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【1】
錆びた門から足音が聞こえた。空の広いお昼すぎ、岬の見える丘。今じゃアタシぐらいしか選ばない休憩場所でのことだった。
町の外からこの門までは、魔物が出るせいでとっても危ない。町に住む人は誰も使わないから、この門から入ってくるのはみんな外の、それも魔導師だと習った。
――ああ、塔を建てる人が来たんだ!
「魔導師さん!」
それが、アタシとその人との出会いだった。
アタシが生まれて初めて見た魔導師のお姉さんは、目元だけ気の強そうな顔立ちをしている。
耳のあたりだけ長い髪が、金色にひらひらと揺れていた。耳元にリボンをつけているのかと思った。肩くらいのところでオレンジ色が光る。髪かざりについてる石だった。
不思議な宝石の名前は、子供には秘密だと教えてもらえなかった。けち。
アタシだってもう少しで算術を教えてもらえる年になる。ただの子供じゃないの。だから自信満々に言ってやった。
「魔導師さん、塔を建てに来たんでしょ」
――この町には、もうすぐ高い塔ができる。先生もお母さんもみんな言ってる。いつもは釣りばかりのお父さんも、町の男の人も、塔を建てるのに一生懸命だ。
人手を増やしたい、なんて偉いひとがぼやいてた、なんて噂もある。そのお手伝いに来たのが、外の誰かどころか、魔導師だったなんて。
魔導師のお姉さんはおとなのひとみたいに背が高い。わざわざ屈んでこう答えた。
「あたしはリナ。リナでいい。魔導師だけど、塔の建設に来たわけじゃない。仲間を送り届けに来たんだ」
「塔を作るのは本当だよ!」
「それはあたしも聞いたよ。仲間の人間が教えてくれた」
リナは言った。やっぱり、塔のお話はみんな知ってる。じゃあ、塔ができたら、その次には。
「じゃあお姫様にも会える?」
と、アタシは聞いた。
「塔ができたら、お姫様もくるでしょ?」
先生も、お母さんも、釣りに行かなかった日のお父さんも、『塔にはお姫様がいる』ってお話をする。アタシがもっと子供だったころからずっとだ。
「お姫様?」
それを、リナは何も知らないように聞き返した。心になんにもひっかかるものがない、みたいな顔をしている。
「この町に作るっつったの、トウダイじゃないのか?」
知らないダイが出てきたから、混乱するのはアタシの番だ。
「違うの? トウダイってなあに?」
「灯台――お姫様の塔じゃなくて、船のための目印というか、導きの塔……みたいな」
言いながら、リナはぐるぐると考えを回しているみたいに、くるくると指先で丸を描いていた。なんだか、アタシが夢見ているものと反対のことを考えているみたいだった。
「じゃあ、お姫様とは会えない?」
それはいやだ。塔をつくるって最初にきいたときから、お姫様がくるのを楽しみにしてたのに。胸のふうせんがしぼんでいく。
リナは付け足すようにアタシに言った。慌てた口ぶりで。
「会えるかもしれない。明後日、またここにきて教えるよ」
――明後日。アタシはしっかり、同じ場所で待っていた。広い空から岬が見通せる。あのあたりに塔が建つんだよね。繰り返し、地図と潮風を指で追って、何度も確かめた。これまで何度も、こうやって、塔ができるのを――お姫様と出会えるのを待っていたから。
リナがくるまでどれくらいかかったか、アタシにはよくわからない。すぐだった気もするし、すごく待った気もする。
彼女は贈り物を、金色のリボンが巻かれた箱を抱えていた。アタシが抱きかかえられるサイズだ。
ガラスでもないのに中身がわかる、透明で丈夫な箱だった。中にはお人形が、ちょこんと座っている。
「その子をアタシに?」
わくわくをドキドキが飛び越えていった。
クリームのような淡い金色の髪がふわふわと広がる。微笑むほっぺもやわらかに赤く染まって、穏やかに微笑んでいる。海色の瞳は、本物の海より純粋だった。
プリンセスのような、素敵なドール。
「そう、この子を、この町に」
魔導師は言う。
