wonderland code
グラン・アカデミーでは、古い書物が埃をかぶることはない。何を調べるにも快適な環境だ。図書館に通い始めてよく分かった。
レベッカの目的、すなわちミランダからの命令のうち、手近なものは「禁器探し」だった。他のもの――「人探し」とは違って明確な範囲があり、かつ「アカデミーの卒業」とも違い今すぐ取りかかれたからだ。
とはいえ、ミランダの指示は言葉だけ。それらの詳細は知らされていない。調べものをするにも「そもそも禁器とは何か?」という疑問から出発しなければならなかった。
さて、調べた結果と情報の照合を経て、レベッカが出した結論はこうだ。禁器とは、まがまがしい効力がある、存在すら世間に知らされない特別な物品のこと。いわゆる、いわくつきの宝飾品や武器、道具。中でも、伝え語りがついてくるようなもの、だ。文献などに残されたそれらの言い伝えはとりわけ、石を使った品物に宿ることが多い。
それからまた図書館に籠り、数々の本や資料から、レベッカはひとつの糸口を掴んだ。学園から離れた火山地域で採れるという、黒曜石だ。
黒曜石の産地――火山に近い小さな村。目指すのは、山と同じ名を冠する遺跡だ。といっても、目当ては石そのものではない。禁器に繋がる手掛かりだ。遺跡には石の利用について書き残されている壁画があるという。遺跡に残されたのに、書物に写されることはなかった何かが、そこに。
「行ってみないとわからないか」
その地を訪ねたとして、全てを紐解くには至らない。けれどこのまま文字を漁り続けるより、見て聞いて触れる方が得るものは多いはずだ。きっとそのためにこそ、レベッカは学園へ送られたのだ。
というわけで、今は二人で馬車に揺られている。協力者クラウツと共に、学園から離れた村へ向かっているのだ。
本来教授であるクラウツには、「貴方は“出席していない人リスト”に載り続けるつもりですか」などと小言で刺されてしまった。サボりに関しては事実なので仕方がない。だがレベッカとしては、できることに手を付けたかったのだ。単位を取ることもまた、ミランダの指示であることはわかっているが――。
――そもそもこの学者は、ミランダの何なのだ? 未だ明かされぬ繋がりの糸と風の音を浴びて思いを馳せた。
今、レベッカがクラウツと共に座っているのは、高速馬車と呼ばれる交通機関だ。御者が駆る馬は、過去の魔導師が育て上げたという特殊な種。この国を十字に貫く大道路をゆく、多くの人が親しむ移動手段だ。
本来は公用で他の客もいるはずだが、今ここには御者と合わせて三人しかいない。これは値の張る個人用のものだった。彼が味方でいる限り、任務に関して金に困ることはないだろう。アカデミー特命教授。そんな協力者の身分が思わぬところで役に立った。
「石とか遺跡についてもあんたは詳しいのか?」
「ほどほどには。例えば――」
レベッカの何気ない質問がきっかけだったが、いつのまにか会話が弾んでいた。学者曰く、目的地周辺の地域は村どころか地域全体が黒曜石で栄えたのだという。
「飾りだけが石の使い道ではありません。石器という表現を聞いたことがありますか?」
つまり、この地域では、日用品の刃物から祭祀用具まで、多くの道具が石で作られているのだ。出来のいい石は他の物資との取引材料にもなる。
「元々黒曜石の産地ですから、周囲の町との交流も盛んでしょう。その足掛かりとして村に立ち寄る人々も多いようです。村にいる魔導師を訪ねる者もいると聞きました。こちらに関しては、同じような例はよくあります。人間が多く暮らすところに魔導師も住んでいて、人々を災いから守っている――心当たりはあるでしょう?」
突然こちら側に話を振られたが、すんなりと答えを出すことができた。
「――俺と、冬の館?」
知らない世界が、身近な感覚に繋がっていく。
「ええ。あまり変わったことではありません。目に見える形は違っても、同じ役割を果たしている者は多い――学者として、そう考えています」
語られる知識は複雑なようで軽く、すらすらと頭に入ってくる。彼の流麗で瑞々しい響きは、まるで水を得た魚だ。
「楽しそうだな」
「そう見えますか?」
「そう聞こえた」
素直に返したはいいものの、否定も肯定もされず、気まずくなって目を逸らした。クラウツの声に喜色が乗るところになんて初めて出くわしたものだから、ただただ意外だったのだ。――魔法の授業よりこっちの方が向いているんじゃないか? とも聞いてみたかったが、“出席していない人リスト”の話を蒸し返されたくなかったので断念した。
さて。十字路のどこか、目的地の近くで行きの馬車は止まった。去り際、御者は言い残す。
「最近このへんじゃ、おかしなことが起きてるらしいんだ。噂では遺跡近くの村が霧に覆われて、村から人がさっぱり出てこなくなったんだと」
――人がいなくなれば交易が止まるはずだ。普通ならそんなことがあるわけない。だとしたら、普通ではない状況になっているかもしれない。とのことだった。
「行くなら気をつけなよ、お客様」
馬車を降りて、警告通りだ、とすぐ思った。日常では感じることのない異様な気配がする。霧のかかった方角からだ。予定を変えて、村には寄らずまっすぐ遺跡へ向かうことにした。
「遺跡の場所や霧の原因は――とりあえず探知魔法か?」
「いいえ。一旦、魔法は控えて調べましょう。この霧がなぜ起こっていて、何がどう影響するか――まだわかりませんから」
