第一章
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――――――
いまだかつてない、激しい動揺と衝撃。それは場所や時間を変えても鎮まる気配がなく、決して逃してなるものかとどこまでも彼に食らい付いて離れない。
こんな形で子供の父親になっていいのか――思うものの、紗己を見捨てることなど出来るはずもないし、する気もない。けど、だけど・・・・・・。
土方は自室に戻ってもうかれこれ数時間、虫の声をBGMに禅問答を繰り返していた。
日頃寝起きしている、屯所内で一番落ち着くはずのこの部屋も、今夜は彼に安らぎを与えてはくれない。
土方は枕元に転がっている複数の煙草の箱を軽く手で押さえて、中身が入っている一つだけを手に取ると縁側へと出た。
ひゅぅと笛の音に似た風が、枝から落ちた数枚の葉をさらっていく。肌寒く感じる夜風に、確実に時が流れていることを痛感する。
蚊取り線香の匂いが廊下を漂っていたあの夜、土方は確かな幸せを抱いていた。そんな夢を見てしまった。
(そうだ、俺が抱いたのは本当は――)
「始まりからして、間違いも甚だしいぜまったく・・・・・・」
自嘲気味に呟くと、深く吸い込んだ煙を勢いよく体外に吐き出した。
間違いから始まった、紗己との奇妙な関係。未だ一定の距離を保っているのは、何も彼女を大切にしたいからだけではなかった。
つくづく臆病な男だと、土方は自分でも思う。
田舎から上京する時彼女 を残してきたのは、幸せになってほしかったからだ。自分にはそんな真似は出来ないと、わざと突き放した。嫌われてもいいと思った。本当は自分のせいで彼女が傷付くのを見たくなかっただけなのに。
それでも、がむしゃらに突き進もうとする強い志があったし、それを逃げ道にもした。そうして時は過ぎ、別々の人生を歩むことを当たり前に受け入れていた。
けれど今は違う。若かったあの頃よりも、はるかに気持ちに余裕がある。今ならば、幸せを抱えながら人生を戦うことも、出来ないことではないのかもしれない。
それなのに――どうしてか進めない。
次第に心の中で育ってしまった紗己への甘い感情、恋心を素直に認められないのは、常に罪悪感が胸に巣食っているからだ。
まるで身代わりのように抱いてしまったことを、ずっと負い目に感じてしまっている。
そしてその負い目は紗己だけに向けられているのではない。大切にしていた昔の思い出を、己の手で汚してしまったような気にもなってしまう。
夜風に乗せて紫煙を吐くと、土方は静かに目を閉じた。数時間前の紗己の様子を思い出し、胸が痛む。
(あ゛ー・・・またやっちまったな・・・・・・)
一番心細い時であろうに、一切の気遣いを放棄した自分を思い出し、土方は苦々しい表情で夜空を仰いだ。
「考えさせてくれ」と言って紗己の部屋から出てきたが、それは混乱している頭の中を整理したくて言ったのであって、今後の出方をいくつか検討するという意味ではなかった。
けれど、きっと彼女にはそこまで伝わらなかっただろう。言葉足らずだったのは重々承知している。
また明日、一晩経って気持ちが少し落ち着いてから、今日の事も含めてきちんと向かい合わなければ――そう決意して、土方は手元の煙草を灰皿に押し付けると部屋へ戻った。
もともと一人の部屋なのに不思議と『独り』を感じるのは、ずっと紗己の事を考えていたからだろう。
土方は布団の上にどかっと腰を下ろすと、首の後ろを撫でながら盛大に溜息をついた。
俺一人がどうこう考えたって仕方ねえか。アイツの腹ん中にいるのは、俺たち二人の子供なんだから・・・ん、二人・・・・・・? そうか、そういやそうだな・・・・・・。
当然といえば当然なのだが、少しだけ照れてしまう。土方の中である種の聖域になっていた紗己が、自分の子供を宿しているのだ。
妙に生々しく感じて、気づかぬ間に頬が緩んでいた。
――――――
遠くに規則的な音が聞こえる。だんだんと近付いてくるそれが時計の秒針だと気付いた時には、紗己は部屋の灯りに目を細めていた。
(いつの間に眠ってたんだろう・・・・・・)
乱れた髪を耳に掛けると、紗己は伏せていた枕から顔を上げた。
膝をついたまま、ずるずると鏡台の前まで移動する。寝起きの顔を確認し、頬の痛みの原因が枕の縫い目の痕だと知った。
土方が部屋を去ってから、紗己は一人不安と戦っていた。
彼はどういう判断を下すのか――自分がどうしたいというよりも、土方の気持ちが気になって仕方が無い。
困らせてしまっただろうか、そう思うだけで脈が速くなり、嫌われてしまったら・・・と思うだけで涙が出そうになる。
こんなことになって初めて、他の男性には感じ得ない激情を土方に抱いていると気付く。
未だ妊娠しているという事実に実感がわかないため、母親としての自覚よりも先に、恋をしている自覚が芽生えてしまった。
今まで恋だと自覚出来る程誰かを好きになったことのない紗己にとって、土方へのこの想いが初恋なのだ。
だが、世間でよく言われているほど、初恋は甘酸っぱいものではなかったと紗己は思う。
今目の前にある大きな問題に、恋の醍醐味はすっかり居場所を失ってしまい、そこに残ったのは百戦錬磨の大人でも手を焼くような厄介さだけだ。
それでも、土方を想えば胸が熱いと騒いで苦しくなる。