「あたしの仲間に、ズィーっていう魔導師がいるんだ。人形師をやってる。そいつに頼んで、この子を作ってもらった」
一目見て、アタシはその子に夢中になった。リナがどんな顔で話をしているかなんて見もしないまま、お人形に釘付けになっていた。
「もしお姫様姿のお人形がいるなら、灯台にも本物のお姫様が来てくれるかもしれないだろ?」
アタシは想像した。本物のお姫様が、ふわふわのドレスを着て、このドールと手を取って微笑むのだ。考えるだけでどきどきして、爆発しそうだった。
「いい子にしてたら、きっとそのうち、そんな日が来るさ」
「わかった、アタシいい子にする!」
それからずっと、いい子でいた。いい子でいようと頑張った。
ひとりで遠くまで出かけるのをやめた。岬を見守るのもできなくなったけど、先生に話を聞くだけでがまんした。ドールにいくつも名前をあげた。この子を横に座らせたベッドで。毎日早寝早起きをした。
いつのまにか、誰にも子供扱いされない年になった。楽しみにしていた「そのうち」は、結局来なかった。
【2】
リナがこの町を訪れたというから、仕事を切り上げて会いに行った。
灯台ができて、港も少しずつ大きくなって、この町はちょっとした栄華を迎えていた。都市ほどじゃないだろうけど。
灯台完成のセレモニーに何人か魔導師が来る、という話は同僚から聞いた。そのうち一人がリナだという情報は、子供たちから聞いた話だった。錆びた門のところに金髪の女。間違いなく彼女の話だった。
門の傍に立っていたリナは、アタシが誰だかわかっているみたいで、
「灯台、ちゃんと完成してるんだな」
と声をかけてきた。
「お姫様は来てないみたいだけどね」
なんて返事をしてみる。
白くてピカピカの外壁は、まるでお城の塔みたいで、みたいなだけだった。塔のおとぎ話が好きなのは、この世界じゃなくてこの町なんだろう。それがわかったとき、大人になったアタシの目に、変わらない潮風が沁みた。
「昔はアタシが子供だったから、『お姫様は来る』なんて言ってくれたの?」
おとぎ話の、いるはずもないお姫様を。それはつまり、子供だましの優しい嘘だった。
「そうだな。……でも嘘はやめたんだ。あたしには向いてない」
へえ、そう。と返事したけど、次は話題を変えることにした。嘘の話には続きがありそうで、そこに触れていいのかわからなかったから。
すっかり背が伸びて、子供に算術を教える立場になった自分と違って、リナはあまりにもあの日のままだった。
髪の毛ひと房をくるむきんきらの輪っかに、陽の橙を受けて燦燦とひかる石が飾られている。もう立派なおとなでいるつもりだけど、それがどういう石なのかはまだ教えてもらえなかった。
代わりにと貰ったのはチェーンのブレスレットだった。サイズが微妙に合わないので、ベッドサイドに座る、あのドールにあげようと思う。あの子には絶対に似合う。
それにしても、リナがセレモニーに来るのは不思議な話だ。
「あなた、塔に関係のない魔導師じゃなかったの」
建設中に会ったときは、そう言っていたはずだ。
「タワーの方じゃなく、海の調査で呼ばれたんだ」
――ああ、そうだっけ。父が言っていた気がする。海に船を出す関係で、どうしても海に魔物がいないかの調査が必要だと。ルーン術の使い手もいないこの町では、手の付けられない魔物がいたら困るから。
岬に完成した塔は、町の賑やかさを集めていた。そばの海には船がいくつもたたずんでいて、今日も乗り手を待っている。
「あたしは狩人だから、魔物を狩るのは役割なんだ。それに仲間の魔導師にも頼まれたし」
仲間といえば。ベッドサイドのあの子を思い出した。あのドールは、リナが仲間に依頼して作られたものだったはず。
「お人形の人?」
「あー……」
リナは一瞬で気まずそうな顔になる。何かあったんだな、というのはすぐわかった。気を取り直して彼女は続ける。
「別のやつ。ポピーのシェリフだよ」
「ポピーレッドの?」
その赤は、この町から少し東、大都市を指す言葉だった。ポピーレッドという通称の由来は指導者だ。赤い服装が目立つ魔導師が、「執行官」として指揮を執っている。
