第十章
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――――――
「・・・これで全部だ。何か訊きたい事はあるか」
「あ・・・いえ、あっ・・・」
紗己の手から力が抜けて、紅い帯締めがするりと滑り落ちた。動揺しているのだ。
山崎の着付けをしている間に、事の経緯を土方から聞かされた紗己。昨夜の接待は罠で、幕府の高官による公金横領に巻き込まれ、薬も盛られ、妻である自分の存在が脅しの材料になっていることも、たった今知らされた。
震える指先で何とか帯締めを結び、帯揚げを整えて着付けを完了させると、不安に揺れる瞳で土方を見やった。
「着付け・・・終わりました」
「ああ、助かった」
礼を言いながらも、彼女の様相に土方は胸を痛ませる。結局巻き込んじまったな・・・・・・。
眉間に皺を寄せて吐息していると、紗己の着物に身を包んだ山崎が和室から出てきた。妻の着物を着ている部下・・・物凄い違和感だ。眉間の皺が更に深くなる。
山崎は複雑な面持ちの土方の隣に立つと、
「副長、俺仕上げがあるんで」
そう言ってソファの裏側からもう一つの紙袋に手を伸ばした。ゴソゴソと中を漁り、引っ張り出したのは巾着袋。紐を緩めると中からカツラを取り出した。紗己の髪の長さに程近いそれを手にしたまま、山崎は椅子に座り静観していた銀時に声を掛ける。
「旦那ー、しばらく鏡借りますね。カツラのセットとメイクに、結構時間掛かるんで。二十分は絶対に掛かっちゃうなぁー」
「おー、使え使え。鏡なら、台所のが使いやすいからそっち使えや。それじゃあ俺も、ちょっくら便所にでも行ってくるわ。あ、俺便秘気味で時間掛かるから」
山崎に合わせるように、銀時も漫画雑誌を手に椅子から立ち上がる。二人は割に穏やかな表情で土方と紗己を一瞥してから、部屋を出てそれぞれ台所と厠に入っていった。
二人が気を遣って部屋を空けてくれたのは明白で、当然土方もそれに気付いている。せっかく用意してくれた時間を無駄にしてはいけないと、土方は紗己が佇む和室へと入っていき、後ろ手に襖を閉めた。
「まァ、座れよ」
「・・・はい」
敷かれたままの布団の横に土方が腰を下ろすと、紗己も向かい合うように腰を下ろした。
静寂が広がる室内は自室とは違う匂いがして、このイレギュラーな状況が余計に落ち着かなさに拍車をかける。
このままでは用意された時間はあっという間に過ぎていく。そう思った土方は、一旦肩の力を抜いて息をつくと、出来るだけ穏やかな声音で紗己に話し掛けた。
「疲れてねェか」
「大丈夫、です・・・」
「悪かったな、こんなことに巻き込んじまって」
吐息混じりに言った途端、向かいに座る紗己が細い肩を震わせて俯いた。太腿に乗せている彼女の白く華奢な手が、濃藍色の着物をギュッと掴んでいる。
「紗己・・・・・・」
「ごめんなさい・・・私、何も知らずに・・・」
血管が透けて見える紗己の手の甲に、ぽとぽとと涙の粒が落ちていく。
「あなたが・・・そんな目に遭ってるのも知らずに・・・私、あんな酷いこと言って・・・」
「いいんだ紗己、お前は何も悪くねェよ」
腰を上げて膝で歩き、泣いている紗己との距離を詰める。抱き締められる程に近付くと、土方はそこに腰を下ろして俯く紗己の顔を覗き込んだ。
「ちゃんと説明しなかった俺が悪かったんだ。あの時正直に話してれば、お前をあんなにも傷付けずに済んだのに・・・」
言いながら、骨張った手で紗己の滑らかな頬に触れると、土方は切なげに眉を寄せて吐息した。
「お前を巻き込みたくなくて、怖がらせたくなくて・・・でも結局、泣かせちまったな」
「土方、さん・・・・・・」
癖のある声がいつもと違って苦しげに聞こえて、紗己は俯かせていた顔をゆっくりと上げると、涙に濡れた双眸で土方をじっと見つめた。
不安を宿しながらも、こちらを気遣うような表情は実に彼女らしく、こんな時でさえ自分の痛みよりも相手を優先してしまう紗己のことを、心から愛しているのだと土方は改めて思う。
今この短い逢瀬の中で、自分が与えられる唯一のものが『安心』なのだとすれば、それをきちんと言葉にしなければいけない。土方は紗己の頬に触れていた手を下ろし、代わりに強く着物を掴んでいる彼女の両手を、自身の両手で優しく包み込んだ。
「紗己」
「・・・はい」
「今朝のこと、本当に悪かったって思ってる。でもな、これだけは信じて欲しい」
大きな背中を曲げて、向かい合う紗己と目線の高さを合わせると、彼女の両手を包み込む自身の手に力を込める。信じて欲しい――心からそう思う。
「俺はお前を裏切るようなことは、何一つしちゃいねェ。昨夜もそうだし、これからもそんなことは絶対にしねェ。俺がこんなにも大切に思うのは、お前だけだよ、紗己」
「土方さん・・・・・・!」
紗己の瞳から、ガラス玉のような大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。それが彼女の手を包み込む土方の手の甲に、ぽとぽとと落ちては弾ける。
土方はぐっと身を乗り出すと、紗己の肩を掴んで自身の胸へと引き寄せ、逞しい腕で愛しい妻を強く抱き締めた。
「俺がお前を裏切るわけねェだろ、お前しか欲しくねェのに」
