何度でも
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夕下がりの柔らかい光が、兵舎の裏手にある小さな木造ベンチを茜色に染めていた。
壁外調査を終えて数日、兵士たちには束の間の休息が与えられており、敷地内にはどこか穏やかな空気が漂っている。
なまえは、小さな木箱を胸に抱えてベンチへと歩みを進めていた。箱の中身は、日頃から裁縫や手入れに使っているハサミと、清潔な布。そして、水を入れた小さな器だ。
「ごめん、ライナー、待たせちゃった?」
ベンチに腰を下ろしていたライナー・ブラウンが、声をかけられてゆっくりと顔を上げた。ガッシリとした体躯に、104期生の中でもひときわ目立つ逞しい背中。
しかし、その顔立ちにはどこかわざとらしいほどの頼もしさと、隠しきれない優しさが同居している。
「いや、俺も今来たところだ。なまえ、わざわざすまないな」
ライナーは短く刈り揃えられていたはずの金髪を手ぐしで撫で上げた。前髪や襟足が少しばかり伸び、いつもの身軽で整った印象からすると、どこかもっさりと重たそうに見える。
「いいーよ。いつもライナーには助けられてばかりだし、これくらいさせて。……ほら、ここに座って。動かないでね」
なまえはライナーの首元に大きな布を優しく巻きつけ、解けないように後ろで軽く結んだ。その際、彼女の指先がかすかにライナーの首筋に触れる。
ライナーの肩が跳ねるように一瞬跳ね上がった。
「……ライナー? どうしたの?」
「あ、いや……なんでもない。ちょっと手が冷たかったから驚いただけだ」
そう言って背筋を伸ばすライナーの耳たぶが、夕日のせいばかりではなく、ほんのりと赤く染まっているのをなまえは見逃さなかった。
頼れる兄貴分としてみんなを引っ張るライナーだが、昔からこうして一対一で距離が近くなると、どこか照れくさそうに姿勢を正す癖がある。
「ふふ、ごめんね。じゃあ、始めるよ」
なまえはハサミを手に取り、まずは水で湿らせた髪に丁寧に指を通した。指先で金髪をすくい上げるたび、ライナーの頭が緊張で少し硬くなっているのが伝わってくる。
シャキ、シャキ、と静かな庭に軽快な刃の音が響き始めた。
「……なあ、なまえ」
「ん? なあに?」
「髪を切り慣れてるんだな。手際がいい」
「そうかな? 昔、弟たちの髪を切ってあげてたから、ちょっとだけ自信はあるんだけど……ライナーの髪は固くて、切り甲斐があるかも」
なまえはくすっと笑いながら、ライナーの頭にそっと手を添えた。自分の背丈よりもずっと大きく、頼りになる背中。
いつも訓練や任務で前線に立ち、自分たちを守ろうとしてくれるライナーの髪を切るという作業は、なまえにとっても胸が少し熱くなるような、特別な時間だった。
前髪を整えるため、なまえはライナーの正面に回り込み、軽く腰を落とした。顔と顔の距離がぐっと近づく。
「ちょっと、目を閉じててね。髪が入ると痛いから」
「あ、ああ……分かった」
ライナーは大人しく目を閉じた。長くて力強い眉毛、高い鼻筋、そして引き締まった唇。間近で見る彼の顔立ちに、なまえの心臓もわずかに跳ねる。
しかし、ハサミを握る手が狂わないよう、ゆっくりと息を吐き出して前髪にハサミを入れた。
「……ライナーは、いつも頑張りすぎだよ」
「え?」
「この前の訓練でもそう。みんなを庇ってばかりで、自分の怪我には鈍感なんだから。もう少し、自分を大切にしてほしいな」
前髪を切り揃えながら、ぽつりと漏らした本音。なまえの声には、照れくささと切実な心配が混ざっていた。
ライナーは閉じられた目の中で、少しだけ視線を泳がせたようだった。開けたい衝動を抑えるように、眉間に小さなシワが寄る。
「……お前や他の奴らを無事に返すのが、俺の役目だ」
「頼もしいのは嬉しいけど……私だって、ライナーの力になりたいんだよ? だから、たまにはこうやって私に甘えてくれたっていいんだからね」
なまえが言い終わり、ハサミを止めると、ライナーはゆっくりと目を開けた。目の前にある、自分をまっすぐに見つめる彼女の瞳。その真摯で可愛らしい眼差しに射抜かれ、ライナーは喉を鳴らした。
「甘える、か……」
ライナーは元々、押しに弱い。特に、こうして素直な想いを真っ直ぐぶつけられると、いつもの頼もしい「頼れる兄貴」の仮面が揺らいでしまう。
「……お前にそう言われると、調子が狂うな」
「本当のことだもん。……はい、前髪は終わり。後ろを仕上げるから、また向こうを向いて」
なまえが背中に回ると、ライナーは静かに息を吐き出し、胸の動悸を悟られないように拳を握りしめた。
「……ありがとな、なまえ。お前に髪を切ってもらうの、悪くないと思ってる」
「ふふ、本当? じゃあ、これから伸びたら毎回私が切ってあげるね」
「毎回……?」
「あ、嫌だった?」
「いや! 嫌なわけないだろ。……むしろ、頼めるなら、ずっと頼みたい」
少し慌てたようなライナーの答えに、なまえの胸が甘くキュッと痛んだ。普段の彼からは考えられないような、どこか不器用で素直な言葉。それが自分に向けられているのだと思うと、顔が熱くなっていく。
シャキ、シャキ、と最後の仕上げの音が響く。
落ちた金髪が夕日に透けて、地面に小さな層を作っていた。
「よし、できたよ!布を外すね」
首元の布を解き、パラパラと落ちた毛くずを軽く手で払ってあげる。なまえは小さな鏡を取り出し、ライナーの目の前に差し出した。
「どうかな? 変になってない?」
ライナーは鏡に映る自分を覗き込んだ。重たかった髪はすっきりと刈り揃えられ、いつもの精悍な顔立ちがしっかりと露わになっている。完璧な仕上がりだった。
「すごいな……完璧だ。なまえ、本当にありがとう」
ライナーは立ち上がり、なまえと視線を合わせた。そして、少し照れくさそうに頭の後ろを掻きながら、優しく微笑んだ。その表情は、兵士としての険しい顔ではなく、ただの17歳の少年のものだった。
「また伸びたら……本当に頼んでいいんだな?」
「うん、もちろんだよ。ライナーの髪は、私が責任を持って手入れするから」
なまえが微笑み返すと、ライナーはどこか嬉しそうに、けれど少し気恥ずかしそうに視線を逸らした。
厳しい現実と、壁の向こうに潜む残酷な戦い。明日には何が起こるか分からない日常の中で、二人の間には確かに、穏やかで温かい時間が流れていた。
夕闇が静かに兵舎を包み込む中、二人は並んで歩き出す。これからも続いていくであろう彼らの日常と、少しずつ変化していく二人だけの絆を、胸にそっと抱きしめながら。
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