言いながら、クラウツは腰に提げていたランタンを手に持ち替えた。繊細な装飾と透明な囲いの中で、淡い色の炎が揺れている。このランタン(とは別に専門的な名前があるらしいが、教えてもらえなかった)は改良を重ねた特殊なもので、灯り以外の機能がいくつもあるらしい。例えば魔術や魔力を探したり、硝子部分が鏡に入れ替わったり。他にも色々。これがあれば最低限の探索はできそうだった。
「まずは慎重に探りましょう。調べるのは貴方もお好きでしょう?」
あまり、と返してレベッカは黙る。これから霧の中へ、異変の真っただ中へ向かう――事前調査のない現状は、好き嫌い以前に不得意であった。
息も、気分も苦しくなるような、重く冷たい霧だ。言葉も絡めとられて口数が減る。そんな閉塞感の中、あっけないくらい早く遺跡の入り口までやって来た。
地下にある遺跡は、階段から始まっていた。どこも暗く、土気のにおいがする。小動物や魔物が住み着いていそうな環境だが、生物の存在は感じ取れない。灯りを追って探ると、廊下や部屋のある、建造物のつくりをしていた。
キシキシと奇妙な、闇がこすれるような音がする。邪悪な笑い声にも聞こえて気持ちが悪い。かき消すように強く足音を立てた。「進めそうですか?」と、先行するクラウツから問いかけが飛ぶ。
「いつ引き返しても構いません。異常事態ですので」
確かに、あまり長居したくない空気だ。しかしレベッカには使命があり、そのために解き明かしたい謎がある。遺跡の壁画だけでなく、きっとこの霧の向こうにも。白く霞む視界は、霧が濃くなってきたことを示す。背が震えるのは、温度が下がっているのか、それとも――。
あれから何も語らずに進み、一番奥の部屋と思われる部分までたどり着いた。元凶はこの先だろう。扉の代わりに、視界を遮るほどの霧がこちらを睨んでいた。
「先に様子を見ましょう。心の準備ができてから続いてください」
やけに仰々しい前置きは苛つくほどだった。いったい先に何があるというのか。準備などとっくにできている。躊躇うことなく先を急いだ。
異様な遺跡の最奥に、覚悟もなく。
――乱れ狂った知らない息。踏み込む二人分の靴音。死臭と血のにおい。規則正しく並べられた人の屍。どれも、胸には尖った黒い石が突き立てられていた。想像にもなかった、奇妙な光景に、足が止まる。
人の気配はある。「まだ、まだなの」と繰り返し呟くひとりが生きていて、それ以外は死んでいた。生きている人間――若い男は黒いナイフで死体を刻む。肉を抉る音がはっきりと聞こえる。
部屋の四隅には、光源となる松明が固定されていた。中央には魔法陣。その中心は大きな布で隠されている。どこかでみた様式、けれどもその正体を考えるような状況ではなかった。
「なんだ、これ」
レベッカが部屋を確認する間に、クラウツは既にナイフを持った男へと飛び出していた。
「ねえ、まだ、まだ、たりないの」
「大丈夫です。大丈夫。いまはこちらを向いて」
言い聞かせながらも、刃物ごと手を握って、無理やりに暴挙を止める。
「私がなんとかします。だから大丈夫。まずは離れて。ここは危ないから、貴方は霧の外で待っていて」
囁きは宥めるようで、騙すようでもあった。男の手を取り、クラウツは部屋の出入口――レベッカの元まで戻ってくる。まだ、ついていけてない自分のもとに。
「わかったのか、これ」
動けないままに聞く。霧のこと、現状が何か、わかったのか。すべてを知りたい問いかけが、わずかな言葉にしかなってくれない。
「――今は彼を頼みます。この霧が届かないところまで連れていって、できれば休ませてください。私が合流するまで、片時も離れないで」
有無を言わせない声色だった。頷いて、人間ひとりとランタンとを受け取る。
左腕でその身体を抱えると、彼の手にはまだナイフがあった。茫然自失といった様子でも、握って離さないままの武器。レベッカは少し考えて、ナイフを奪わないことを選んだ。
最奥の一室から脇目も降らずに歩く。遺跡の外まで来ると、空気が随分まともなものに感じられた。若者は、どうにか歩くことはできるようだった。会話は無理そうだ。とりあえず肩を貸す姿勢になり、そこで余計にナイフが気にかかる。柄を強く握りしめる彼の手を、自分の手で撫でるように包んでみた。「大丈夫だ」と、見よう見まねで声もかけて。
まずは村へ寄った。まだ霧が残っていた。村人は確かめるまでもなく、だめだった。村を外れた辺りで、ようやく霧から逃げ切ることができた。休めそうな場所もすぐに見つかった。
――小綺麗な家があったのだ。玄関に術の痕跡があり、住人は魔導師なのだとわかる。けれど、主に来客を報せるための術は、壊れて、止まっている。
レベッカは遺跡の惨状を思い出した。あの忌まわしい光景、魔法陣の中心に、不自然に綺麗で大きな布が落ちていたのだ。血の跡も、着ていた者の身体も残っていない衣服が。ということは。
(あれは死んだ魔導師のローブで、ここはそいつの家だ)
霧も、死体も、何か大がかりな魔法によるもの。この魔導師が関わっていたはずだ。「借りるぞ」と亡き家主に声をかけ、レベッカは扉を開けた。
寝室に直行し、預かった人間を横たえる。彼に魔法を使おうとしたが、うまくいかない。魔導師なら誰だってできる、力を纏める動作に集中できないのだ。あの得体のしれない霧が、レベッカまでも弱らせている。
――少し休んで、気力を取り戻さなければ。
幸い、あの軋むような音からは解放されている。遺跡から彼を引き剥がしたことで、最悪の事態が回避されたのかもしれない。
