第十章
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浮気などしていないしするわけもないと、誰よりも信じてほしい紗己に自分の口から告げることが出来て、土方は心の底から安堵した。
紗己の旋毛に顎を軽く乗せながら、愛しい妻の丸い頭と、自分よりも遥かに華奢な背中を優しい手付きで撫で続ける。軟らかな髪からはいつもの甘い花の香りがして、この腕の中の大切な温もりをずっと感じていたいと、この時間が永遠に続けばいいのにと一瞬だけ思ってしまった。
柄にもねェことを。土方は自嘲気味に笑い、山積している問題を脳内で振り返っていく。
策は講じているものの、まだスタート地点にすら立っていない。そして、紗己に伝えなければいけないことがまだあるのだ。忘れていた訳ではないが、いの一番に浮気の疑念を晴らしたくて、重大な事柄を後回しにしてしまっていた。
土方は愛しい妻の可愛らしい旋毛から顎を離すと、顔を少し上向きにしてすぅっと息を吸い込み気持ちを引き締めた。
「紗己、大事な話がある」
落ち着いた声音がしんとした室内に放たれると、硬い胸に凭れ掛かっていた紗己がゆっくりと顔を上げた。真っ赤に充血した瞳が、次第に不安の色に染まっていく。だが、言わないわけにはいかない。
「俺が迎えに来るまで、お前をここで・・・万事屋で預かってもらう」
顎を引いて真剣な面持ちのまま、しっかりと目を合わせて言う。すると紗己の表情は不安なものから一転して、困惑へとみるみるうちに変化していった。
「それ・・・どういうこと、ですか・・・・・・?」
「お前をこのまま屯所には連れて帰れねェってことだ」
眉間に皺を寄せて答えると、土方の胸に凭れていた紗己が身体を起こした。戸惑いながらも、話の続きを聞こうと姿勢を正す。思いの外冷静な妻の視線を受けて、土方も背筋を伸ばし順を追って話し始める。
「昨夜の宴席に居た武器商人が、今夜攘夷浪士共と武器の取引をするって情報を掴んだ。俺達はそこに乗り込んで奴等を捕まえる」
言いながら胸の前で腕組みをして、静かに吐息してから話を続ける。
「子飼いの武器商人が真選組の手に落ちたとなれば、安藤は必ず動きを見せるだろう。そうなったら危険なのはお前だ、紗己」
鋭い双眸で向かい合う妻を見据えると、彼女は僅かに怯えたような表情を見せた。話の内容と夫の気迫のどちらに怯えたのかは不明だが。
「だからお前をここに預けるんだ。敵はお前がここに居ることを知らねえし、このままここに居りゃァ安全だ」
「そう、なんですね・・・・・・」
「ああ。お前が昼前に屯所を出たことは、敵の見張りも気付いてる。だから、山崎にお前のフリをさせて今から屯所に戻る。そうすれば、敵の見張りはお前が屯所に戻ってきたと思うだろうからな」
「わかり、ました・・・私は・・・ここに居た方が、いいんですね」
伏し目がちに言葉を詰まらせると、紗己は自身の太腿の上に重ねていた両手をキュッと握った。白く細い指先が微かに震えている。
戦いや争いとは無縁の穏やかな妻が、忍び寄る危機に今こうして怯え震えている。それが土方には心苦しくて、今更だとは思っていても後悔が胸の中を埋め尽くしていく。
俺が巻き込んだんだ――胸中でそう呟くと、苦しげに吐息した。
「本当にすまねェ。俺のせいでお前を巻き込んじまって・・・・・・」
「・・・あなたのせいじゃないです」
「いや、俺のせいだ。俺なんかと一緒になったばっかりに、お前は命を狙われる羽目になっちまったんだ・・・・・・」
腕組みを解くと、胡座をかいた姿勢のまま大きな背中を丸めて嘆息した。
『必ず、俺の人生を懸けて幸せにします』
ふと思い出す。紗己の実家に挨拶に行った日の夜、彼女の父親と縁側で話をして、そこでそう約束したことを。そしてその後部屋で待っていた紗己にも、必ず幸せにしてやると約束した。
なのに今のこの状況はどうだ。土方は胸中で吐き捨てる。自分のせいで妻を危険な目に遭わせることの、どこが幸せなんだ――と。
「幸せにするって、お前にもお前の親父さんにも約束したのに・・・俺のせいでお前を危険な目に遭わせちまう。お前にもお前の親父さんにも、申し訳が立たねェよ・・・・・・」
「そんな・・・っ」
沈痛な面持ちで俯きながら心情を吐露する土方に、紗己は涙を浮かべて必死に首を横に振る。夫の言葉に見え隠れする嫌な予感を振り払いたいのだ。だが、そんな彼女の姿も目に入らない土方は、苦み走った表情を浮かべ、思いを吐き出すことを止められない。
「俺は侍であり続けるためなら、幕府の犬だ何だと罵られようと構わねェ。俺の大将のために戦って、それで死んでも本望だ。だがお前は違う。こんな生き方してる俺なんかと一緒に居て、どうして・・・幸せになんてなれる・・・っ」
太腿に両肘をついて、左右の手を合わせて指を組む。そこに自身の額を押し付けると、俯いたまま語調を強めた。
「俺なんかと一緒にならなけりゃお前は幸せになれたんだ・・・・・・! 実家で跡取り婿でももらって、裕福で穏やかに幸せに生きて・・・」
――パシッ!
