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バイアスだって十人十色 [7] 学生(青/黒)
レテが提出した紙束――課題のレポートを読んで、キャロはふう、とわざとらしく天を仰いだ。
「もう一度読み直すから、待ってね」
昼下がり。アカデミーでキャロに割り振られた個室で、レテは審判を待っている。
著名な人形師でもある彼女の自室には、そのパーツや布や服の材料が、まあまあ整理されて置いてあった。
完成した様々な人形たちが、まるで眠っているかのように飾られている。中でも優雅なプリンセスのドールがたくさんあって、金髪の女の子が多い。それとは別の区画に、あんまり見たくない腕や脚、部品だけの棚がある。せめて同時に視野に入らないようにしてほしい。
キャロは絵に描いたような優雅な椅子とテーブルに座って、紙束にじっくりと目を通している。声をかけるのは憚られるが、レテはこの部屋が空間として苦手だった。そわそわする学生の心境を察してくれたのか、教授としてのキャロが「ちょっと待ってね」と魔法を使う。
いつの間にか準備していたらしい熱い紅茶が、やはりお伽噺のようなティーカップに注がれていく。焼き菓子にも使うメジャーな品種だ。慣れた香りが、心の棘をいったんは落ち着かせてくれた。
「まあとりあえず、単位はあげるよ。ちゃんと期限を守って提出してるし」
些事のように合否を告げ、キャロは紅茶にマシュマロを浮かべた。
それにしても、こんな面倒なことをさせておいて、感想や答え合わせの一つや二つはないのか。レテが口を尖らせる前に、キャロが先手を取った。
「たぶん知りたいだろうから教えるね。問いと答えが同じでも、きみが感じた解釈はきみだけのものだ。わたしや他のひとたちの返事もそう。だけど一番考えが出るのは『こたえ』をきいたあと、それをどう解釈するか。きみの解釈が見たかった。そこが十人十色で、私はそういうところできみを見極めたいと思ったの」
何を見極めるつもりなんだ。自分には全く心当たりがないから、レテは言い返そうとして。
「でも、ゼル博士のところだけ、なんというか、うーん……」
また先手をとられた。すこし迷って、たっぷり言葉を選んでから、キャロは頷いて続ける。
「フラットに見えないんだ。決めつけられた偏見とかがあるみたいな感じで」
心外だった。
「は? あいつが一番そのままでしょ」
レテの即答に、大きな目で部屋中を見渡し、キャロはするりと本題を並べる。
「一例を出すね。林檎は赤い?」
「赤いでしょ」
「剥いたら白いよ」
「なにそれ」
もしかしてあの日見た赤い薔薇はペンキで塗られた白薔薇かもしれない。そういうことを疑わないと、検証は成立どころか発生しないんだ。いかにも研究職らしいことを言うじゃないか。
「なんだかゼル博士だけやたら扱いがひどいんだよ。先入観でものを見るのは、あまりよくない」
とキャロ教授。
たしかにまあ、ゼルに関してはあまり会話の記録はない。スイーツの話題に夢中で、勝手に話を終わらせた彼に腹が立ったから。でも、彼がおかしい存在だというのはもうずっと前から分かっていることだ。
「本当は彼は、青い林檎じゃなくて、白いペンキかもしれない。レテくんの見てる酷い姿と、実態はちがうかもよ」
「いや、あいつは違わないよ」
――違うわけない。
あいつはあいつでそれ以外のなにものでもないでしょ。自分のものは取られるどころか触れられるのもゆるさないはずなのに、より大事な研究ができたら平気で人を捨てられる。お菓子を分け合う相手を先に作ったのは僕で、先に孤独じゃなくなったのは僕で、おかしい人だと思われているおまえには到底叶えられない日常を僕は作れている。ひとりじゃないはずなのにどうしてこんなひとりぼっちみたいな気分になるんだ、おまえはなんなんだ、僕を僕みたいにしたくせにおまえは僕のことを。僕の知らないところで勝手に離れていくおまえは。非人道的だと言われていながら誰よりも優秀な頭を持っていて、優秀だから誰にも愛着してくれない。おまえは犠牲として捨て置いたものが何者なのかを覚えてすら――
