寡黙な炎
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エジプトの乾いた夜風が、容赦なく肌を撫でる夜だった。
パチパチと爆ぜる焚き火の揺れる光の中で、なまえの肩はまだ少しだけ震えていた。
─────数時間前。
敵スタンド使いの放った凶刃が、確実に彼女の命を奪うはずだったあの瞬間。
暗闇を切り裂いて、圧倒的な炎が割って入った。
「下がっていろ」
地を這うような、低く、硬い声。
振り返る間もなく、背後から放たれた灼熱が敵の野望ごとすべてを飲み込んでいく。
――守られた。そう理解したのは、熱風が去り、すべてが終わったあとだった。
「怪我はないか?」
目の前に佇む男、モハメド・アヴドゥル。
褐色の肌に、戦士としての鋭い眼差し。だが、私を見下ろすその瞳は、今はひどく穏やかで、酷く静かだった。
「……うん、大丈夫」
辛うじてそう答えたものの、私の胸の奥の動揺は、まったく収まる気配がなかった。
あの絶体絶命の瞬間、アヴドゥルが誰よりも早く、私を“最優先で守ってくれた”という事実が、どうしようもなく甘い熱を持って胸に残り続けていた。
──────
それからというもの、なまえは妙にアヴドゥルを意識してしまうようになった。
隣に座る。肩が触れる。声をかける。
どれも旅が始まった当初と変わらないはずなのに、今の私には、そのすべてが違って感じられた。
(……これ、完全に恋じゃない?)
一度認めてしまえば、あとは早かった。
だから、私は自分から動いた。
──────
「アヴドゥル」
昼下がりの喧騒に包まれた市場。人混みを理由にして、私は彼の大きな手を取った。
「……迷子防止、ってことで」
少しだけ強引に、彼の長い指に自分の指を絡める。
普通の男なら、多少は動揺して顔を赤らめるような場面だろう。けれど――。
「……そうだな。では、私の側を離れるんじゃあないぞ」
響いたのは、いつも通り落ち着いた声。
それどころか、大きな手のひらで、私の手を迷いなくしっかりと握り返してきた。……それだけ。
(えっ、これだけ!?)
何事もなかったかのように前を歩く彼の横顔を見て、心臓が爆発しそうなほど顔を熱くしているのは、私だけだった。
──────
夜、宿に戻ってからも、私は懲りなかった。
共有スペースのソファで彼の隣に陣取り、そっとその太い腕に自分の腕を絡める。
「……寒いから」
砂漠の夜は、確かに凍えるほど冷える。けれど、それは100%言い訳だった。
アヴドゥルは一瞬だけ、視線を落として私を見る。そして、
「……そうだな」
静かに肯定して、私の膝にブランケットをかけてくれるだけ。
動じない。拒みもしないが、これ以上距離を詰めてくる気配もない。
(なにこの人……鉄壁すぎる……!)
──────
それでも、やめられなかった。
触れていたくて、彼の匂いがする近くにいたくて。少しでも自分を意識させたくて。
なのに、彼はいつだって通りで、余裕があって、完璧な大人で。
まるで、私に触れられても何も感じていないみたいだった。
──────
その夜。
宿の裏手、焚き火の明かりから少し離れた暗がりのこと。
「……お前、本当に正気なのか?」
壁に背を預けたポルナレフが、目の前の男に向かって呆れたように問いかけた。
「何がだ?」
腕を組み、いつもの冷静な表情を微塵も崩さないアヴドゥル。
ポルナレフは盛大に肩をすくめ、声をひそめながら詰め寄る。
「何がってよ……なまえのことだよ! あんなに毎日ぴったりくっつかれて、お前、男として何も思わねぇのかよ!」
夜の静寂の中に、数秒の沈黙が落ちる。
アヴドゥルはふう、と深く、重い息を吐き出した。
「……思わないわけがないだろう」
「はぁ!?」
予想外の返答に、思わず素っ頓狂な声を上げるポルナレフ。
アヴドゥルは片手で容赦なく眉間を押さえ、苦しげに声を絞り出した。
「正直に言えば……彼女に触れられるたびに、理性を保つので必死だ。」
「いや、全然そう見えねぇけど!? いつも通りの澄まし顔じゃねぇか!」
