第六章
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――――――
祝言の儀が始まるまであと一時間。土方は控室を後にして廊下を歩いていた。
式の前に一服しておきたいと思っていたところ、手の空いた女中達が紗己の花嫁姿を見に控室へとやって来たので、気を遣った紗己が一服を勧めてくれたのだ。
自室に戻るか、適当な場所で一服するか――考えながら歩いていると、
「トシ! どうした、一服か?」
食堂横の廊下を通っていた土方の耳に、聞き慣れた野太い声が届いた。通り過ぎた食堂の出入口へと身体を反転させて戻ってみると、そこには近藤と紗己の父親の姿が。
「近藤さん。案内はもう終わったのか?」
紗己の父親に軽く会釈をしてから近藤に訊ねると、彼は上機嫌な様子で頷いた。
「ああ! 屯所内は一通り見ていただいてな。あとはお前達の私室を案内しようと思って、お前を呼びに行こうと思ってたところだったんだよ」
「そうか。俺も一服しようと思って出てきたところだ」
「それじゃあ、ここからはお前がお父上を案内してこい。俺は、大広間の様子を確認してくる」
引き継ぎ役が見つかったことに安堵の表情を浮かべる近藤に、分かったと短く返事をすると、近藤は紗己の父親に一礼をしてから大広間へと向かうために食堂を後にした。
――――――
紗己の父親に屯所内を案内するという話は、既に近藤から聞いていたので、自室への案内役を任されることも想定内だった土方は、落ち着いた様子で妻の父を連れて、自室へと戻ってきた。
「ここです、どうぞ」
「これはこれは、失礼しますよ」
障子戸を開けて入室を促すと、紗己の父親はひとの良い笑みを湛えて娘夫婦の私室に足を踏み入れた。
「なかなか良い部屋ですねェ」
言いながらぐるりと室内を眺めて、続き間の和室に置かれている鏡台に目を留めると、「立派な品だ」と目を細めて言った。
「ありがとうございます」
紗己への贈り物であるそれを褒められ、気恥ずかしいながらも誇らしい気持ちの土方は、礼を言いながら心持ち表情を引き締めた。
さて、何を話そうか。茶でも淹れるか?
人をもてなすことに慣れていないため、次の行動をどうするかと考えていた土方に、紗己の父親が穏やかな口調で話し掛ける。
「そう言えば、一服されるつもりだったんでしょう。私に遠慮せず、お好きになさってくださいな」
「ああいや、お気遣いなく・・・」
これはいけない、客人(それも妻の父親)に気を遣わせてしまった。内心焦りつつも、そう言えばこの人も吸う人だったよなと、彼が喫煙者であったことを思い出す。
土方は袂から煙草とライターを取り出すと、文机の横に置いている灰皿を手に取った。
「あの、良かったらご一緒にいかがですか」
「良いですねェ、それじゃあご相伴にあずからせていただきましょうか」
紗己の父親の返事に安心した土方は、一服セットを手に縁側へと案内した。
――――――
土方と紗己の父親は、一服セットを間に置いて縁側で横並びに座り、それぞれ煙草を吸っていた。
こうしていると、こないだの夜みたいだな。煙草の煙を吐き出しながら、土方は紗己の実家に挨拶に行った日の夜のことを思い出す。あの時は縁側で一服していた紗己の父親に誘われ、共に煙管で一服したのだった。
そういや、煙管だったよな・・・・・・。ふと思い出す。ひょっとして好みやこだわりがあったのではないかと気になった土方は、隣に座る紗己の父親に遠慮がちに声を掛けた。
「あの、お義父さん・・・」
「はい、なんですかな」
「紙煙草 で良かったんですか? 煙管がお好きなら、そっちもありますが」
