第三章
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――――――
軽く腹ごなしをした土方は、その後尋ねてきた紗己と共に屯所を出た。
今から二人で産婦人科に向かうということに変に緊張してしまうが、なるべく意識しないよう、当たり障りの無い会話に小さな花を咲かせていた。
そこそこ人通りの多い道に出たところで、土方は紗己が手にしていた小さなメモ紙を覗き込んだ。
仕事柄、この辺りの土地には明るい。しかし産婦人科には基本用が無いため、この町一帯のどの辺に点在しているのかも把握はしていない。
それでも、メモ紙に書かれてある病院の名前と住所を確認すると、大体の場所が分かったのか、土方は紗己の背に軽く手を当てて先導した。
しばらく歩いた後、二人はとある建物の前で足を止めた。そう大きくはないが清潔感が漂う白壁の建物には、目的の看板が掛かってある。
「ここ、か」
「そうですね、名前も合ってますし」
紗己の言葉に軽く頷くと、土方はすりガラスが施されている扉に手を掛けた。次の瞬間――
「こんにちは~」
「っ・・・」
入ったと同時に耳に飛び込んできた明るい声に、土方は一瞬たじろいだ。更に、待合室にいた女性達が一斉に自分達を見てきたので、それにもまたたじろいでしまった。
特別なことではない。皆ただ単に、入り口が開いたのでちらりと視線を向けただけ。だが、こういった場所に足を踏み入れることの無かった男は、実際よりも強い視線を感じてしまったようだ。
「副長さん? はい、スリッパどうぞ」
「んっ!? あ、ああ」
隣の男が直立不動だったため、入り口に備え付けられている下駄箱から、彼の分のスリッパも取り出した紗己。すたすたと受付へと進む彼女を追いかけるように、土方も慌てて草履を脱いでスリッパに履き替えた。
少し小さめのスリッパを、ぺたぺたと鳴らしながら歩く。ちらり受付の方を見やると、紗己が何やら看護師と話をしていた。
とにかく落ち着かない土方は、その気持ちを誤魔化すため口元や頬を手で覆ったり擦ったり。特に興味も無いのに、掲示板に張られているポスターを端から端まで読んでいる。
すると視界の端に、突然背を折り曲げて受付台に寄り掛かる紗己が映った。
「っ・・・紗己! どうした!?」
急いで駆け寄ると、血の気が引いて青白い顔をした紗己が、口元を押さえながら気を遣うように首を横に振る。
「あー、大丈夫ですよー。さ、こっちへ」
中から出てきた看護師の言葉に、紗己は口元を押さえたまま頷く。そのまま看護師に促され、彼女は診察室とは別の部屋に入っていった。
「あ・・・」
心配になった土方が後を追おうとしたが、やたら明るい声がその動きを引き止めた。
「旦那さーん、大丈夫ですから~。ただのつわりですから~」
「いや、でも・・・」
(今までつわりなんて無かった筈なのに・・・・・・)
紗己が心配でたまらない土方が、どうしたものかと足を前後に開いたまま立ち往生していると。
「別室でついでに検温も済ませちゃうんで、奥さんの代わりにこれ記入してくれません?」
また別の看護師が、受付台の向こうから一枚の紙を差し出してきた。
「心配しなくても奥さんすぐに戻りますから~、ね? 診察券を先に作りたいんで、お願いしますね~」
明るく間延びした声に、くすくすと小さく笑う声が周りから聞こえてくる。どうやら待合室にいた者達には、今の土方は『心配性な愛妻家』に映っているらしい。
「~~っ」
ばつが悪い土方は、耳を赤くして紙を受け取ると、手近な長椅子にドカッと腰を下ろした。
――――――
「ぅっ・・・」
「大丈夫? もう少し休んでてもいいですよ?」
丸椅子に座ってベッドに上体を預けている紗己に、看護師が声を掛ける。
「・・・もう大丈夫です、すみません」