「見せるわけにはいかんからな。私は彼女の保護者であり、この旅の導き手だ」
きっぱりとした、自分に言い聞かせるような言葉。だが、その横顔は、かつてないほど切羽詰まっていた。
「彼女はまだ若い。そしてこの旅は、明日生きて戻れるかも分からない死地だ。……私の独りよがりな感情で、彼女の未来を振り回すわけにはいかない。絶対にだ」
ポルナレフはしばらく言葉を失っていたが、やがてすべてを察したように、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「……ま、お堅い理由は分かった。だがよ、建前抜きの“一人の男”としては、どうなんだ?」
一瞬だけ。
本当にほんの一瞬だけ、アヴドゥルの完璧な鉄仮面が、歪むように崩れた。
「……限界は、近い」
低く、酷く熱を孕んだ、苦い男の本音だった。
──────
その頃。
焚き火のそばで一人、満天の星空を見上げるなまえは、そんな大人の男の苦悩など知る由もない。
「……全然、意識されてないのかな、私」
ぽつりと呟いた、寂しげな独り言。
けれど次の瞬間、背後の暗闇から、私の鼓動を跳ね上げる低い声が響いた。
「誰に、意識されていないというんだ?」
振り返ると、いつの間にか戻ってきたアヴドゥルが立っていた。
「え!?……いや、その……何でもない、ッ……!」
完全に聞かれていたかもしれないと、慌てて言葉を詰まらせる。
その私の様子を見て、彼は何かを堪えるように、少しだけ細い目をさらに細めた。
「……行くぞ。夜風は体に障る。風邪をひかれては困るからな」
そう言って、目の前に差し出される大きな手。
いつも通りの、落ち着いた、大人の仕草。
けれど、差し出されたその手を恐る恐る掴んだとき。
いつもより、ほんの少しだけ、指先を強く包み込まれた気がした。そして何より、その手のひらは、砂漠の寒さをすべて溶かしてしまうほど、熱く、熱く脈打っていた。
(……やっぱり、わかんないな)
掴んだ手は温かくて、離れそうで、決して離してはくれない。
大人の余裕という名の、分厚い氷の下で燃え盛る「本物の炎」に気づくのは、もう少し先の話だった。
パチパチと爆ぜる焚き火の揺れる光の中で、なまえの肩はまだ少しだけ震えていた。
─────数時間前。
敵スタンド使いの放った凶刃が、確実に彼女の命を奪うはずだったあの瞬間。
暗闇を切り裂いて、圧倒的な炎が割って入った。
「下がっていろ」
地を這うような、低く、硬い声。
振り返る間もなく、背後から放たれた灼熱が敵の野望ごとすべてを飲み込んでいく。
――守られた。そう理解したのは、熱風が去り、すべてが終わったあとだった。
「怪我はないか?」
目の前に佇む男、モハメド・アヴドゥル。
褐色の肌に、戦士としての鋭い眼差し。だが、私を見下ろすその瞳は、今はひどく穏やかで、酷く静かだった。
「……うん、大丈夫」
辛うじてそう答えたものの、私の胸の奥の動揺は、まったく収まる気配がなかった。
あの絶体絶命の瞬間、アヴドゥルが誰よりも早く、私を“最優先で守ってくれた”という事実が、どうしようもなく甘い熱を持って胸に残り続けていた。
──────
それからというもの、なまえは妙にアヴドゥルを意識してしまうようになった。
隣に座る。肩が触れる。声をかける。
どれも旅が始まった当初と変わらないはずなのに、今の私には、そのすべてが違って感じられた。
(……これ、完全に恋じゃない?)
一度認めてしまえば、あとは早かった。
だから、私は自分から動いた。
──────
「アヴドゥル」
昼下がりの喧騒に包まれた市場。人混みを理由にして、私は彼の大きな手を取った。
「……迷子防止、ってことで」
少しだけ強引に、彼の長い指に自分の指を絡める。
普通の男なら、多少は動揺して顔を赤らめるような場面だろう。けれど――。
「……そうだな。では、私の側を離れるんじゃあないぞ」
響いたのは、いつも通り落ち着いた声。
それどころか、大きな手のひらで、私の手を迷いなくしっかりと握り返してきた。……それだけ。
(えっ、これだけ!?)
