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[1] 学生(青/黒)
「レテくんにはいわゆる個人的な課題をあげようかな」
 担当教授のキャロの一言によって、レテの予定が突然増えた。真昼である。学園での目的を果たしたあと、これから話題の甘味を攫いにいこうかと思っていたところだったのに。相手が相手でなければ舌打ちをしていたところだ。

 レテはグラン・アカデミーの学生である。

 グランという魔導師が創設したという、人間と魔導師の境目がほとんどない特別な学校だ。だからか、ちゃんとした学力、もしくは有力者の推薦でしか入学ができない。
 レテは魔導師でありながら学科試験を受けて学力でアカデミーに入った。そして、様々な背景の者たちをなんとなく眺め、溢れてくる気持ちを研究や実験でなんとか消化していった結果、なぜかこの女に気に入られたのだ。

「僕だけに課題? 暇じゃないんだけど」
「じゃあ、きちんと提出したら期末が暇になるくらいの課題にしよう」
 キャロと名乗る女魔導師にして、特別魔導教授のうちひとりだ。学校の運営側から認められた特殊な地位の人物。その役割は、「次世代魔導師の育成」であるらしい。表向きには。歴史を顧みると、まあ何かしらの裏があるのだろうけど。
 レテはキャロにとって「次世代候補」らしい。うっかり特別に選ばれた、教授お気に入りの魔導師。感覚的には師弟関係に近く、教授ひとりに対して多くて三人くらいはいるようだった。

 師であるキャロは、装飾されたマスクにポーカーフェイスという謎多き女であった。つぶらな瞳に長い睫毛のせいか素顔は美少女であるという噂もある。が、表情に乏しい目上の相手というのはレテの最も苦手なタイプであった。
 教授としては歴史や地理を担当する魔導師が、レテに何を見出したのだろう。腕の立つ人形師としても、わかりやすい講義をする先生としても、人気者の彼女が。何をどうみたってひねくれている自分に何を求めて――、と、レテはそこで考えるのをやめた。

 魔導師だろうが人間だろうが、教授のお気に入りであろうがそうでなかろうが、アカデミーの学生には共通して必要なものがある。
 単位だ。
 キャロはそれらをまるで人質のようにしてまで、わざわざやらせたい課題があるようだ。
「最終的には文章でまとめて提出。自分の言葉でまとめてくれたら、フォーマットは問わないよ」

 課題内容はこうだ。
――複数の教授に同じ質問をして、その状況・返答と感想を記録、記述する。
 どのような問いにするかはレテの判断に任されているらしい。試験ではなく、提出物の出来で評価が決まる課題だ。レテの苦手分野でもあった。
「質問ってなんでもいいの? キャロせんせに聞いても?」
 不機嫌そうに肩をすくめて見る。片側だけの三つ編みが肩をさらっと撫でて、その感覚がもう既に面倒であった。

 質問については二秒で思いついた。筆記用具をすぐに取り出す。とりあえず会話をしてメモをとって、後で文章に起こすのがよさそうだ。というレテの打算を、キャロも一目でわかったようだった。
「そうだね。まず私からか」
「じゃあ」
 目の前の魔導師に訊いてみるとしようか。
「初めてひとを殺したのはどんなときだった?」

[2]十人十色(赤/白)
「そんな質問なのか。参考にしたいとか?」
 もう少し衝撃を受けてほしかった。やはり考えの読めない目を相手に、レテの息で幸福が逃げた。
「参考になるかどうはか、聞いてみないとわからないし。あるならあるで話してよ。自分で出した課題でしょ」
 レテの態度はさぞ生意気に思えるであろう。ただ、個人差はあるが魔導師に上下関係を気にしない者は多い。親しいほど、長い付き合いになることがわかりきっているから。

 うーん、と少し考えるそぶりのあと。マスクの下でキャロが口を開く。
「まだ見た目が子供だったころかな。100年も生きてないかも。私厳しい実家でね、窮屈だから逃げてきたの。そのときに門番とか追っ手を殺したかな。みんな人間だった。楽だったよ」
 ええ、と思った。レテは率直に興醒めした。まさか一発目から複数人かつ身勝手な理由を引き当てるとは思わなかったのだ。ここがキャロ個人の部屋でなくてよかった。部位ごとに整理されたドールパーツの見えるところで聞きたい話ではない。乗り気でない本音を雑に隠して、適当かつ自分が言いそうな相槌を置く。

