第九章
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――――――
「いやー、それにしても驚きですよ。紗己さんが、あの土方さんの奥さんだなんて」
四つのコップを載せた盆を手に、驚きを口にしながら新八が居間へと戻ってきた。ピンク色の甘い液体の入ったコップをそれぞれの前に置いていき、紗己の座るソファの向かい側に腰を下ろす。
「紗己さんはこんなにも人畜無害な感じの穏やかな人なのに。ねえ、銀さん」
隣に座る銀時に同意を求めると、彼は好物のいちご牛乳に手を伸ばしながら気怠げに答えた。
「だから良いんだろ。ああいうヤツほど、プライベートでは癒やしを求めたりするモンなんだよ」
「なるほど。でも、いくら見た目が良くても、土方さんってあの味覚センスじゃないですか。結婚とか、やっぱり意外ですよね」
「あー、まあな。あの味覚障害っぷりじゃ、結婚とか縁遠そうだもんな、アイツ」
「ほんとに縁遠い銀ちゃんには、あのマヨラーも言われたくないだろうけどネ」
紗己の隣で、彼女が持参した焼き菓子を頬張っている神楽が、呆れたように銀時を一瞥した。
「ああー? 俺は縁遠いんじゃなくて、する気がねーの。それに俺は確かに甘いモン好きだけど、普段の食事に砂糖振り掛けて食べたりはしねーよ」
「はは、確かに」
言われてみれば、土方の常軌を逸するマヨネーズ愛と銀時の糖分フェチは、同列には語れない。新八は認識を改め頷くと、向かい側に座る紗己を見やった。
先程から会話の中で自分の夫をキワモノ扱いされているにも関わらず、彼女はそのにこやかな表情を崩すことはない。
「あの、紗己さん。その・・・貴女が作った食事にも、土方さんはマヨネーズ掛けちゃうんですよね?」
「ええ」
「嫌じゃないんですか? せっかく作った食事を台無しにされて」
新八の疑問も最もだろう。実際紗己も同じような質問を、屯所に住まう隊士達に幾度となくされたことがある。
そしてその度に返してきた答えを、彼女は柔らかな笑顔でここでも披露する。
「台無しとは思ってないですよ? そういう味覚の方だって知った上で、好きになりましたから」
「えっ、土方さんわざわざお見合いの席で、自分の欠点を発表したんですか!」
「え、お見合い?」
新八の発言に、紗己がキョトンとした顔で小首を傾げる。すると二人の会話を聞いていた銀時が、
「こいつら見合い結婚じゃねえよ。つーか、俺見合いだなんて一言も言ってねーけど」
個包装された焼き菓子の袋を開けながら、新八の言葉を訂正した。
「えっ! お見合いじゃないんですか!? 僕てっきり、お見合い結婚だとばっかり・・・」
「あのマヨラーが恋愛結婚とか、想像も出来ないアル」
口の中の菓子をいちご牛乳と共に喉奥へと流し込んだ神楽が、ぷはっと甘い息を吐きながら新八に同調した。
真選組とマヨネーズのことしか頭にないようなあの男のことだから、仕事関係で勧められて、仕方なく見合いでもしたのだろう。
新八も神楽も、てっきりそう思い込んでしまっていた。
だが、事実はそれとは異なるらしい。ならば恋愛結婚だとでも? あの土方十四郎が?
