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SHINJITE [1] 被験体No.11

「首でいいの?」
「構いません」
 ゼルの問いに即答して、クラウツは己の首筋を指す。フォークによく似た小さな刃、その矛先を。
 ゼルの手にある発明品は食器ではなく、フォークの刃先を長く鋭く伸ばしたものだった。飛び道具でも武器でもなく、魔導師専用の実験器具だ。暫定的に「改造フォーク」と呼ばれている。魔導師を傷つけられるよう加工したものに改造を重ねて、より深い干渉を可能にしたものだ。こういう実験器具の解説書は、ゼルの頭の中にしかない。
 よってクラウツにその原理はわからない。が、とにかく今回は、この改造フォークを魔導師に刺す実験らしい。それにより、被験体であるクラウツの身体に起きたことが分かるのだという。

 目当ては魔導師の体内、全身を巡っている“ルーン基”だ。そこに長いフォークの先端が届けば、刺す部位はどこでもよかった。もちろん首でなくてもいいのだが。
「わざわざ袖を捲ってまで寒い思いをしたくはないでしょう」
 というのがクラウツの言い分だ。ゼルが返した「フォークが首に刺さってるように見えるだろうね」という冗談も、曖昧な笑いでいなしてみる。
「それは腕や肩でも同じでは?」
「ま、君がいいならいいや。ちょっと動かないでね」
 がつんと、衝撃がきた。視界が揺れる。フォークは容赦なく首に突き立てられ、ルーン基を、魔導師の本質を、抉る。痛みにぐらつく身体を理性で支えた。

 ――ルーン基。ゼルの研究対象。魔導師の身体を巡る魔力の源だと言われ、しかしその詳細は判明していない。魔導師はみな、ルーン基という骨に似た中枢を、その流れを感覚でしか知らないのだ。だからこそ、こうして調べている。
 魔導師が、人間とどう違うのか。魔導師とは何か。それこそが「ゼル博士」の続ける研究で、彼の興味が行き着く果てだ。

「前の事件で君にあったこと、情報として見せてもらう」
 少し前の話だ。遠い村に遠征調査に行った際、クラウツは異様な事件に遭遇した。現地にいたらしい魔導師が邪悪な気配に狂わされ、村の人間を巻き込んで恐ろしい儀式を行っていたのだ。

 今回の実験において、ゼルの目当ては事件の元凶だ。人間には決して見つけられず、限られた魔導師しか知らない邪霊。謎だらけのゴースト――現場でも、他の魔導師はあの異形を感知していなかった。

 一番強く接触したとみられる者のルーン基から、その情報を聞き出そうとしている。今回の場合は、儀式の痕跡を浄化した魔導師。都合のいいことに、その役割を担ったのは日頃から被験体をしている自分だったのだ。

「一応聞くけど、平気だよね」
「ご覧の通り」
 魔導師にとって、ルーン基に干渉される感覚は、言葉にできない痛みと苦しみ、そして恐怖と混乱だ。すべての感覚を振り回されて、気が狂いそうになる。命を直接触られているようなものだ。

 狂わないでいられるのは耐えているからだ。並の魔導師には無理な話だが、クラウツは違った。耐久力あっての被験体だ。
 ――たとえば、同格の強さを持つリナやキャロ辺りでも、この実験を受けやしないだろう。他のどんな一流の者でも。膨大な魔力を持て余す少年王オズでさえ。
 今この国で、ルーン基解明の被験体という役割に動機を持つのはクラウツだけだ。

 笑ったことに気づかれはしなかった。ゼルは真剣に改造フォークの変化を観察している。一見ではわからない特別な魔法回路が組み込まれているのだろう。回路から「ルーン基の情報」を読み取っているのだ。
 ゼルの表情が熱意を物語る。彼の精密な思考は静謐な水面と同じく常の通りで、苦痛に濁らされたこちらとは正反対だなと思う。