「対人間なら楽勝じゃん。参考にならない。人間のくせに魔導師を追うなよ、僕でも殺すよそんなの」
 口を尖らせるレテを、キャロはじっと、じっと見つめた。そうだね、と返事のような注釈をよこす。
「まあ、他のひとなら殺しをするまでが長いかもしれないよね。今は色々あって……やらないようにしてるけど。長く生きるとどうしてもね、そういうこともある」
 だからその色々ってなんなんだよ、と聞き返そうとして、そのときドアが開いた。


「あれ、学生がいる」
 ひとり、女が入ってきた。リナ。彼女も魔導師で特別魔導教授だ。きらきらしたボブの金髪がよく目立つ。たしか魔物の生態を教えている。レテは彼女の講義を取っていないので、直接会話したことはあまりない。学友によると感覚派、わかりやすい、等々の評判を聞く。が、それを総合すると「バカっぽい」印象しかない。大丈夫だろうか。

 魔導師が来たといっても、おかしいことではない。ここは通称「魔導師の談話室」だ。特別魔導教授が共通して使っている一室だからだ。教授だけでなくレテのような次世代候補が何度か出入りしているのを見た。
 ここを根城にしている教授は――。
(ちょうど四人か)

 現役で講義を持っている特別魔導教授は、今なら四人。課題の人数も四人。質問先は、どうせだからこいつらにしよう。その中には本命だっている。
「せんせ。僕はそれ、ここに来るひとに聞くことにするよ」
「そうだね。さっきみたいな感じで聞いてみて、どう思ったのかを記述してみて」
 ――特別課題か? という顔のリナの視線を受けて、キャロは「見極めたいものがあるの」と簡潔に答えた。

 そのまま、金髪の女に振り返る。
「わたしは外そうか」
「ああ、悪いな」
 会話が成立している割に言葉が少ない。レテはこっそり不思議に思った。なぜ意思疎通ができるのだろう? よくわからないが仲がいいのか、そういう魔法があるのか。
「レテくん。課題は一週間後、私の部屋に出しに来てね」
 とだけ言い残し、追及する暇もなく事の発端は消えた。

[3]朝焼け(赤/青)
「……で、あたしに何か用事ができたのか? レテ」
「初めて人を殺したときってどうだった?」
「えっ」
 レテの問いに、リナが驚きの声をあげた。
 うわあ。どうしよう。なんでそんなこといきなり聞いてきたんだ。課題か。課題だとして、なんで? でもこいつの教授はキャロだ、彼女のことだから何か意味か意図があるのだろう。――という表情をしていた。

「まあ、キャロの出す課題だからな。意味はあるか」
 まさかその通りとは思わなかった。嘘でしょと言いかけてなんとか堪えた。もしかして感情の隠し方を知らないのか? 何年生きているんだ。選ばれた教授である以前に、魔導師としては単純すぎると思う。この女、いつか必ず騙される。――逆にこの正直さが人望に繋がるのかもしれないが。
「……言いたくないなら、他をあたるけど」
 とレテが言い出すほど、リナは非常に言いづらそうな態度だった。無理やりに追及したらこちらが嫌な気分になりそうなくらい。

「いや。覚悟決めてただけ。あたしだって先生さ。学生には教えなきゃ」
 息を吸って、吐いて。また吸って。
「……仲間、だよ」
 遠くを、亡くしたその人を見やる目をしてリナは答えた。
「今でいうハンターみたいな。大人数で魔物狩りをやって、爪や牙をカネにしてた頃だ。仲間に頼まれて、死にかけのそいつにトドメをさした」
「……魔導師?」
「そうなるな」

「魔導師なのに、わざわざ頼んで殺されたの? またどうして」
 教授になる前の話ということは、少なくとも過去である。それにしては、今でも辛いような顔をしている。やはり殺しには後悔があるんだろう。取り返しのつかないことだから。そういう気持ちはわからなくもない。
「強い魔物にやられて。バジリスク種の――あの時は新種か。とにかくあいつは毒で苦しんでた」
 毒という響きに顔を上げた。そういえばこの女は魔物や魔獣の専門家だった。
「毒に耐性があるかどうかは、正直魔物と魔導師の力量次第だ。あいつの力は毒と拮抗して――でも、届かなかった。あいつにとってギリギリだめな毒だった。ってことに、あたしが気づけていたら」
 殺さずに済んだかもしれない、という声は、目から聞こえた。生意気と呼ばれるレテだって、リナの顔を見ながら口を挟むほど冷酷ではなかった。
「徹夜で看病したよ。だけど、もうダメだって悟って。夜が明ける頃……終わらせてくれって頼まれた」