まるで枕詞のように『あの 』と付けてしまうほどキワモノの土方と、こんなどの角度から見ても平和な雰囲気の女性のどこに接点があったのだろうか。その疑問が思わず口をついて出た。
「ええっと、それじゃあ二人は一体どういうきっかけで・・・?」
新八が遠慮がちに訊ねると、紗己は半月型の瞳を細めてにっこりと微笑んだ。
「私、真選組で住み込みの女中として働いてたんです」
「え、ええ? 女中って・・・え、紗己さんが?」
「はい。え、変ですか?」
ありのままの事実を伝えただけなのだが、新八の困惑に満ちた反応に紗己は不思議そうに首を傾げる。
そこへ、菓子を食べる手を一旦止めた神楽が、ソファに凭れながら隣に座る紗己を見つめて言った。
「なんか意外アルな。紗己からは、イイとこのお嬢さんな匂いがしてるんだけどネ」
「そ、そうなんだよ! 住み込みで働かなきゃいけないような、生活に困ってる感じが全然しないんですよ! ね、銀さんっ」
余程納得がいかないのだろう。力説しながら、隣で三個目の焼き菓子を頬張る銀時に同意を求める。
すると銀時は、また新たな焼き菓子へと手を伸ばしながら、新八と神楽が感じていた違和感に答えを出した。
「そりゃそうだわ、コイツの実家って米問屋だぜ。なあ、紗己?」
「はい」
穏やかな笑みを浮かべて頷く紗己を、向かい側から新八が驚きも露わに見つめて言う。
「えっ!? それじゃ紗己さん、本当にお嬢様じゃないですか!」
「そうだよ、しかも一人娘だぜ。商売も手広くやってるらしいからな、言わば豪商だな」
「そんな銀さんたら、大袈裟ですよ。都会と違って田舎なので、色々担っているだけですから」
少し眉を寄せながら、紗己は優しい口調で言った。手前に置かれたいちご牛乳が入ったコップを手に取り、こくんと行儀良く飲む姿は、確かにきちんと躾けられた育ちの良さを感じさせる。
神楽の言う『イイとこのお嬢さんな匂い』も、自分の直感も正しかったのだ。得心した新八だったが、そもそもの疑問が解決していないことに気付く。
「あの、紗己さん。どうして真選組で住み込みの女中をしてたんですか? どう考えてもわざわざ働きに出る必要なんて無いですよね?」
「家出でもしてたアルか?」
新八の問いに次いで、神楽もふと脳裏に浮かんだ疑問を口にする。すると紗己は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにクスクスと笑って否定した。
「まさか! 家出だなんて、そんなことしてないですよ」
そして恥ずかしそうに頬を紅く染めながら、春先に町で土方に助けられた事、その後伝手を頼りに真選組の女中になった事を話し出した。
――――――
「はああ・・・そんな経緯があったんですか」
紗己から話を聞いた新八は、眼鏡の奥の目を瞬かせ、深く吐息してから言った。
「なにしみじみ言ってんだよ」
あまりにも新八が感慨深げに言うものだから、思わず心の声が漏れ出てしまった銀時に、当の新八がやや興奮気味に言葉を放つ。
「いや、だってすごくないですか! 見も知らずの人を好きになって、縁あって再会、それで結婚ですよ!? こんなドラマみたいな話、実際にあるんだなって思ったらそりゃ驚きますよ! ね、神楽ちゃんもそう思うだろ?」
「まあな。でも、紗己は肉食系女子には見えないのにネ。一目惚れしてからの行動力、よっぽどあのマヨラーの見た目が好みだったアルか?」
同意を求める新八に適当な相槌を打ちつつ、隣で穏やかな笑みを湛える紗己に問い掛ける。
すると紗己は、少し照れたようにはにかみながら、いちご牛乳をこくりと一口飲んでゆっくりと話し出した。