見慣れぬ壁に背中を預ける。さっきよりもずっと、音が減っていた。静けさは「絶えている」ことを示すから恐ろしい。逆に、耳元を脅かす嫌な感じも過ぎ去って、やっと落ち着いたとも思える。わずかに見出した安らぎに、埋もれようとして目を閉じる。自然と動く力が湧くのを待った。
レベッカがなんとか回復し、最小限ながら癒しの魔法に成功したころ。玄関先でベルが鳴った。続いて、扉を叩く音。控えめながら確かな音は、確信の先でこちらを動かすためのもの。クラウツだろう。戸を開ける前からそれがわかった。遺跡の後始末がひと段落したのだ。
名も知らぬ魔導師のリビングで、お互いにわかったことを話し合う。といっても、レベッカは連れてきた人間や村の様子を話しただけで、すぐクラウツ側の話を聞く番になった。
悪しき霧の元凶は、やはり遺跡最奥の部屋にあった。人間の彼を外に出したことにより霧の発生は止まったが、後で遺跡そのものの浄化が必要になるらしい。クラウツは真剣な面持ちで語る。
「あの場所で魔導師が儀式を行っていたのは間違いありません。ただ、術に狂いが生じていました。手順や様式を違えた儀式は災いを招く――そういった手違いが起こったのでしょう。壊れた儀式がきっかけで霧に邪なものが入り込み、術者も対処しきれず、命を落としてしまった……と、考えられます」
複雑な魔法陣の中心に落ちていたローブ。その布が覆い隠していた持ち物を全て探っても、本人の署名はなかったという。名を書き残すのが間に合わなかったのだ。
儀式とは本来、たくさんの手間をかけて準備し、厳格な決まりに従い、段取りを守って行うものだ。いくら魔導師でも簡単には扱えない。正しく行われなかった儀式は、恐ろしい災いを招くから。
アカデミーで魔術の雑学として聞いた話だ。術者は複雑な準備の全てを整え、関わった者の全てを背負う。それが儀式だと。
ならば、今回の魔導師がこの手段を選んだのは決死の判断だったろう。けれど。レベッカは察し、だからこそ、気にかかる。
――村の人を助けたかった魔導師が、人間を巻き込む儀式なんて実行するものだろうか?
考え込むレベッカに対して、クラウツは突然話題を変えた。
「彼をどうしますか?」
彼、とは、今は寝室で眠る人物のことだ。何かに取りつかれたようにナイフを握りしめ、レベッカに連れ出された人間。この村唯一の、生き残り。
「平和な暮らしにかえしたい」
考えるまでもなかった。当たり前。だが、クラウツの返事がくるまで、呼吸二つほど待たされた。赤い瞳が張り巡らせる思惑は、そう単純ではなく。
「遺跡に亡骸が並べられていたのを覚えていますか? 胸を黒曜石で刺されていた者たちです。人々は、供物として捧げるため殺されていました」
想像のつく話だ。あれらも村人であるなら、彼は知り合いを手にかけた可能性も高い。
「あのナイフを握っていたのは彼自身です。彼は確かに犠牲者を出していた。儀式にも深く関わっていたことでしょう。……亡くなった術者にも。それでも、貴方の考えに変わりはありませんか?」
――ひとりになってしまったのに。と付け足された呟きを、確かに聞いた。別の選択を考えていたと、知ってしまったから、もうその瞳を見れなくなった。
「わからないわけじゃ、ない。あんたの言いたいことも」
視線を落とした先で、拳を握りしめて答える。
「たしかにこの村のことはもう取り返しがつかない。でも、あいつだけでも遅くはない」
霧のせいで村は壊滅している。頼る者はもういない。それでも。
「生きていけるところに、連れていきたい。生きてていいはずだ」
――それでもまだ息づく命に、手を貸したい。
聞くや否や、クラウツがすっと立ち上がる。宙をすべる指先が、いくつもの魔法を動かした。
「行き場を見つけるなら伝手はあります。この手の事情でしたら私の知り合いが力を貸してくれるでしょう」
発動したもののうち、三つほどは伝令魔法のようだった。メッセージを特定の魔導師に飛ばす魔法。他にもいくつか補助魔法の光が見えたが、レベッカの目では追いきれなかった。
「ただ、すぐにとはいきません。話をつけるまで、彼のことをお願いします」
と言うと、クラウツはいくつもの手配を済ませていく。レベッカには彼が誰と何をやりとりしていたかよくわからなかった。だが、彼の飛ばした伝令魔法の形が目に残った。よくある鳥や蝶といった生き物の姿ではなく――とても見たことのある、花びらの輪郭をしていた。
さて、手配されたもののうち、レベッカが使うことになったのは馬車と宿である。クラウツとは既に別行動だ。行きと同じような個人用馬車で、二人部屋が予約された最寄りの宿へと向かう。
任された人間――生き残りは何度か目を覚ましたが、ひどく消耗しているようで、虚ろな目のまますぐ眠ってしまった。レベッカの目下の使命は、彼の命を繋ぐことだった。
宿屋に泊まりながら、術を交えた看病をすることにした。といっても、容体のよくない人間を治す魔法があるわけではないし、レベッカが使える癒しの術は初歩中の初歩といっていい。対象の周囲にある気配を優しいものにして、ゆっくり休ませるもの。無害な魔力を傍で動かすことにより、対象の身体から他の魔法の影響を追い出すもの。効果があったかどうかもわからない。それでも、彼が死なないように尽くした。
きっと、だからこそ生きてくれた。最初は心ここにあらずといった様子だった患者が、少しずつ動く力を取り戻してくれた。彼と会話を交わせるまでに、何度寝て起きたかもうわからなかった。