 魔法で槍を作って刺したんだ。と、静かに言った。
「喰らう前に毒持ちだってわかってたら、最初から魔力制御で軽減できた。生き残れなかったのは知らなかったから。あたしはそういう経験ばっかしてきて、全部経験で覚えたんだよ。それで今は魔物について教えながら、研究――というか分類というか、そういうのをしてる」
「辛い思いをしたのは、お互いってわけ?」
「さあ。朝焼けを綺麗といいながら死んでいったよ」
 昔話にしてはとても鮮明で具体的だ。レテは一瞬奇妙だと思ったが、リナの表情が理由だった。ただたんに苦しい記憶だったんだろうな。そう認識すると、追い詰めているようで結局やっぱり嫌になった。自分が。レテと違って、リナは他者を動機に生きている。他の命が同じ後悔をしないために、学生たちに伝えに来たのだ。

「もし単位が足りなかったら取りにくればいい。あたしの講義が合うかはわからないから、お試しでもさ。クラウツの奴みたいに本を読み漁るのもいいかもしれないけど、現場じゃなきゃわからないこともあるさ」
 ここまでの話を紙に記録しながら、レテはリナを見た。自信。こんなに意思がバレるような奴が、自信に満ちた目でいる。それだけで、不思議と課題もなんとかなりそうだと思えた。
「キャロが出した課題、残りの二人も必要なんだろ? ちょっと待ってれば、それこそクラウツはここに来るはずだ。ゼルの野郎は……まあ今日は来るだろ。アイツらにだって無自覚な法則がある。まるで魔物の生態みたいにな。だからまあ、待ってればいいさ」

「……ありがとう、リナ先生」
「あたしのことは、そんな丁寧に呼ばなくてもいいよ!」
 彼女はそそくさと去っていった。誰がどう見ても照れ隠しであった。

[4]葡萄(赤/黒)
 素直な教授に待てばいいと言われたので、レテは場所を変えずに次の相手を待った。もちろん課題を進めながら。とりあえずキャロとリナの話を書いてまとめている。ほぼ初対面のリナが残した、隠し事のできないあの顔をどういう言葉で書けばいいのか。少し迷って天を仰いだ時、背後で扉の音がしてレテは振り返った。
 後ろを取られた! 全身が強張る驚きと警戒を「おや」と受け流したのは、話に出ていた男だった。
「なんだ先生か、おどかさないでよ」

「申し訳ありません」
 ああ、噂の。三人目の特別魔導教授・クラウツは評判と生態の通りに本を抱えていた。この国における彼の二つ名は、「ルーン魔術の生みの親」。人間に魔法を与え、感謝され、この国を変えた優しい学者。さっきなんで警戒してしまったのか、自分でもわからないような。
 教授としての講義もわかりやすいと評判だそうだ。模範で有名な先生。さらに見た目もいい。彼を眺めるためにルーン術の講義に顔を出す学生も多い。そのうえ、接しやすく人当たりもいいときた。

 つまりこの学者はちゃんとしている。レテが彼の講義を取っていないのは、試験が厳しいという噂のせいだ。勉強してきた者には相応の結果を、知識を放棄した者にも相応の結果を。悪事には罰を、善人には称賛を。とてもすごくちゃんとしている。――そんな奴がどうしてアレの餌食になっているのか、レテにはまったくわからない。

 という個人的な事情は置いておいて。
 目を引く微笑みはどこかゆらめいていて、目を合わせているといけないような、きれいなだけの先生ではないように思えて。溺れてはいけないと、椅子の上で少し退く。
 ただ、魔導師としては――まあ話しやすい相手ではある。基本姿勢として誰にでも友好的だから。ゆっくりとしたまばたきと長い下睫毛は、本能的に相手の言葉を引き出す術みたいだった。