「その、見た目はあの、素敵だとは思うけど・・・一目惚れって感じじゃ無くって、ただご恩を返したいって気持ちだけだったんです。その場でお礼も言えなかったから、後から真選組に伝手があるって分かって、どうしても恩返しがしたくて」
「でも、お礼だけなら後日、それこそ今日みたいに菓子折り持って挨拶に行くだけでも良かったわけじゃないですか。それをわざわざ女中として働くってことは、やっぱり土方さんのこと、最初から好きだったんじゃないですか?」
やたらとグイグイ考察してくる新八に苦笑いを向けた紗己だったが、数秒の間のあと小さく頷いてみせ、フフッと軽やかな笑い声を漏らした。
「私、これまで恋愛経験が全く無くて、そういう感情にかなり疎かったみたいで・・・そうですね、今思えば一目惚れだったのかも」
当時を思い出しているのだろうか、色白の頬を桜色に染めて微笑む紗己。その姿はまさに幸せそのものだ。
「まあ、あんな男前な人にピンチを救われたら、そりゃ一目惚れするのも頷けますよ」
まるで恋愛ドラマの感想を述べるように言った新八だが、ふと表情が変わった。何かを思い出したように、軽く首を捻って右手を顎に当てる。
「どうしたネ、新八」
「いや、ちょっと意外だなって思ってさ」
「意外って何が」
神楽と銀時に訊ねられ、やや気まずそうに新八は口を開いた。
「ほら、土方さんって割と常識人じゃないですか」
「はあ? あのマヨネーズの摂取量は明らかに非常識だろうが」
思いっきり眉をしかめて突っ込んできた銀時に苦笑しつつ、新八は言葉を続ける。
「まあまあ、それは確かにそうなんですけどね。でもマヨネーズ以外に関しては、土方さんって結構真面目だし硬い人だし、何だかんだで常識的ですよね。それなのに、紗己さんとのことはその・・・」
「なんだよ、どうした急に」
突然言いにくそうに口ごもり、目線も下げてしまった新八を、隣に座る銀時が怪訝な面持ちで見やる。すると新八は、少し気まずそうに向かい側の紗己を見つめ、遠慮がちに話し出した。
「その・・・紗己さん、今あの、妊娠・・・してるわけでしょ? 土方さんなら、こういうのって順番守りそうな気がしてたから、ちょっと意外だなって思いまして」
「えっ、あ、あの・・・」
言葉に詰まった紗己が、カアっと顔を赤くしながら恥ずかしそうに俯いた。膝に置かれた白く細い指が、自身の着物をキュッと掴む。
その様子を隣で見ていた神楽が、いかにも不服そうに新八に言葉を投げた。
「なんだヨ、デキ婚なんて今時珍しくもなんともないネ! 気にすることないよ、紗己」
「あ・・・その、ええ・・・」
自分に気遣いを見せてくれた神楽に笑みを見せるものの、その表情の奥には複雑な心境が隠されている。
ちらりと自身に向けられた視線からそれを感じ取った銀時は、大きな背中をソファの背もたれに預け、吐息しながら気怠げに口を開く。
「おいおい新八、お前なにデリカシーのないこと言ってんだよ」
「あっ、すみません紗己さん! そんな、そういうつもりで言ったんじゃないんです! ただその、土方さんにしては意外だなって思っただけで・・・」
「ばっかお前、意外でも何でもねーだろ。考えてもみろよ、コイツがあそこで働くってことは狼の群れの中に子羊放り込むようなモンなんだぜ」
耳を掻きながら、やる気のない表情のまま向かいの紗己を顎でしゃくる。
「だからこそ順番だの悠長なこと言ってらんねーってなったんだろ、あの野郎は。さっさと手ェ出して『これは俺の女だ』って周りに知らしめておけば、他の奴らに横取りされる心配は無くなるしな」
そう言って銀時は軽く首を解すと、自分に視線を向け続ける紗己と目を合わせた。