その後。あの出来事について聞く機会もあった。生き残りの男はライオと名乗った。記憶ははっきり残っているようだった――儀式の途中まで。
「僕とあの人がやろうとしたことは、違うんだ。こんなはずじゃなくて。僕たちの石を、守ろうとしたはずで――」
そもそも、最初の異変は霧ではなかったのだ。村の名産である黒曜石に、おかしなことが起きたという。触れた人間が倒れたり、突然熱くなって火傷を起こしたり。
「その原因が遺跡にあるって、“血の乾かぬ方”が、妙な気配がすると教えてくれて――」
ライオが“血の乾かぬ方”と呼ぶのは、この村を守っていた魔導師だという。随所で聞く魔導師そのものの別名を、そのまま通名にしていたようだ。件の儀式を行ったのは、やはりその人物であった。魔導師はライオと共に石の異常を調べ、解決するために動き出したのだ。
「二人で必死に準備して、僕も言う通りにしたはずだったんだ。明かりに火をつけるとか、遺跡を掃除するとか。それなのに、なんで霧が出てきて――なんで、僕が人を刺していたのか、わからない」
黒い刀身に、揺れる瞳が映っている。このナイフもまた同じ石で作られていた。かつて“血の乾かぬ方”から受け取った、大切なものだという。
「でも、僕が、償わなきゃ」
そうでしょう。見上げられて、レベッカは黙り込む。
どうしても頷けなかった。
術者が死んだ以上、儀式の真実はわからない。今わかるのは、彼らの行いが村に滅びをもたらしたという結末だけ。だが、誰かに原因があるとしたら、呪物や手順を違えただろう“血の乾かぬ方”が責任を負うべきだ。同じ魔導師として、レベッカに他の結論を出す気はない。
しかし、そんなことをライオに――当の魔導師を慕う人間に知らせるのは酷だ。忌むべき事実に耐えられないのは誰だってそうだ。レベッカが、ミランダの過去、真実を知りたくないように。
ライオに向き合う。何かを言わなければ。慎重に。彼の立場が自分なら、何を言われたらいいだろうか。これまで貰ったもので、助かったのはどれだろう。刺さないように言葉を選ぶ。遺跡に置き去りにされた亡骸のようにはさせない。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。だから、これからのことは、これから、また考えよう。――俺も、手伝うから」
添えたのは、慣れないままの、不器用な導きだった。
結局そのままでは間がもたず、「空気でも変えるか」と言って立ち上がる。窓を開けると、澄んだ風が吹き込んできた。宿は丘の上にあり、宿場町を一望できる。あの村もきっと晴れていることだろう。
そういえば。儀式を取り巻く悲劇に遭って、壁画の調査どころではなくなってしまった。もう一度見に行くことは叶うだろうか? いや、違う。
(きっと、「そう」じゃない)
レベッカには確信があった――次はもっと他に、進むべき「先」があると。禁器に繋がる糸口を見に行って、壊れた儀式がもたらす惨劇を見た。謎の手掛かりを追いかけた先にあった、別の謎。であれば、「別の謎」そのものが「手掛かり」だ。
魔導師レベッカの在り方も、きっと、全ての謎を超えた向こうに。眩しい青空から、未来へ誘う予感が聞こえていた。
■◇◇■◇◇◇◇
ライオが正気を取り戻すより前。
知人に連絡を飛ばしてレベッカたちを送り出した後。クラウツは遺跡に戻ってきていた。調査のし直しと本格的な後始末のためだ。村の方へ広がった霧は風が晴らすだろうが、元凶の根城はそうはいかない。
――生きていけるところに、連れていきたい。
レベッカの答えは、理想で模範だった。人間を守る判断ができる、役割通りの魔導師。あんな任務にはふさわしくないほどに。
彼は真実を知らない。知らせるわけにはいかないはずだ。あの儀式には、この遺跡には、居た。魔導師を壊し、人間を狂わせ、邪悪な霧を広げたものが。感覚で捉えるべきではないものが。村を救うために行われた儀式に乗じて、真逆の結果をもたらした根源が。
儀式に使われた魔法陣を消す。上書きしない程度の魔力で、中和していく。知る限りの浄化術が規定する呪文を、薄く長い息で静かに唱える。ひどく寒かった。
部屋を塗り潰していた霧と血の気配が消え、元の壁がやっとあらわになる。壁画は随分と難解だ。一見して意味が分かるものでもないだろう。道理で書物には伝わっていないはずだ。
遺跡が示すものを読み解けたとして、真実に辿り着いた者を待つのは――。クラウツは呪文を続けた。
自分たちにできることといえば、歪んだ儀式の痕跡を打ち消すくらいだ。いつかこんな浄化の手筈を、彼に教えることになるのだろうか。
儀式を狂わせた元凶は、言い方によっては確かに、禁器とも近い存在だろう。だが、禁器とは禁忌に関わる器のことだ。人間ならばたやすく死に至る程の毒。並の魔導師でも蝕まれる存在。なればこそ禁忌とされたものだ。レベッカが、その狂気に耐えうるとは思えない。こんなおぞましいものに彼を近づけて、どうしたいというのか。
これが、ただレベッカを自分のもとに寄越すだけなら納得がいく。彼を託すだけならば、クラウツだって快く頷くだろう。だというのに、わざわざその目的に禁器研究を置いたことがわからない。彼女に限って、理由がないことはないだろう。けれど、いったいどんな理由があれば、こんな未来を彼に翳せる?
――魔導師として真っ当な感性を持つレベッカを、ミランダはなぜ、真逆の存在である禁器に向かわせた?