「いま、同じ質問をしてるんだよ。聞いて、返事をまとめるまでが課題。僕が選んだ質問は、初めてひとを殺したときどうだったか。」
 だいぶまともではない論題だという自覚はある。けれど向こうにも常識があった。課題のために教えて、と言えば、おかしな問いにもちゃんと答えてくれるくらいには。
「なかなか面白い課題ですね。初めて、というとずいぶん前のことになりますが」
 今はもう無い、どこかの酒場で。
「葡萄が好きなひとでした」
 ――それからクラウツは、穏やかに言葉を選びながら、必要な情報だけを正確に伝えてきた。これが講義そのままの喋り方だとしたら、人気には納得する。

 話をまとめると、葡萄酒を浴びに浴びて、酔った大男だったらしい。潰れないなと思って眺めていたら、突然襲い掛かってきたのだという。かつてのクラウツの目を葡萄のような色と例えて、それが例えではなく本物だと思い込んだ。そうして襲い掛かってきた大男に対して抵抗するうちに、気づけば相手は死んでいた――。

 つまり端的に要約すると、眼球を葡萄と勘違いされて狙われたのだと。
「こっわ」
 その光景を語り聞かせるあたり、こいつも魔導師やってるな、とは思ったが。正直状況の方が気持ち悪かった。
「酒って怖いな。ってかおまえそんなことがあって、よく今でも酒飲みやってるね、しかも葡萄の」
「まあ、当時の真夜中にはよくあることでしたから」
「そんなことがよくあってたまるか」
 とは言った。が、現在進行形でひとのこころを踏みにじる人物に心当たりがあるから、レテはひとの善性に味方できず。

「因果応報ってやつか」
 と、誤魔化すしかなくなった。
 ――因果応報なら、もう一件、深刻なのがあるんじゃないか。とは、聞けなかった。ゼル博士の、けっこう非人道的な実験。学生たちの間で、学者クラウツは学園ではゼルの被検体として有名なのだ。

 痛くても苦しくても、されるがままデータの源になっていると専らの噂だ。なんで反撃しないんだろう。アイツの実験が将来的に、世界を便利にすると思っているのだろうか。ルーン魔術のように。それはそれで狂っている。

 まああんなのと一緒にいる時点で、正気だと断定したくはない。読書家でなんでも知っていて、人間まで助けて、評判のいい先生。そのはずだけど、あんなのと一緒にいる時点で狂気だと断定したくなる。

 あんなのと。

 と、そこでレテは一瞬、息ごと黙った。――気配がする。来る。
「お菓子を焼いてきたんだった。ゼルってこういうの好きでしょ」
 トレーを取り出して、お洒落な小皿に今朝焼いてきたマカロンを並べていく。キャロの課題さえなければ、こっちの焼き菓子が本来の目的になっていたはずなのだ。
「博士にお土産ですか?」
「そう。せっかくだから味の評価とかしてほしくて。趣味だから」
 僕は色とりどりの方が好きで。と、それぞれ別々の素材を使ったカラフルなマカロンが増えていく。我ながら上出来だと思う。このために市場の情報収集から始めたのだ。このためにここに来た。アイツは来る。

 がちゃり。

 レテにとってわかりきった、扉の荒い音。
 気配通りに、予感通りに。生態通りに来た。ゼル博士。

 魔導師のからだにある「ルーン基」なるものを研究し、実験を繰り返す頭のおかしい研究者。どのあたりがおかしいかというと、人命の犠牲を厭わないところと、他者の感情を計算に入れないこと。あと一部の記憶が欠落しているのに、興味がないからといって放置していること。それから――枚挙にいとまがない。
 ゼルのルーン基研究による副産物、例えば写真機なんかが支持されているというのに、彼は称賛の声を一切気にしない。もちろん悪態も。
 ふわふわした白い髪も、片方だけの編み上げも、地味に洒落ているので腹が立つ。

「誰かいる――お菓子だ! 貰うね」
「キャロせんせの次世代候補やってる学生でーす。『誰か』じゃないでーす」
 耳を貸さないゼルに、レテはもうため息を隠さない。
「学者先生はそろそろ講義でしょ。行かなくていいの」
「そうですね、向かいましょうか」
 立ち上がりざまにクラウツは、自分の席であろう椅子の上に、分厚い本をどっちゃりと置いた。どうしてこんなに積み上げても倒れないんだろう。やっぱりこいつも完璧な教授ではない気がしてきた。