今までの関係で十分幸せだった紗己は、昨日までの心穏やかな日々に懐かしさを覚えた。
段飛ばしで上ってしまった大人の階段の傾斜は急すぎて、下りるも上るも勇気がいる。
いまだかつてない、激しい動揺と衝撃。それは場所や時間を変えても鎮まる気配がなく、決して逃してなるものかとどこまでも彼に食らい付いて離れない。
こんな形で子供の父親になっていいのか――思うものの、紗己を見捨てることなど出来るはずもないし、する気もない。けど、だけど・・・・・・。
土方は自室に戻ってもうかれこれ数時間、虫の声をBGMに禅問答を繰り返していた。
日頃寝起きしている、屯所内で一番落ち着くはずのこの部屋も、今夜は彼に安らぎを与えてはくれない。
土方は枕元に転がっている複数の煙草の箱を軽く手で押さえて、中身が入っている一つだけを手に取ると縁側へと出た。
ひゅぅと笛の音に似た風が、枝から落ちた数枚の葉をさらっていく。肌寒く感じる夜風に、確実に時が流れていることを痛感する。
蚊取り線香の匂いが廊下を漂っていたあの夜、土方は確かな幸せを抱いていた。そんな夢を見てしまった。
(そうだ、俺が抱いたのは本当は――)
「始まりからして、間違いも甚だしいぜまったく・・・・・・」
自嘲気味に呟くと、深く吸い込んだ煙を勢いよく体外に吐き出した。
間違いから始まった、紗己との奇妙な関係。未だ一定の距離を保っているのは、何も彼女を大切にしたいからだけではなかった。
つくづく臆病な男だと、土方は自分でも思う。
田舎から上京する時
それでも、がむしゃらに突き進もうとする強い志があったし、それを逃げ道にもした。そうして時は過ぎ、別々の人生を歩むことを当たり前に受け入れていた。
けれど今は違う。若かったあの頃よりも、はるかに気持ちに余裕がある。今ならば、幸せを抱えながら人生を戦うことも、出来ないことではないのかもしれない。
それなのに――どうしてか進めない。
次第に心の中で育ってしまった紗己への甘い感情、恋心を素直に認められないのは、常に罪悪感が胸に巣食っているからだ。
まるで身代わりのように抱いてしまったことを、ずっと負い目に感じてしまっている。
そしてその負い目は紗己だけに向けられているのではない。大切にしていた昔の思い出を、己の手で汚してしまったような気にもなってしまう。
夜風に乗せて紫煙を吐くと、土方は静かに目を閉じた。数時間前の紗己の様子を思い出し、胸が痛む。
(あ゛ー・・・またやっちまったな・・・・・・)
一番心細い時であろうに、一切の気遣いを放棄した自分を思い出し、土方は苦々しい表情で夜空を仰いだ。
「考えさせてくれ」と言って紗己の部屋から出てきたが、それは混乱している頭の中を整理したくて言ったのであって、今後の出方をいくつか検討するという意味ではなかった。
けれど、きっと彼女にはそこまで伝わらなかっただろう。言葉足らずだったのは重々承知している。
また明日、一晩経って気持ちが少し落ち着いてから、今日の事も含めてきちんと向かい合わなければ――そう決意して、土方は手元の煙草を灰皿に押し付けると部屋へ戻った。
もともと一人の部屋なのに不思議と『独り』を感じるのは、ずっと紗己の事を考えていたからだろう。
土方は布団の上にどかっと腰を下ろすと、首の後ろを撫でながら盛大に溜息をついた。
俺一人がどうこう考えたって仕方ねえか。アイツの腹ん中にいるのは、俺たち二人の子供なんだから・・・ん、二人・・・・・・? そうか、そういやそうだな・・・・・・。
当然といえば当然なのだが、少しだけ照れてしまう。土方の中である種の聖域になっていた紗己が、自分の子供を宿しているのだ。
妙に生々しく感じて、気づかぬ間に頬が緩んでいた。
――――――
遠くに規則的な音が聞こえる。だんだんと近付いてくるそれが時計の秒針だと気付いた時には、紗己は部屋の灯りに目を細めていた。
(いつの間に眠ってたんだろう・・・・・・)
乱れた髪を耳に掛けると、紗己は伏せていた枕から顔を上げた。
膝をついたまま、ずるずると鏡台の前まで移動する。寝起きの顔を確認し、頬の痛みの原因が枕の縫い目の痕だと知った。
土方が部屋を去ってから、紗己は一人不安と戦っていた。
彼はどういう判断を下すのか――自分がどうしたいというよりも、土方の気持ちが気になって仕方が無い。
困らせてしまっただろうか、そう思うだけで脈が速くなり、嫌われてしまったら・・・と思うだけで涙が出そうになる。
こんなことになって初めて、他の男性には感じ得ない激情を土方に抱いていると気付く。
未だ妊娠しているという事実に実感がわかないため、母親としての自覚よりも先に、恋をしている自覚が芽生えてしまった。
今まで恋だと自覚出来る程誰かを好きになったことのない紗己にとって、土方へのこの想いが初恋なのだ。
だが、世間でよく言われているほど、初恋は甘酸っぱいものではなかったと紗己は思う。
今目の前にある大きな問題に、恋の醍醐味はすっかり居場所を失ってしまい、そこに残ったのは百戦錬磨の大人でも手を焼くような厄介さだけだ。
それでも、土方を想えば胸が熱いと騒いで苦しくなる。
今までの関係で十分幸せだった紗己は、昨日までの心穏やかな日々に懐かしさを覚えた。
段飛ばしで上ってしまった大人の階段の傾斜は急すぎて、下りるも上るも勇気がいる。