第十一章
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――――――
土方は、火を点けようと右手に持ったままだったライターをキュッと握り締め、指に挟んでいた煙草に火を点けることなく灰皿に置いた。
たった今聞いたばかりの、自分の知らなかった妻の本音――その想いに鼓動が高鳴り、喉の奥に何かがつかえているような感じがして苦しくなる。
あの日、廊下で紗己に出くわした近藤は、夫である土方が怪我を負ったことに怯えていないか紗己本人に直接訊ねた。
すると紗己は、怖くないって言ったら嘘になる、けれど好きになった時からこういう事は覚悟している、と言ったのだという。
そして、侍として生きるあの人が好きだから私はずっとそばで支えていきたい、とも言った。
普段から自分の思いを前面に出すタイプではない紗己が、あまりにもはっきりとそう言ったので、意表を突かれた近藤は思わず「送り出すのは辛くないか」と訊ねてしまった。
だが紗己は、またいつも通りの穏やかな笑顔で、そういう生き方をしていると知った上で好きになったから辛くはない、と言った。
そして、「後ろ髪を引かれる思いをさせないために、いつでも笑顔で見送るって決めてるんです」と言って、微笑んでみせたという。
そうはっきりと言えるまでに、どれだけ悩んだことだろう。
辛くないわけがない。それでも紗己は、そんな態度はおくびにも出さずいつでも笑顔で出迎え、そして送り出してくれていた。
当たり前のように受け止めていた日常を思い出し、きつく唇を噛み締める土方を前に、近藤は更に記憶を辿りながら紗己との会話を土方に伝える。
「いつ今生の別れになるかも知れんと、普段から覚悟しているんだろうな。なかなか出来ることじゃねーよ、あの若さでそんな覚悟を持てるなんて」
「ああ・・・」
胸が熱くてまともな言葉が出てこず、相槌しか打てない土方に、その心情を察した近藤が優しい笑みを浮かべて言葉を続ける。
「紗己ちゃんの健気さに胸を打たれちまってな。いつでも笑顔を絶やさずにいてて偉いよって褒めたんだよ。そしたら彼女な、少し照れながら『お前の笑った顔が一番好きだって言ってくれたから、どんな時でも笑顔の私を思い出してほしくて』って言ったんだ」
「っ・・・」
「それに、こうも言ってたぞ。ここに戻りたいって思ってほしいから、私の笑顔が道標になるならずっと笑顔でいられるってな」
言い終えると近藤は、穏やかなれども真剣な表情で、俯いている土方を見やった。
「なあトシ。分かっただろ、紗己ちゃんがどれだけの覚悟と意志を持ってお前のそばにいるか」
「ああ・・・」
短く答えると、土方は熱い息を吐き出して俯いた。
少し前の、万事屋での紗己との話し合いを思い出す。
その時紗己は、好きで一緒に居るのだと、侍として生きるあなたが好きなのだと、感情を露わに泣きながら言った。
そして今、こうして彼女の本心を伝えられ、その想いは本物だったのだと改めて思い知る。
「そんなふうに・・・思っててくれたんだな・・・・・・」
ぽつりと呟き、骨張った手で垂れる前髪を掻き上げた。
俯かせていた顔をゆっくりと上げる。
「さっき万事屋を出た時も、アイツ・・・・・・笑顔で見送ってくれたよ。今日だけじゃねェ、いつでも、どんな時でも・・・」
「それが紗己ちゃんの、お前の妻としての覚悟なんだよ」
「そうだな・・・」
喉のつかえを飲み込もうと、土方は少し顔を上向きにして喉仏を上下させ、そのまま天井を見上げ両眼を閉じた。
さっきまでは泣き顔ばかりが瞼の裏に浮かんでいたのに、今はもう、いつもの穏やかな笑みを湛える紗己が、鮮やかに映し出される。
どんな時でも笑顔の自分を思い出してほしい――それは最期の別れを笑顔で飾りたいからではなく、その笑顔にまた逢いたいと、何が何でも生きて帰りたいと思ってほしいからなのだろう。
後ろ髪を引かれる思いをさせないためにいつでも笑顔で見送るというのも、心を乱さず無心で戦えるようにとの気遣いの他ならない。
(お前は信じてくれてんだな・・・・・・)
瞼の裏で微笑む紗己に、胸中で語り掛ける。
紗己は信じてくれている。
侍の妻として、常に覚悟はしているんだろう。
それでも信じてくれている。強く願っている。
好きだと言われた笑顔で居続ければ、必ずそれを道標に、俺が無事に生きて帰って来ると――。
「・・・って、ほしいんだ・・・」
「え?」
掠れた声で呟いた土方を、それを聞き取れなかった近藤が一瞥する。
それに答えるように土方は、上げていた顔を下ろして近藤と目を合わせた。
