第十章
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――――――
土方は今しがた聞いたばかりの話を頭の中で整理していた。
雪乃が立ち聞きした話――それは、彼女の両親の死についてだった。
安藤は幕府の高官である自らの立場を利用し、雪乃の両親が営む呉服商に大名家への呉服物の納入の話を持ち掛けた。
勿論そこには公金横領という計画が企てられており、それを雪乃の両親が断ったため、計画を知ってしまった彼らは殺されたのだ。
夫妻の死は、川に身を投げての心中ということになっていたが、実際はそう見せかけての殺人だった。
そして心中の原因とされていた、連帯保証人として背負わされた借金というのも、安藤が裏で手を引いて作り上げた架空のもので、連帯保証人を夫妻に頼んできた知人も既に始末していたのだという。
不正の誘いを断られた時のために、架空の借金話という保険を掛けていたのだろう。
胸糞悪ィ話だ。土方は胸中で毒づいた。
保険の形が借金か女かという違いはあるが、雪乃の両親が巻き込まれた厄介事は、今自分が巻き込まれているそれとよく似ている。
あの男は、長年そうやって自分の立場を利用して、私腹を肥やしてきたのだろう。
険しい表情を浮かべる土方に、雪乃は自嘲気味に笑って見せた。
「馬鹿な話でしょう、ほんとに。自分の両親がそんな目に遭ってたことも知らず、ありもしない借金を肩代わりしてもらった事に感謝してたんですよ、私」
雪のように白い手で藍色の肩掛けの端をギュッと掴むと、やり場のない憎しみを吐き出すように語調を強める。
「何も知らないで、あの男にずっと尽くしてきた・・・! 馬鹿な私は、愚かにも両親の仇の傀儡になってたんです」
雪乃はそう言って吐息すると、肩掛けを首周りに手繰り寄せた。
憂いを帯びた瞳を土方に向けることなく伏し目がちに、真白いうなじを隠すように肩掛けを首に巻き付ける。
狭い路地を乾いた風が強く吹き抜け、路上に棄てられていた空缶がカラカラと音を立てた。
巻き上がる砂と共に地面を転がる空缶を目で追いながら、雪乃は綺麗に整えられた眉を寄せて再び口を開く。
「全てを知ってから、あの男を殺そうと何度も思いました。何度も何度もそう思って・・・でも出来なかった。あの男を殺しても両親は生き返らない、過ぎた時間は戻せない・・・でしょう?」
「・・・そうだな」
話すことで気持ちを落ち着かせようとしているのが伝わり、土方は特に口を挟むでもなく、当たり障りのない相槌を打った。
雪乃もまた土方に何かを求めていたわけではなく、胸の奥に溜まっていた感情を吐き出すために話を続ける。
「第一、例え殺したとしてもあんな男のために殺人犯になるのは御免ですよ。それにねェ、殺せても殺しきれなかったにしても、行動に移せばきっと私はすぐにあの男の手の者に消されてしまう・・・」
色々知り過ぎてしまっているから、と表情を曇らせた雪乃は、
「だから私は、自分の両親を殺されてその仇にいいようにされてきて・・・それでも死にたくないって思ったんです。お侍様から見たら、情けない生き様だと思われるでしょうけどね」
言い終えてから、また自嘲気味に笑って見せた。
土方は壁に凭れたまま灰色の空を見上げると、眉間に皺を寄せ、両目を閉じて吐息した。
雪乃から聞いた話は同情に値する内容だったが、だからといって、今目の前にいる彼女に優しい言葉を掛ける気はさらさらない。
けれど、死にたくないという彼女の意思を軽んじるつもりもない。
「んなこたァねーよ。死ぬのが嫌なのも怖ェのも、誰だって普通はそうさ」
お前の判断は賢明だった――土方は静かな口調でそう言った。
「副長さん・・・」
意外に思ったのだろう。雪乃は土方の言葉に一瞬驚いたような表情を見せた後、嬉しそうに微笑んだ。
だがそれもほんの短い間のこと。雪乃は気を取り直すように軽く深呼吸をすると、切れ長の瞳と紅を引いた薄い唇に弧を描かせて言った。
「そう言われると、少しは気持ちが救われますよ。まァそんなわけでしてね、死にたくなかった私はこの一年、あの男を確実に仕留める機会を伺って証拠を集める事に注力してたんです」
「証拠?」
耳に引っ掛かるその言葉に反応した土方は、壁に凭せ掛けていた身体を起こして訊き返した。
その反応が予想通りのものだったのか、雪乃は満足気に一歩前へと距離を詰める。
「ええ。安藤が不正を働いているという証拠です」
「それは確かなモノなんだろうな?」
首の後ろがじわっと熱くなる。逸る気持ちを落ち着かせようと、鼻から息を吸い込みながら右手で強く握り拳を作り、息を吐き出すと同時に拳の力を抜いた。
証拠があれば・・・それが確かなモノなら何とかなるかも知れねェ! いや、必ず何とかしてみせる!
