士、反撃してないよね?」
「なんで?」
「いいの。してないってわかったから十分」
 ゼルが本当に人間と戦闘していたら、相手は無事ではすまない。が、彼の性格上、ここで「した」か「忘れた」が返ってこないなら反撃はしていない。博士の申告に嘘がないことは一目瞭然だ。ゼルは魔力も強いし頭も回る、そのうえ他人に興味がないから、ひとに対して嘘を操る必要がないのだ。

 そんなゼルでさえ、襲撃の標的になっている。これは恨みつらみが生んだ小さな事件というより、目的のある犯行なのだろう。襲撃者自身が言う通りに。
 彼らは揃って「シニカル・カース」の一員だと名乗っていた。
「己の正義のために、グラン・アカデミーの魔導教授を倒す――とか言っていたけど……」
 ――それが何になるというの?
 キャロが言いかけた疑問を、差し出す前にゼルが払い捨てる。
「意味不明。学生が僕らを倒して、成り立つ正義なんてないよ」
「じゃあ放っておく? ときどき戦うことになってめんどうだよ。まあ、負ける相手じゃないと思うけど」
 キャロはあえて、逆を提案してみる。見せかけだ。きっとこう言った方が、解決が早くなる。
「調べた方がいい。他でもないここで、誰かが悪さしてるんだ」
最初に動いたのはリナだった。そして、彼女の見解も正しい。事件が起きたのは敷地内のみ。組織を率いる者は、アカデミーのどこかにいる。

「相手が魔導師を狙ってるって考えると、あたしら以外が危ないだろ。前にあいつらと戦った場所を見てくる」
 と駆け出した。次にクラウツが言葉もなく出ていく。後を追おうと席を立って、キャロはふと気づいた。ゼルは何もしていない。返事すら。
「博士は行かないの?」
「なんで?」
「聞いてみただけ」
 不毛な議論を避け、キャロは会話を終わらせた。ゼルは調べに行かなかった、立つことすらしなかった。だが、その横顔は考え込むふうだった。
 ゼル博士の興味は、「事件そのもの」にはないのだろう。けどその先にはある。
(誰も他人事じゃないんだ。私も)
 部屋を出た二人は、事件を解決してくるだろう。だってわかっているから。根本的な原因が何なのかを。
 キャロたちにとって、問題はその先。学内にさえいる「元凶」を、知らない人々に隠しきれるかだ。
(私みたいな嘘つきならまだしも、他のみんなはいつか見つかる)
 誰にだって、知らないふりにも限度はある。探ってくるのが魔導師なら、なおさら。

■◇◇■◇◇◇◇

 レベッカは異常事態の真っただ中にいた。
 アカデミー西棟で、瑪瑙という魔導師が不敵に笑う。

 艶のある髪の揺れるさまと、儀式でもするような礼服が、彼をより堂々と凛々しく見せていた。
 完全に、瑪瑙がこの場の空気を支配している。
「僕は瑪瑙、魔導師だ。シニカル・カースを率いるリーダーさ」
「シニカル……なんだって?」
 真意を探ろうと見つめた瞳は、統率者らしい自信に満ちている。どこかで見た色だ。肉のような果実のような鮮やかな橙――ああ、講義で見た紅玉髄の彩りと似ているのであった。

「皆が来てくれたのは、志を同じくしてくれたからだろう」
 瑪瑙と名乗る彼が次に呼びかけたのは、集まった人間たちだ。人々は揃って顔を上げる。次に指導者は、驚くべきことを言った。
「我が同志たち、歓迎するよ。高みで僕らを惑わす魔導師を、あの教授どもを打ち倒すんだ」
 教授ども。瑪瑙が示す仇敵とは、談話室でよく見るあの四人なのだという。魔導師の中でも有数とされる、知識や戦闘に長けた者たち。レベッカにとってはあまりに現実感のない話だった。瑪瑙はさらりと言ってのけたが、そんなことができるのか?

「戦って勝つつもりか?」
 飛び出ていった疑問に、瑪瑙は「そのために僕らはシニカル・カースを結成したんだ」と答えをよこした。
「魔導師は人間を裏切れないだろう? だからこそ人間を使うのさ」
 レベッカの知る魔導師像を――ミランダが教えた生き方を――瑪瑙は一言で踏みにじったのだ。

