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SHINJITE [4] Toasted Marshmallow Rampart
レテは直属の教授・キャロへの提出物と頼まれもの、ついでに特製の焼き菓子とを持って、アカデミーの談話室へと向かっていた。この学園に談話室と呼ばれる部屋はいくつもあるが、レテが行くのは長い階段を上った先のところだ。四人の特別魔導教授がいることから、「魔導師の談話室」と呼ばれている。自分のような特別な学生――教授から次世代と呼ばれる魔導師が来ることも多い。レテとしては、キャロに会いに行くついでに、趣味で作ったお菓子を置いていく算段だった。
長い階段を上る。面倒なのを誤魔化したくて、足音でリズムをとってみる。あの曲を口笛で吹いて。草原をゆく気分で。――そんなことをしても、階段の長さは変わらないけど。
レテが談話室に到着すると、学友レベッカが引きつった顔で絶句していた。彼と会話をしているのは、温厚な教授クラウツだったが。一瞬で、レベッカの気持ちがよくわかった。
「学者先生、首になんか刺さってない?」
たぶんフォークだと思うけど、と付け足す。普通首にフォークが刺さったまま生活する人なんていないと思う。それを「博士の実験ですよ」と返事をされて、レテはかえって呆れた。
「そんな当然みたいに答えられてもね……。レベッカがここまでドン引きしてるの初めて見たよ」
本当に、なぜ「博士の被験体」なんてろくでもない役を引き受けているんだろう。別に、彼らが互いに納得しているのならレテが疑問を抱くまでもない。でも、それでもレテが“ゼル博士”に抱き続けた濁った感情が、いま眉間に浮かべる皺に上乗せされている。
「あんまりそういう状態、他の人に見せない方がいいよ。本人よりも見た方がぎょっとするんだから」
「そう、本当に、できればやめてほしい」
学友と合わせて不満をぶつけても、穏やかな笑顔で流される。ため息で抗議の追い打ちを投げかけながら、レテは改めて本来の目的へ向き直った。
一連の流れを慣れた様子で見守っていたキャロに、ノートと箱を渡す。ノートは課題の提出物であり、魔法で冷やしていた髪の箱には、特製の細工菓子が入っている。
「キャロせんせ、これ課題と、頼まれたお城」
城、と言ってもマシュマロで模った食べられるお城である。「レテくんの腕を見込んで」と、こういったものを頼まれるようになってしばらく経つ。
「ありがとう。今日はうちの子とお茶会をするの」
うちの子、とキャロが呼ぶのは特別な人形たちだ。この“お茶会”がただの趣味の集いでないことをレテは確信していたが、確信から先をキャロの目に許されたことはなかった。
甘いけど熱には弱いあの城壁に、城としての役目は果たせない。であれば、自分が手掛けた城壁の意味は、いったい何なのだろうか。ただのかわいいお菓子でおしまい? 他になにか、特別な意味があるとしたら――それを知る日が、いつか来るのだろうか。
(いつか教えてね、って言ってみようか)
――思い上がりだって言われたら? 冷ややかな声で、内側から疑問が響く。
(すぐには、言えないな)
その言葉は、あんまりにも、怖いから。
さて気を取り直して、レテは手持ちの焼き菓子を広げることにした。棚から大皿を取り出して、テーブルの真ん中に置いた。持ってきたお菓子を見た目よく並べて置く。今日はカップケーキ型のマフィンだ。いつのまにか、団欒の場所に自作のスイーツを持ってくるのがレテの常になっていた。
「ほら、おやつにでも食べなよ」
と適当に言った。話題が逸れたからか、レベッカが助かったという顔をしている。
「ああ、だったらゼル博士を呼んでこようか?」
とリナが言い出す。彼女のことだから、親切心が働いたのだろう。不在のゼルは、この場の誰より甘味に目がない。
「私もまいりましょう」
「いや、あたし一人で良いよ。その首で街に出るのはダメだろ」
同感、とレテも頷いておいた。引き下がったクラウツは、ゼルがいそうなエリアをリナに教えたあと、長い指をテーブルに伸ばす。