紗己は顔を上げると、緩めてもらった帯に手を回した。短く息を吐くと、着物の襟元を直す。
受付前で突然吐き気に見舞われ、そのまま処置室へと連れて行かれた紗己。少し吐いた後、着物を緩められて吐き気が治まるまで大人しく休んでいたのだ。
脇に挟んでいた体温計がピッと鳴ったので、そばに居た看護師に渡す。手にしていた用紙に体温を書き込んでいる彼女に、紗己は自身の身体に起こった変化について訊ねた。
「あの・・・つわりって、こんなにも突然なるものなんですか? 私、今日までちょっとした胃もたれみたいなのはあっても、こんな吐き気がしたのって、初めてなんです・・・・・・」
「ん? そうねえ、ひどい人もいれば軽い人もいるから。それぞれの感じ方の違いもあるし、精神的なものも影響したりするしねー」
心配ないですよ、と言われ、紗己はホッと息をついた。それだけで吐き気も治まった気がする。
「じゃあこれ、問診表。これに書ける所全部埋めてください」
渡された紙を受け取り、膝の上に置く。次いで持たされた筆を握り書面に目を向けたところ。
紗己の手が止まった。『土方紗己』と書かれてある。
「あの・・・これ、名前・・・」
「ああ、それ。診察券作るために、先に名前と住所だけ旦那さんに書いてもらったのよ」
「旦那・・・さん?」
首を傾げる紗己に、薬棚の整理をしていた看護師が笑う。
「素敵な旦那さんね、男前だし。おまけにフフ・・・結構な心配性! あの様子じゃあ、立会い出産は無理かもねえ」
「はあ・・・」
適当な相槌になってしまった。
今の紗己には、何を言ってもその程度の返事しか返ってこないだろう。書面に記された自身の名前に、目も心も完全に奪われているからだ。
結婚が決まったとはいえ、まだ籍は入れていないので、『妻』になるという実感がなかった。しかし、土方によって書かれた『土方紗己』という名に、ようやく実感が込み上げてきた。何より、彼自身に存在を認められたようで嬉しくてたまらない。
紗己は喜びを噛みしめながら、問診表に筆を走らせた。
軽く腹ごなしをした土方は、その後尋ねてきた紗己と共に屯所を出た。
今から二人で産婦人科に向かうということに変に緊張してしまうが、なるべく意識しないよう、当たり障りの無い会話に小さな花を咲かせていた。
そこそこ人通りの多い道に出たところで、土方は紗己が手にしていた小さなメモ紙を覗き込んだ。
仕事柄、この辺りの土地には明るい。しかし産婦人科には基本用が無いため、この町一帯のどの辺に点在しているのかも把握はしていない。
それでも、メモ紙に書かれてある病院の名前と住所を確認すると、大体の場所が分かったのか、土方は紗己の背に軽く手を当てて先導した。
しばらく歩いた後、二人はとある建物の前で足を止めた。そう大きくはないが清潔感が漂う白壁の建物には、目的の看板が掛かってある。
「ここ、か」
「そうですね、名前も合ってますし」
紗己の言葉に軽く頷くと、土方はすりガラスが施されている扉に手を掛けた。次の瞬間――
「こんにちは~」
「っ・・・」
入ったと同時に耳に飛び込んできた明るい声に、土方は一瞬たじろいだ。更に、待合室にいた女性達が一斉に自分達を見てきたので、それにもまたたじろいでしまった。
特別なことではない。皆ただ単に、入り口が開いたのでちらりと視線を向けただけ。だが、こういった場所に足を踏み入れることの無かった男は、実際よりも強い視線を感じてしまったようだ。
「副長さん? はい、スリッパどうぞ」
「んっ!? あ、ああ」
隣の男が直立不動だったため、入り口に備え付けられている下駄箱から、彼の分のスリッパも取り出した紗己。すたすたと受付へと進む彼女を追いかけるように、土方も慌てて草履を脱いでスリッパに履き替えた。
少し小さめのスリッパを、ぺたぺたと鳴らしながら歩く。ちらり受付の方を見やると、紗己が何やら看護師と話をしていた。