「幸せに・・・・・・なってほしいんだよ、アイツには。アイツと赤ん坊が生きてさえいてくれりゃァ、俺はそれだけでいいんだ。たとえそこに、俺が居られなくても・・・」
そう言うと深く吐息して眉を寄せ、自嘲じみた笑みを浮かべて言葉を続ける。
「けど、ただ生きてくれてりゃいいだなんて、そんなの結局俺の押し付けでしかねーよな。アイツは俺が生きて帰ることをいつだって信じてくれてるのに、俺にはアイツの覚悟を受け止めるだけの・・・・・・覚悟が足りなかったんだ」
力無く太腿に置いていた手がぐっと拳を握り、そこに視線を落としつつ頬の内側を噛む。
あの時俺はなんて酷いことを言ってしまったんだろうと、今更ながら激しい後悔が土方を襲う。
その様子を黙って見ていた近藤は、大きく一度溜め息を落とすと、肩の力を抜いてふっと笑みをこぼした。
それはいつもの豪快な笑顔ではなく、優しい兄のような表情だ。
近藤はやや前のめりになり、向かいに座る土方の顔をじっと見つめながら話し掛ける。
「お前の気持ちは分かるよ。愛する者を遺して逝くのも、自分のせいで愛する者が犠牲になるのも、どっちも辛ェに決まってる」
強い視線と言葉を受け、土方が俯かせていた顔を上げた。
これまでたくさんの仲間を失った。
愛する者を遺して息絶えていく姿を幾度となく見送ってきた。
だからこそ伝えなければいけないと、近藤は真剣な表情で言葉を繋げる。
「でもなトシ、お前はもう出逢っちまったんだよ。何があっても手放せねえ、テメーの人生から欠くことのできねえ大切な存在にな」
「近藤さん・・・」
近藤の言葉に胸を詰まらせながらも、土方は背中をぐっと伸ばして胸を張り、大きく息を吸い込んだ。
ゆっくりと吐息すると、頭の中に立ち込めていた霧が晴れたような気がした。
また紗己の笑顔を思い出す。
紗己とだから、共に生きたいと思えたんだ。
今更無かったことになど出来るはずがない。
手放せるわけがない――。
「・・・そうだよな、もう前向いて進んでいくしかねーよな」
普段通りの落ち着いた表情で話す土方に、近藤もホッと胸を撫で下ろす。
「ああ、後ろを振り返るなんてお前らしくねえよ」
「悪かったな、色々と。もう大丈夫だ」
そう言って灰皿に置いたままだった新しい煙草を手に取ると、土方はそれにさっと火を点け、穏やかな笑みを浮かべながら紫煙を吐いた。
土方は、火を点けようと右手に持ったままだったライターをキュッと握り締め、指に挟んでいた煙草に火を点けることなく灰皿に置いた。
たった今聞いたばかりの、自分の知らなかった妻の本音――その想いに鼓動が高鳴り、喉の奥に何かがつかえているような感じがして苦しくなる。
あの日、廊下で紗己に出くわした近藤は、夫である土方が怪我を負ったことに怯えていないか紗己本人に直接訊ねた。
すると紗己は、怖くないって言ったら嘘になる、けれど好きになった時からこういう事は覚悟している、と言ったのだという。
そして、侍として生きるあの人が好きだから私はずっとそばで支えていきたい、とも言った。
普段から自分の思いを前面に出すタイプではない紗己が、あまりにもはっきりとそう言ったので、意表を突かれた近藤は思わず「送り出すのは辛くないか」と訊ねてしまった。
だが紗己は、またいつも通りの穏やかな笑顔で、そういう生き方をしていると知った上で好きになったから辛くはない、と言った。
そして、「後ろ髪を引かれる思いをさせないために、いつでも笑顔で見送るって決めてるんです」と言って、微笑んでみせたという。
そうはっきりと言えるまでに、どれだけ悩んだことだろう。
辛くないわけがない。それでも紗己は、そんな態度はおくびにも出さずいつでも笑顔で出迎え、そして送り出してくれていた。
当たり前のように受け止めていた日常を思い出し、きつく唇を噛み締める土方を前に、近藤は更に記憶を辿りながら紗己との会話を土方に伝える。
「いつ今生の別れになるかも知れんと、普段から覚悟しているんだろうな。なかなか出来ることじゃねーよ、あの若さでそんな覚悟を持てるなんて」
「ああ・・・」
胸が熱くてまともな言葉が出てこず、相槌しか打てない土方に、その心情を察した近藤が優しい笑みを浮かべて言葉を続ける。
「紗己ちゃんの健気さに胸を打たれちまってな。いつでも笑顔を絶やさずにいてて偉いよって褒めたんだよ。そしたら彼女な、少し照れながら『お前の笑った顔が一番好きだって言ってくれたから、どんな時でも笑顔の私を思い出してほしくて』って言ったんだ」
「っ・・・」