「ミランダ様、いったい貴女は、何を望んで――」
人の血が残る儀式跡に、女王からの答えはない。
レベッカの目的、すなわちミランダからの命令のうち、手近なものは「禁器探し」だった。他のもの――「人探し」とは違って明確な範囲があり、かつ「アカデミーの卒業」とも違い今すぐ取りかかれたからだ。
とはいえ、ミランダの指示は言葉だけ。それらの詳細は知らされていない。調べものをするにも「そもそも禁器とは何か?」という疑問から出発しなければならなかった。
さて、調べた結果と情報の照合を経て、レベッカが出した結論はこうだ。禁器とは、まがまがしい効力がある、存在すら世間に知らされない特別な物品のこと。いわゆる、いわくつきの宝飾品や武器、道具。中でも、伝え語りがついてくるようなもの、だ。文献などに残されたそれらの言い伝えはとりわけ、石を使った品物に宿ることが多い。
それからまた図書館に籠り、数々の本や資料から、レベッカはひとつの糸口を掴んだ。学園から離れた火山地域で採れるという、黒曜石だ。
黒曜石の産地――火山に近い小さな村。目指すのは、山と同じ名を冠する遺跡だ。といっても、目当ては石そのものではない。禁器に繋がる手掛かりだ。遺跡には石の利用について書き残されている壁画があるという。遺跡に残されたのに、書物に写されることはなかった何かが、そこに。
「行ってみないとわからないか」
その地を訪ねたとして、全てを紐解くには至らない。けれどこのまま文字を漁り続けるより、見て聞いて触れる方が得るものは多いはずだ。きっとそのためにこそ、レベッカは学園へ送られたのだ。
というわけで、今は二人で馬車に揺られている。協力者クラウツと共に、学園から離れた村へ向かっているのだ。
本来教授であるクラウツには、「貴方は“出席していない人リスト”に載り続けるつもりですか」などと小言で刺されてしまった。サボりに関しては事実なので仕方がない。だがレベッカとしては、できることに手を付けたかったのだ。単位を取ることもまた、ミランダの指示であることはわかっているが――。
――そもそもこの学者は、ミランダの何なのだ? 未だ明かされぬ繋がりの糸と風の音を浴びて思いを馳せた。
今、レベッカがクラウツと共に座っているのは、高速馬車と呼ばれる交通機関だ。御者が駆る馬は、過去の魔導師が育て上げたという特殊な種。この国を十字に貫く大道路をゆく、多くの人が親しむ移動手段だ。
本来は公用で他の客もいるはずだが、今ここには御者と合わせて三人しかいない。これは値の張る個人用のものだった。彼が味方でいる限り、任務に関して金に困ることはないだろう。アカデミー特命教授。そんな協力者の身分が思わぬところで役に立った。
「石とか遺跡についてもあんたは詳しいのか?」
「ほどほどには。例えば――」
レベッカの何気ない質問がきっかけだったが、いつのまにか会話が弾んでいた。学者曰く、目的地周辺の地域は村どころか地域全体が黒曜石で栄えたのだという。
「飾りだけが石の使い道ではありません。石器という表現を聞いたことがありますか?」
つまり、この地域では、日用品の刃物から祭祀用具まで、多くの道具が石で作られているのだ。出来のいい石は他の物資との取引材料にもなる。
「元々黒曜石の産地ですから、周囲の町との交流も盛んでしょう。その足掛かりとして村に立ち寄る人々も多いようです。村にいる魔導師を訪ねる者もいると聞きました。こちらに関しては、同じような例はよくあります。人間が多く暮らすところに魔導師も住んでいて、人々を災いから守っている――心当たりはあるでしょう?」
突然こちら側に話を振られたが、すんなりと答えを出すことができた。
「――俺と、冬の館?」
知らない世界が、身近な感覚に繋がっていく。
「ええ。あまり変わったことではありません。目に見える形は違っても、同じ役割を果たしている者は多い――学者として、そう考えています」
語られる知識は複雑なようで軽く、すらすらと頭に入ってくる。彼の流麗で瑞々しい響きは、まるで水を得た魚だ。
「楽しそうだな」
「そう見えますか?」
「そう聞こえた」
素直に返したはいいものの、否定も肯定もされず、気まずくなって目を逸らした。クラウツの声に喜色が乗るところになんて初めて出くわしたものだから、ただただ意外だったのだ。――魔法の授業よりこっちの方が向いているんじゃないか? とも聞いてみたかったが、“出席していない人リスト”の話を蒸し返されたくなかったので断念した。
さて。十字路のどこか、目的地の近くで行きの馬車は止まった。去り際、御者は言い残す。
「最近このへんじゃ、おかしなことが起きてるらしいんだ。噂では遺跡近くの村が霧に覆われて、村から人がさっぱり出てこなくなったんだと」
――人がいなくなれば交易が止まるはずだ。普通ならそんなことがあるわけない。だとしたら、普通ではない状況になっているかもしれない。とのことだった。
「行くなら気をつけなよ、お客様」
馬車を降りて、警告通りだ、とすぐ思った。日常では感じることのない異様な気配がする。霧のかかった方角からだ。予定を変えて、村には寄らずまっすぐ遺跡へ向かうことにした。
「遺跡の場所や霧の原因は――とりあえず探知魔法か?」
「いいえ。一旦、魔法は控えて調べましょう。この霧がなぜ起こっていて、何がどう影響するか――まだわかりませんから」