何事もなかったかのように前を歩く彼の横顔を見て、心臓が爆発しそうなほど顔を熱くしているのは、私だけだった。
──────
夜、宿に戻ってからも、私は懲りなかった。
共有スペースのソファで彼の隣に陣取り、そっとその太い腕に自分の腕を絡める。
「……寒いから」
砂漠の夜は、確かに凍えるほど冷える。けれど、それは100%言い訳だった。
アヴドゥルは一瞬だけ、視線を落として私を見る。そして、
「……そうだな」
静かに肯定して、私の膝にブランケットをかけてくれるだけ。
動じない。拒みもしないが、これ以上距離を詰めてくる気配もない。
(なにこの人……鉄壁すぎる……!)
──────
それでも、やめられなかった。
触れていたくて、彼の匂いがする近くにいたくて。少しでも自分を意識させたくて。
なのに、彼はいつだって通りで、余裕があって、完璧な大人で。
まるで、私に触れられても何も感じていないみたいだった。
──────
その夜。
宿の裏手、焚き火の明かりから少し離れた暗がりのこと。
「……お前、本当に正気なのか?」
壁に背を預けたポルナレフが、目の前の男に向かって呆れたように問いかけた。
「何がだ?」
腕を組み、いつもの冷静な表情を微塵も崩さないアヴドゥル。
ポルナレフは盛大に肩をすくめ、声をひそめながら詰め寄る。
「何がってよ……なまえのことだよ! あんなに毎日ぴったりくっつかれて、お前、男として何も思わねぇのかよ!」
夜の静寂の中に、数秒の沈黙が落ちる。
アヴドゥルはふう、と深く、重い息を吐き出した。
「……思わないわけがないだろう」
「はぁ!?」
予想外の返答に、思わず素っ頓狂な声を上げるポルナレフ。
アヴドゥルは片手で容赦なく眉間を押さえ、苦しげに声を絞り出した。
「正直に言えば……彼女に触れられるたびに、理性を保つので必死だ。」
「いや、全然そう見えねぇけど!? いつも通りの澄まし顔じゃねぇか!」
「見せるわけにはいかんからな。私は彼女の保護者であり、この旅の導き手だ」
きっぱりとした、自分に言い聞かせるような言葉。だが、その横顔は、かつてないほど切羽詰まっていた。
「彼女はまだ若い。そしてこの旅は、明日生きて戻れるかも分からない死地だ。……私の独りよがりな感情で、彼女の未来を振り回すわけにはいかない。絶対にだ」
ポルナレフはしばらく言葉を失っていたが、やがてすべてを察したように、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「……ま、お堅い理由は分かった。だがよ、建前抜きの“一人の男”としては、どうなんだ?」
一瞬だけ。
本当にほんの一瞬だけ、アヴドゥルの完璧な鉄仮面が、歪むように崩れた。
「……限界は、近い」
低く、酷く熱を孕んだ、苦い男の本音だった。
──────
その頃。
焚き火のそばで一人、満天の星空を見上げるなまえは、そんな大人の男の苦悩など知る由もない。
「……全然、意識されてないのかな、私」
ぽつりと呟いた、寂しげな独り言。
けれど次の瞬間、背後の暗闇から、私の鼓動を跳ね上げる低い声が響いた。
「誰に、意識されていないというんだ?」
振り返ると、いつの間にか戻ってきたアヴドゥルが立っていた。
「え!?……いや、その……何でもない、ッ……!」
完全に聞かれていたかもしれないと、慌てて言葉を詰まらせる。
その私の様子を見て、彼は何かを堪えるように、少しだけ細い目をさらに細めた。
「……行くぞ。夜風は体に障る。風邪をひかれては困るからな」
そう言って、目の前に差し出される大きな手。
いつも通りの、落ち着いた、大人の仕草。
けれど、差し出されたその手を恐る恐る掴んだとき。
いつもより、ほんの少しだけ、指先を強く包み込まれた気がした。そして何より、その手のひらは、砂漠の寒さをすべて溶かしてしまうほど、熱く、熱く脈打っていた。
(……やっぱり、わかんないな)
掴んだ手は温かくて、離れそうで、決して離してはくれない。
大人の余裕という名の、分厚い氷の下で燃え盛る「本物の炎」に気づくのは、もう少し先の話だった。
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