「では実験棟に戻ります。元々こちらには、本を取りに来ただけですので」
と言いながら、さらっとマフィンをひとつ持っていった。盗みみたいな動作でさらっていくのが腑に落ちない。せめて何か言ってほしい。
この男は洒落た服を隙も皺もなく着こなすくせに、変な手癖の悪さを持っている。持ち主が現場にいようがいまいが、おやつに限って少しの盗み食いをしていくのだ。おかげで、ここに持ち込む菓子は多めに作るようになった。
「先に、同じ実験室で休んでいます」
もし会えばお伝えください、と言って本とマフィンを携えたクラウツが出ていく。ほぼ同時に、リナも談話室を後にした。
残されたのは自分とレベッカ、そしてキャロである。
「私は待っていようかな。お茶会はお昼じゃなくても大丈夫だから」
艶やかな布のマスクで目元以外が隠れているので、表情が読めない。おそらく、リナとゼルが戻るのを迎えるつもりなのだろう。
「僕も、ゼル博士と入れ違いになるくらいに帰ろうかな」
「いいのか」
と、レベッカが余計なことを言った。
ここにたむろする魔導師たちは、すっかりレテの本音を覚えてしまった。レテの持ってくるお菓子は本来、ゼル宛のものなのだと、みんなが知っている。
――だから、本人を待たなくていいのかと、聞いてきたのだ。レテがわざわざ「入れ違い」と言った意味も考えずに。
「いいよ。忘れられてるでしょ、僕」
あの曲の、オルゴールを見せたときから。言い訳を考えるのがめんどうになって吐き捨てた。
レベッカがマフィンの感想を言ってくれたり(嬉しかったが、キャロの視線が気になった)、共通の課題に関する相談をしたり(ほぼレテが教える立場だった)、レテにとって日常ともいえる時間が過ぎた。そろそろここを去ろうかとレテが荷物をまとめ始めたタイミングで、思ったより早くリナが帰って来たのだ。
「博士連れてきた。まだおやつ残ってるよな」
と言いながら、ふらつくゼルの肩を支えて。
レテは慌てて、リナに小声で訊く。
「ゼル博士、様子おかしくない?」
「そうみたいだ。でも、見つけたときよりはよくなってる」
そんなに心配するな、というリナの顔に特に隠し事は浮かんでいない。なら、また「あれ」か。博士が発作的に起こす異常を、次世代候補として知らないわけではなかった。あの現象があるから、馴染みのない場所には行かないのだとも噂で聞いた。
「リナ、ありがとう」
キャロは皆の様子を見て、話題を一気に前に進めた。レテへの気遣いかもしれない。
「みんなとっておいてくれてるよ、ほら」
と示されたレテの力作を見て、ゼルはふっと笑う。やっぱり甘味に目がない。
「へえ、いいのがあるじゃん」
「好きに、食べていいよ」
何気なく勧めると、いつものように博士が腕を伸ばす。ゼルの右手にあるものが、きらりと光った。知らないブレスレットと――あの銀の箱。
「わかった、貰う。そろそろ実験結果も出たはずだからさ。向こうで食べるよ」
どこで食べてもいい。けど、けど。
「……どうぞ」
レテはもう、焼き菓子どころじゃなかった。どうして、どうして今それを。
手元にあるあのオルゴール。見間違えるはずのない、ゼル自身が施した銀細工。
(どうしてそれを、今も持っているの)
ちりちりと、焦がしすぎた砂糖のように、胸の奥を奇妙な色で塗り潰していく。世界でゼルと、レテだけが持つ、たった二つのオルゴール。同じ曲を奏でる箱。
同じ細工の箱は、レテの自室に大事にしまってある。教授にも学友にも言っていない、レテの特別と秘密。そして過去。傷。あるいは罪。
――まさかこんなことになるなんて思わなかったんだ。
本当は自分のせいで、それなのに、ちょっとは彼のせいだと思っている。オルゴールの銀細工を通して、レテのそんな本心が透けてしまいそうで。だからぜんまいを回すのが怖くなった。代わりに、あの曲を覚えたんだ。
大好きで、思い出だったから。自分“だけ”の。
(あのとき僕が、もう駄目だって思っちゃったから)
だから一度の異常は、ずっとの異様になってしまった。消えない罪が焼け焦げて、そのまま凍り付いている。レテが、ゼルをあんなふうにした。