言いながら、クラウツは腰に提げていたランタンを手に持ち替えた。繊細な装飾と透明な囲いの中で、淡い色の炎が揺れている。このランタン(とは別に専門的な名前があるらしいが、教えてもらえなかった)は改良を重ねた特殊なもので、灯り以外の機能がいくつもあるらしい。例えば魔術や魔力を探したり、硝子部分が鏡に入れ替わったり。他にも色々。これがあれば最低限の探索はできそうだった。
「まずは慎重に探りましょう。調べるのは貴方もお好きでしょう?」
あまり、と返してレベッカは黙る。これから霧の中へ、異変の真っただ中へ向かう――事前調査のない現状は、好き嫌い以前に不得意であった。
息も、気分も苦しくなるような、重く冷たい霧だ。言葉も絡めとられて口数が減る。そんな閉塞感の中、あっけないくらい早く遺跡の入り口までやって来た。
地下にある遺跡は、階段から始まっていた。どこも暗く、土気のにおいがする。小動物や魔物が住み着いていそうな環境だが、生物の存在は感じ取れない。灯りを追って探ると、廊下や部屋のある、建造物のつくりをしていた。
キシキシと奇妙な、闇がこすれるような音がする。邪悪な笑い声にも聞こえて気持ちが悪い。かき消すように強く足音を立てた。「進めそうですか?」と、先行するクラウツから問いかけが飛ぶ。
「いつ引き返しても構いません。異常事態ですので」
確かに、あまり長居したくない空気だ。しかしレベッカには使命があり、そのために解き明かしたい謎がある。遺跡の壁画だけでなく、きっとこの霧の向こうにも。白く霞む視界は、霧が濃くなってきたことを示す。背が震えるのは、温度が下がっているのか、それとも――。
あれから何も語らずに進み、一番奥の部屋と思われる部分までたどり着いた。元凶はこの先だろう。扉の代わりに、視界を遮るほどの霧がこちらを睨んでいた。
「先に様子を見ましょう。心の準備ができてから続いてください」
やけに仰々しい前置きは苛つくほどだった。いったい先に何があるというのか。準備などとっくにできている。躊躇うことなく先を急いだ。
異様な遺跡の最奥に、覚悟もなく。
――乱れ狂った知らない息。踏み込む二人分の靴音。死臭と血のにおい。規則正しく並べられた人の屍。どれも、胸には尖った黒い石が突き立てられていた。想像にもなかった、奇妙な光景に、足が止まる。
人の気配はある。「まだ、まだなの」と繰り返し呟くひとりが生きていて、それ以外は死んでいた。生きている人間――若い男は黒いナイフで死体を刻む。肉を抉る音がはっきりと聞こえる。
部屋の四隅には、光源となる松明が固定されていた。中央には魔法陣。その中心は大きな布で隠されている。どこかでみた様式、けれどもその正体を考えるような状況ではなかった。
「なんだ、これ」
レベッカが部屋を確認する間に、クラウツは既にナイフを持った男へと飛び出していた。
「ねえ、まだ、まだ、たりないの」
「大丈夫です。大丈夫。いまはこちらを向いて」
言い聞かせながらも、刃物ごと手を握って、無理やりに暴挙を止める。
「私がなんとかします。だから大丈夫。まずは離れて。ここは危ないから、貴方は霧の外で待っていて」
囁きは宥めるようで、騙すようでもあった。男の手を取り、クラウツは部屋の出入口――レベッカの元まで戻ってくる。まだ、ついていけてない自分のもとに。
「わかったのか、これ」
動けないままに聞く。霧のこと、現状が何か、わかったのか。すべてを知りたい問いかけが、わずかな言葉にしかなってくれない。
「――今は彼を頼みます。この霧が届かないところまで連れていって、できれば休ませてください。私が合流するまで、片時も離れないで」
有無を言わせない声色だった。頷いて、人間ひとりとランタンとを受け取る。
左腕でその身体を抱えると、彼の手にはまだナイフがあった。茫然自失といった様子でも、握って離さないままの武器。レベッカは少し考えて、ナイフを奪わないことを選んだ。
最奥の一室から脇目も降らずに歩く。遺跡の外まで来ると、空気が随分まともなものに感じられた。若者は、どうにか歩くことはできるようだった。会話は無理そうだ。とりあえず肩を貸す姿勢になり、そこで余計にナイフが気にかかる。柄を強く握りしめる彼の手を、自分の手で撫でるように包んでみた。「大丈夫だ」と、見よう見まねで声もかけて。
まずは村へ寄った。まだ霧が残っていた。村人は確かめるまでもなく、だめだった。村を外れた辺りで、ようやく霧から逃げ切ることができた。休めそうな場所もすぐに見つかった。
――小綺麗な家があったのだ。玄関に術の痕跡があり、住人は魔導師なのだとわかる。けれど、主に来客を報せるための術は、壊れて、止まっている。
レベッカは遺跡の惨状を思い出した。あの忌まわしい光景、魔法陣の中心に、不自然に綺麗で大きな布が落ちていたのだ。血の跡も、着ていた者の身体も残っていない衣服が。ということは。
(あれは死んだ魔導師のローブで、ここはそいつの家だ)
霧も、死体も、何か大がかりな魔法によるもの。この魔導師が関わっていたはずだ。「借りるぞ」と亡き家主に声をかけ、レベッカは扉を開けた。
寝室に直行し、預かった人間を横たえる。彼に魔法を使おうとしたが、うまくいかない。魔導師なら誰だってできる、力を纏める動作に集中できないのだ。あの得体のしれない霧が、レベッカまでも弱らせている。
――少し休んで、気力を取り戻さなければ。
幸い、あの軋むような音からは解放されている。遺跡から彼を引き剥がしたことで、最悪の事態が回避されたのかもしれない。