先程と変わらず複雑な心境が透けて見える瞳に、これでいいんだよ、との思いを込めて穏やかな笑みを返してやる。
紗己と土方の『始まり』の真実は、たった今銀時が語った内容とは違っている。本当は泥酔した土方が、夢と混同して紗己を抱いてしまったのだ。おまけに人違いで。
そのことを知っているのは沖田と山崎、そして紗己から真実を聞いた銀時だけで、だからこそ紗己はどう新八に答えればいいか、真実を知る銀時に助けを求めたのだ。
だが、わざわざ馬鹿正直に言う必要はないと判断した銀時は、さもこれが真実だとばかりに土方の心境を推測して語った。
そんな銀時の説明に合点がいったのだろう、新八はスッキリとした表情で眼鏡をくいっと押し上げた。
「なるほど! いくらなんでも、上司の恋人に手出しは出来ないですもんね。ましてや相手はあの土方さんだし」
「そーゆーこと。何せ、あの野郎はコイツにべた惚れしてっからな。俺なんて、もう何回アイツに嫉妬されたか分かんねーよ」
「意外に独占欲の強い男アルな」
「野郎にとっちゃァ、コイツのそばに居る男は全員敵なんだよ。今日だって、俺とコイツを二人きりにさせないために、玄関先だけでさっさと帰って来いって言ってんだぜ」
言い終えると、ニヤッと片方の口端を上げて紗己を見やった。
だが紗己は持ち前の鈍感さ故か、キョトンとした表情で首を傾げている。
「え、そうなんですか? 土方さん、仕事の邪魔しちゃ悪いからって言ってましたよ?」
「おいおい、んなモン建前に決まってんだろーが。今日ここに俺だけしか居ないことを想定して、お前を俺と二人きりにしないためにそう言ったんだよ」
薄ら笑いながら言えば、紗己はようやく銀時の言葉の意味を理解したようで、少し眉を寄せて苦笑いを浮かべた。
「そっか、そういう意味で言ってたんですね、土方さん」
「そーそー。アイツ今日から出張だったろ? 自分が身動き取れねえから、尚更俺のこと警戒してんだよ」
そう言ってククッと笑う銀時に、紗己は少し申し訳無さそうな表情で小さく頭を下げた。
「ごめんなさい、銀さん。土方さんがなんだか勘違いして疑っちゃったみたいで」
「ああ、いーんだよそれは別に。アイツが嫉妬して必死になってんのも、それはそれで笑えるし」
ニヤニヤと笑いながら軽い調子で答えると、普段通りの柔らかな笑みを浮かべた紗己が、クスッと笑ってみせた。
「土方さんったら・・・私と銀さんにそんな心配なんて、全く必要ないのに。ね、銀さん?」
「え、あ・・・ああ」
笑顔のまま声を掛けられ、銀時は軽く頬を引きつらせながら返事をした。
疑われるようなことは何もしていないし、これからだってそんなことは起こり得ない。
だが、あまりにもはっきり言われてしまうと、虚しい気分になるのはどうしてだろうか。
複雑な心境を悟られまいと無表情を装う銀時とは対照的に、紗己は何故だか嬉しそうに微笑んでいる。
「あれ、紗己さんなんか嬉しそうですね?」
幸せに包まれている紗己の穏やかな表情を目にし、新八が楽しげに突っ込みを入れる。すると紗己は、桃色に染まった頬に手を当てながらフフッと軽やかに微笑んだ。
「嫉妬しちゃうくらい、私のこと想ってくださってるんだなぁって・・・そう思ったら、なんだか嬉しくって」
恥ずかしそうに言うと、自身のコップに手を伸ばして中身を一口飲んだ。両手でコップを持ったまま、艷やかな唇の隙間からフゥっと吐息する。
そんな紗己の姿に、銀時は己の複雑な心境の答えを見た。
眼中に無いってか、同じ土俵にすら立たせてもらえねーんだもんな。思った途端、不思議と笑いが込み上げてきた。
