第三章
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「それにしても、あの副長が結婚とはな」
一人の隊士が、購入した缶コーヒーを口にしながら言った。
ここは真選組屯所の休憩所。飲み物や煙草などの自販機があり、それらを買いに来た隊士達がそのまま休憩していくことも多い。
今も例に漏れず、三人の隊士達が飲み物を片手に休憩中だ。
「ほんとびっくりだよな。しかも相手が紗己ちゃんとはねー」
「副長ずるいよなー。あの見た目で強くて仕事出来てさぁ。女なんて放っといても寄ってくるのに、何でよりによって相手が紗己ちゃんなんだよ」
「ぐいぐい言い寄ってくるタイプには興味ねえんじゃねーの?」
「それにしたってさぁ、副長なら女なんて選び放題なんだから、何もこんな手近なところで手打たなくてもいいんじゃね?」
少しふてくされ気味に言うと、彼は手にしていた缶ジュースをごくごくと飲んだ。
それを笑って見ていた隊士が、ペットボトルのお茶を一口飲んでから言葉を放つ。
「はは、まあ言いたいことはわかるけどな」
「あるかどうかは別として、俺ら末端の野郎のチャンスを奪うなよって話だろ?」
缶コーヒーを持った隊士が言うと、ジュースを飲んでいた隊士が深く頷きながら溜息を落とした。
「はぁ・・・紗己ちゃん、副長のものかー。あー、なんかショックだよなぁ」
「なに、お前本気で彼女に惚れてたの?」
「いやいや、チゲーよ? そういうんじゃないけど、紗己ちゃんってこの屯所においての癒しっつーかさぁ」
「あー、わかる。いっつもにこにこしてて聞き上手だしな」
ペットボトルのお茶を飲みながら相槌を打つ。するとジュースを飲んでいた隊士が、缶を強く握り締めて力説を始めた。
「そーそー。控えめだけど、顔立ちもキレイだし、料理も上手だし優しいし、育ち良さそうだしさぁ」
「確かに、いい嫁さんになりそうだよな。実際彼女に気のある奴、結構いたんじゃねーの?」
缶コーヒー片手に言うと、皆誰かしら思い浮かんだのか、うんうんと頷き合った。
だが、彼女はもう上司の妻になる。不必要な情報は耳に入れたくなくて、誰もそれ以上明かそうとはしない。
「ま、まあ、これまでに彼女を口説いた奴がいなかっただけまだ良かったよな、真選組としては」
やや気まずい雰囲気の中、ペットボトルのキャップを閉めながら言うと、
「ああ、そうだよな。もしそんなことあったら、副長に斬られてただろうからな」
缶コーヒーを飲み切った隊士が物騒な事を言った。だが、あの人ならやりかねないと皆が思っているのか、またもや気まずい空気が流れる。
「け、けどさ、ここ最近の副長見てて、紗己ちゃん口説ける奴なんかいないだろ、さすがに」
中身が半分程になったペットボトルを手に、隊士はこの場の空気を和らげようと話し出した。
空のコーヒーの缶を手の中で遊ばせていた隊士も、それに同調する。
「あーだよな。なんだかんだで結構出てたよな、紗己ちゃんのこと気に入ってるオーラが」
「え、マジで? そうなの?」
「え、お前気付かなかったのかよ。この一、二ヶ月くらいかねぇ、やたらと紗己ちゃんを気に掛けてるのが透けて見えてたけどな」
「あー、俺も思ってた。他の奴らも言ってたぜ、副長紗己ちゃんのこと狙ってんじゃねえ? って」
「マジかぁ、俺全然知らんかったわー」
言ってから、残りのジュースを一気に飲み干す。
そんな同僚の驚いている様子に少し笑いながら、空の缶を持っていない方の手で頬を掻きながら小声で話す。
「みんな副長にキレられるのが怖いから、副長に知られない範囲でしか噂してねーけどな」
「ま、噂話ですら俺ら副長にバレるのビビってんだから、副長が狙ってる娘口説ける奴なんざいるわけねーよ」
