第四章
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L字の廊下は中庭を囲んでいたが、この部屋の縁側は塀の内側に設けられた小さな庭に面していた。
金木犀が塀に沿って植えられており、夜風が甘い匂いを運んでくれる。
鮮やかな紫色をした桔梗や、色とりどりの菊が所狭しと植えられていて、花に特別興味が無い土方から見ても、この景色は風情があり壮観だ。
それに、隣近所に高さのある家屋がないため、空がよく見える。
さて、何をどの順序で切り出せばいいだろうか。悩みながら紫煙を吐き月を眺めていると、紗己の父親が明るい声で切り出した。
「いやァ、無理に飲ませてしまったようで、本当に申し訳ない」
「ああ・・・いえ、俺が無茶な飲み方しただけなんで」
「すみませんねェ。私、酒にはめっぽう強いもんで、どうも加減が分かっていないようだ。娘にもねェ、叱られてしまいましたよ」
叱られたという割には、嬉しそうにも見える。
紗己の父親から語られたその言葉に、彼女のそんな様子を想像できない土方は、少し驚いた顔をする。
すると紗己の父親は、笑顔のまま話の方向を少し変えてきた。
「あの子は、江戸ではどんな様子ですか? 楽しくやってるんでしょうか」
立ち昇る煙を追うように夜空を見上げていた紗己の父親が、隣に座る土方を一瞥した。相変わらずの笑顔だ。
だが、簡単に「はい」と答えてはいけない気がして、土方は屯所の日常風景を思い出しながら、ポツポツと話し出す。
「いつも・・・嫌な顔一つせずに笑って、仕事もよくやってくれてるし、楽しく・・・やってると・・・そう俺は受け取ってます」
最後は紗己の父親と目を合わせ、しっかりと言い切った。
「そうですか。あなたがそうおっしゃるのなら、安心だ」
親ならば当然の心配なのだろう。土方の言葉に穏やかな表情を見せると、またゆっくりと煙管の吸い口を口元に持っていき軽くふかし、紫煙をくゆらせながら話し出した。
「週に一度は電話を寄越してくれるんですがねェ、いつも『元気にやってる、楽しくやってる。だから父さんは何も心配しないで大丈夫』って言うんです。あの子は元々辛いところを見せる性格じゃないだけに、無理してんじゃないかって心配してたんですよ」
「・・・・・・」
土方は、手にしている煙管に視線を落とした。
紗己の父親の言葉に胸が苦しくなって、何も言えなくなる。確実に紗己が無理をしていたと思うところがあるからだ。
普段は確かに楽しくやっているのだろう。だが、今でこそこうして共に実家へ足を運ぶ関係になったが、数ヶ月前は違った。
自分の身に起こった突然の出来事に、悩まなかったわけがない。
妊娠したと判明してからも、辛い思いをさせてしまった後ろめたさはある。
そう思うと、紗己にも彼女の父親にも申し訳ない気持ちになってしまう。
たった一人の家族に心配を掛けまいと、嘘をつかせてしまった――と。
いや、ひょっとしたら、紗己の父親は全て気付いているのかもしれない。だから今、こんなふうに話を持ち出してきたのかもしれない。
揺れる土方の心情を見透かすように、紗己の父親は煙管で遊びながら静かに訊ねてきた。
「あの子が泣いているところを、見たことはありますか?」
「っ・・・」
また言葉に詰まってしまった。
何故今そんなことを訊いてくるのか。やはり全て見通しているのかと深読みをしてしまう。
泣かせたことなら、土方には思い当たることが確かにある。
以前銀時との関係を問いただした時に、山崎から紗己が泣いていたと聞かされた。
それに紗己が屯所を出ていった時も、見つけた時の彼女の目は泣き腫らした後だったし、その後の車内でも、悲しいものでは無いにしろ泣かせたのは事実だ。
どう答えるのが正解だなんて分からない。ただ、嘘をつくべきではないと土方は思った。
「あります」
上半身を隣に座る紗己の父親にしっかりと向けると、相手の目を見てそう告げた。
土方の強い双眸にも驚きはしないが、彼女の父親は少しだけ寂しげに笑った。
「私はねェ、一度も見たことがないんですよ」