指に挟んだ煙草を軽く掲げてみせると、紗己の父親は柔らかな笑みを浮かべた。
「いやいや、お気になさらず。煙管は時間がある時だけで、私も普段は紙煙草ですからねェ」
「そうですか」
煙草盆を取りに行こうか一瞬迷ったが、やっぱり彼の言葉を素直に受け取っておこうという気になった土方は、また正面に向き直ってゆっくりと煙を肺へと送り込んだ。
「いい庭ですねェ、ここは。広さもあって空もよく見える」
煙草の灰を灰皿へと落としながら、紗己の父親は目の前に広がる庭を眺めて言った。
自室前の庭は特に手入れもしておらず殺風景ではあるが、屯所自体がとても広い屋敷なので、この部屋に面した庭もそこそこの広さはある。
「そう言えば、庭、綺麗にされてましたね」
紗己の実家の庭を思い出した土方は、ふぅっと煙を吐き出しながら、静かにそう言った。
「はは、ありがとうございます。あれは私の趣味みたいなモンでしてねェ」
「俺は全然詳しくないんですけど、紗己は花が好きみたいでよく生けてくれてます」
「ああ、あの子は昔から花が好きでしてねェ。うちは妻が病気で伏せっていることが多かったんで、横になりながらでも見て楽しめるように、庭に花木を沢山植えてたんですよ」
遠い日々を懐かしむような優しい目で、殺風景な庭を眺めている紗己の父親。その姿はどこか寂しげで、どう声を掛けるべきか考えあぐねていた土方だったが、その躊躇いに気付いたのか紗己の父親は、指に挟んだ煙草の煙をくゆらせながらふっと笑みをこぼした。
「さっき娘の花嫁姿を見て、正直驚きました。本当に妻によく似ている。やっぱり母娘ですねェ」
そう言った紗己の父親の表情は、すっかり娘思いの優しい父親の顔に戻っていて、それに安心した土方もまた、鋭い双眸を和らげる。
「綺麗な方だったんですね」
吸い終わった煙草を灰皿に押し付けながら言うと、それを聞いた紗己の父親は、一瞬だけ、さも意外だといった表情を見せたが、すぐににこやかに笑った。
「ええ、娘は妻の若い頃にそっくりなんですよ。私と妻は見合い結婚だったんですが、見合いの席で私が一目惚れしてしまいましてねェ」
少し照れ臭そうに言ってから、空に向けて紫煙を吐き出すと、
「だから、あの子から結婚したい人がいると電話で聞かされた時、やっぱり父娘だと思いましたよ。中身は私に似たんでしょうなァ」
そう言って、隣に座る土方を見つめて穏やかな笑みを見せた。
これには土方もたじろいだ。実はさっき紗己の母親を褒めたつもりが、遠回しに紗己のことを綺麗だと言っていたのだと気付き、しばらく恥ずかしさに見舞われていたのだが、その恥ずかしさも消えぬうちに今度はとんでもない方向から攻撃を仕掛けられてしまった。
勿論紗己の父親が敵意を持ってそんなことを言ってきたのではないと、土方も十分理解している。それでも、この気まずさは人生で一、二を争う程だと、背中に嫌な汗をかいてしまう。
すると土方の心情を読み取ったのだろうか、紗己の父親は表情と同じ穏やかな口調で、気まずそうに視線を逸らす土方に話し掛けた。
「そんな顔しないでくださいな。あの子があなたのことをとても好いていて、あなたも娘を受け入れてくれた。それだけで十分です」
「お義父さん・・・」
「相手があなたで良かったですよ、土方さん。並の男なら、私もなかなか首を立てに振れなかったでしょうからねェ」
吸っていた煙草を灰皿に休ませ腕を組んだ妻の父の言葉に、土方は困惑に満ちた表情を浮かべる。
並の男なら――ってことは、俺は一目置かれてるってことでこれは喜んでいいところなんだよな?
つーか、これってもしかして、これまでに並の男からの求婚があったからこその対比なんじゃねーのか?