今回、アタシの地元で海の調査をするのは、大都市にいる執行官の意向も関わっているらしい。
「あいつとはちょっと縁があってさ。魔物担当で呼ばれたわけ」
というのが、リナがここに来たいきさつだった。
灯台の完成にかこつけて、偉い人らは何かとこの町を盛り立てようと躍起になっている。今みたいにセレモニーをやったり、お祭りを新しく増やしたり。新しくここに移り住んだ商人たちもいる。買えるものも増えて、便利になった。
けれど、喜べることばかりじゃないような気がしていた。海風で錆びたここの門は、飾りも壊しもせずそのままだ。
「リナは、この町に居つくわけじゃないんでしょ」
「そうなる。調査が終わったら、別の都市で、研究しながら物を教える、みたいな仕事することになって」
先生みたいだな、と思った。研究をするなら教授かな。だとしたら、暮らすのはこの町からじゃ絶対いけないような大都市だ。
どこに行くのか聞こうとしたけど、先にリナが零した。
「うまくやっていけるかな、なんて。不安なんだ」
いきなり何を話し出すんだろう。けど、少し考えればわかる。リナは今日会った誰よりも元気がなかった。
聞かれてもいないことを話すのは、話したいことがあるからで――。
「仲間と別れてしばらく迷走してたから、一つの街に落ちつくなんて久しぶりでさ」
遠回りをする言い方は――かえって傷口の在り処をはっきりさせる。
いまの彼女が抱えているのは悲しみで、それをどこで吐き出したらいいかもわからないんだろう。
「お人形の人と、……喧嘩したの?」
なんだか子供たちの相手をするような聞き方になってしまった。泣いている子に屈んで、どうしたの、と聞いてみるような。そうすると、子供たちはそのまま、思ったことを教えてくれる。
「喧嘩……」
口の中でつぶやくように言ったあと、リナは一度灯台の方を振り返った。岬のほうに飾られた栄華。お姫様のいない塔。――船を導くための塔。
「やっぱ、誤魔化しきれないよな」
まっすぐ対等に、リナはアタシを見て言った。友達にするやり方だった。
「けど、ああ……喧嘩別れなんだよな。あたしに嘘なんて向いてないのに。うまくやろうとしすぎて、失敗した」
凪の海より静かに、リナは告げた。
「身から出た錆なんだ」
へらっと笑った瞳には、未練が波打っている。
町の騒がしさが幻のようだった。
【3】
魔導師が来ると聞いたものだから、あの門のそばで待っていた。
町のお偉いさんが、大都市を経由して、技術に長けた魔導師をよこしてくれと頼んだらしい。呼ばれたその人がリナ本人ではないとは知っていた。けれど、縁があれば彼女もついてきて、ここに来る気がしていた。
しかし、今更、新しい商いに協力するために呼ばれて、それで――この寂れた港町に来るなんてね。さすがは魔導師といったところか。老いるまで人間をやればわかることだけど、人間で同じことをする奴は相当な物好きだ。
――灯台がただの高い建物になってから久しい。
船に乗る人間が減り、灯をともす人間もいなくなり、灯台は役目を終えた。「町の発展を支える礎になる」とか言われていたのに。そんなものをよすがにしたって、潮風で錆びてしまうだけ。
今の町長とその息子、つまり将来を任せられている若者は頼もしいと聞く。特に少年の方は気さくでいい子だ。
アタシから関わってはいないけど、偶然会ったときには声をかけてくれる。老い先短い独り身は、その程度で十分おなかいっぱいだ。
唯一アタシと暮らしたお人形も、かつての職場に贈った。あの子はずいぶんと子供好きなドールだから、未来の担い手とやらを見守ってくれることだろう。
「久しぶり」
ほら。変わらぬ姿のリナがやってきた。服装が変わったくらいだ。いつもの髪飾りも健在である。あの宝石が何なのかをアタシが知る日は生涯来ないんだろう。
「やっぱり、魔導師がここに来ると、リナはついでについてくる」
「偶然だよ。ポピーレッドのシェリフが結んだ縁だ」
「学校のお仕事は順調?」
「思ったより向いてるんじゃないかと思う」
「それはよかった」
しばらく世間話を重ねた後、緑の視線は海に、岬に向いた。変わり果てた塔に。