いまのゼルが、あんな流水の中で生きているのは。かつてのレテが、互いの未来を信じていなかったからだ。
レテは直属の教授・キャロへの提出物と頼まれもの、ついでに特製の焼き菓子とを持って、アカデミーの談話室へと向かっていた。この学園に談話室と呼ばれる部屋はいくつもあるが、レテが行くのは長い階段を上った先のところだ。四人の特別魔導教授がいることから、「魔導師の談話室」と呼ばれている。自分のような特別な学生――教授から次世代と呼ばれる魔導師が来ることも多い。レテとしては、キャロに会いに行くついでに、趣味で作ったお菓子を置いていく算段だった。
長い階段を上る。面倒なのを誤魔化したくて、足音でリズムをとってみる。あの曲を口笛で吹いて。草原をゆく気分で。――そんなことをしても、階段の長さは変わらないけど。
レテが談話室に到着すると、学友レベッカが引きつった顔で絶句していた。彼と会話をしているのは、温厚な教授クラウツだったが。一瞬で、レベッカの気持ちがよくわかった。
「学者先生、首になんか刺さってない?」
たぶんフォークだと思うけど、と付け足す。普通首にフォークが刺さったまま生活する人なんていないと思う。それを「博士の実験ですよ」と返事をされて、レテはかえって呆れた。
「そんな当然みたいに答えられてもね……。レベッカがここまでドン引きしてるの初めて見たよ」
本当に、なぜ「博士の被験体」なんてろくでもない役を引き受けているんだろう。別に、彼らが互いに納得しているのならレテが疑問を抱くまでもない。でも、それでもレテが“ゼル博士”に抱き続けた濁った感情が、いま眉間に浮かべる皺に上乗せされている。
「あんまりそういう状態、他の人に見せない方がいいよ。本人よりも見た方がぎょっとするんだから」
「そう、本当に、できればやめてほしい」
学友と合わせて不満をぶつけても、穏やかな笑顔で流される。ため息で抗議の追い打ちを投げかけながら、レテは改めて本来の目的へ向き直った。
一連の流れを慣れた様子で見守っていたキャロに、ノートと箱を渡す。ノートは課題の提出物であり、魔法で冷やしていた髪の箱には、特製の細工菓子が入っている。
「キャロせんせ、これ課題と、頼まれたお城」
城、と言ってもマシュマロで模った食べられるお城である。「レテくんの腕を見込んで」と、こういったものを頼まれるようになってしばらく経つ。
「ありがとう。今日はうちの子とお茶会をするの」
うちの子、とキャロが呼ぶのは特別な人形たちだ。この“お茶会”がただの趣味の集いでないことをレテは確信していたが、確信から先をキャロの目に許されたことはなかった。
甘いけど熱には弱いあの城壁に、城としての役目は果たせない。であれば、自分が手掛けた城壁の意味は、いったい何なのだろうか。ただのかわいいお菓子でおしまい? 他になにか、特別な意味があるとしたら――それを知る日が、いつか来るのだろうか。
(いつか教えてね、って言ってみようか)
――思い上がりだって言われたら? 冷ややかな声で、内側から疑問が響く。
(すぐには、言えないな)
その言葉は、あんまりにも、怖いから。
さて気を取り直して、レテは手持ちの焼き菓子を広げることにした。棚から大皿を取り出して、テーブルの真ん中に置いた。持ってきたお菓子を見た目よく並べて置く。今日はカップケーキ型のマフィンだ。いつのまにか、団欒の場所に自作のスイーツを持ってくるのがレテの常になっていた。
「ほら、おやつにでも食べなよ」
と適当に言った。話題が逸れたからか、レベッカが助かったという顔をしている。
「ああ、だったらゼル博士を呼んでこようか?」
とリナが言い出す。彼女のことだから、親切心が働いたのだろう。不在のゼルは、この場の誰より甘味に目がない。
「私もまいりましょう」
「いや、あたし一人で良いよ。その首で街に出るのはダメだろ」
同感、とレテも頷いておいた。引き下がったクラウツは、ゼルがいそうなエリアをリナに教えたあと、長い指をテーブルに伸ばす。
「では実験棟に戻ります。元々こちらには、本を取りに来ただけですので」