見慣れぬ壁に背中を預ける。さっきよりもずっと、音が減っていた。静けさは「絶えている」ことを示すから恐ろしい。逆に、耳元を脅かす嫌な感じも過ぎ去って、やっと落ち着いたとも思える。わずかに見出した安らぎに、埋もれようとして目を閉じる。自然と動く力が湧くのを待った。
レベッカがなんとか回復し、最小限ながら癒しの魔法に成功したころ。玄関先でベルが鳴った。続いて、扉を叩く音。控えめながら確かな音は、確信の先でこちらを動かすためのもの。クラウツだろう。戸を開ける前からそれがわかった。遺跡の後始末がひと段落したのだ。
名も知らぬ魔導師のリビングで、お互いにわかったことを話し合う。といっても、レベッカは連れてきた人間や村の様子を話しただけで、すぐクラウツ側の話を聞く番になった。
悪しき霧の元凶は、やはり遺跡最奥の部屋にあった。人間の彼を外に出したことにより霧の発生は止まったが、後で遺跡そのものの浄化が必要になるらしい。クラウツは真剣な面持ちで語る。
「あの場所で魔導師が儀式を行っていたのは間違いありません。ただ、術に狂いが生じていました。手順や様式を違えた儀式は災いを招く――そういった手違いが起こったのでしょう。壊れた儀式がきっかけで霧に邪なものが入り込み、術者も対処しきれず、命を落としてしまった……と、考えられます」
複雑な魔法陣の中心に落ちていたローブ。その布が覆い隠していた持ち物を全て探っても、本人の署名はなかったという。名を書き残すのが間に合わなかったのだ。
儀式とは本来、たくさんの手間をかけて準備し、厳格な決まりに従い、段取りを守って行うものだ。いくら魔導師でも簡単には扱えない。正しく行われなかった儀式は、恐ろしい災いを招くから。
アカデミーで魔術の雑学として聞いた話だ。術者は複雑な準備の全てを整え、関わった者の全てを背負う。それが儀式だと。
ならば、今回の魔導師がこの手段を選んだのは決死の判断だったろう。けれど。レベッカは察し、だからこそ、気にかかる。
――村の人を助けたかった魔導師が、人間を巻き込む儀式なんて実行するものだろうか?
考え込むレベッカに対して、クラウツは突然話題を変えた。
「彼をどうしますか?」
彼、とは、今は寝室で眠る人物のことだ。何かに取りつかれたようにナイフを握りしめ、レベッカに連れ出された人間。この村唯一の、生き残り。
「平和な暮らしにかえしたい」
考えるまでもなかった。当たり前。だが、クラウツの返事がくるまで、呼吸二つほど待たされた。赤い瞳が張り巡らせる思惑は、そう単純ではなく。
「遺跡に亡骸が並べられていたのを覚えていますか? 胸を黒曜石で刺されていた者たちです。人々は、供物として捧げるため殺されていました」
想像のつく話だ。あれらも村人であるなら、彼は知り合いを手にかけた可能性も高い。
「あのナイフを握っていたのは彼自身です。彼は確かに犠牲者を出していた。儀式にも深く関わっていたことでしょう。……亡くなった術者にも。それでも、貴方の考えに変わりはありませんか?」
――ひとりになってしまったのに。と付け足された呟きを、確かに聞いた。別の選択を考えていたと、知ってしまったから、もうその瞳を見れなくなった。
「わからないわけじゃ、ない。あんたの言いたいことも」
視線を落とした先で、拳を握りしめて答える。
「たしかにこの村のことはもう取り返しがつかない。でも、あいつだけでも遅くはない」
霧のせいで村は壊滅している。頼る者はもういない。それでも。
「生きていけるところに、連れていきたい。生きてていいはずだ」
――それでもまだ息づく命に、手を貸したい。
聞くや否や、クラウツがすっと立ち上がる。宙をすべる指先が、いくつもの魔法を動かした。
「行き場を見つけるなら伝手はあります。この手の事情でしたら私の知り合いが力を貸してくれるでしょう」
発動したもののうち、三つほどは伝令魔法のようだった。メッセージを特定の魔導師に飛ばす魔法。他にもいくつか補助魔法の光が見えたが、レベッカの目では追いきれなかった。
「ただ、すぐにとはいきません。話をつけるまで、彼のことをお願いします」
と言うと、クラウツはいくつもの手配を済ませていく。レベッカには彼が誰と何をやりとりしていたかよくわからなかった。だが、彼の飛ばした伝令魔法の形が目に残った。よくある鳥や蝶といった生き物の姿ではなく――とても見たことのある、花びらの輪郭をしていた。
さて、手配されたもののうち、レベッカが使うことになったのは馬車と宿である。クラウツとは既に別行動だ。行きと同じような個人用馬車で、二人部屋が予約された最寄りの宿へと向かう。
任された人間――生き残りは何度か目を覚ましたが、ひどく消耗しているようで、虚ろな目のまますぐ眠ってしまった。レベッカの目下の使命は、彼の命を繋ぐことだった。
宿屋に泊まりながら、術を交えた看病をすることにした。といっても、容体のよくない人間を治す魔法があるわけではないし、レベッカが使える癒しの術は初歩中の初歩といっていい。対象の周囲にある気配を優しいものにして、ゆっくり休ませるもの。無害な魔力を傍で動かすことにより、対象の身体から他の魔法の影響を追い出すもの。効果があったかどうかもわからない。それでも、彼が死なないように尽くした。
きっと、だからこそ生きてくれた。最初は心ここにあらずといった様子だった患者が、少しずつ動く力を取り戻してくれた。彼と会話を交わせるまでに、何度寝て起きたかもうわからなかった。