少し呆れたような口調で言ってみれば、腕の中の紗己は硬い胸に頬を押し当て、声を漏らしながら泣き続けた。
「・・・これで全部だ。何か訊きたい事はあるか」
「あ・・・いえ、あっ・・・」
紗己の手から力が抜けて、紅い帯締めがするりと滑り落ちた。動揺しているのだ。
山崎の着付けをしている間に、事の経緯を土方から聞かされた紗己。昨夜の接待は罠で、幕府の高官による公金横領に巻き込まれ、薬も盛られ、妻である自分の存在が脅しの材料になっていることも、たった今知らされた。
震える指先で何とか帯締めを結び、帯揚げを整えて着付けを完了させると、不安に揺れる瞳で土方を見やった。
「着付け・・・終わりました」
「ああ、助かった」
礼を言いながらも、彼女の様相に土方は胸を痛ませる。結局巻き込んじまったな・・・・・・。
眉間に皺を寄せて吐息していると、紗己の着物に身を包んだ山崎が和室から出てきた。妻の着物を着ている部下・・・物凄い違和感だ。眉間の皺が更に深くなる。
山崎は複雑な面持ちの土方の隣に立つと、
「副長、俺仕上げがあるんで」
そう言ってソファの裏側からもう一つの紙袋に手を伸ばした。ゴソゴソと中を漁り、引っ張り出したのは巾着袋。紐を緩めると中からカツラを取り出した。紗己の髪の長さに程近いそれを手にしたまま、山崎は椅子に座り静観していた銀時に声を掛ける。
「旦那ー、しばらく鏡借りますね。カツラのセットとメイクに、結構時間掛かるんで。二十分は絶対に掛かっちゃうなぁー」
「おー、使え使え。鏡なら、台所のが使いやすいからそっち使えや。それじゃあ俺も、ちょっくら便所にでも行ってくるわ。あ、俺便秘気味で時間掛かるから」
山崎に合わせるように、銀時も漫画雑誌を手に椅子から立ち上がる。二人は割に穏やかな表情で土方と紗己を一瞥してから、部屋を出てそれぞれ台所と厠に入っていった。
二人が気を遣って部屋を空けてくれたのは明白で、当然土方もそれに気付いている。せっかく用意してくれた時間を無駄にしてはいけないと、土方は紗己が佇む和室へと入っていき、後ろ手に襖を閉めた。
「まァ、座れよ」
「・・・はい」
敷かれたままの布団の横に土方が腰を下ろすと、紗己も向かい合うように腰を下ろした。
静寂が広がる室内は自室とは違う匂いがして、このイレギュラーな状況が余計に落ち着かなさに拍車をかける。
このままでは用意された時間はあっという間に過ぎていく。そう思った土方は、一旦肩の力を抜いて息をつくと、出来るだけ穏やかな声音で紗己に話し掛けた。
「疲れてねェか」
「大丈夫、です・・・」
「悪かったな、こんなことに巻き込んじまって」
吐息混じりに言った途端、向かいに座る紗己が細い肩を震わせて俯いた。太腿に乗せている彼女の白く華奢な手が、濃藍色の着物をギュッと掴んでいる。
「紗己・・・・・・」
「ごめんなさい・・・私、何も知らずに・・・」
血管が透けて見える紗己の手の甲に、ぽとぽとと涙の粒が落ちていく。
「あなたが・・・そんな目に遭ってるのも知らずに・・・私、あんな酷いこと言って・・・」
「いいんだ紗己、お前は何も悪くねェよ」
腰を上げて膝で歩き、泣いている紗己との距離を詰める。抱き締められる程に近付くと、土方はそこに腰を下ろして俯く紗己の顔を覗き込んだ。
「ちゃんと説明しなかった俺が悪かったんだ。あの時正直に話してれば、お前をあんなにも傷付けずに済んだのに・・・」
言いながら、骨張った手で紗己の滑らかな頬に触れると、土方は切なげに眉を寄せて吐息した。
「お前を巻き込みたくなくて、怖がらせたくなくて・・・でも結局、泣かせちまったな」
「土方、さん・・・・・・」
癖のある声がいつもと違って苦しげに聞こえて、紗己は俯かせていた顔をゆっくりと上げると、涙に濡れた双眸で土方をじっと見つめた。
不安を宿しながらも、こちらを気遣うような表情は実に彼女らしく、こんな時でさえ自分の痛みよりも相手を優先してしまう紗己のことを、心から愛しているのだと土方は改めて思う。
今この短い逢瀬の中で、自分が与えられる唯一のものが『安心』なのだとすれば、それをきちんと言葉にしなければいけない。土方は紗己の頬に触れていた手を下ろし、代わりに強く着物を掴んでいる彼女の両手を、自身の両手で優しく包み込んだ。
「紗己」
「・・・はい」
「今朝のこと、本当に悪かったって思ってる。でもな、これだけは信じて欲しい」
大きな背中を曲げて、向かい合う紗己と目線の高さを合わせると、彼女の両手を包み込む自身の手に力を込める。信じて欲しい――心からそう思う。
「俺はお前を裏切るようなことは、何一つしちゃいねェ。昨夜もそうだし、これからもそんなことは絶対にしねェ。俺がこんなにも大切に思うのは、お前だけだよ、紗己」
「土方さん・・・・・・!」
紗己の瞳から、ガラス玉のような大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。それが彼女の手を包み込む土方の手の甲に、ぽとぽとと落ちては弾ける。
土方はぐっと身を乗り出すと、紗己の肩を掴んで自身の胸へと引き寄せ、逞しい腕で愛しい妻を強く抱き締めた。
「俺がお前を裏切るわけねェだろ、お前しか欲しくねェのに」
少し呆れたような口調で言ってみれば、腕の中の紗己は硬い胸に頬を押し当て、声を漏らしながら泣き続けた。