何かが膝に当たった。まるで痛みは無いが、膝に残る感覚に我に返った土方が顔を上げると、そこには右手を宙に浮かせたまま唇を噛み締めている紗己の姿が。
「え・・・紗己?」
自身の膝と目の前の妻とを交互に見つめる。そう、紗己の柔らかな右手が土方の膝を叩いたのだ。紗己は唇をわなわなと震わせながら、涙に濡れた双眸で土方をキッと見据える。
「私の幸せを・・・勝手に決めないで!」
静かな室内に、悲しみと怒りのどちらをも含んだ紗己の涙声が響く。彼女は宙に浮かせていた右手で握り拳を作ると、小刻みに震えているそれを自身の胸元にぐっと押し付け言葉を続ける。
「私は好きで一緒にいるんです! 侍として生きるあなたと・・・そんなあなたが好きだから・・・っ、そばに、居たいんです・・・」
「紗己・・・」
「他の人じゃ、駄目なの・・・っ、あなたじゃないと、他の誰とも・・・幸せになんてなれないっ・・・!」
桜色の艷やかな唇から荒い息を漏らしながら、溢れる涙も拭わず思いの丈をぶつける。普段の彼女からは想像も出来ない程の感情的な姿だ。
「紗己・・・・・・」
紗己の想いの詰まった言葉が矢のように胸を突き刺し、甘く熱い疼きがじわじわと胸の中に広がっていく。
今すぐに抱き締めたい――思いはするも、どうしてかその気持ちを抑え込もうとする自分もいる。果たしてどう応えるのが正解なのだろうと揺れる土方の耳に、悲しみに包まれた愛しい妻の涙声が届いた。
「だからお願、い・・・そんな・・・悲しいこと、もう言わないで・・・っ」
苦しげに両目をきつく閉じて、白く細い指先で着物と襦袢の衿をぎゅうっと一掴みに握り締める。愛しい妻のその姿を目の当たりにし、土方は堪らず腰を上げてまた彼女を抱き寄せた。
腕の中で再び泣き始めた紗己の身体を強く強く抱き締め思う。何が正解かなんて考える意味もない。
大切なんだ、護りたいんだ――。
紗己の旋毛に顎を軽く乗せながら、愛しい妻の丸い頭と、自分よりも遥かに華奢な背中を優しい手付きで撫で続ける。軟らかな髪からはいつもの甘い花の香りがして、この腕の中の大切な温もりをずっと感じていたいと、この時間が永遠に続けばいいのにと一瞬だけ思ってしまった。
柄にもねェことを。土方は自嘲気味に笑い、山積している問題を脳内で振り返っていく。
策は講じているものの、まだスタート地点にすら立っていない。そして、紗己に伝えなければいけないことがまだあるのだ。忘れていた訳ではないが、いの一番に浮気の疑念を晴らしたくて、重大な事柄を後回しにしてしまっていた。
土方は愛しい妻の可愛らしい旋毛から顎を離すと、顔を少し上向きにしてすぅっと息を吸い込み気持ちを引き締めた。
「紗己、大事な話がある」
落ち着いた声音がしんとした室内に放たれると、硬い胸に凭れ掛かっていた紗己がゆっくりと顔を上げた。真っ赤に充血した瞳が、次第に不安の色に染まっていく。だが、言わないわけにはいかない。
「俺が迎えに来るまで、お前をここで・・・万事屋で預かってもらう」
顎を引いて真剣な面持ちのまま、しっかりと目を合わせて言う。すると紗己の表情は不安なものから一転して、困惑へとみるみるうちに変化していった。
「それ・・・どういうこと、ですか・・・・・・?」
「お前をこのまま屯所には連れて帰れねェってことだ」
眉間に皺を寄せて答えると、土方の胸に凭れていた紗己が身体を起こした。戸惑いながらも、話の続きを聞こうと姿勢を正す。思いの外冷静な妻の視線を受けて、土方も背筋を伸ばし順を追って話し始める。
「昨夜の宴席に居た武器商人が、今夜攘夷浪士共と武器の取引をするって情報を掴んだ。俺達はそこに乗り込んで奴等を捕まえる」
言いながら胸の前で腕組みをして、静かに吐息してから話を続ける。
「子飼いの武器商人が真選組の手に落ちたとなれば、安藤は必ず動きを見せるだろう。そうなったら危険なのはお前だ、紗己」
鋭い双眸で向かい合う妻を見据えると、彼女は僅かに怯えたような表情を見せた。話の内容と夫の気迫のどちらに怯えたのかは不明だが。
「だからお前をここに預けるんだ。敵はお前がここに居ることを知らねえし、このままここに居りゃァ安全だ」
「そう、なんですね・・・・・・」