そりゃそうだと、皆して笑う。少し場の空気が和んだところで、キャップを開けてお茶を飲んでいた隊士が話し出した。
「そういや俺もこないだ見たぜ。副長が洗濯場から、洗濯物いっぱいの洗濯籠持って出てくるの」
「あの副長が!?」
「そうそう、びっくりだろ。気になってその後洗濯場覗いたら、紗己ちゃんが一人で居てさ。ついでだからって持っていってくれました、ってはにかんでたぜ」
話している方も聞いている方も、皆顔がニヤけてしまう。あの鬼の副長が・・・と想像するだけでどうしても頬が緩んでしまうのだ。
「何だよ副長、完全にべた惚れじゃん!」
空になったジュースの缶を握り潰さんばかりに、興奮してつい大きな声が出てしまう。
鼻息荒い同僚にやや呆れつつ、
「そりゃ、あんな硬派な人にそんな特別扱いされたら、女は絶対おちるだろ」
コーヒーの缶をゴミ箱に捨ててから言った。
少し興奮が落ち着いた隊士も、空になったジュースの缶をゴミ箱に捨ててから話し出す。
「副長べた惚れしてっから、他の奴らにとられないように、焦ってさっさと手出したのかもな」
「それはあり得るな。副長って堅苦しいトコあるから、本来なら順番とか守りそうだもんな」
「そうそう、本来ならそうだよ本来なら」
突然背後から聞こえた声に三人が一斉に振り向くと、そこには一番端の自販機に凭れ掛かっている山崎の姿があった。
三人が口を揃えて、「山崎さん居たんですか」と言うので、これには山崎もついつい語調が強くなってしまう。
「居たよ! さっきから居たわ! つーかお前ら、ほんとに気付いてなかったのかよ!」
先程休憩所の前を通り掛かった時に、三人が土方と紗己の話をしていることに気付き、そのまま休憩所に入って死角で気配を消していたのだ。まさか、本当に気付かれないままとは思いもしなかったが。
憤慨する山崎に、お茶を飲んでいた隊士がそう言えば・・・と話し掛けてきた。
「そういや、紗己ちゃんって山崎さんの伝手でここで働き始めたんですよね」
「そうだけど」
「じゃあ、紗己ちゃんから副長とのこと、何か聞いてたりしてたんすか?」
「え? べ、別に? 特に聞いてないけど?」
突然の質問に、思わず動揺してしまった。
まさか、一夜の過ちで妊娠してしまったという事実を知られるわけにはいかない。中途半端に答えればボロが出そうなので、この場はしらを切り通そうと思ったその時――。
「何が訊いてないんだ?」
聞き慣れた癖のある声が四人の耳に届いた。
慌てて出入口の方へと振り返ると、そこに立っていたのは話題の人物、土方十四郎だった。
「ふ、副長っ!!」
「お、お疲れ様ですっ」
「おう」
直立で挨拶をする部下達に軽く答えると、土方は自販機の前で立ち止まった。ポケットから財布を取り出したところで山崎が声を掛ける。
「取り調べは終わったんですか?」
「いや、まだ終わってねェ。ちょっと煙草買いに来ただけだ」
財布から小銭を取り出し自販機の投入口へと入れ、目的の銘柄のボタンを押そうとしたのだが。
「なんだお前ら、何ジロジロ見てんだ」
隊士達の視線が気になり、怪訝な面持ちで彼らを見やった。
その様子から、先程までの会話は一切聞かれておらず、自分達がここで噂話に興じていたとも思われていないと判断した隊士達は、各々顔を見合わせてから土方に笑顔を向けた。
「いえ、いやぁ、副長、結婚おめでとうございます!」
「お、おう」
部下達から次々に祝福されると、土方は照れ臭そうに咳払いをして、短く返事をしながら自販機のボタンを押した。ガコッと音がして取出口に出てきた煙草を、大きな背中を折り曲げて掴み取る。