鋭い双眸で雪乃を一瞥すると、彼女もまた自信に満ちた表情で土方をじっと見つめ返した。
「勿論、確かなモノですよ。何せ、安藤が自ら書き記した不正の記録ですから」
「ほんとかよ・・・」
口端を吊り上げ不敵な笑みを浮かべる土方を前に、雪乃は話を続ける。
「一年掛けて証拠を集めた甲斐がありましたよ、ようやく先月になって一筋の光が見えたんですから」
「先月?」
雪乃の発言が引っ掛かり訝しげに訊き返すと、
「奴等の次の標的が貴方だと聞かされたからです、土方さん。もう一度お願いします。私が貴方と奥様をお助けします、だからどうか私を助けてください」
雪乃はそう言ってから深々と頭を下げた。
土方にとってもこの機を逃す手はないが、雪乃にとっても土方が巻き込まれた今回の『厄介事』は、千載一遇のチャンスなのだ。
噂に聞く鬼の副長・土方十四郎が、自分を曲げない芯の強い男であるならば、きっとあんな男共の言いなりにはならないだろう。
自分の持つ証拠と真選組の武力が合わされば、あの男を仕留める事が出来るかも知れない。
その期待を胸に、雪乃はこの一ヶ月ずっと機会を窺ってきたのだ。
土方は今しがた聞いたばかりの話を頭の中で整理していた。
雪乃が立ち聞きした話――それは、彼女の両親の死についてだった。
安藤は幕府の高官である自らの立場を利用し、雪乃の両親が営む呉服商に大名家への呉服物の納入の話を持ち掛けた。
勿論そこには公金横領という計画が企てられており、それを雪乃の両親が断ったため、計画を知ってしまった彼らは殺されたのだ。
夫妻の死は、川に身を投げての心中ということになっていたが、実際はそう見せかけての殺人だった。
そして心中の原因とされていた、連帯保証人として背負わされた借金というのも、安藤が裏で手を引いて作り上げた架空のもので、連帯保証人を夫妻に頼んできた知人も既に始末していたのだという。
不正の誘いを断られた時のために、架空の借金話という保険を掛けていたのだろう。
胸糞悪ィ話だ。土方は胸中で毒づいた。
保険の形が借金か女かという違いはあるが、雪乃の両親が巻き込まれた厄介事は、今自分が巻き込まれているそれとよく似ている。
あの男は、長年そうやって自分の立場を利用して、私腹を肥やしてきたのだろう。
険しい表情を浮かべる土方に、雪乃は自嘲気味に笑って見せた。
「馬鹿な話でしょう、ほんとに。自分の両親がそんな目に遭ってたことも知らず、ありもしない借金を肩代わりしてもらった事に感謝してたんですよ、私」
雪のように白い手で藍色の肩掛けの端をギュッと掴むと、やり場のない憎しみを吐き出すように語調を強める。
「何も知らないで、あの男にずっと尽くしてきた・・・! 馬鹿な私は、愚かにも両親の仇の傀儡になってたんです」
雪乃はそう言って吐息すると、肩掛けを首周りに手繰り寄せた。
憂いを帯びた瞳を土方に向けることなく伏し目がちに、真白いうなじを隠すように肩掛けを首に巻き付ける。
狭い路地を乾いた風が強く吹き抜け、路上に棄てられていた空缶がカラカラと音を立てた。
巻き上がる砂と共に地面を転がる空缶を目で追いながら、雪乃は綺麗に整えられた眉を寄せて再び口を開く。
「全てを知ってから、あの男を殺そうと何度も思いました。何度も何度もそう思って・・・でも出来なかった。あの男を殺しても両親は生き返らない、過ぎた時間は戻せない・・・でしょう?」
「・・・そうだな」