「せっかくのお土産、ひとつ頂いていきますね」
 クラウツの長い指が、さらっと一個マカロンを攫う。自然すぎる手つきに、レテが気づいて止める暇もなかった。よりにもよって菫色の、とっておきなやつを持っていかれた。あれは博士に食べて欲しかったな。「ちょっと」と呼び止めてももう遅い。
 にしても、とレテは思案する。怒られないのだろうか。
(アイツは自分のものを盗られることが大嫌いだから、たとえ聡明な学者であろうと後で罰とか受けたりして)

 ――その「アイツ」は、誰の気も知らず、何個目かのマカロンに手を伸ばしていた。

[5]マカロン(青/白)

「これ甘いし、すっきりしておいしい。シトラス系? こっちのは――」
 さて。しっかり頭のいいゼル博士は、趣味の甘味についても理解を深めている。正直なところ、レテのお菓子の話題にここまでついていける相手は他にいない。
「そう、希少だけどいい感じの繋がりを作っておけばこういう実とか花も、安く譲ってもらえるし、配合を試したら」
「なるほど。こっちはジャムを添えることが前提で、そっちは単体だから口当たりが違うのか」
「そうなんだよ! 同じベリーでも使い方と量が全然違う。どっちが好き?」
「いやこれはあえて別の、こっちじゃないか? ちょうど同じ地域の茶葉と合うようになってる」
「やっぱりわかるかぁ……!」
 レテは本当に、本当にこのとき楽しんでいた。あまいおかし、というものはレテとゼルの間にある共通の趣味で、二人の嗜好はやたら似ていた。同じぐらいの高度で「好き」を話すのは楽しかった。楽しかったんだ。
 だからこそレテはゼルが――、そうだ、とレテは、やっと課題のことを思い出した。
「課題あった。えっと博士、初めてひとを殺したのってどんなときだった?」
「……『殺し』の定義は?」
「定義?」
 やばいかも、と思いつつ、もう引き返せないので聞き返す。レテが問い、ゼルが答える。ことばの動作は変わっていないはずなのに。

「だから、『殺し』はどこから殺しなのかって話だよ。たとえば僕がつけた傷が悪化して、僕の知らないとこで結果的に死んだ奴を含むかどうか――とか。他にも判断が必要な事例はいくつも存在する。どこから殺人と呼ぶのか、その基準が確定していないなら話は違ってくるでしょ?」
 そして橙色のマカロンをつまんで、ひとくちで食べる。これ甘くていいね、好きだな。と呟くゼルに対して、「続きを話してくれない?」とレテが促してようやく話が進む。
「僕の話でいうと――、そうだな、」

 そこからゼルはとんでもない早口になった。
「使い潰したサンプルがたまたま人間だった場合は、殺人に含まれるのか、とか。ほらサンプルって生きてるだけで本質は実験対象で物体だ。それを使って実験した結果、勝手に壊れた。という出来事を人殺しって言われても困る。実験による物理的な破壊だ、という事実は覆らない。それを勝手に殺しだなんだって責められても」
「責めてないけど」
「だとしたら僕にひとを殺した記憶はないよ」
 記憶はないとはよく言ったものだ。

「……博士に答えてもらえて光栄だけど――」
 じゃあ課題はどうすればいいの、と。これから、レテが質問するはずだった。これまでの三人だったら、少なくとも学生の課題に対して目は向けてくれる状況のはずだった。
 はずなのに。
「自動的に起きた損失と意図的に起こした損傷。結果として傷を負った場合と、加害と被害が意識的に成立した場合の差異。意識とルーン基が関係している可能性を考えると……」
 ゼルは自分の頭の中を見て、レテには理解の及ばないことを呟いていた。
「試してみたいな」
 ――だとしたらアレをとってこなきゃな、講義だっけ? 後は物質を回転と何か焼けるやつ――ここにあるのは――。


 ――こういうところだ。
 ゼル博士の視野に、既にレテは存在していない。
 結局。
 結局こうなるのだ。
 楽しいこともすごく楽しいことも嘘じゃない。レテにとってゼルは、楽しいを唯一のレベルで共有できる、とても大事なひとだ。
 でも、せっかく焼いたマカロンを置いてけぼりにして知らないところに行こうとする。レテのことだって知らない誰かにしてしまう。
 あーあ。大キライだ。