「ストップ。レテくん息吐いて。酷い顔だ、おかしくなってるよ」
突然、前が見えた。
ひゅ、と繰り返していた息が呼吸に戻るまで、キャロはレテを支えてくれた。まだくらくらする思考に、彼女の丁寧な問いが染み込んでいく。
「博士と何かあったの? 彼をどう思うの」
「わかんない」
指摘されてしまえば、彼の感情はぐしゃぐしゃだった。レテの頭は時折、気が狂うのを防ぐために勝手にこうなる。まるで泣きだした直後のように正解を見失う。
「そうだよね、わからないことは説明できない」
キャロは器用な両手でレテの顎を持ち上げる。無理やり合わせられた視線。彼女の目は優しそうだった。
「だからそういうときは、気持ちにとりあえず、名前をつけてみればいい。お試しにね」
原因を突き止められないなら、対処はできない。どうしていいかわからない。迷い道には、仮初でも灯りが必要だ。
「そういうときに見るのはね、相手の目じゃなく、きみの心の声だよ」
――考えてもわからないやって、目の前のことは一旦置いといて。そのあと遠くから見るの。一度試してみるといいんじゃないかな。
そう言い残して、課題の話は終わりになった。身体がいつも通りに動くまで、キャロは紅茶の香りに包まれた、あたたかな静寂を残してくれた。
「せんせ」
まっすぐ寮まで帰ると約束し、帰り道を歩く。キャロを前にしたときには言えなかった返事が、今になってたくさん頭に浮かんでくる。
「それは無理だよ」
部屋を出る前に、キャロから余ったマシュマロを貰った。あまいおかしは好きだ。昔からずっと。魔導師レテは、きっと実験室にいるゼルを振り返る。生まれてからずっと、外せたことのない色眼鏡で。
レテが提出した紙束――課題のレポートを読んで、キャロはふう、とわざとらしく天を仰いだ。
「もう一度読み直すから、待ってね」
昼下がり。アカデミーでキャロに割り振られた個室で、レテは審判を待っている。
著名な人形師でもある彼女の自室には、そのパーツや布や服の材料が、まあまあ整理されて置いてあった。
完成した様々な人形たちが、まるで眠っているかのように飾られている。中でも優雅なプリンセスのドールがたくさんあって、金髪の女の子が多い。それとは別の区画に、あんまり見たくない腕や脚、部品だけの棚がある。せめて同時に視野に入らないようにしてほしい。
キャロは絵に描いたような優雅な椅子とテーブルに座って、紙束にじっくりと目を通している。声をかけるのは憚られるが、レテはこの部屋が空間として苦手だった。そわそわする学生の心境を察してくれたのか、教授としてのキャロが「ちょっと待ってね」と魔法を使う。
いつの間にか準備していたらしい熱い紅茶が、やはりお伽噺のようなティーカップに注がれていく。焼き菓子にも使うメジャーな品種だ。慣れた香りが、心の棘をいったんは落ち着かせてくれた。
「まあとりあえず、単位はあげるよ。ちゃんと期限を守って提出してるし」
些事のように合否を告げ、キャロは紅茶にマシュマロを浮かべた。
それにしても、こんな面倒なことをさせておいて、感想や答え合わせの一つや二つはないのか。レテが口を尖らせる前に、キャロが先手を取った。
「たぶん知りたいだろうから教えるね。問いと答えが同じでも、きみが感じた解釈はきみだけのものだ。わたしや他のひとたちの返事もそう。だけど一番考えが出るのは『こたえ』をきいたあと、それをどう解釈するか。きみの解釈が見たかった。そこが十人十色で、私はそういうところできみを見極めたいと思ったの」