こんなことを訊いてどうするんだという冷静な気持ちも無いわけではないが、出現してしまったもやもやとした感情を落ち着かせたくて、土方は複雑な面持ちで隣に身体を向けた。
「あ、あの、お義父さん」
「はい、なんですかな」
「その・・・大したことじゃないんですが、今まで紗己に・・・縁談って、あったんですか」
知りたいような知りたくないような複雑な心境で問い掛けると、紗己の父親はふっと目を細めて笑った。
「気に、なりますか」
「え、ああいや、その・・・」
笑顔でじっと見つめられて、どう答えるべきか言い淀んでしまったが、自分と出会う前の紗己のことが気になっているのは確かだ。土方はぐっと背筋を伸ばすと、紗己の父親としっかり目を合わせて頷いた。
「はい、気になってます」
「そうですか・・・」
紗己の父親はゆっくりと目線を庭へと移すと、
「嫁に欲しいと言われたのと、婿に来たいと言われたのを合わせたら、いやはや両手じゃとても足りませんねェ」
愉快そうな表情を浮かべて言った。
「え?」
「うちは早くに母親を亡くしてるんで、あの子が将来恥かかないようにって、家事一般に針仕事や礼儀作法、そういったことを割と幼い頃から教えてたんですよ」
住み込みの女中達や、行儀見習いの経験を持つ近隣商家の女性等に手習いを受けたりしていたのだと言う。
「その甲斐あってか、是非嫁にって話がここ数年ひっきりなしに来てまして。まあ、田舎ですしねェ。あとは、私の仕事を継ぐために婿に来たいって話とね」
「あの・・・そのこと、その、縁談がそんなに来てるって、紗己は知ってたんですか?」
ふと脳裏を過ぎった疑問を口にした。
あの気遣い症の紗己が、自分に縁談が来ていると知れば、父親が薦めるならとあっさり受け入れそうなものだ。
その土方の疑問の真意が伝わったのだろう。
「いいえ、あの子にはたったの一度も縁談の話は伝えたことありませんよ」
紗己の父親は腕を組み替えると、笑顔のままはっきりと言い切った。
「どれだけ話が来ようとも、並の男には可愛い娘はやれません。あの子の耳に入る前に、全部話は蹴ってありますよ」
「そ、そうなんですか・・・」
笑顔でありながらも気迫漂う妻の父の姿に気圧されつつ、土方はその横顔を一瞥する。
一見するとただただ温和な人物にしか思えないが、さすが一代で財を成しただけはある。
そんなことを思っていると、庭を眺めていた紗己の父親が、隣に座る土方のほうに身体を向けてきた。
一体何を言われるのかと眉を寄せて訝しむ土方だったが、妻の父はにこにこと朗らかな表情で話し出した。
「私は人を見る目には、なかなか自信がありましてねェ。土方さん、私は娘に子供が出来たから結婚を認めたって訳じゃない。あなたにだから、娘を任せてもいいと思ったんです」
「お義父さん・・・」
「人生を懸けて貫きたい志があるなんて、素晴らしいことじゃないですか。男でも女でも、そういう想いがある人間は強い。だからあの子は、あなたに惹かれたんでしょう」
「あ、ありがとうございます」
面と向かって褒め称えられ、何とも面映ゆい気持ちになっている土方に、紗己の父親は微笑みながら言葉を続ける。
「まだまだ幼い娘だと思ってたんですが、そう思ってたのは・・・いや、そう思いたいのは父親 だけなんでしょうねェ・・・」
穏やかな表情ながらもその姿はどこか切なげに見えて、そんな彼から大切な娘を奪ってしまう立場となった自分が一体何を言えるだろうと、土方は言葉を詰まらせる。
結局何と返せば良いか思い付かないまま苦笑いを浮かべていると、突然パンッと紗己の父親が両手を打った。
「さ、そろそろ戻りましょうか」
「あ、そ、そうですね」
いきなりの行動に面食らった土方だが、驚いたことを気付かれたくなくて無表情を装う。