「どうせ僕がいなくなったって」
 気づきやしないんだ、この男は。

 恨み言を小さく吐き捨てて部屋を出た。予防線のつもりで置いた挨拶も、どうせ彼には聞こえていなかった。

[6]学生(赤/白)
 魔導師の談話室を飛び出してきて、学生たちが自由に使える共有スペースまで辿り着いた。ここも「談話室」と呼ばれているので、魔導師としては非常に不便だ。
 レテはため息も尽きて、先ほどの課題を進めることにした。軽くメモをとっていた情報を、字にほどいてまとめていく。楽しい時間に夢中だったせいかゼルの記録をとることを忘れていたけど、きっと問題ないだろう。
(アイツのことなんか目を閉じてでも書ける)
 とペンを持ち直したとき、
「お、レテ。今暇してるの?」
 金髪の男が声をかけてきた。同期で魔導師のレベッカだ。魔導師の方の談話室から、廊下を歩く彼をよく見かける。確かクラウツの選んだ「次世代候補」だったか。

 レベッカは僕と比べると若い――外見相応の人間と同じ年齢でありながら、色んなものに長けた魔導師だ。入学時期が似ていたり、講義や調べものが被ったりで、顔を合わせる頻度が高く。ましてや次世代候補という共通点までできて。
 ――ただ、レベッカは少なくとも試験で入学してはいない。彼には何か裏がありそうだけど、二人で雑に話すような状況の居心地はすこぶる良いので、レテはもう気にしないことにしている。だからよく合う魔導師として、よくいる友人という関係を作れているはずだ。

 程度でいうと、お互いの講義予定を大まかに把握しているくらい。
「……あれ、レベッカこの時間フリーだっけ?」
 たしか、彼はこのくらいの時間帯に厳しい講義を取っているはずだ。何度もその愚痴を聞いたから覚えている。教授が受講者を全員把握しているから、出席代行も通用しない、とか。
「急に講義がなくなったんだよ。遅刻もしないあのクラウツが、直前に知らせてきた」
 レベッカによると滅多にないことらしく、色々想像を巡らせているみたいだった。
「珍しいというか初めてかもしれねえ。部屋行っても会えなかったし、何かやったんだか」
「トリカブト味のマカロンでも食べたんじゃない?」
「なんだそりゃ」
 なんて笑って、顔を上げる。課題文の進捗は――ここまで骨組みがまとまっているなら、後にしてもよさそうだ。

「講義ないなら、どっか行く? いまバザール限定のマカロンがね――」
 せっかくだし、二人で話題の甘味を攫いにいこう。決まりの悪そうな返事をする学友と。そういう日常の中で、自分はわりと学生をやれていると思う。
 と、自称してみたけど。学生として何をなせばいいかまではわかっていないから、レテは課題に勤しむのだ。講義の合間を縫って。期日まで粘って。

[7] 学生(青、黒)

 レテが提出した紙束――課題のレポートを読んで、キャロはふう、とわざとらしく天を仰いだ。
「もう一度読み直すから、待ってね」
昼下がり。アカデミーでキャロに割り振られた個室で、レテは審判を待っている。
 著名な人形師でもある彼女の自室には、そのパーツや布や服の材料が、まあまあ整理されて置いてあった。
 完成した様々な人形たちが、まるで眠っているかのように飾られている。中でも優雅なプリンセスのドールがたくさんあって、金髪の女の子が多い。それとは別の区画に、あんまり見たくない腕や脚、部品だけの棚がある。せめて同時に視野に入らないようにしてほしい。

 キャロは絵に描いたような優雅な椅子とテーブルに座って、紙束にじっくりと目を通している。声をかけるのは憚られるが、レテはこの部屋が空間として苦手だった。そわそわする学生の心境を察してくれたのか、教授としてのキャロが「ちょっと待ってね」と魔法を使う。
 いつの間にか準備していたらしい熱い紅茶が、やはりお伽噺のようなティーカップに注がれていく。焼き菓子にも使うメジャーな品種だ。慣れた香りが、心の棘をいったんは落ち着かせてくれた。