「灯台は」
「もう使われてない」
やっぱそうだよな、とリナは呟く。見てわかっただろうに。
飾り付けのような塗装は無様に剥げて、外壁はボロボロの継ぎ接ぎ模様になっていた。そもそも灯台に火が入ることもないし、港に船が集まっていないのだから、そういうことだ。
町では灯台を作り直すなんて企画も出ていると聞くが、今更誰が、何に使うというのだろう。
「気が向いた魔導師が買い取るかもしれない。知り合いに勧めておくよ」
なんて、言ってくれるけれど……。アタシは町の様子を思い出してみた。望み薄だ。続けるリナの声が、そばで遠くから聞こえた。
「未来でも建ってるといいな、あの塔」
そうか。
リナの未来は長い。この町がいつまでもつか、この塔がどうなるのか、見届けることだってできる。
「この塔が新しくなる未来があったとしてさ。その頃貴方は、アタシやこの町のこと覚えてる?」
少し黒い気持ちが湧き出て、アタシは乾いた声で尋ねた。
「保証はできないと思う。いろんな人間がいるからさ」
リナの答えは本音のままだった。嘘をついて甘やかすことは、彼女にはもうできないんだろう。
「正直でいいね。アタシは本当のことを話してくれた方が嬉しい」
「ありがと」
魔導師リナはそう言って頬を緩め、ふうと息をする。アタシの優しい嘘は見抜けないようだった。本当は、覚えていると誓ってほしかった。でもそんなこと願っても無駄だものね。
大丈夫だよ、魔導師さん。貴女が覚えてなくたってアタシは覚えているからね。死ぬまで覚えてられるの。この年になればあとは死ぬだけですから。
「未来のことは任せるね」
なんて言うのはすごく無責任だ。けど、だって魔導師さんは。
「もちろん。頑張るから、任せてくれ」
って、言ってくれるでしょ。
寂れた塔も、老いぼれた人間も、すっかり町に期待しなくなっちゃったのに。魔導師というものは、人の未来を繋ごうとし続ける。
まるで楔だ。
魔導師は人間を支える。この繋がりは、もう引き剝がすことはできない。
宿命の楔として立ち続ける――灯のともらない塔と同じように。
錆びた門から足音が聞こえた。空の広いお昼すぎ、岬の見える丘。今じゃアタシぐらいしか選ばない休憩場所でのことだった。
町の外からこの門までは、魔物が出るせいでとっても危ない。町に住む人は誰も使わないから、この門から入ってくるのはみんな外の、それも魔導師だと習った。
――ああ、塔を建てる人が来たんだ!
「魔導師さん!」
それが、アタシとその人との出会いだった。
アタシが生まれて初めて見た魔導師のお姉さんは、目元だけ気の強そうな顔立ちをしている。
耳のあたりだけ長い髪が、金色にひらひらと揺れていた。耳元にリボンをつけているのかと思った。肩くらいのところでオレンジ色が光る。髪かざりについてる石だった。
不思議な宝石の名前は、子供には秘密だと教えてもらえなかった。けち。
アタシだってもう少しで算術を教えてもらえる年になる。ただの子供じゃないの。だから自信満々に言ってやった。
「魔導師さん、塔を建てに来たんでしょ」
――この町には、もうすぐ高い塔ができる。先生もお母さんもみんな言ってる。いつもは釣りばかりのお父さんも、町の男の人も、塔を建てるのに一生懸命だ。
人手を増やしたい、なんて偉いひとがぼやいてた、なんて噂もある。そのお手伝いに来たのが、外の誰かどころか、魔導師だったなんて。
魔導師のお姉さんはおとなのひとみたいに背が高い。わざわざ屈んでこう答えた。
「あたしはリナ。リナでいい。魔導師だけど、塔の建設に来たわけじゃない。仲間を送り届けに来たんだ」
「塔を作るのは本当だよ!」
「それはあたしも聞いたよ。仲間の人間が教えてくれた」
リナは言った。やっぱり、塔のお話はみんな知ってる。じゃあ、塔ができたら、その次には。
「じゃあお姫様にも会える?」
と、アタシは聞いた。
「塔ができたら、お姫様もくるでしょ?」
先生も、お母さんも、釣りに行かなかった日のお父さんも、『塔にはお姫様がいる』ってお話をする。アタシがもっと子供だったころからずっとだ。
