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バイアスだって十人十色 [4]葡萄(赤/黒)

 素直な教授に待てばいいと言われたので、レテは場所を変えずに次の相手を待った。もちろん課題を進めながら。とりあえずキャロとリナの話を書いてまとめている。ほぼ初対面のリナが残した、隠し事のできないあの顔をどういう言葉で書けばいいのか。少し迷って天を仰いだ時、背後で扉の音がしてレテは振り返った。
 後ろを取られた! 全身が強張る驚きと警戒を「おや」と受け流したのは、話に出ていた男だった。
「なんだ先生か、おどかさないでよ」

「申し訳ありません」
 ああ、噂の。三人目の特別魔導教授・クラウツは評判と生態の通りに本を抱えていた。この国における彼の二つ名は、「ルーン魔術の生みの親」。人間に魔法を与え、感謝され、この国を変えた優しい学者。さっきなんで警戒してしまったのか、自分でもわからないような。
 教授としての講義もわかりやすいと評判だそうだ。模範で有名な先生。さらに見た目もいい。彼を眺めるためにルーン術の講義に顔を出す学生も多い。そのうえ、接しやすく人当たりもいいときた。

 つまりこの学者はちゃんとしている。レテが彼の講義を取っていないのは、試験が厳しいという噂のせいだ。勉強してきた者には相応の結果を、知識を放棄した者にも相応の結果を。悪事には罰を、善人には称賛を。とてもすごくちゃんとしている。――そんな奴がどうしてアレの被害者になっているのか、レテにはまったくわからない。

 という個人的な事情は置いておいて。
 目を引く微笑みはどこかゆらめいていて、目を合わせているといけないような、きれいなだけの先生ではないように思えて。溺れてはいけないと、椅子の上で少し退く。
 ただ、魔導師としては――まあ話しやすい相手ではある。基本姿勢として誰にでも友好的だから。ゆっくりとしたまばたきと長い下睫毛は、本能的に相手の言葉を引き出す術みたいだった。

「いま、同じ質問をしてるんだよ。聞いて、返事をまとめるまでが課題。僕が選んだ質問は、初めてひとを殺したときどうだったか」
 だいぶまともではない論題だという自覚はある。けれど向こうにも常識があった。課題のために教えて、と言えば、おかしな問いにもちゃんと答えてくれるくらいには。
「なかなか面白い課題ですね。初めて、というとずいぶん前のことになりますが」
 今はもう無い、どこかの酒場で。
「葡萄が好きなひとでした」
 ――それからクラウツは、穏やかに言葉を選びながら、必要な情報だけを正確に伝えてきた。これが講義そのままの喋り方だとしたら、人気には納得する。

 話をまとめると、葡萄酒を浴びに浴びて、酔った大男だったらしい。潰れないなと思って眺めていたら、突然襲い掛かってきたのだという。かつてのクラウツの目を葡萄のような色と例えて、それが例えではなく本物だと思い込んだ。そうして襲い掛かってきた大男に対して抵抗するうちに、気づけば相手は死んでいた――。

 つまり端的に要約すると、眼球を葡萄と勘違いされて狙われたのだと。
「こっわ」
 その光景を語り聞かせるあたり、こいつも魔導師やってるな、とは思ったが。正直状況の方が気持ち悪かった。
「酒って怖いな。ってかおまえそんなことがあって、よく今でも酒飲みやってるね」
「まあ、当時の真夜中にはよくあることでしたから」
「そんなことがよくあってたまるか」
 とは言った。が、現在進行形でひとのこころを踏みにじる人物に心当たりがあるから、レテはひとの善性に味方できず。

「因果応報ってやつか」
 と、誤魔化すしかなくなった。
 ――因果応報なら、もう一件、深刻なのがあるんじゃないか。とは、聞けなかった。ゼル博士の、けっこう非人道的な実験。犠牲を伴った経歴と、そこから続く現在。学者クラウツは、ゼルのそういった被検体だと言われていて、本人もそれを認めている。痛くても苦しくても、データの源になっていると専らの噂だ。
 なんで反撃しないんだろう。ゼルの実験が将来的に、世界を便利にすると思っているのだろうか。ルーン魔術のように。それはそれでどうかしてる。少し考えればわからないか? 世の中に貢献? アイツが?

 あんなのと一緒にいる時点で、正気だと断定したくはない。読書家でなんでも知っていて、人間まで助けて、評判のいい先生。そのはずだけど、あんなのと一緒にいる時点で狂気だと断定したくなる。
 あんなのと。

 と、そこでレテは一瞬、息ごと黙った。――気配がする。来る。
「お菓子を焼いてきたんだった。ゼルってこういうの好きでしょ」
 トレーを取り出して、お洒落な小皿に今朝焼いてきたマカロンを並べていく。キャロの課題さえなければ、こっちの焼き菓子が本来の目的になっていたはずなのだ。
「博士にお土産ですか?」
「そう。せっかくだから味の評価とかしてほしくて。趣味だから」
 僕は色とりどりの方が好きで。と、それぞれ別々の素材を使ったカラフルなマカロンが増えていく。我ながら上出来だと思う。このために市場の情報収集から始めたのだ。このためにここに来た。アイツは来る。

 がちゃり。

 レテにとってわかりきった、扉の荒い音。
 気配通りに、予感通りに。生態通りに来た。ゼル博士。

 魔導師のからだにある「ルーン基」なるものを研究し、実験を繰り返す頭のおかしい研究者。どのあたりがおかしいかというと、魔導師たちの犠牲を厭わないところと、他者の感情を計算に入れないこと。それから――枚挙にいとまがない。
 ゼルのルーン基研究による副産物、例えば写真機なんかが支持されているというのに、彼は称賛の声を一切気にしない。もちろんそれによる悪態も。
 ふわふわした白い髪も、片方だけの編み上げも、地味に洒落ているので腹が立つ。

「誰かいる――お菓子だ! 貰うね」
「キャロせんせの次世代候補やってる学生でーす。『誰か』じゃないでーす」
 耳を貸さないゼルに、レテはもうため息を隠さない。
「学者先生はそろそろ講義でしょ。行かなくていいの」
「そうですね、向かいましょうか」
 立ち上がりざまにクラウツは、自分の席であろう椅子の上に、分厚い本をどっちゃりと置いた。どうしてこんなに積み上げても倒れないんだろう。やっぱりこいつも完璧な教授ではない気がしてきた。

「せっかくのお土産、ひとつ頂いていきますね」
 クラウツの長い指が、さらっと一個マカロンを攫う。自然すぎる手つきに、レテが気づいて止める暇もなかった。よりにもよって菫色の、とっておきなやつを持っていかれた。あれは博士に食べて欲しかったな。「ちょっと」と呼び止めてももう遅い。
 にしても、とレテは思案する。怒られないのだろうか。
(あいつ、自分のものを盗られることが大嫌いだから、誰だろうと後で罰とか受けたりして)

 ――その「あいつ」は、誰の気も知らず、何個目かのマカロンに手を伸ばしていた。
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