「まあとりあえず、単位はあげるよ。ちゃんと期日を守って提出してるし」
 些事のように合否を告げ、キャロは紅茶にマシュマロを浮かべた。
 それにしても、こんな面倒なことをさせておいて、感想や答え合わせの一つや二つはないのか。レテが口を尖らせる前に、キャロが先手を取った。
「たぶん知りたいだろうから教えるね。問いと答えが同じでも、きみが感じた解釈はきみだけのものだ。わたしや他のひとたちの返事もそう。だけど一番考えが出るのは『こたえ』をきいたあと、それをどう解釈するか。きみの解釈が見たかった。そこが十人十色で、私はそういうところできみを見極めたいと思ったの」
 何を見極めるつもりなんだ。自分には全く心当たりがないから、レテは言い返そうとして。
「でも、ゼル博士のところだけ、なんというか、うーん……」
 また先手をとらえた。すこし迷って、たっぷり言葉を選んでから、キャロは頷いて続ける。
「フラットに見えないんだ。決めつけられた偏見とかがあるみたいな感じで」
 心外だった。
「は? アイツが一番そのままでしょ」
 レテの即答に、大きな目で部屋中を見渡し、キャロはするりと本題を並べる。
「一例を出すね。林檎は赤い?」
「赤いでしょ」
「剥いたら白いよ」
「なにそれ」
 もしかしてあの日見た赤い薔薇はペンキで塗られた白薔薇かもしれない。そういうことを疑わないと、検証は成立どころか発生しないんだ。いかにも研究職らしいことを言うじゃないか。
「なんだかゼル博士だけやたら扱いがひどいんだよ。先入観でものを見るのは、あまりよくない」
 とキャロ教授。
 たしかにまあ、ゼルに関してはあまり会話の記録はない。スイーツの話題に夢中で、勝手に話を終わらせた彼に腹が立ったから。でも、彼がおかしい存在だというのはもうずっと前から分かっていることだ。
「本当は彼は、青い林檎じゃなくて、白いペンキかもしれない。レテくんの見てる酷い姿と、実態はちがうかもよ」
「いや、アイツは違わないよ」
 ――いやそうでしょ。違うわけない。アイツはアイツでそれ以外のなにものでもないでしょ。自分のものは取られるどころか触れられるのもゆるさないはずなのに、より大事な研究ができたら平気で人を捨てられる。お菓子を分け合う相手を先に作ったのは僕で、先に孤独じゃなくなったのは僕で、おかしい人だと思われているおまえには到底叶えられない日常を僕は作れている。ひとりじゃないはずなのにどうしてこんなひとりぼっちみたいな気分になるんだ、おまえはなんなんだ、僕を僕みたいにしたくせにおまえは僕のことを。僕の知らないところで勝手に離れていくおまえは。非人道的だと言われていながら誰よりも優秀な頭を持っていて、優秀だから誰にも愛着してくれない。僕だって時間ももらえないしおまえは犠牲として捨て置いたものが何者なのかを覚えてすら――

「ストップ。レテくん息吐いて。酷い顔だ、おかしくなってるよ」
 突然、前が見えた。ひゅ、と繰り返していた息が呼吸に戻るまで、キャロはレテを支えてくれた。まだくらくらする思考に、彼女の丁寧な問いが染み込んでいく。
「博士と何かあったの? 彼をどう思うの」
「わかんない」
 指摘されてしまえば、彼の感情はぐしゃぐしゃだった。レテの頭は時折、気が狂うのを防ぐために勝手にこうなる。まるで泣きだした直後のように正解を見失う。
「そうだよね、わからないことは説明できない」
 キャロは器用な両手でレテの顎を持ち上げる。無理やり合わせられた視線。彼女の目は優しそうだった。
「だからそういうときは、気持ちに名前をつければいい」
 原因を突き止められないなら、対処はできない。どうしていいかわからない。迷い道には、仮初でも灯りが必要だ。
「そういうときに見るのはね、相手の目じゃなく、きみの心の声だよ」
 ――考えてもわからないやって、目の前のことは一旦置いといて。そのあと遠くから見るの。一度試してみるといいんじゃないかな。
 そう言い残して、課題の話は終わりになった。身体がいつも通りに動くまで、キャロは紅茶の香りに包まれた、あたたかな静寂を残してくれた。

「せんせ」
 まっすぐ寮まで帰ると約束し、帰り道を歩く。キャロを前にしたときには言えなかった返事が、今になってたくさん頭に浮かんでくる。
「それは無理だよ」
 部屋を出る前に、キャロから余ったマシュマロを貰った。あまいおかしは好きだ。昔からずっと。魔導師レテは、きっと実験室にいるゼルを振り返る。生まれてからずっと、外せたことのない色眼鏡で。
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