「お姫様?」
それを、リナは何も知らないように聞き返した。心になんにもひっかかるものがない、みたいな顔をしている。
「この町に作るっつったの、トウダイじゃないのか?」
知らないダイが出てきたから、混乱するのはアタシの番だ。
「違うの? トウダイってなあに?」
「灯台――お姫様の塔じゃなくて、船のための目印というか、導きの塔……みたいな」
言いながら、リナはぐるぐると考えを回しているみたいに、くるくると指先で丸を描いていた。なんだか、アタシが夢見ているものと反対のことを考えているみたいだった。
「じゃあ、お姫様とは会えない?」
それはいやだ。塔をつくるって最初にきいたときから、お姫様がくるのを楽しみにしてたのに。胸のふうせんがしぼんでいく。
リナは付け足すようにアタシに言った。慌てた口ぶりで。
「会えるかもしれない。明後日、またここにきて教えるよ」
――明後日。アタシはしっかり、同じ場所で待っていた。広い空から岬が見通せる。あのあたりに塔が建つんだよね。繰り返し、地図と潮風を指で追って、何度も確かめた。これまで何度も、こうやって、塔ができるのを――お姫様と出会えるのを待っていたから。
リナがくるまでどれくらいかかったか、アタシにはよくわからない。すぐだった気もするし、すごく待った気もする。
彼女は贈り物を、金色のリボンが巻かれた箱を抱えていた。アタシが抱きかかえられるサイズだ。
ガラスでもないのに中身がわかる、透明で丈夫な箱だった。中にはお人形が、ちょこんと座っている。
「その子をアタシに?」
わくわくをドキドキが飛び越えていった。
クリームのような淡い金色の髪がふわふわと広がる。微笑むほっぺもやわらかに赤く染まって、穏やかに微笑んでいる。海色の瞳は、本物の海より純粋だった。
プリンセスのような、素敵なドール。
「そう、この子を、この町に」
魔導師は言う。
「あたしの仲間に、ズィーっていう魔導師がいるんだ。人形師をやってる。そいつに頼んで、この子を作ってもらった」
一目見て、アタシはその子に夢中になった。リナがどんな顔で話をしているかなんて見もしないまま、お人形に釘付けになっていた。
「もしお姫様姿のお人形がいるなら、灯台にも本物のお姫様が来てくれるかもしれないだろ?」
アタシは想像した。本物のお姫様が、ふわふわのドレスを着て、このドールと手を取って微笑むのだ。考えるだけでどきどきして、爆発しそうだった。
「いい子にしてたら、きっとそのうち、そんな日が来るさ」
「わかった、アタシいい子にする!」
それからずっと、いい子でいた。いい子でいようと頑張った。
ひとりで遠くまで出かけるのをやめた。岬を見守るのもできなくなったけど、先生に話を聞くだけでがまんした。ドールにいくつも名前をあげた。この子を横に座らせたベッドで。毎日早寝早起きをした。
いつのまにか、誰にも子供扱いされない年になった。楽しみにしていた「そのうち」は、結局来なかった。
【2】
リナがこの町を訪れたというから、仕事を切り上げて会いに行った。
灯台ができて、港も少しずつ大きくなって、この町はちょっとした栄華を迎えていた。都市ほどじゃないだろうけど。
灯台完成のセレモニーに何人か魔導師が来る、という話は同僚から聞いた。そのうち一人がリナだという情報は、子供たちから聞いた話だった。錆びた門のところに金髪の女。間違いなく彼女の話だった。
門の傍に立っていたリナは、アタシが誰だかわかっているみたいで、
「灯台、ちゃんと完成してるんだな」
と声をかけてきた。
「お姫様は来てないみたいだけどね」
なんて返事をしてみる。
白くてピカピカの外壁は、まるでお城の塔みたいで、みたいなだけだった。塔のおとぎ話が好きなのは、この世界じゃなくてこの町なんだろう。それがわかったとき、大人になったアタシの目に、変わらない潮風が沁みた。
「昔はアタシが子供だったから、『お姫様は来る』なんて言ってくれたの?」
おとぎ話の、いるはずもないお姫様を。それはつまり、子供だましの優しい嘘だった。