何を見極めるつもりなんだ。自分には全く心当たりがないから、レテは言い返そうとして。
「でも、ゼル博士のところだけ、なんというか、うーん……」
また先手をとられた。すこし迷って、たっぷり言葉を選んでから、キャロは頷いて続ける。
「フラットに見えないんだ。決めつけられた偏見とかがあるみたいな感じで」
心外だった。
「は? あいつが一番そのままでしょ」
レテの即答に、大きな目で部屋中を見渡し、キャロはするりと本題を並べる。
「一例を出すね。林檎は赤い?」
「赤いでしょ」
「剥いたら白いよ」
「なにそれ」
もしかしてあの日見た赤い薔薇はペンキで塗られた白薔薇かもしれない。そういうことを疑わないと、検証は成立どころか発生しないんだ。いかにも研究職らしいことを言うじゃないか。
「なんだかゼル博士だけやたら扱いがひどいんだよ。先入観でものを見るのは、あまりよくない」
とキャロ教授。
たしかにまあ、ゼルに関してはあまり会話の記録はない。スイーツの話題に夢中で、勝手に話を終わらせた彼に腹が立ったから。でも、彼がおかしい存在だというのはもうずっと前から分かっていることだ。
「本当は彼は、青い林檎じゃなくて、白いペンキかもしれない。レテくんの見てる酷い姿と、実態はちがうかもよ」
「いや、あいつは違わないよ」
――違うわけない。
あいつはあいつでそれ以外のなにものでもないでしょ。自分のものは取られるどころか触れられるのもゆるさないはずなのに、より大事な研究ができたら平気で人を捨てられる。お菓子を分け合う相手を先に作ったのは僕で、先に孤独じゃなくなったのは僕で、おかしい人だと思われているおまえには到底叶えられない日常を僕は作れている。ひとりじゃないはずなのにどうしてこんなひとりぼっちみたいな気分になるんだ、おまえはなんなんだ、僕を僕みたいにしたくせにおまえは僕のことを。僕の知らないところで勝手に離れていくおまえは。非人道的だと言われていながら誰よりも優秀な頭を持っていて、優秀だから誰にも愛着してくれない。おまえは犠牲として捨て置いたものが何者なのかを覚えてすら――
「ストップ。レテくん息吐いて。酷い顔だ、おかしくなってるよ」
突然、前が見えた。
ひゅ、と繰り返していた息が呼吸に戻るまで、キャロはレテを支えてくれた。まだくらくらする思考に、彼女の丁寧な問いが染み込んでいく。
「博士と何かあったの? 彼をどう思うの」
「わかんない」
指摘されてしまえば、彼の感情はぐしゃぐしゃだった。レテの頭は時折、気が狂うのを防ぐために勝手にこうなる。まるで泣きだした直後のように正解を見失う。
「そうだよね、わからないことは説明できない」
キャロは器用な両手でレテの顎を持ち上げる。無理やり合わせられた視線。彼女の目は優しそうだった。
「だからそういうときは、気持ちにとりあえず、名前をつけてみればいい。お試しにね」
原因を突き止められないなら、対処はできない。どうしていいかわからない。迷い道には、仮初でも灯りが必要だ。
「そういうときに見るのはね、相手の目じゃなく、きみの心の声だよ」
――考えてもわからないやって、目の前のことは一旦置いといて。そのあと遠くから見るの。一度試してみるといいんじゃないかな。
そう言い残して、課題の話は終わりになった。身体がいつも通りに動くまで、キャロは紅茶の香りに包まれた、あたたかな静寂を残してくれた。
「せんせ」
まっすぐ寮まで帰ると約束し、帰り道を歩く。キャロを前にしたときには言えなかった返事が、今になってたくさん頭に浮かんでくる。
「それは無理だよ」
部屋を出る前に、キャロから余ったマシュマロを貰った。あまいおかしは好きだ。昔からずっと。魔導師レテは、きっと実験室にいるゼルを振り返る。生まれてからずっと、外せたことのない色眼鏡で。