「ああ。お前が昼前に屯所を出たことは、敵の見張りも気付いてる。だから、山崎にお前のフリをさせて今から屯所に戻る。そうすれば、敵の見張りはお前が屯所に戻ってきたと思うだろうからな」
「わかり、ました・・・私は・・・ここに居た方が、いいんですね」
伏し目がちに言葉を詰まらせると、紗己は自身の太腿の上に重ねていた両手をキュッと握った。白く細い指先が微かに震えている。
戦いや争いとは無縁の穏やかな妻が、忍び寄る危機に今こうして怯え震えている。それが土方には心苦しくて、今更だとは思っていても後悔が胸の中を埋め尽くしていく。
俺が巻き込んだんだ――胸中でそう呟くと、苦しげに吐息した。
「本当にすまねェ。俺のせいでお前を巻き込んじまって・・・・・・」
「・・・あなたのせいじゃないです」
「いや、俺のせいだ。俺なんかと一緒になったばっかりに、お前は命を狙われる羽目になっちまったんだ・・・・・・」
腕組みを解くと、胡座をかいた姿勢のまま大きな背中を丸めて嘆息した。
『必ず、俺の人生を懸けて幸せにします』
ふと思い出す。紗己の実家に挨拶に行った日の夜、彼女の父親と縁側で話をして、そこでそう約束したことを。そしてその後部屋で待っていた紗己にも、必ず幸せにしてやると約束した。
なのに今のこの状況はどうだ。土方は胸中で吐き捨てる。自分のせいで妻を危険な目に遭わせることの、どこが幸せなんだ――と。
「幸せにするって、お前にもお前の親父さんにも約束したのに・・・俺のせいでお前を危険な目に遭わせちまう。お前にもお前の親父さんにも、申し訳が立たねェよ・・・・・・」
「そんな・・・っ」
沈痛な面持ちで俯きながら心情を吐露する土方に、紗己は涙を浮かべて必死に首を横に振る。夫の言葉に見え隠れする嫌な予感を振り払いたいのだ。だが、そんな彼女の姿も目に入らない土方は、苦み走った表情を浮かべ、思いを吐き出すことを止められない。
「俺は侍であり続けるためなら、幕府の犬だ何だと罵られようと構わねェ。俺の大将のために戦って、それで死んでも本望だ。だがお前は違う。こんな生き方してる俺なんかと一緒に居て、どうして・・・幸せになんてなれる・・・っ」
太腿に両肘をついて、左右の手を合わせて指を組む。そこに自身の額を押し付けると、俯いたまま語調を強めた。
「俺なんかと一緒にならなけりゃお前は幸せになれたんだ・・・・・・! 実家で跡取り婿でももらって、裕福で穏やかに幸せに生きて・・・」
――パシッ!
何かが膝に当たった。まるで痛みは無いが、膝に残る感覚に我に返った土方が顔を上げると、そこには右手を宙に浮かせたまま唇を噛み締めている紗己の姿が。
「え・・・紗己?」
自身の膝と目の前の妻とを交互に見つめる。そう、紗己の柔らかな右手が土方の膝を叩いたのだ。紗己は唇をわなわなと震わせながら、涙に濡れた双眸で土方をキッと見据える。
「私の幸せを・・・勝手に決めないで!」
静かな室内に、悲しみと怒りのどちらをも含んだ紗己の涙声が響く。彼女は宙に浮かせていた右手で握り拳を作ると、小刻みに震えているそれを自身の胸元にぐっと押し付け言葉を続ける。
「私は好きで一緒にいるんです! 侍として生きるあなたと・・・そんなあなたが好きだから・・・っ、そばに、居たいんです・・・」
「紗己・・・」
「他の人じゃ、駄目なの・・・っ、あなたじゃないと、他の誰とも・・・幸せになんてなれないっ・・・!」
桜色の艷やかな唇から荒い息を漏らしながら、溢れる涙も拭わず思いの丈をぶつける。普段の彼女からは想像も出来ない程の感情的な姿だ。
「紗己・・・・・・」
紗己の想いの詰まった言葉が矢のように胸を突き刺し、甘く熱い疼きがじわじわと胸の中に広がっていく。
今すぐに抱き締めたい――思いはするも、どうしてかその気持ちを抑え込もうとする自分もいる。果たしてどう応えるのが正解なのだろうと揺れる土方の耳に、悲しみに包まれた愛しい妻の涙声が届いた。
「だからお願、い・・・そんな・・・悲しいこと、もう言わないで・・・っ」
苦しげに両目をきつく閉じて、白く細い指先で着物と襦袢の衿をぎゅうっと一掴みに握り締める。愛しい妻のその姿を目の当たりにし、土方は堪らず腰を上げてまた彼女を抱き寄せた。
腕の中で再び泣き始めた紗己の身体を強く強く抱き締め思う。何が正解かなんて考える意味もない。
大切なんだ、護りたいんだ――。