「そうだな。……でも嘘はやめたんだ。あたしには向いてない」
へえ、そう。と返事したけど、次は話題を変えることにした。嘘の話には続きがありそうで、そこに触れていいのかわからなかったから。
すっかり背が伸びて、子供に算術を教える立場になった自分と違って、リナはあまりにもあの日のままだった。
髪の毛ひと房をくるむきんきらの輪っかに、陽の橙を受けて燦燦とひかる石が飾られている。もう立派なおとなでいるつもりだけど、それがどういう石なのかはまだ教えてもらえなかった。
代わりにと貰ったのはチェーンのブレスレットだった。サイズが微妙に合わないので、ベッドサイドに座る、あのドールにあげようと思う。あの子には絶対に似合う。
それにしても、リナがセレモニーに来るのは不思議な話だ。
「あなた、塔に関係のない魔導師じゃなかったの」
建設中に会ったときは、そう言っていたはずだ。
「タワーの方じゃなく、海の調査で呼ばれたんだ」
――ああ、そうだっけ。父が言っていた気がする。海に船を出す関係で、どうしても海に魔物がいないかの調査が必要だと。ルーン術の使い手もいないこの町では、手の付けられない魔物がいたら困るから。
岬に完成した塔は、町の賑やかさを集めていた。そばの海には船がいくつもたたずんでいて、今日も乗り手を待っている。
「あたしは狩人だから、魔物を狩るのは役割なんだ。それに仲間の魔導師にも頼まれたし」
仲間といえば。ベッドサイドのあの子を思い出した。あのドールは、リナが仲間に依頼して作られたものだったはず。
「お人形の人?」
「あー……」
リナは一瞬で気まずそうな顔になる。何かあったんだな、というのはすぐわかった。気を取り直して彼女は続ける。
「別のやつ。ポピーのシェリフだよ」
「ポピーレッドの?」
その赤は、この町から少し東、大都市を指す言葉だった。ポピーレッドという通称の由来は指導者だ。赤い服装が目立つ魔導師が、「執行官」として指揮を執っている。
今回、アタシの地元で海の調査をするのは、大都市にいる執行官の意向も関わっているらしい。
「あいつとはちょっと縁があってさ。魔物担当で呼ばれたわけ」
というのが、リナがここに来たいきさつだった。
灯台の完成にかこつけて、偉い人らは何かとこの町を盛り立てようと躍起になっている。今みたいにセレモニーをやったり、お祭りを新しく増やしたり。新しくここに移り住んだ商人たちもいる。買えるものも増えて、便利になった。
けれど、喜べることばかりじゃないような気がしていた。海風で錆びたここの門は、飾りも壊しもせずそのままだ。
「リナは、この町に居つくわけじゃないんでしょ」
「そうなる。調査が終わったら、別の都市で、研究しながら物を教える、みたいな仕事することになって」
先生みたいだな、と思った。研究をするなら教授かな。だとしたら、暮らすのはこの町からじゃ絶対いけないような大都市だ。
どこに行くのか聞こうとしたけど、先にリナが零した。
「うまくやっていけるかな、なんて。不安なんだ」
いきなり何を話し出すんだろう。けど、少し考えればわかる。リナは今日会った誰よりも元気がなかった。
聞かれてもいないことを話すのは、話したいことがあるからで――。
「仲間と別れてしばらく迷走してたから、一つの街に落ちつくなんて久しぶりでさ」
遠回りをする言い方は――かえって傷口の在り処をはっきりさせる。
いまの彼女が抱えているのは悲しみで、それをどこで吐き出したらいいかもわからないんだろう。
「お人形の人と、……喧嘩したの?」
なんだか子供たちの相手をするような聞き方になってしまった。泣いている子に屈んで、どうしたの、と聞いてみるような。そうすると、子供たちはそのまま、思ったことを教えてくれる。
「喧嘩……」
口の中でつぶやくように言ったあと、リナは一度灯台の方を振り返った。岬のほうに飾られた栄華。お姫様のいない塔。――船を導くための塔。
「やっぱ、誤魔化しきれないよな」
まっすぐ対等に、リナはアタシを見て言った。友達にするやり方だった。
「けど、ああ……喧嘩別れなんだよな。あたしに嘘なんて向いてないのに。うまくやろうとしすぎて、失敗した」