「それに、こうも言ってたぞ。ここに戻りたいって思ってほしいから、私の笑顔が道標になるならずっと笑顔でいられるってな」
言い終えると近藤は、穏やかなれども真剣な表情で、俯いている土方を見やった。
「なあトシ。分かっただろ、紗己ちゃんがどれだけの覚悟と意志を持ってお前のそばにいるか」
「ああ・・・」
短く答えると、土方は熱い息を吐き出して俯いた。
少し前の、万事屋での紗己との話し合いを思い出す。
その時紗己は、好きで一緒に居るのだと、侍として生きるあなたが好きなのだと、感情を露わに泣きながら言った。
そして今、こうして彼女の本心を伝えられ、その想いは本物だったのだと改めて思い知る。
「そんなふうに・・・思っててくれたんだな・・・・・・」
ぽつりと呟き、骨張った手で垂れる前髪を掻き上げた。
俯かせていた顔をゆっくりと上げる。
「さっき万事屋を出た時も、アイツ・・・・・・笑顔で見送ってくれたよ。今日だけじゃねェ、いつでも、どんな時でも・・・」
「それが紗己ちゃんの、お前の妻としての覚悟なんだよ」
「そうだな・・・」
喉のつかえを飲み込もうと、土方は少し顔を上向きにして喉仏を上下させ、そのまま天井を見上げ両眼を閉じた。
さっきまでは泣き顔ばかりが瞼の裏に浮かんでいたのに、今はもう、いつもの穏やかな笑みを湛える紗己が、鮮やかに映し出される。
どんな時でも笑顔の自分を思い出してほしい――それは最期の別れを笑顔で飾りたいからではなく、その笑顔にまた逢いたいと、何が何でも生きて帰りたいと思ってほしいからなのだろう。
後ろ髪を引かれる思いをさせないためにいつでも笑顔で見送るというのも、心を乱さず無心で戦えるようにとの気遣いの他ならない。
(お前は信じてくれてんだな・・・・・・)
瞼の裏で微笑む紗己に、胸中で語り掛ける。
紗己は信じてくれている。
侍の妻として、常に覚悟はしているんだろう。
それでも信じてくれている。強く願っている。
好きだと言われた笑顔で居続ければ、必ずそれを道標に、俺が無事に生きて帰って来ると――。
「・・・って、ほしいんだ・・・」
「え?」
掠れた声で呟いた土方を、それを聞き取れなかった近藤が一瞥する。
それに答えるように土方は、上げていた顔を下ろして近藤と目を合わせた。
「幸せに・・・・・・なってほしいんだよ、アイツには。アイツと赤ん坊が生きてさえいてくれりゃァ、俺はそれだけでいいんだ。たとえそこに、俺が居られなくても・・・」
そう言うと深く吐息して眉を寄せ、自嘲じみた笑みを浮かべて言葉を続ける。
「けど、ただ生きてくれてりゃいいだなんて、そんなの結局俺の押し付けでしかねーよな。アイツは俺が生きて帰ることをいつだって信じてくれてるのに、俺にはアイツの覚悟を受け止めるだけの・・・・・・覚悟が足りなかったんだ」
力無く太腿に置いていた手がぐっと拳を握り、そこに視線を落としつつ頬の内側を噛む。
あの時俺はなんて酷いことを言ってしまったんだろうと、今更ながら激しい後悔が土方を襲う。
その様子を黙って見ていた近藤は、大きく一度溜め息を落とすと、肩の力を抜いてふっと笑みをこぼした。
それはいつもの豪快な笑顔ではなく、優しい兄のような表情だ。
近藤はやや前のめりになり、向かいに座る土方の顔をじっと見つめながら話し掛ける。
「お前の気持ちは分かるよ。愛する者を遺して逝くのも、自分のせいで愛する者が犠牲になるのも、どっちも辛ェに決まってる」
強い視線と言葉を受け、土方が俯かせていた顔を上げた。
これまでたくさんの仲間を失った。
愛する者を遺して息絶えていく姿を幾度となく見送ってきた。
だからこそ伝えなければいけないと、近藤は真剣な表情で言葉を繋げる。
「でもなトシ、お前はもう出逢っちまったんだよ。何があっても手放せねえ、テメーの人生から欠くことのできねえ大切な存在にな」
「近藤さん・・・」
近藤の言葉に胸を詰まらせながらも、土方は背中をぐっと伸ばして胸を張り、大きく息を吸い込んだ。
ゆっくりと吐息すると、頭の中に立ち込めていた霧が晴れたような気がした。
また紗己の笑顔を思い出す。
紗己とだから、共に生きたいと思えたんだ。
今更無かったことになど出来るはずがない。
手放せるわけがない――。
「・・・そうだよな、もう前向いて進んでいくしかねーよな」
普段通りの落ち着いた表情で話す土方に、近藤もホッと胸を撫で下ろす。
「ああ、後ろを振り返るなんてお前らしくねえよ」
「悪かったな、色々と。もう大丈夫だ」
そう言って灰皿に置いたままだった新しい煙草を手に取ると、土方はそれにさっと火を点け、穏やかな笑みを浮かべながら紫煙を吐いた。