彼女にとっては、愛する夫だけが特別なのだ。そのことに男としてのプライドが若干傷付くものの、別に同じ土俵に上がりたいわけではない。
昨日話した時は、あれだけ悩んでたのにな。
夫婦として進展が無いことを悩んでいた昨日の紗己と、夫の自分への想いに喜ぶ今の彼女とでは、明らかに今の方が気持ちの余裕が見て取れる。
おまけに、昨日偶然会った土方にも、紗己との話し合いを勧めたのだ。出張というイベントを前に、きっと夫婦で話し合いが出来たのだろう。
銀時はソファにぐっと深く背中を預け、楽しく語らう紗己を眺めて吐息した。幸せそうで何よりだ。
「いやー、それにしても驚きですよ。紗己さんが、あの土方さんの奥さんだなんて」
四つのコップを載せた盆を手に、驚きを口にしながら新八が居間へと戻ってきた。ピンク色の甘い液体の入ったコップをそれぞれの前に置いていき、紗己の座るソファの向かい側に腰を下ろす。
「紗己さんはこんなにも人畜無害な感じの穏やかな人なのに。ねえ、銀さん」
隣に座る銀時に同意を求めると、彼は好物のいちご牛乳に手を伸ばしながら気怠げに答えた。
「だから良いんだろ。ああいうヤツほど、プライベートでは癒やしを求めたりするモンなんだよ」
「なるほど。でも、いくら見た目が良くても、土方さんってあの味覚センスじゃないですか。結婚とか、やっぱり意外ですよね」
「あー、まあな。あの味覚障害っぷりじゃ、結婚とか縁遠そうだもんな、アイツ」
「ほんとに縁遠い銀ちゃんには、あのマヨラーも言われたくないだろうけどネ」
紗己の隣で、彼女が持参した焼き菓子を頬張っている神楽が、呆れたように銀時を一瞥した。
「ああー? 俺は縁遠いんじゃなくて、する気がねーの。それに俺は確かに甘いモン好きだけど、普段の食事に砂糖振り掛けて食べたりはしねーよ」
「はは、確かに」
言われてみれば、土方の常軌を逸するマヨネーズ愛と銀時の糖分フェチは、同列には語れない。新八は認識を改め頷くと、向かい側に座る紗己を見やった。
先程から会話の中で自分の夫をキワモノ扱いされているにも関わらず、彼女はそのにこやかな表情を崩すことはない。
「あの、紗己さん。その・・・貴女が作った食事にも、土方さんはマヨネーズ掛けちゃうんですよね?」
「ええ」
「嫌じゃないんですか? せっかく作った食事を台無しにされて」
新八の疑問も最もだろう。実際紗己も同じような質問を、屯所に住まう隊士達に幾度となくされたことがある。
そしてその度に返してきた答えを、彼女は柔らかな笑顔でここでも披露する。
「台無しとは思ってないですよ? そういう味覚の方だって知った上で、好きになりましたから」
「えっ、土方さんわざわざお見合いの席で、自分の欠点を発表したんですか!」
「え、お見合い?」
新八の発言に、紗己がキョトンとした顔で小首を傾げる。すると二人の会話を聞いていた銀時が、
「こいつら見合い結婚じゃねえよ。つーか、俺見合いだなんて一言も言ってねーけど」
個包装された焼き菓子の袋を開けながら、新八の言葉を訂正した。
「えっ! お見合いじゃないんですか!? 僕てっきり、お見合い結婚だとばっかり・・・」
「あのマヨラーが恋愛結婚とか、想像も出来ないアル」
口の中の菓子をいちご牛乳と共に喉奥へと流し込んだ神楽が、ぷはっと甘い息を吐きながら新八に同調した。
真選組とマヨネーズのことしか頭にないようなあの男のことだから、仕事関係で勧められて、仕方なく見合いでもしたのだろう。
新八も神楽も、てっきりそう思い込んでしまっていた。
だが、事実はそれとは異なるらしい。ならば恋愛結婚だとでも? あの土方十四郎が?