二人同時に立ち上がり、二人して羽織と袴の埃を払うと、煙草とライターを袂に仕舞って灰皿を部屋に戻しに行った土方が、すぐに紗己の父親の元へと戻ってきた。
「行きましょう」
「ええ」
互いに短く言葉を交わすと、それぞれが愛しく想う者が待つ控室へと、二人で向かった。
祝言の儀が始まるまであと一時間。土方は控室を後にして廊下を歩いていた。
式の前に一服しておきたいと思っていたところ、手の空いた女中達が紗己の花嫁姿を見に控室へとやって来たので、気を遣った紗己が一服を勧めてくれたのだ。
自室に戻るか、適当な場所で一服するか――考えながら歩いていると、
「トシ! どうした、一服か?」
食堂横の廊下を通っていた土方の耳に、聞き慣れた野太い声が届いた。通り過ぎた食堂の出入口へと身体を反転させて戻ってみると、そこには近藤と紗己の父親の姿が。
「近藤さん。案内はもう終わったのか?」
紗己の父親に軽く会釈をしてから近藤に訊ねると、彼は上機嫌な様子で頷いた。
「ああ! 屯所内は一通り見ていただいてな。あとはお前達の私室を案内しようと思って、お前を呼びに行こうと思ってたところだったんだよ」
「そうか。俺も一服しようと思って出てきたところだ」
「それじゃあ、ここからはお前がお父上を案内してこい。俺は、大広間の様子を確認してくる」
引き継ぎ役が見つかったことに安堵の表情を浮かべる近藤に、分かったと短く返事をすると、近藤は紗己の父親に一礼をしてから大広間へと向かうために食堂を後にした。
――――――
紗己の父親に屯所内を案内するという話は、既に近藤から聞いていたので、自室への案内役を任されることも想定内だった土方は、落ち着いた様子で妻の父を連れて、自室へと戻ってきた。
「ここです、どうぞ」
「これはこれは、失礼しますよ」
障子戸を開けて入室を促すと、紗己の父親はひとの良い笑みを湛えて娘夫婦の私室に足を踏み入れた。
「なかなか良い部屋ですねェ」
言いながらぐるりと室内を眺めて、続き間の和室に置かれている鏡台に目を留めると、「立派な品だ」と目を細めて言った。
「ありがとうございます」
紗己への贈り物であるそれを褒められ、気恥ずかしいながらも誇らしい気持ちの土方は、礼を言いながら心持ち表情を引き締めた。
さて、何を話そうか。茶でも淹れるか?
人をもてなすことに慣れていないため、次の行動をどうするかと考えていた土方に、紗己の父親が穏やかな口調で話し掛ける。
「そう言えば、一服されるつもりだったんでしょう。私に遠慮せず、お好きになさってくださいな」
「ああいや、お気遣いなく・・・」
これはいけない、客人(それも妻の父親)に気を遣わせてしまった。内心焦りつつも、そう言えばこの人も吸う人だったよなと、彼が喫煙者であったことを思い出す。
土方は袂から煙草とライターを取り出すと、文机の横に置いている灰皿を手に取った。
「あの、良かったらご一緒にいかがですか」
「良いですねェ、それじゃあご相伴にあずからせていただきましょうか」
紗己の父親の返事に安心した土方は、一服セットを手に縁側へと案内した。
――――――
土方と紗己の父親は、一服セットを間に置いて縁側で横並びに座り、それぞれ煙草を吸っていた。
こうしていると、こないだの夜みたいだな。煙草の煙を吐き出しながら、土方は紗己の実家に挨拶に行った日の夜のことを思い出す。あの時は縁側で一服していた紗己の父親に誘われ、共に煙管で一服したのだった。
そういや、煙管だったよな・・・・・・。ふと思い出す。ひょっとして好みやこだわりがあったのではないかと気になった土方は、隣に座る紗己の父親に遠慮がちに声を掛けた。
「あの、お義父さん・・・」