話すことで気持ちを落ち着かせようとしているのが伝わり、土方は特に口を挟むでもなく、当たり障りのない相槌を打った。
雪乃もまた土方に何かを求めていたわけではなく、胸の奥に溜まっていた感情を吐き出すために話を続ける。
「第一、例え殺したとしてもあんな男のために殺人犯になるのは御免ですよ。それにねェ、殺せても殺しきれなかったにしても、行動に移せばきっと私はすぐにあの男の手の者に消されてしまう・・・」
色々知り過ぎてしまっているから、と表情を曇らせた雪乃は、
「だから私は、自分の両親を殺されてその仇にいいようにされてきて・・・それでも死にたくないって思ったんです。お侍様から見たら、情けない生き様だと思われるでしょうけどね」
言い終えてから、また自嘲気味に笑って見せた。
土方は壁に凭れたまま灰色の空を見上げると、眉間に皺を寄せ、両目を閉じて吐息した。
雪乃から聞いた話は同情に値する内容だったが、だからといって、今目の前にいる彼女に優しい言葉を掛ける気はさらさらない。
けれど、死にたくないという彼女の意思を軽んじるつもりもない。
「んなこたァねーよ。死ぬのが嫌なのも怖ェのも、誰だって普通はそうさ」
お前の判断は賢明だった――土方は静かな口調でそう言った。
「副長さん・・・」
意外に思ったのだろう。雪乃は土方の言葉に一瞬驚いたような表情を見せた後、嬉しそうに微笑んだ。
だがそれもほんの短い間のこと。雪乃は気を取り直すように軽く深呼吸をすると、切れ長の瞳と紅を引いた薄い唇に弧を描かせて言った。
「そう言われると、少しは気持ちが救われますよ。まァそんなわけでしてね、死にたくなかった私はこの一年、あの男を確実に仕留める機会を伺って証拠を集める事に注力してたんです」
「証拠?」
耳に引っ掛かるその言葉に反応した土方は、壁に凭せ掛けていた身体を起こして訊き返した。
その反応が予想通りのものだったのか、雪乃は満足気に一歩前へと距離を詰める。
「ええ。安藤が不正を働いているという証拠です」
「それは確かなモノなんだろうな?」
首の後ろがじわっと熱くなる。逸る気持ちを落ち着かせようと、鼻から息を吸い込みながら右手で強く握り拳を作り、息を吐き出すと同時に拳の力を抜いた。
証拠があれば・・・それが確かなモノなら何とかなるかも知れねェ! いや、必ず何とかしてみせる!
鋭い双眸で雪乃を一瞥すると、彼女もまた自信に満ちた表情で土方をじっと見つめ返した。
「勿論、確かなモノですよ。何せ、安藤が自ら書き記した不正の記録ですから」
「ほんとかよ・・・」
口端を吊り上げ不敵な笑みを浮かべる土方を前に、雪乃は話を続ける。
「一年掛けて証拠を集めた甲斐がありましたよ、ようやく先月になって一筋の光が見えたんですから」
「先月?」
雪乃の発言が引っ掛かり訝しげに訊き返すと、
「奴等の次の標的が貴方だと聞かされたからです、土方さん。もう一度お願いします。私が貴方と奥様をお助けします、だからどうか私を助けてください」
雪乃はそう言ってから深々と頭を下げた。
土方にとってもこの機を逃す手はないが、雪乃にとっても土方が巻き込まれた今回の『厄介事』は、千載一遇のチャンスなのだ。
噂に聞く鬼の副長・土方十四郎が、自分を曲げない芯の強い男であるならば、きっとあんな男共の言いなりにはならないだろう。
自分の持つ証拠と真選組の武力が合わされば、あの男を仕留める事が出来るかも知れない。
その期待を胸に、雪乃はこの一ヶ月ずっと機会を窺ってきたのだ。