まるで枕詞のように『
「ええっと、それじゃあ二人は一体どういうきっかけで・・・?」
新八が遠慮がちに訊ねると、紗己は半月型の瞳を細めてにっこりと微笑んだ。
「私、真選組で住み込みの女中として働いてたんです」
「え、ええ? 女中って・・・え、紗己さんが?」
「はい。え、変ですか?」
ありのままの事実を伝えただけなのだが、新八の困惑に満ちた反応に紗己は不思議そうに首を傾げる。
そこへ、菓子を食べる手を一旦止めた神楽が、ソファに凭れながら隣に座る紗己を見つめて言った。
「なんか意外アルな。紗己からは、イイとこのお嬢さんな匂いがしてるんだけどネ」
「そ、そうなんだよ! 住み込みで働かなきゃいけないような、生活に困ってる感じが全然しないんですよ! ね、銀さんっ」
余程納得がいかないのだろう。力説しながら、隣で三個目の焼き菓子を頬張る銀時に同意を求める。
すると銀時は、また新たな焼き菓子へと手を伸ばしながら、新八と神楽が感じていた違和感に答えを出した。
「そりゃそうだわ、コイツの実家って米問屋だぜ。なあ、紗己?」
「はい」
穏やかな笑みを浮かべて頷く紗己を、向かい側から新八が驚きも露わに見つめて言う。
「えっ!? それじゃ紗己さん、本当にお嬢様じゃないですか!」
「そうだよ、しかも一人娘だぜ。商売も手広くやってるらしいからな、言わば豪商だな」
「そんな銀さんたら、大袈裟ですよ。都会と違って田舎なので、色々担っているだけですから」
少し眉を寄せながら、紗己は優しい口調で言った。手前に置かれたいちご牛乳が入ったコップを手に取り、こくんと行儀良く飲む姿は、確かにきちんと躾けられた育ちの良さを感じさせる。
神楽の言う『イイとこのお嬢さんな匂い』も、自分の直感も正しかったのだ。得心した新八だったが、そもそもの疑問が解決していないことに気付く。
「あの、紗己さん。どうして真選組で住み込みの女中をしてたんですか? どう考えてもわざわざ働きに出る必要なんて無いですよね?」
「家出でもしてたアルか?」
新八の問いに次いで、神楽もふと脳裏に浮かんだ疑問を口にする。すると紗己は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにクスクスと笑って否定した。
「まさか! 家出だなんて、そんなことしてないですよ」
そして恥ずかしそうに頬を紅く染めながら、春先に町で土方に助けられた事、その後伝手を頼りに真選組の女中になった事を話し出した。
――――――
「はああ・・・そんな経緯があったんですか」
紗己から話を聞いた新八は、眼鏡の奥の目を瞬かせ、深く吐息してから言った。
「なにしみじみ言ってんだよ」
あまりにも新八が感慨深げに言うものだから、思わず心の声が漏れ出てしまった銀時に、当の新八がやや興奮気味に言葉を放つ。
「いや、だってすごくないですか! 見も知らずの人を好きになって、縁あって再会、それで結婚ですよ!? こんなドラマみたいな話、実際にあるんだなって思ったらそりゃ驚きますよ! ね、神楽ちゃんもそう思うだろ?」
「まあな。でも、紗己は肉食系女子には見えないのにネ。一目惚れしてからの行動力、よっぽどあのマヨラーの見た目が好みだったアルか?」
同意を求める新八に適当な相槌を打ちつつ、隣で穏やかな笑みを湛える紗己に問い掛ける。
すると紗己は、少し照れたようにはにかみながら、いちご牛乳をこくりと一口飲んでゆっくりと話し出した。
「その、見た目はあの、素敵だとは思うけど・・・一目惚れって感じじゃ無くって、ただご恩を返したいって気持ちだけだったんです。その場でお礼も言えなかったから、後から真選組に伝手があるって分かって、どうしても恩返しがしたくて」