その後。あの出来事について聞く機会もあった。生き残りの男はライオと名乗った。記憶ははっきり残っているようだった――儀式の途中まで。
「僕とあの人がやろうとしたことは、違うんだ。こんなはずじゃなくて。僕たちの石を、守ろうとしたはずで――」
そもそも、最初の異変は霧ではなかったのだ。村の名産である黒曜石に、おかしなことが起きたという。触れた人間が倒れたり、突然熱くなって火傷を起こしたり。
「その原因が遺跡にあるって、“血の乾かぬ方”が、妙な気配がすると教えてくれて――」
ライオが“血の乾かぬ方”と呼ぶのは、この村を守っていた魔導師だという。随所で聞く魔導師そのものの別名を、そのまま通名にしていたようだ。件の儀式を行ったのは、やはりその人物であった。魔導師はライオと共に石の異常を調べ、解決するために動き出したのだ。
「二人で必死に準備して、僕も言う通りにしたはずだったんだ。明かりに火をつけるとか、遺跡を掃除するとか。それなのに、なんで霧が出てきて――なんで、僕が人を刺していたのか、わからない」
黒い刀身に、揺れる瞳が映っている。このナイフもまた同じ石で作られていた。かつて“血の乾かぬ方”から受け取った、大切なものだという。
「でも、僕が、償わなきゃ」
そうでしょう。見上げられて、レベッカは黙り込む。
どうしても頷けなかった。
術者が死んだ以上、儀式の真実はわからない。今わかるのは、彼らの行いが村に滅びをもたらしたという結末だけ。だが、誰かに原因があるとしたら、呪物や手順を違えただろう“血の乾かぬ方”が責任を負うべきだ。同じ魔導師として、レベッカに他の結論を出す気はない。
しかし、そんなことをライオに――当の魔導師を慕う人間に知らせるのは酷だ。忌むべき事実に耐えられないのは誰だってそうだ。レベッカが、ミランダの過去、真実を知りたくないように。
ライオに向き合う。何かを言わなければ。慎重に。彼の立場が自分なら、何を言われたらいいだろうか。これまで貰ったもので、助かったのはどれだろう。刺さないように言葉を選ぶ。遺跡に置き去りにされた亡骸のようにはさせない。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。だから、これからのことは、これから、また考えよう。――俺も、手伝うから」
添えたのは、慣れないままの、不器用な導きだった。
結局そのままでは間がもたず、「空気でも変えるか」と言って立ち上がる。窓を開けると、澄んだ風が吹き込んできた。宿は丘の上にあり、宿場町を一望できる。あの村もきっと晴れていることだろう。
そういえば。儀式を取り巻く悲劇に遭って、壁画の調査どころではなくなってしまった。もう一度見に行くことは叶うだろうか? いや、違う。
(きっと、「そう」じゃない)
レベッカには確信があった――次はもっと他に、進むべき「先」があると。禁器に繋がる糸口を見に行って、壊れた儀式がもたらす惨劇を見た。謎の手掛かりを追いかけた先にあった、別の謎。であれば、「別の謎」そのものが「手掛かり」だ。
魔導師レベッカの在り方も、きっと、全ての謎を超えた向こうに。眩しい青空から、未来へ誘う予感が聞こえていた。
■◇◇■◇◇◇◇
ライオが正気を取り戻すより前。
知人に連絡を飛ばしてレベッカたちを送り出した後。クラウツは遺跡に戻ってきていた。調査のし直しと本格的な後始末のためだ。村の方へ広がった霧は風が晴らすだろうが、元凶の根城はそうはいかない。
――生きていけるところに、連れていきたい。
レベッカの答えは、理想で模範だった。人間を守る判断ができる、役割通りの魔導師。あんな任務にはふさわしくないほどに。
彼は真実を知らない。知らせるわけにはいかないはずだ。あの儀式には、この遺跡には、居た。魔導師を壊し、人間を狂わせ、邪悪な霧を広げたものが。感覚で捉えるべきではないものが。村を救うために行われた儀式に乗じて、真逆の結果をもたらした根源が。
儀式に使われた魔法陣を消す。上書きしない程度の魔力で、中和していく。知る限りの浄化術が規定する呪文を、薄く長い息で静かに唱える。ひどく寒かった。
部屋を塗り潰していた霧と血の気配が消え、元の壁がやっとあらわになる。壁画は随分と難解だ。一見して意味が分かるものでもないだろう。道理で書物には伝わっていないはずだ。
遺跡が示すものを読み解けたとして、真実に辿り着いた者を待つのは――。クラウツは呪文を続けた。
自分たちにできることといえば、歪んだ儀式の痕跡を打ち消すくらいだ。いつかこんな浄化の手筈を、彼に教えることになるのだろうか。
儀式を狂わせた元凶は、言い方によっては確かに、禁器とも近い存在だろう。だが、禁器とは禁忌に関わる器のことだ。人間ならばたやすく死に至る程の毒。並の魔導師でも蝕まれる存在。なればこそ禁忌とされたものだ。レベッカが、その狂気に耐えうるとは思えない。こんなおぞましいものに彼を近づけて、どうしたいというのか。
これが、ただレベッカを自分のもとに寄越すだけなら納得がいく。彼を託すだけならば、クラウツだって快く頷くだろう。だというのに、わざわざその目的に禁器研究を置いたことがわからない。彼女に限って、理由がないことはないだろう。けれど、いったいどんな理由があれば、こんな未来を彼に翳せる?
――魔導師として真っ当な感性を持つレベッカを、ミランダはなぜ、真逆の存在である禁器に向かわせた?
「ミランダ様、いったい貴女は、何を望んで――」
人の血が残る儀式跡に、女王からの答えはない。