「はい、なんですかな」
「
指に挟んだ煙草を軽く掲げてみせると、紗己の父親は柔らかな笑みを浮かべた。
「いやいや、お気になさらず。煙管は時間がある時だけで、私も普段は紙煙草ですからねェ」
「そうですか」
煙草盆を取りに行こうか一瞬迷ったが、やっぱり彼の言葉を素直に受け取っておこうという気になった土方は、また正面に向き直ってゆっくりと煙を肺へと送り込んだ。
「いい庭ですねェ、ここは。広さもあって空もよく見える」
煙草の灰を灰皿へと落としながら、紗己の父親は目の前に広がる庭を眺めて言った。
自室前の庭は特に手入れもしておらず殺風景ではあるが、屯所自体がとても広い屋敷なので、この部屋に面した庭もそこそこの広さはある。
「そう言えば、庭、綺麗にされてましたね」
紗己の実家の庭を思い出した土方は、ふぅっと煙を吐き出しながら、静かにそう言った。
「はは、ありがとうございます。あれは私の趣味みたいなモンでしてねェ」
「俺は全然詳しくないんですけど、紗己は花が好きみたいでよく生けてくれてます」
「ああ、あの子は昔から花が好きでしてねェ。うちは妻が病気で伏せっていることが多かったんで、横になりながらでも見て楽しめるように、庭に花木を沢山植えてたんですよ」
遠い日々を懐かしむような優しい目で、殺風景な庭を眺めている紗己の父親。その姿はどこか寂しげで、どう声を掛けるべきか考えあぐねていた土方だったが、その躊躇いに気付いたのか紗己の父親は、指に挟んだ煙草の煙をくゆらせながらふっと笑みをこぼした。
「さっき娘の花嫁姿を見て、正直驚きました。本当に妻によく似ている。やっぱり母娘ですねェ」
そう言った紗己の父親の表情は、すっかり娘思いの優しい父親の顔に戻っていて、それに安心した土方もまた、鋭い双眸を和らげる。
「綺麗な方だったんですね」
吸い終わった煙草を灰皿に押し付けながら言うと、それを聞いた紗己の父親は、一瞬だけ、さも意外だといった表情を見せたが、すぐににこやかに笑った。
「ええ、娘は妻の若い頃にそっくりなんですよ。私と妻は見合い結婚だったんですが、見合いの席で私が一目惚れしてしまいましてねェ」
少し照れ臭そうに言ってから、空に向けて紫煙を吐き出すと、
「だから、あの子から結婚したい人がいると電話で聞かされた時、やっぱり父娘だと思いましたよ。中身は私に似たんでしょうなァ」
そう言って、隣に座る土方を見つめて穏やかな笑みを見せた。
これには土方もたじろいだ。実はさっき紗己の母親を褒めたつもりが、遠回しに紗己のことを綺麗だと言っていたのだと気付き、しばらく恥ずかしさに見舞われていたのだが、その恥ずかしさも消えぬうちに今度はとんでもない方向から攻撃を仕掛けられてしまった。
勿論紗己の父親が敵意を持ってそんなことを言ってきたのではないと、土方も十分理解している。それでも、この気まずさは人生で一、二を争う程だと、背中に嫌な汗をかいてしまう。
すると土方の心情を読み取ったのだろうか、紗己の父親は表情と同じ穏やかな口調で、気まずそうに視線を逸らす土方に話し掛けた。
「そんな顔しないでくださいな。あの子があなたのことをとても好いていて、あなたも娘を受け入れてくれた。それだけで十分です」
「お義父さん・・・」
「相手があなたで良かったですよ、土方さん。並の男なら、私もなかなか首を立てに振れなかったでしょうからねェ」
吸っていた煙草を灰皿に休ませ腕を組んだ妻の父の言葉に、土方は困惑に満ちた表情を浮かべる。
並の男なら――ってことは、俺は一目置かれてるってことでこれは喜んでいいところなんだよな?
つーか、これってもしかして、これまでに並の男からの求婚があったからこその対比なんじゃねーのか?