「え・・・・・・?」
「ああいや、赤子の頃は別ですがね」
まあ、夜泣きもしない手のかからない赤子でしたが、と言いながら、紗己の父親は夜空に紫煙を吐いた。
「あの子が七つの時に妻が亡くなりましてねェ、私はひどく落ち込んだもんです。それがいけなかったんでしょう、あの子は母親が死んだ時も泣かなかった・・・いや、泣けなかった。自分が泣いたら、私がもっと悲しむと思ったんでしょうねェ」
「・・・・・・」
「実際、あの子の気丈な姿に救われましたよ。いつも笑顔でいてくれて、まるで妻が生き返ったようだった。妻は病を患っていたんですが、その辛さを娘には一切見せずに、いつも笑顔でいてくれていました。似るもんですねェ、親子ってのは」
もう吸わないのだろうか。紗己の父親は煙管の灰をポンと落とすと、そのまま煙草盆に戻した。
小さく吐息を漏らすと、彼女の父親は顔を伏せる。
「私はあの子に救われた。だが・・・あの子を泣けなくしてしまったのは、私なんです」
「・・・・・・」
そんなことはない、と言えるような簡単な話ではない。
今何を言えば良いのか分からないまま、土方はまた手にしている煙管に視線を落とした。
その姿に、顔を伏せていたはずの隣の男がフッと笑った。
「土方さん」
「・・・えっ、あ、はい!」
突然、今日初めて名を呼ばれ、驚きのあまり声が上擦ってしまった。
しかし紗己の父親の表情は、笑顔ではあるもののとても真剣で、つられるように土方も気を引き締める。
「親の目から見ても、あの子は本当に良い娘なんです。幸せにならなきゃいけない」
一旦言葉を切って軽く息を吸うと、その顔から笑みが消えた。
「・・・土方さん。娘を、紗己をよろしくお願いします」
気を抜けば呑まれてしまいそうな鋭い双眸に、これが娘を想う父の姿なのだと土方は改めて気付く。
誤魔化しも取り繕いも、もう何も必要ない。
土方はスウッと息を吸うと、煙管を煙草盆に戻し、自身の両膝に拳を乗せた。
「必ず、俺の人生を懸けて幸せにします」
土方の迷いのない言葉に、紗己の父親は「あなたになら安心して任せられる」と夜空を仰いだ。
その口元には、もう穏やかな笑みが戻っていた。
金木犀が塀に沿って植えられており、夜風が甘い匂いを運んでくれる。
鮮やかな紫色をした桔梗や、色とりどりの菊が所狭しと植えられていて、花に特別興味が無い土方から見ても、この景色は風情があり壮観だ。
それに、隣近所に高さのある家屋がないため、空がよく見える。
さて、何をどの順序で切り出せばいいだろうか。悩みながら紫煙を吐き月を眺めていると、紗己の父親が明るい声で切り出した。
「いやァ、無理に飲ませてしまったようで、本当に申し訳ない」
「ああ・・・いえ、俺が無茶な飲み方しただけなんで」
「すみませんねェ。私、酒にはめっぽう強いもんで、どうも加減が分かっていないようだ。娘にもねェ、叱られてしまいましたよ」
叱られたという割には、嬉しそうにも見える。
紗己の父親から語られたその言葉に、彼女のそんな様子を想像できない土方は、少し驚いた顔をする。
すると紗己の父親は、笑顔のまま話の方向を少し変えてきた。
「あの子は、江戸ではどんな様子ですか? 楽しくやってるんでしょうか」
立ち昇る煙を追うように夜空を見上げていた紗己の父親が、隣に座る土方を一瞥した。相変わらずの笑顔だ。
だが、簡単に「はい」と答えてはいけない気がして、土方は屯所の日常風景を思い出しながら、ポツポツと話し出す。
「いつも・・・嫌な顔一つせずに笑って、仕事もよくやってくれてるし、楽しく・・・やってると・・・そう俺は受け取ってます」
最後は紗己の父親と目を合わせ、しっかりと言い切った。
「そうですか。あなたがそうおっしゃるのなら、安心だ」
親ならば当然の心配なのだろう。土方の言葉に穏やかな表情を見せると、またゆっくりと煙管の吸い口を口元に持っていき軽くふかし、紫煙をくゆらせながら話し出した。
「週に一度は電話を寄越してくれるんですがねェ、いつも『元気にやってる、楽しくやってる。だから父さんは何も心配しないで大丈夫』って言うんです。あの子は元々辛いところを見せる性格じゃないだけに、無理してんじゃないかって心配してたんですよ」