と言いながら、さらっとマフィンをひとつ持っていった。盗みみたいな動作でさらっていくのが腑に落ちない。せめて何か言ってほしい。
この男は洒落た服を隙も皺もなく着こなすくせに、変な手癖の悪さを持っている。持ち主が現場にいようがいまいが、おやつに限って少しの盗み食いをしていくのだ。おかげで、ここに持ち込む菓子は多めに作るようになった。
「先に、同じ実験室で休んでいます」
もし会えばお伝えください、と言って本とマフィンを携えたクラウツが出ていく。ほぼ同時に、リナも談話室を後にした。
残されたのは自分とレベッカ、そしてキャロである。
「私は待っていようかな。お茶会はお昼じゃなくても大丈夫だから」
艶やかな布のマスクで目元以外が隠れているので、表情が読めない。おそらく、リナとゼルが戻るのを迎えるつもりなのだろう。
「僕も、ゼル博士と入れ違いになるくらいに帰ろうかな」
「いいのか」
と、レベッカが余計なことを言った。
ここにたむろする魔導師たちは、すっかりレテの本音を覚えてしまった。レテの持ってくるお菓子は本来、ゼル宛のものなのだと、みんなが知っている。
――だから、本人を待たなくていいのかと、聞いてきたのだ。レテがわざわざ「入れ違い」と言った意味も考えずに。
「いいよ。忘れられてるでしょ、僕」
あの曲の、オルゴールを見せたときから。言い訳を考えるのがめんどうになって吐き捨てた。
レベッカがマフィンの感想を言ってくれたり(嬉しかったが、キャロの視線が気になった)、共通の課題に関する相談をしたり(ほぼレテが教える立場だった)、レテにとって日常ともいえる時間が過ぎた。そろそろここを去ろうかとレテが荷物をまとめ始めたタイミングで、思ったより早くリナが帰って来たのだ。
「博士連れてきた。まだおやつ残ってるよな」
と言いながら、ふらつくゼルの肩を支えて。
レテは慌てて、リナに小声で訊く。
「ゼル博士、様子おかしくない?」
「そうみたいだ。でも、見つけたときよりはよくなってる」
そんなに心配するな、というリナの顔に特に隠し事は浮かんでいない。なら、また「あれ」か。博士が発作的に起こす異常を、次世代候補として知らないわけではなかった。あの現象があるから、馴染みのない場所には行かないのだとも噂で聞いた。
「リナ、ありがとう」
キャロは皆の様子を見て、話題を一気に前に進めた。レテへの気遣いかもしれない。
「みんなとっておいてくれてるよ、ほら」
と示されたレテの力作を見て、ゼルはふっと笑う。やっぱり甘味に目がない。
「へえ、いいのがあるじゃん」
「好きに、食べていいよ」
何気なく勧めると、いつものように博士が腕を伸ばす。ゼルの右手にあるものが、きらりと光った。知らないブレスレットと――あの銀の箱。
「わかった、貰う。そろそろ実験結果も出たはずだからさ。向こうで食べるよ」
どこで食べてもいい。けど、けど。
「……どうぞ」
レテはもう、焼き菓子どころじゃなかった。どうして、どうして今それを。
手元にあるあのオルゴール。見間違えるはずのない、ゼル自身が施した銀細工。
(どうしてそれを、今も持っているの)
ちりちりと、焦がしすぎた砂糖のように、胸の奥を奇妙な色で塗り潰していく。世界でゼルと、レテだけが持つ、たった二つのオルゴール。同じ曲を奏でる箱。
同じ細工の箱は、レテの自室に大事にしまってある。教授にも学友にも言っていない、レテの特別と秘密。そして過去。傷。あるいは罪。
――まさかこんなことになるなんて思わなかったんだ。
本当は自分のせいで、それなのに、ちょっとは彼のせいだと思っている。オルゴールの銀細工を通して、レテのそんな本心が透けてしまいそうで。だからぜんまいを回すのが怖くなった。代わりに、あの曲を覚えたんだ。
大好きで、思い出だったから。自分“だけ”の。
(あのとき僕が、もう駄目だって思っちゃったから)
だから一度の異常は、ずっとの異様になってしまった。消えない罪が焼け焦げて、そのまま凍り付いている。レテが、ゼルをあんなふうにした。
いまのゼルが、あんな流水の中で生きているのは。かつてのレテが、互いの未来を信じていなかったからだ。