凪の海より静かに、リナは告げた。
「身から出た錆なんだ」
へらっと笑った瞳には、未練が波打っている。
町の騒がしさが幻のようだった。
【3】
魔導師が来ると聞いたものだから、あの門のそばで待っていた。
町のお偉いさんが、大都市を経由して、技術に長けた魔導師をよこしてくれと頼んだらしい。呼ばれたその人がリナ本人ではないとは知っていた。けれど、縁があれば彼女もついてきて、ここに来る気がしていた。
しかし、今更、新しい商いに協力するために呼ばれて、それで――この寂れた港町に来るなんてね。さすがは魔導師といったところか。老いるまで人間をやればわかることだけど、人間で同じことをする奴は相当な物好きだ。
――灯台がただの高い建物になってから久しい。
船に乗る人間が減り、灯をともす人間もいなくなり、灯台は役目を終えた。「町の発展を支える礎になる」とか言われていたのに。そんなものをよすがにしたって、潮風で錆びてしまうだけ。
今の町長とその息子、つまり将来を任せられている若者は頼もしいと聞く。特に少年の方は気さくでいい子だ。
アタシから関わってはいないけど、偶然会ったときには声をかけてくれる。老い先短い独り身は、その程度で十分おなかいっぱいだ。
唯一アタシと暮らしたお人形も、かつての職場に贈った。あの子はずいぶんと子供好きなドールだから、未来の担い手とやらを見守ってくれることだろう。
「久しぶり」
ほら。変わらぬ姿のリナがやってきた。服装が変わったくらいだ。いつもの髪飾りも健在である。あの宝石が何なのかをアタシが知る日は生涯来ないんだろう。
「やっぱり、魔導師がここに来ると、リナはついでについてくる」
「偶然だよ。ポピーレッドのシェリフが結んだ縁だ」
「学校のお仕事は順調?」
「思ったより向いてるんじゃないかと思う」
「それはよかった」
しばらく世間話を重ねた後、緑の視線は海に、岬に向いた。変わり果てた塔に。
「灯台は」
「もう使われてない」
やっぱそうだよな、とリナは呟く。見てわかっただろうに。
飾り付けのような塗装は無様に剥げて、外壁はボロボロの継ぎ接ぎ模様になっていた。そもそも灯台に火が入ることもないし、港に船が集まっていないのだから、そういうことだ。
町では灯台を作り直すなんて企画も出ていると聞くが、今更誰が、何に使うというのだろう。
「気が向いた魔導師が買い取るかもしれない。知り合いに勧めておくよ」
なんて、言ってくれるけれど……。アタシは町の様子を思い出してみた。望み薄だ。続けるリナの声が、そばで遠くから聞こえた。
「未来でも建ってるといいな、あの塔」
そうか。
リナの未来は長い。この町がいつまでもつか、この塔がどうなるのか、見届けることだってできる。
「この塔が新しくなる未来があったとしてさ。その頃貴方は、アタシやこの町のこと覚えてる?」
少し黒い気持ちが湧き出て、アタシは乾いた声で尋ねた。
「保証はできないと思う。いろんな人間がいるからさ」
リナの答えは本音のままだった。嘘をついて甘やかすことは、彼女にはもうできないんだろう。
「正直でいいね。アタシは本当のことを話してくれた方が嬉しい」
「ありがと」
魔導師リナはそう言って頬を緩め、ふうと息をする。アタシの優しい嘘は見抜けないようだった。本当は、覚えていると誓ってほしかった。でもそんなこと願っても無駄だものね。
大丈夫だよ、魔導師さん。貴女が覚えてなくたってアタシは覚えているからね。死ぬまで覚えてられるの。この年になればあとは死ぬだけですから。
「未来のことは任せるね」
なんて言うのはすごく無責任だ。けど、だって魔導師さんは。
「もちろん。頑張るから、任せてくれ」
って、言ってくれるでしょ。
寂れた塔も、老いぼれた人間も、すっかり町に期待しなくなっちゃったのに。魔導師というものは、人の未来を繋ごうとし続ける。
まるで楔だ。
魔導師は人間を支える。この繋がりは、もう引き剝がすことはできない。
宿命の楔として立ち続ける――灯のともらない塔と同じように。