 実験に夢中なまま、博士はこんなことを言った。
「君――ゴーストと交戦した?」
「出現箇所を浄化しただけと、以前から申し上げていますが」
 事件の内容はそう報告していた。現地の魔導師が命を落としていたこと、村に居た人間が多く巻き込まれたこと。痕跡を、残らず浄化したこと。それだけのはずだ。交戦したとは一言も言っていない。

「クラウツ」
 じっとりと視線が問う。冷たく冴え渡った、凍った空のような色の瞳が、こちらを疑っている。クラウツの名前を呼ぶ声に呆れを乗せて、他には言葉がない。研究者は、被験体の状態から確信しているのだろう。これ以上どう誤魔化したって変わらない。
 ――嘘はとっくにバレている。
 邪な存在と直接戦って、勝って、消滅させていた。なんてことは、誰にも言っていないし、言うつもりもなかったのだが。

「貴方だけの事実にしておいてくださいませんか」
 仕方なく事実を認めると、頷き一つで返事をされた。許す言葉もなければ、ゴーストとの邂逅を隠す、その嘘を咎められることはなかった。

 ゴーストとは、人間を苦しめ、魔導師をも狂わせる怪異“のようなもの”だ。それ以外のことは詳しくはわかっていない。この「ゴースト」という仮称も、先行研究者の手記から引用したものだ。
一部の魔導師しか知らない、恐ろしい何か。物体なのか、現象なのかすら判明していない。それらが「在る」ことですら、世の人は知らない。知られざるもののまま葬り去るべきだ。

 ――この見解について、同意を示されたことこそなかったが。目の前にいるゼルもまた、ゴーストという概念を知りながら、その存在を秘めている。

「あと、残ってる魔力波形の吸い出しには時間がかかるんだ。その間どこで何しててもいいけど、僕が拾いに来るまで勝手に抜いたりしないでね」
「ゼル」
「こっちも時間潰してくる」
 まだ動けないクラウツに構わず、ゼルは実験場を後にしてしまう。歩みを止めようとしない姿勢はとても好ましいが、それにしたってせわしない。

 確かに、実験場に留まる理由はないだろう。なんとか立ち上がって、部屋の隅へと壁伝いに向かう。広々とした実験室の端に、簡素な扉があった。体重を預ければ簡単に開く。
 その先は物置部屋だ。ゼルが解明して興味を失い、そのまま放置されたものたちを詰め込んだ場所。

 かつては目新しい謎だったものから、最初から触れられず捨て置かれているものもある。
 そう狭い部屋ではないのだが、テーブルに収まりきらない品々が場所を奪っている。一人分のベッドを置く空間すら残っていないだろう。
 ずいぶん前にここにあったランプを勝手に開封したが、怒られるどころか気づかれもしなかった。そういうものしか置かれない場所だ。

 人はがらくたと呼ぶ、手入れもされていなければ覚えられてもいないものたち。今明かりをつけた、件のランプだってそうだ。いかにも贈答品といった飾りを眠らせて、ただの光源として役立ってくれている。
 椅子とブランケットまで放置されているものだから、ゼルの物置はクラウツにとって丁度いい休憩所になっていた。居心地は、人目のない書庫に似ている。ここに本が一冊もないのが惜しいくらいだ。――それはクラウツが持ち去ったせいなのだが。

 ひとつ思いつく。改造フォークの痛みが引いて、まともに動けるようになったら、一度魔導師たちの談話室へ向かおう。まだ読んでいない本が増えていたはずだ。そうしたら戻ってこよう。ゼルが戻るまで待っていよう。
 彼にしかわからない仕組みが、新たな発見をもたらすまで待っていよう。
 
 クラウツは、ゼルの探究者たる熱を信頼している。探究者は思考を止めない。倫理や情に彼は止められない。誰よりも真っ直ぐに向かい、いつか果てに辿り着くだろう。そのために手を組んだ。彼に従うわけでも尽くすわけでもない。

 ゼルこそがルーン基を解明して、魔導師の真実を解き明かしてくれるのだと、ただクラウツは信じている。
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