「でも、お礼だけなら後日、それこそ今日みたいに菓子折り持って挨拶に行くだけでも良かったわけじゃないですか。それをわざわざ女中として働くってことは、やっぱり土方さんのこと、最初から好きだったんじゃないですか?」
やたらとグイグイ考察してくる新八に苦笑いを向けた紗己だったが、数秒の間のあと小さく頷いてみせ、フフッと軽やかな笑い声を漏らした。
「私、これまで恋愛経験が全く無くて、そういう感情にかなり疎かったみたいで・・・そうですね、今思えば一目惚れだったのかも」
当時を思い出しているのだろうか、色白の頬を桜色に染めて微笑む紗己。その姿はまさに幸せそのものだ。
「まあ、あんな男前な人にピンチを救われたら、そりゃ一目惚れするのも頷けますよ」
まるで恋愛ドラマの感想を述べるように言った新八だが、ふと表情が変わった。何かを思い出したように、軽く首を捻って右手を顎に当てる。
「どうしたネ、新八」
「いや、ちょっと意外だなって思ってさ」
「意外って何が」
神楽と銀時に訊ねられ、やや気まずそうに新八は口を開いた。
「ほら、土方さんって割と常識人じゃないですか」
「はあ? あのマヨネーズの摂取量は明らかに非常識だろうが」
思いっきり眉をしかめて突っ込んできた銀時に苦笑しつつ、新八は言葉を続ける。
「まあまあ、それは確かにそうなんですけどね。でもマヨネーズ以外に関しては、土方さんって結構真面目だし硬い人だし、何だかんだで常識的ですよね。それなのに、紗己さんとのことはその・・・」
「なんだよ、どうした急に」
突然言いにくそうに口ごもり、目線も下げてしまった新八を、隣に座る銀時が怪訝な面持ちで見やる。すると新八は、少し気まずそうに向かい側の紗己を見つめ、遠慮がちに話し出した。
「その・・・紗己さん、今あの、妊娠・・・してるわけでしょ? 土方さんなら、こういうのって順番守りそうな気がしてたから、ちょっと意外だなって思いまして」
「えっ、あ、あの・・・」
言葉に詰まった紗己が、カアっと顔を赤くしながら恥ずかしそうに俯いた。膝に置かれた白く細い指が、自身の着物をキュッと掴む。
その様子を隣で見ていた神楽が、いかにも不服そうに新八に言葉を投げた。
「なんだヨ、デキ婚なんて今時珍しくもなんともないネ! 気にすることないよ、紗己」
「あ・・・その、ええ・・・」
自分に気遣いを見せてくれた神楽に笑みを見せるものの、その表情の奥には複雑な心境が隠されている。
ちらりと自身に向けられた視線からそれを感じ取った銀時は、大きな背中をソファの背もたれに預け、吐息しながら気怠げに口を開く。
「おいおい新八、お前なにデリカシーのないこと言ってんだよ」
「あっ、すみません紗己さん! そんな、そういうつもりで言ったんじゃないんです! ただその、土方さんにしては意外だなって思っただけで・・・」
「ばっかお前、意外でも何でもねーだろ。考えてもみろよ、コイツがあそこで働くってことは狼の群れの中に子羊放り込むようなモンなんだぜ」
耳を掻きながら、やる気のない表情のまま向かいの紗己を顎でしゃくる。
「だからこそ順番だの悠長なこと言ってらんねーってなったんだろ、あの野郎は。さっさと手ェ出して『これは俺の女だ』って周りに知らしめておけば、他の奴らに横取りされる心配は無くなるしな」
そう言って銀時は軽く首を解すと、自分に視線を向け続ける紗己と目を合わせた。
先程と変わらず複雑な心境が透けて見える瞳に、これでいいんだよ、との思いを込めて穏やかな笑みを返してやる。
紗己と土方の『始まり』の真実は、たった今銀時が語った内容とは違っている。本当は泥酔した土方が、夢と混同して紗己を抱いてしまったのだ。おまけに人違いで。
そのことを知っているのは沖田と山崎、そして紗己から真実を聞いた銀時だけで、だからこそ紗己はどう新八に答えればいいか、真実を知る銀時に助けを求めたのだ。
