第三章
名前変換はこちら
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
――――――
プロポーズの翌日。紗己は相変わらず、女中として仕事をしていた。
とはいえ、妊娠中の身である。あまり忙しく動き回ると、土方や他の隊士、同僚達にも気を遣わせてしまう。
肩書きはまだ真選組の女中だが、実際は家事一般のお手伝い、といったところだ。
昨晩しっかりと睡眠を取ったため、体調はそう悪くない。高い空の下、紗己は洗濯に精を出していた。
中庭での洗濯物干しは、場所柄、隊士達に話し掛けられることも少なくない。
縁側に腰掛けながら、世間話や愚痴などを零す男達。一見すれば、保健室に話しに来る学生のようだ。
今日も紗己は数人の隊士達の聞き役に徹していた。
それでも彼らとて仕事中。ある程度話してスッキリしたら、各自持ち場へと戻って行った。
そうこうしながら、紗己がまた一人になった中庭で、変わらず洗濯物を干していると――。
ひたひたと静かな足音が近付いてきた。
「相変わらず、働き者だねィ」
首元をスカーフで飾った青年が、そう言いながら縁側に腰を下ろす。
大きなシーツを干していたため、目の前が白一色になっていた紗己の耳に、突然入ってきた男の声。シーツの端を揃えてからひょこっと顔を出して縁側を見やると、そこには空を見上げて寛いでいる沖田がいた。
「あら、沖田さん。今日は非番じゃなかったんですか?」
「非番でさァ・・・ふあぁ・・・さっき交代したところだ。あー眠ィ、このまま寝ちまいそうだぜ」
沖田は眠そうに欠伸をし、腕をぐっと高く伸ばしてそのまま倒れ込むように廊下に寝そべった。
その姿に紗己はクスクスと笑いながら、ゆっくりと足を進めた。
縁側に着くと、持っていた洗濯かごを置いて、腕を頭の後ろに組んで瞳を閉じている沖田の顔を覗き込む。
「駄目ですよ、沖田さん。こんなところで寝てないで、部屋で寝ないと・・・」
「俺もここで寝ちまってたら、アンタどうする?」
沖田は閉じていた瞳をぱちりと開けると、自分を覗き込んでいる紗己を見据えて、低い声音で問い掛けた。
「え・・・・・・?」
「野郎の時みたいに、部屋まで連れてってくれるのかィ」
冷静でいて強い眼差し。その迫力に気圧され紗己が何も答えられずにいると、沖田は小さく息を吐いて身体を起こした。
「・・・そんな怯えた顔しなくても、別に部屋に連れ込んだりしねェから安心しな」
片膝を立てて座り、立ったままの紗己を一瞥して言った。
だが紗己は、怯えたというよりはどちらかといえば困ったような表情で、
「はあ・・・あの、沖田さん。『野郎の時みたいに』って、一体何のことですか?」
片手を頬に当て、首を傾げてみせる。
自分に言われた言葉の真意がまるで分かっていないといったその様子に、呆れたように沖田は首を横に振った。
「はっ、ほんとアンタ変な女だ」
「はあ・・・」
「昨日の今日で、なんで俺を警戒しねェんだ」
「昨日の・・・・・・・・・・・・って、ああ!」
そこまで言われて、沖田が何のことを言っているのか、鈍感な紗己にもようやく分かった。
昨日、わざわざ部屋まで訪ねて来て、土方があの夜酩酊していた理由を告げた沖田。その後紗己は、荷物をまとめて屯所を出て行ったのだ。
「まさかアンタが出て行くとは思わなかったが、結局あの野郎と一緒に戻ってきたらしいじゃねェか。かえって仲をくっつけちまったか、馬鹿な事しちまったぜ」
「昨日の話、あれ・・・沖田さんのお姉さんのことだったんですね」
「・・・土方の野郎に聞いたのか?」
「まさか! 副長さんには・・・何も言ってないし、何も聞いてないです」
紗己は少しだけ顔を伏せると、片膝を立てて座っている沖田の隣に腰を下ろした。
風が吹くたびに、物干し竿のシーツがバサバサと音を立てて揺らめく。その光景を眺めながら、沖田は淡々とした口調で話し出した。
「あんな野郎のどこがいいんだか、俺にはさっぱり分かんねェ」