こんなことを訊いてどうするんだという冷静な気持ちも無いわけではないが、出現してしまったもやもやとした感情を落ち着かせたくて、土方は複雑な面持ちで隣に身体を向けた。
「あ、あの、お義父さん」
「はい、なんですかな」
「その・・・大したことじゃないんですが、今まで紗己に・・・縁談って、あったんですか」
知りたいような知りたくないような複雑な心境で問い掛けると、紗己の父親はふっと目を細めて笑った。
「気に、なりますか」
「え、ああいや、その・・・」
笑顔でじっと見つめられて、どう答えるべきか言い淀んでしまったが、自分と出会う前の紗己のことが気になっているのは確かだ。土方はぐっと背筋を伸ばすと、紗己の父親としっかり目を合わせて頷いた。
「はい、気になってます」
「そうですか・・・」
紗己の父親はゆっくりと目線を庭へと移すと、
「嫁に欲しいと言われたのと、婿に来たいと言われたのを合わせたら、いやはや両手じゃとても足りませんねェ」
愉快そうな表情を浮かべて言った。
「え?」
「うちは早くに母親を亡くしてるんで、あの子が将来恥かかないようにって、家事一般に針仕事や礼儀作法、そういったことを割と幼い頃から教えてたんですよ」
住み込みの女中達や、行儀見習いの経験を持つ近隣商家の女性等に手習いを受けたりしていたのだと言う。
「その甲斐あってか、是非嫁にって話がここ数年ひっきりなしに来てまして。まあ、田舎ですしねェ。あとは、私の仕事を継ぐために婿に来たいって話とね」
「あの・・・そのこと、その、縁談がそんなに来てるって、紗己は知ってたんですか?」
ふと脳裏を過ぎった疑問を口にした。
あの気遣い症の紗己が、自分に縁談が来ていると知れば、父親が薦めるならとあっさり受け入れそうなものだ。
その土方の疑問の真意が伝わったのだろう。
「いいえ、あの子にはたったの一度も縁談の話は伝えたことありませんよ」
紗己の父親は腕を組み替えると、笑顔のままはっきりと言い切った。
「どれだけ話が来ようとも、並の男には可愛い娘はやれません。あの子の耳に入る前に、全部話は蹴ってありますよ」
「そ、そうなんですか・・・」
笑顔でありながらも気迫漂う妻の父の姿に気圧されつつ、土方はその横顔を一瞥する。
一見するとただただ温和な人物にしか思えないが、さすが一代で財を成しただけはある。
そんなことを思っていると、庭を眺めていた紗己の父親が、隣に座る土方のほうに身体を向けてきた。
一体何を言われるのかと眉を寄せて訝しむ土方だったが、妻の父はにこにこと朗らかな表情で話し出した。
「私は人を見る目には、なかなか自信がありましてねェ。土方さん、私は娘に子供が出来たから結婚を認めたって訳じゃない。あなたにだから、娘を任せてもいいと思ったんです」
「お義父さん・・・」
「人生を懸けて貫きたい志があるなんて、素晴らしいことじゃないですか。男でも女でも、そういう想いがある人間は強い。だからあの子は、あなたに惹かれたんでしょう」
「あ、ありがとうございます」
面と向かって褒め称えられ、何とも面映ゆい気持ちになっている土方に、紗己の父親は微笑みながら言葉を続ける。
「まだまだ幼い娘だと思ってたんですが、そう思ってたのは・・・いや、そう思いたいのは
穏やかな表情ながらもその姿はどこか切なげに見えて、そんな彼から大切な娘を奪ってしまう立場となった自分が一体何を言えるだろうと、土方は言葉を詰まらせる。
結局何と返せば良いか思い付かないまま苦笑いを浮かべていると、突然パンッと紗己の父親が両手を打った。
「さ、そろそろ戻りましょうか」
「あ、そ、そうですね」
いきなりの行動に面食らった土方だが、驚いたことを気付かれたくなくて無表情を装う。
二人同時に立ち上がり、二人して羽織と袴の埃を払うと、煙草とライターを袂に仕舞って灰皿を部屋に戻しに行った土方が、すぐに紗己の父親の元へと戻ってきた。
「行きましょう」
「ええ」
互いに短く言葉を交わすと、それぞれが愛しく想う者が待つ控室へと、二人で向かった。