だが、わざわざ馬鹿正直に言う必要はないと判断した銀時は、さもこれが真実だとばかりに土方の心境を推測して語った。
そんな銀時の説明に合点がいったのだろう、新八はスッキリとした表情で眼鏡をくいっと押し上げた。
「なるほど! いくらなんでも、上司の恋人に手出しは出来ないですもんね。ましてや相手はあの土方さんだし」
「そーゆーこと。何せ、あの野郎はコイツにべた惚れしてっからな。俺なんて、もう何回アイツに嫉妬されたか分かんねーよ」
「意外に独占欲の強い男アルな」
「野郎にとっちゃァ、コイツのそばに居る男は全員敵なんだよ。今日だって、俺とコイツを二人きりにさせないために、玄関先だけでさっさと帰って来いって言ってんだぜ」
言い終えると、ニヤッと片方の口端を上げて紗己を見やった。
だが紗己は持ち前の鈍感さ故か、キョトンとした表情で首を傾げている。
「え、そうなんですか? 土方さん、仕事の邪魔しちゃ悪いからって言ってましたよ?」
「おいおい、んなモン建前に決まってんだろーが。今日ここに俺だけしか居ないことを想定して、お前を俺と二人きりにしないためにそう言ったんだよ」
薄ら笑いながら言えば、紗己はようやく銀時の言葉の意味を理解したようで、少し眉を寄せて苦笑いを浮かべた。
「そっか、そういう意味で言ってたんですね、土方さん」
「そーそー。アイツ今日から出張だったろ? 自分が身動き取れねえから、尚更俺のこと警戒してんだよ」
そう言ってククッと笑う銀時に、紗己は少し申し訳無さそうな表情で小さく頭を下げた。
「ごめんなさい、銀さん。土方さんがなんだか勘違いして疑っちゃったみたいで」
「ああ、いーんだよそれは別に。アイツが嫉妬して必死になってんのも、それはそれで笑えるし」
ニヤニヤと笑いながら軽い調子で答えると、普段通りの柔らかな笑みを浮かべた紗己が、クスッと笑ってみせた。
「土方さんったら・・・私と銀さんにそんな心配なんて、全く必要ないのに。ね、銀さん?」
「え、あ・・・ああ」
笑顔のまま声を掛けられ、銀時は軽く頬を引きつらせながら返事をした。
疑われるようなことは何もしていないし、これからだってそんなことは起こり得ない。
だが、あまりにもはっきり言われてしまうと、虚しい気分になるのはどうしてだろうか。
複雑な心境を悟られまいと無表情を装う銀時とは対照的に、紗己は何故だか嬉しそうに微笑んでいる。
「あれ、紗己さんなんか嬉しそうですね?」
幸せに包まれている紗己の穏やかな表情を目にし、新八が楽しげに突っ込みを入れる。すると紗己は、桃色に染まった頬に手を当てながらフフッと軽やかに微笑んだ。
「嫉妬しちゃうくらい、私のこと想ってくださってるんだなぁって・・・そう思ったら、なんだか嬉しくって」
恥ずかしそうに言うと、自身のコップに手を伸ばして中身を一口飲んだ。両手でコップを持ったまま、艷やかな唇の隙間からフゥっと吐息する。
そんな紗己の姿に、銀時は己の複雑な心境の答えを見た。
眼中に無いってか、同じ土俵にすら立たせてもらえねーんだもんな。思った途端、不思議と笑いが込み上げてきた。
彼女にとっては、愛する夫だけが特別なのだ。そのことに男としてのプライドが若干傷付くものの、別に同じ土俵に上がりたいわけではない。
昨日話した時は、あれだけ悩んでたのにな。
夫婦として進展が無いことを悩んでいた昨日の紗己と、夫の自分への想いに喜ぶ今の彼女とでは、明らかに今の方が気持ちの余裕が見て取れる。
おまけに、昨日偶然会った土方にも、紗己との話し合いを勧めたのだ。出張というイベントを前に、きっと夫婦で話し合いが出来たのだろう。
銀時はソファにぐっと深く背中を預け、楽しく語らう紗己を眺めて吐息した。幸せそうで何よりだ。