 リーダーが言い切ると同時に、周囲の人間たちからも声が上がり始める。
 ――やつらに一矢報いるんだ。
 ――恨みを晴らす。
 ――シニカル・カースの正義なんだ。
 その中で、レベッカは最初の呼び声を聞いた。
「この声が、聞こえる?」
 そこに、いる。衝動が身体中を揺らして、声の方へと床を蹴った。
 動きを拾った瑪瑙が魔法を放つ。刃を飛ばすような攻撃魔法を、こんな部屋の中で! レベッカは反射的に打ち消し、叫ぶ。
「他の奴を巻き込んだらどうするんだ!」
 それらしい返事はなかった。代わりに、誓いのごとき静けさで、恨めしげな呟きが這う。
「グラン・アカデミーの陰謀を、教授を倒すんだ。ぼくは見た。ゆるさない」
 憎悪が籠ったは響きは、まるで別人の声に聞こえた。

「ねえ――この声が聞こえる?」
 また、呼ばれた。今度は背後。目が吸い寄せられるようにレベッカはそれを見つけた。教卓らしき机の上、見たこともない黒い箱が置いてあった。
「あれか?」
 物々しい雰囲気が溢れ出している――これぞ元凶と、自ら示すように。
 どうして今まで、あれの存在に気づかなかったのか。声だって聞こえるじゃないか。おぼつかない足取りで近づく。

 誰かに呼ばれている。誰かに――あたまのなかで、声が響く、よんでいる――自分を。
 声がするのは机上の箱からだった。古めかしい蓋の向こうから、だれかがレベッカを呼んでいる。

「開けちゃだめ!」
 誰の静止も聞かず、身体が言うことを聞かなかった。手を伸ばし、レベッカは躊躇いなく箱を開けた。

 ぐらり、突然世界が歪んだ。耳元で、空間の軋む音がする。目の前で、背後で、思考を壊す音がする。
(これに、呼ばれたのか?)
 足元で、真上で、遠くで、すぐ傍で、もっと近くで。
(ちがう、だめだ)
 音とも声ともつかぬそれが、自分の内側から聞こえた瞬間、レベッカの意識は闇の中へ沈んでいった。

■◇◇■◇◇◇◇

 レベッカが目を覚ますと、静かな広い部屋にいた。清潔なベッドに寝かせられている。耳を澄ますと、控えめに動く人の気配がした。魔力を追えば、衝立の向こうに魔導師が何人か。
 そのうち一人が、レベッカのもとへ駆け寄ってきた――瑪瑙だ。
「目を覚ましたんだね」
 礼服の外套を脱いだせいか、ずいぶん印象が変わって見えた。組織の長というよりは、しっとりした雰囲気の優等生だ。

「君が箱を開けたあと、すぐに僕も、人々も倒れてしまって。君だけがなかなか目を覚まさないから、ここに運ばれてきたんだ」
 横たえた身体から気怠さを抜こうとして、レベッカは瞬きと、浅い呼吸とを繰り返す。それが問いだと思ったのか、瑪瑙が少しずつ、事情を話し始めた。
「結局、恐ろしいことが起きる前に、魔導師の先生たちが全部なんとかしてくれたみたい。僕が意識を取り戻したときには、倒れた人間たちを起こしているところだった。あと、この部屋も普段の講義や実験で使う場所じゃない、って」
 現在地は、第二研究棟――ゼル博士の実験室のように、魔導師の教授個人に割り当てられる部屋だけで構成された建物。一室は広く、人間はほぼ入ってこない。ここは余った部屋で、誰の管轄でもないため中立の用途で使われているようだ。
「秘密の部屋みたいで、少し、怖いね」
 と説明をしてから、瑪瑙はうつむいた。こぼれた本音は震えていた。「そうだな」と返事をして、レベッカは身を起こす。

 研究棟は既知の存在だったから、レベッカは瑪瑙の説明を話半分に聞き流して、ただ彼の所作と面差しを見ていた。とても、人間を利用するような者には思えなかった。
 赤い髪に夜の暗い艶があるから、強く清らに見えるのか。――レベッカにとって赤とはそういう色だからか。

「先生にも話したんだけど、僕は『シニカル・カース』という組織を率いて、人々を戦わせていたみたいなんだ」
「――『みたい』、か」
 ぼんやりとした頭で聞き返す。
 晴れない表情も、儚さを孕むまなざしも、きっと彼自らが言った通り、恐怖のせいだ。瑪瑙だって、異常事態に巻き込まれた側なのだ。レベッカに名乗った時点で、もうおかしくなっていたのだろう。
「自分が何を考えて行動していたのか、あまりよく覚えていないんだ。ただ、ひどく暗い、重い何かに、飲み込まれて」
「ああ。知ってる」
 軋む音――身体を蝕んだあの嫌な感覚は、今は綺麗になくなっている。
 だがレベッカには覚えがあった。あの嫌な感じ。本能が拒む狂気。黒曜石の遺跡で感じた息苦しさと同じものだ。