「はあ・・・」
何となく相槌は打つものの、どうして彼がそんなことを口にするのか、紗己にはそれがさっぱり分からない。
また会話が途切れてしまったため、この気まずさをどうしたものかとオロオロしている紗己に、
「紗己、やめるなら今のうちだぜ」
沖田がやけに明るい声で言った。
「やめるって、え? 何をですか?」
「結婚に決まってんだろ。今ならまだ、間に合うかも知れねェ」
昨日のプチ家出から一転、ようやく結婚・出産へと落ち着いたというのに。どこまでも否定的な発想だ。
だが今の沖田は、昨日よりもはるかに穏やかな空気を纏っている。
ならば何故、沖田が自分達の結婚を今もまだ反対するのかと、紗己は昨日彼から言われた言葉を反芻した。
『紗己、アンタは身代わりで抱かれたんだぜ』
ちくり胸が痛む。あの時、沖田はとても苦しそうだった。それが姉の死を悼む弟の深い愛情なのだと、その気持ちが伝わるから切なくなる。土方の中から自分の姉の存在が薄れてしまうことが、きっと許せないし怖いのだろう。
思いながら紗己が隣に目をやると、沖田は静かに空を見上げていた。
遠い目をしているのは、空の高さだけが理由じゃないだろう。
その姿は、常からは想像も出来ないほど弱々しくて、けれどどこか割り切ったようにも見える。
紗己は沖田の方に身体を向けると、同じように晴れ渡る空を眺めて、柔らかく言葉を紡いだ。
「沖田さんは、お姉さんに幸せになってもらいたかったんですね・・・・・・」
「・・・・・・」
その言葉に、沖田は静かに顔を下ろした。青から白へと視線を変えて、今度は風に舞っている木の葉を目で追う。それにも飽きたのか、両手を後ろに突くと、短く息を落として消え入りそうな声で呟いた。
「姉上は俺の親代わりだった。幸せにならなきゃいけなかったんだ・・・」
こんなことを言って何になる、紗己には何の関係もないだろう。思いはするも、止められなかった。
誰も悪くないし憎くもない。それでも、自分だけが悲しみの中に取り残されているみたいで苦しかった。
プロポーズの翌日。紗己は相変わらず、女中として仕事をしていた。
とはいえ、妊娠中の身である。あまり忙しく動き回ると、土方や他の隊士、同僚達にも気を遣わせてしまう。
肩書きはまだ真選組の女中だが、実際は家事一般のお手伝い、といったところだ。
昨晩しっかりと睡眠を取ったため、体調はそう悪くない。高い空の下、紗己は洗濯に精を出していた。
中庭での洗濯物干しは、場所柄、隊士達に話し掛けられることも少なくない。
縁側に腰掛けながら、世間話や愚痴などを零す男達。一見すれば、保健室に話しに来る学生のようだ。
今日も紗己は数人の隊士達の聞き役に徹していた。
それでも彼らとて仕事中。ある程度話してスッキリしたら、各自持ち場へと戻って行った。
そうこうしながら、紗己がまた一人になった中庭で、変わらず洗濯物を干していると――。
ひたひたと静かな足音が近付いてきた。
「相変わらず、働き者だねィ」
首元をスカーフで飾った青年が、そう言いながら縁側に腰を下ろす。
大きなシーツを干していたため、目の前が白一色になっていた紗己の耳に、突然入ってきた男の声。シーツの端を揃えてからひょこっと顔を出して縁側を見やると、そこには空を見上げて寛いでいる沖田がいた。
「あら、沖田さん。今日は非番じゃなかったんですか?」
「非番でさァ・・・ふあぁ・・・さっき交代したところだ。あー眠ィ、このまま寝ちまいそうだぜ」
沖田は眠そうに欠伸をし、腕をぐっと高く伸ばしてそのまま倒れ込むように廊下に寝そべった。
その姿に紗己はクスクスと笑いながら、ゆっくりと足を進めた。
縁側に着くと、持っていた洗濯かごを置いて、腕を頭の後ろに組んで瞳を閉じている沖田の顔を覗き込む。
「駄目ですよ、沖田さん。こんなところで寝てないで、部屋で寝ないと・・・」
「俺もここで寝ちまってたら、アンタどうする?」