「・・・・・・」
土方は、手にしている煙管に視線を落とした。
紗己の父親の言葉に胸が苦しくなって、何も言えなくなる。確実に紗己が無理をしていたと思うところがあるからだ。
普段は確かに楽しくやっているのだろう。だが、今でこそこうして共に実家へ足を運ぶ関係になったが、数ヶ月前は違った。
自分の身に起こった突然の出来事に、悩まなかったわけがない。
妊娠したと判明してからも、辛い思いをさせてしまった後ろめたさはある。
そう思うと、紗己にも彼女の父親にも申し訳ない気持ちになってしまう。
たった一人の家族に心配を掛けまいと、嘘をつかせてしまった――と。
いや、ひょっとしたら、紗己の父親は全て気付いているのかもしれない。だから今、こんなふうに話を持ち出してきたのかもしれない。
揺れる土方の心情を見透かすように、紗己の父親は煙管で遊びながら静かに訊ねてきた。
「あの子が泣いているところを、見たことはありますか?」
「っ・・・」
また言葉に詰まってしまった。
何故今そんなことを訊いてくるのか。やはり全て見通しているのかと深読みをしてしまう。
泣かせたことなら、土方には思い当たることが確かにある。
以前銀時との関係を問いただした時に、山崎から紗己が泣いていたと聞かされた。
それに紗己が屯所を出ていった時も、見つけた時の彼女の目は泣き腫らした後だったし、その後の車内でも、悲しいものでは無いにしろ泣かせたのは事実だ。
どう答えるのが正解だなんて分からない。ただ、嘘をつくべきではないと土方は思った。
「あります」
上半身を隣に座る紗己の父親にしっかりと向けると、相手の目を見てそう告げた。
土方の強い双眸にも驚きはしないが、彼女の父親は少しだけ寂しげに笑った。
「私はねェ、一度も見たことがないんですよ」
「え・・・・・・?」
「ああいや、赤子の頃は別ですがね」
まあ、夜泣きもしない手のかからない赤子でしたが、と言いながら、紗己の父親は夜空に紫煙を吐いた。
「あの子が七つの時に妻が亡くなりましてねェ、私はひどく落ち込んだもんです。それがいけなかったんでしょう、あの子は母親が死んだ時も泣かなかった・・・いや、泣けなかった。自分が泣いたら、私がもっと悲しむと思ったんでしょうねェ」
「・・・・・・」
「実際、あの子の気丈な姿に救われましたよ。いつも笑顔でいてくれて、まるで妻が生き返ったようだった。妻は病を患っていたんですが、その辛さを娘には一切見せずに、いつも笑顔でいてくれていました。似るもんですねェ、親子ってのは」
もう吸わないのだろうか。紗己の父親は煙管の灰をポンと落とすと、そのまま煙草盆に戻した。
小さく吐息を漏らすと、彼女の父親は顔を伏せる。
「私はあの子に救われた。だが・・・あの子を泣けなくしてしまったのは、私なんです」
「・・・・・・」
そんなことはない、と言えるような簡単な話ではない。
今何を言えば良いのか分からないまま、土方はまた手にしている煙管に視線を落とした。
その姿に、顔を伏せていたはずの隣の男がフッと笑った。
「土方さん」
「・・・えっ、あ、はい!」
突然、今日初めて名を呼ばれ、驚きのあまり声が上擦ってしまった。
しかし紗己の父親の表情は、笑顔ではあるもののとても真剣で、つられるように土方も気を引き締める。
「親の目から見ても、あの子は本当に良い娘なんです。幸せにならなきゃいけない」
一旦言葉を切って軽く息を吸うと、その顔から笑みが消えた。
「・・・土方さん。娘を、紗己をよろしくお願いします」
気を抜けば呑まれてしまいそうな鋭い双眸に、これが娘を想う父の姿なのだと土方は改めて気付く。
誤魔化しも取り繕いも、もう何も必要ない。
土方はスウッと息を吸うと、煙管を煙草盆に戻し、自身の両膝に拳を乗せた。
「必ず、俺の人生を懸けて幸せにします」
土方の迷いのない言葉に、紗己の父親は「あなたになら安心して任せられる」と夜空を仰いだ。
その口元には、もう穏やかな笑みが戻っていた。