とにかく落ち着かない土方は、その気持ちを誤魔化すため口元や頬を手で覆ったり擦ったり。特に興味も無いのに、掲示板に張られているポスターを端から端まで読んでいる。
すると視界の端に、突然背を折り曲げて受付台に寄り掛かる紗己が映った。
「っ・・・紗己! どうした!?」
急いで駆け寄ると、血の気が引いて青白い顔をした紗己が、口元を押さえながら気を遣うように首を横に振る。
「あー、大丈夫ですよー。さ、こっちへ」
中から出てきた看護師の言葉に、紗己は口元を押さえたまま頷く。そのまま看護師に促され、彼女は診察室とは別の部屋に入っていった。
「あ・・・」
心配になった土方が後を追おうとしたが、やたら明るい声がその動きを引き止めた。
「旦那さーん、大丈夫ですから~。ただのつわりですから~」
「いや、でも・・・」
(今までつわりなんて無かった筈なのに・・・・・・)
紗己が心配でたまらない土方が、どうしたものかと足を前後に開いたまま立ち往生していると。
「別室でついでに検温も済ませちゃうんで、奥さんの代わりにこれ記入してくれません?」
また別の看護師が、受付台の向こうから一枚の紙を差し出してきた。
「心配しなくても奥さんすぐに戻りますから~、ね? 診察券を先に作りたいんで、お願いしますね~」
明るく間延びした声に、くすくすと小さく笑う声が周りから聞こえてくる。どうやら待合室にいた者達には、今の土方は『心配性な愛妻家』に映っているらしい。
「~~っ」
ばつが悪い土方は、耳を赤くして紙を受け取ると、手近な長椅子にドカッと腰を下ろした。
――――――
「ぅっ・・・」
「大丈夫? もう少し休んでてもいいですよ?」
丸椅子に座ってベッドに上体を預けている紗己に、看護師が声を掛ける。
「・・・もう大丈夫です、すみません」
紗己は顔を上げると、緩めてもらった帯に手を回した。短く息を吐くと、着物の襟元を直す。
受付前で突然吐き気に見舞われ、そのまま処置室へと連れて行かれた紗己。少し吐いた後、着物を緩められて吐き気が治まるまで大人しく休んでいたのだ。
脇に挟んでいた体温計がピッと鳴ったので、そばに居た看護師に渡す。手にしていた用紙に体温を書き込んでいる彼女に、紗己は自身の身体に起こった変化について訊ねた。
「あの・・・つわりって、こんなにも突然なるものなんですか? 私、今日までちょっとした胃もたれみたいなのはあっても、こんな吐き気がしたのって、初めてなんです・・・・・・」
「ん? そうねえ、ひどい人もいれば軽い人もいるから。それぞれの感じ方の違いもあるし、精神的なものも影響したりするしねー」
心配ないですよ、と言われ、紗己はホッと息をついた。それだけで吐き気も治まった気がする。
「じゃあこれ、問診表。これに書ける所全部埋めてください」
渡された紙を受け取り、膝の上に置く。次いで持たされた筆を握り書面に目を向けたところ。
紗己の手が止まった。『土方紗己』と書かれてある。
「あの・・・これ、名前・・・」
「ああ、それ。診察券作るために、先に名前と住所だけ旦那さんに書いてもらったのよ」
「旦那・・・さん?」
首を傾げる紗己に、薬棚の整理をしていた看護師が笑う。
「素敵な旦那さんね、男前だし。おまけにフフ・・・結構な心配性! あの様子じゃあ、立会い出産は無理かもねえ」
「はあ・・・」
適当な相槌になってしまった。
今の紗己には、何を言ってもその程度の返事しか返ってこないだろう。書面に記された自身の名前に、目も心も完全に奪われているからだ。
結婚が決まったとはいえ、まだ籍は入れていないので、『妻』になるという実感がなかった。しかし、土方によって書かれた『土方紗己』という名に、ようやく実感が込み上げてきた。何より、彼自身に存在を認められたようで嬉しくてたまらない。
紗己は喜びを噛みしめながら、問診表に筆を走らせた。