 黒い霧の惨劇と同じことが、この学園で起きようとしていた。
だとしたら、あの箱は、瑪瑙を操った元凶だ。
「あの箱。あんたが触って、俺が開けた箱は、どこから持ってきた?」
「申し訳ないけれど、それがどこかも曖昧なんだ。何かに呼ばれて、普段は行かない、学園の、倉庫のような薄暗いところだった。そこであの箱を見つけて、――開けてはいないんだ。蓋に触れたところまで」
 惨劇の始まりは、元凶と魔導師の接触だった。
 ――魔導師は、異変から人間を守り切れなかったのではない。異変によって狂わされた魔導師が「自ら人間を害した」のだ。
 特定の思想の元に、魔導師が人間を勝ち目のない争いへと向かわせた。

(今回だけの話じゃない)
 これまでもそうだったんじゃないか? 黒曜石のときは、魔導師が人間を儀式に巻き込んだのだ。この事件と黒い箱は、レベッカが追い続けている「禁器」の問題とも繋がる手がかりだ。

 じゃあ、あの声も?
 レベッカが声の主を探していたのは、禍々しい箱に吸い寄せられた影響だろうか。
 本当に?
 真摯に誰かを、自分を呼んでいた。あの声に応えたいと、レベッカは本気で思ったのだ。
 ――確かめたい。

「瑪瑙。そいつ、あの黒い箱。いま、どこにある」
「どこ、というのは、はっきりとはわからない。でも――」
 それから、瑪瑙は知る限りのことをすべて答えた。特に、正気に戻った後に見ていた「後片付け」の様子について。レベッカの問いに、瑪瑙は辿った記憶にあるものを素直に教えてくれた。
 人間たちやあの一室の異様な空気を祓ったり、瑪瑙が歩けるまで付き添ったり。何人かが入れ替わりながら作業を進めていたようだ。話を聞きながら、本来の瑪瑙は「教授」ではなく「先生」という呼び方をするのだなと気づいた。
 いくつか状況確認の会話を交わした中で、探すべき手掛かりの行方は。
「箱を持って行ったのは、ルーン術の先生じゃないかと思う」
 瑪瑙の推論が思っていた通りの展開に帰結して、レベッカは眩暈がした。


 瑪瑙と別れ、衝立の向こう、別室の入り口を覗き込む。いるのはクラウツ一人だった。後ろ髪をまとめる大きなクリップが、まるで睨みを利かせるかのように光る。
 こちらが初動に迷ううちに黒髪の男は振り返り、恭しく聞いてきた。
「お加減はいかがでしょうか」
 とても、どうでもいい話だった。レベッカは形だけ答えて、相手の領域へ乗り込む。
「大したことない。それを言いに来たわけでもない」
 目当てはあくまで黒い箱だ。煙に巻かれぬように一歩、話の道を違えぬように一歩と距離を詰める。魔法の気配が鳴っている。

「人間たちも、魔導師も全員正気に戻って無事なのも知ってる」
 言いながら盗み見る。クラウツの手元では、まさにあの箱を封じる魔法陣が組まれているところだった。魔力の流れ、描かれた術の複雑さから、一目で厳重な守りだとわかる。勿論、ただの箱に施すものではない。
「あんたがいま閉じ込めようとしてる箱が、全ての元凶なんだ。俺はそいつを調べに来た」
 強く踏み込むと、紙がぱらぱらと擦れる音がする。開いたままの魔導書であった。
 クラウツは眉一つ動かさずに言った。
「貴方が解くべき謎は、ここにありません」
 目の前に壁が編まれた。二人の魔導師と、例の箱とを分断する壁。さっきの魔導書に仕掛けられていた術だ。
 つまりは、クラウツがレベッカの道を遮ったのだ。

「そんなわけないだろ」
 こんなにあからさまに遠ざけておいて。咄嗟に反論を差す。
「触った俺が言ってるんだ。絶対に、あれは俺たちが探してるものに関係あるはず」
「貴方はあの箱に蝕まれて倒れたというのに、そのような代物を、いったいどう調べるつもりでしょうか」
「ああ言えばこう言う」
 背丈は同じなのに、見下ろされている気分だ。第一、手を組んだ相手のクラウツに、どうして阻まれる道理があるんだ。レベッカはそれからも、思いつくある限りの理屈を絞り出した。
「あんたは協力者だろ」
「どなたの?」
 ミランダの存在を仄めかされて唇を噛む。こうなれば通る論は残り少なく、ほどなくして手札が尽きる。

「今日はもう、疲れているでしょう。部屋に戻って休みなさい」
 言い切る声は、扉を閉ざす音となった。

 あえなく引き下がった帰り道。雨を忘れた夕焼けは、胸を打つ鮮やかさで朱く広がっている。いかに美しい彩りでも、今のレベッカには苛立ちを起こす種にしかならない。

 ――この声が聞こえる? 主の知らない問いかけが耳に、胸に焼き付いていた。
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