沖田は閉じていた瞳をぱちりと開けると、自分を覗き込んでいる紗己を見据えて、低い声音で問い掛けた。
「え・・・・・・?」
「野郎の時みたいに、部屋まで連れてってくれるのかィ」
冷静でいて強い眼差し。その迫力に気圧され紗己が何も答えられずにいると、沖田は小さく息を吐いて身体を起こした。
「・・・そんな怯えた顔しなくても、別に部屋に連れ込んだりしねェから安心しな」
片膝を立てて座り、立ったままの紗己を一瞥して言った。
だが紗己は、怯えたというよりはどちらかといえば困ったような表情で、
「はあ・・・あの、沖田さん。『野郎の時みたいに』って、一体何のことですか?」
片手を頬に当て、首を傾げてみせる。
自分に言われた言葉の真意がまるで分かっていないといったその様子に、呆れたように沖田は首を横に振った。
「はっ、ほんとアンタ変な女だ」
「はあ・・・」
「昨日の今日で、なんで俺を警戒しねェんだ」
「昨日の・・・・・・・・・・・・って、ああ!」
そこまで言われて、沖田が何のことを言っているのか、鈍感な紗己にもようやく分かった。
昨日、わざわざ部屋まで訪ねて来て、土方があの夜酩酊していた理由を告げた沖田。その後紗己は、荷物をまとめて屯所を出て行ったのだ。
「まさかアンタが出て行くとは思わなかったが、結局あの野郎と一緒に戻ってきたらしいじゃねェか。かえって仲をくっつけちまったか、馬鹿な事しちまったぜ」
「昨日の話、あれ・・・沖田さんのお姉さんのことだったんですね」
「・・・土方の野郎に聞いたのか?」
「まさか! 副長さんには・・・何も言ってないし、何も聞いてないです」
紗己は少しだけ顔を伏せると、片膝を立てて座っている沖田の隣に腰を下ろした。
風が吹くたびに、物干し竿のシーツがバサバサと音を立てて揺らめく。その光景を眺めながら、沖田は淡々とした口調で話し出した。
「あんな野郎のどこがいいんだか、俺にはさっぱり分かんねェ」
「はあ・・・」
何となく相槌は打つものの、どうして彼がそんなことを口にするのか、紗己にはそれがさっぱり分からない。
また会話が途切れてしまったため、この気まずさをどうしたものかとオロオロしている紗己に、
「紗己、やめるなら今のうちだぜ」
沖田がやけに明るい声で言った。
「やめるって、え? 何をですか?」
「結婚に決まってんだろ。今ならまだ、間に合うかも知れねェ」
昨日のプチ家出から一転、ようやく結婚・出産へと落ち着いたというのに。どこまでも否定的な発想だ。
だが今の沖田は、昨日よりもはるかに穏やかな空気を纏っている。
ならば何故、沖田が自分達の結婚を今もまだ反対するのかと、紗己は昨日彼から言われた言葉を反芻した。
『紗己、アンタは身代わりで抱かれたんだぜ』
ちくり胸が痛む。あの時、沖田はとても苦しそうだった。それが姉の死を悼む弟の深い愛情なのだと、その気持ちが伝わるから切なくなる。土方の中から自分の姉の存在が薄れてしまうことが、きっと許せないし怖いのだろう。
思いながら紗己が隣に目をやると、沖田は静かに空を見上げていた。
遠い目をしているのは、空の高さだけが理由じゃないだろう。
その姿は、常からは想像も出来ないほど弱々しくて、けれどどこか割り切ったようにも見える。
紗己は沖田の方に身体を向けると、同じように晴れ渡る空を眺めて、柔らかく言葉を紡いだ。
「沖田さんは、お姉さんに幸せになってもらいたかったんですね・・・・・・」
「・・・・・・」
その言葉に、沖田は静かに顔を下ろした。青から白へと視線を変えて、今度は風に舞っている木の葉を目で追う。それにも飽きたのか、両手を後ろに突くと、短く息を落として消え入りそうな声で呟いた。
「姉上は俺の親代わりだった。幸せにならなきゃいけなかったんだ・・・」
こんなことを言って何になる、紗己には何の関係もないだろう。思いはするも、止められなかった。
誰も悪くないし憎くもない。それでも、自分だけが悲しみの中に取り残されているみたいで苦しかった。