そこで山崎が、先程まで缶ジュースを飲んでいた隊士のそばに行き、彼の肩をポンと叩いてから土方に話し掛けた。
「そういや副長、こいつの乗ってた車が紗己ちゃんの目撃情報くれたんですよ」
「そ、そうか。その・・・おかげで助かった」
当該の隊士を一瞥すると、恥ずかしさを誤魔化すために、常よりも低めの声でボソッと呟いた。
すると礼を言われた隊士は、
「副長、紗己ちゃんと仲直り出来て良かったっすね!」
やけに楽しそうな声音で言葉を返した。
これには土方も思わず閉口してしまう。喧嘩をしていたわけではないが、あんな形で紗己の捜索をすれば、そう思われても仕方がない。
誤解されるのは嫌だが、余計な詮索をされるのはもっと嫌な土方は、
「な、べ、別にそ、そんなんじゃねーよ!」
焦り声のまま曖昧な否定だけをする。
慌てた様子の上司に気が緩んだのか、目撃情報を寄越した隊士がニヤニヤしながら言った。
「あんな良い娘、泣かせちゃ駄目っすよ」
「う、うるせェ! 泣かせねーよ!」
気恥ずかしさと気まずさから一際大きな声を上げると、これ以上もう何も言われたくないとばかりに、
「テメーらもいつまでもさぼってんじゃねえ! 切腹させんぞ!」
鋭い双眸を見開き、ドスの利いた声を隊士達に浴びせた。それは彼等もよく知る『鬼の副長』らしい姿で、噂話に興じていた隊士達は慌てふためき蜘蛛の子を散らすように休憩所を後にした。
「・・・っとに、アイツら余計なことばっか喋りやがって」
一気に静まり返った休憩所で、真新しい煙草を開けながら愚痴る土方に、残っていた山崎が笑いながら話し掛ける。
「はは、みんな祝いたいんですよ、副長と紗己ちゃんのこと」
「・・・・・・」
そう言われてしまうと、否定的なことは何も言えない。
土方は複雑な表情で低く唸ると、再びポケットから財布を取り出し、飲料の自販機に小銭を入れた。全てのボタンが点灯したところで、無糖コーヒーのボタンを押すと、出てきた缶を取り出して、
「おい山崎」
名を呼んでから山崎に向かって缶コーヒーを放り投げた。
「えっ、ちょ・・・おっと」
突然のことに驚きつつも缶コーヒーを受け取ると、それを確認した土方が明後日の方を向いてぽつぽつと話し出した。
「その・・・紗己のこと、これまでも色々・・・手間掛けさせたな」
頭を掻きながら話す姿に、この手の中の缶コーヒーは労いの意味が込められているのだと気付いた山崎は、嬉しそうに笑って見せた。
「いえ! 副長と紗己ちゃんがうまくいって良かったです」
「おお」
ぶっきらぼうに答えるが、その態度とは裏腹に山崎がこれまで紗己の助けになってくれていたことを、土方はありがたく思っていた。
紗己を屯所に連れ戻る帰りの車中、紗己から色々と聞いた話の中で、山崎の名が幾度も挙がった。
妊娠が判明する前、病院に行ったほうが良いと強く勧められたこと。そして倒れ運ばれた先の病院にも迎えに来てくれたこと。その後屯所に戻ってからも、不安な中で山崎の存在は心強かったのだと紗己は言っていた。
そして土方も今日一日を振り返り、屯所を出て行った紗己の心の内を伝えてくれた山崎に、感謝の気持ちを持っている。
あの時それを伝えられていなければ、紗己を今日連れ戻すことが出来なかったかも知れないのだ。
だからこそ、今こうして不器用ながらも感謝を表した。そして土方には、どうしても山崎に伝えなければならないことがある。
最初の一本を取り出し咥えて火を点けると、ゆっくりと煙を肺へと送り込む。薄く開いた唇から更にゆっくりと煙を吐き出すと、左手を腰に当てて山崎を一瞥した。
「・・・ところで山崎」
「はい、なんです・・・え?」
機嫌良く返事をした次の瞬間、山崎は前方からの殺気に思わず固まってしまった。
先程まで好青年然としていた土方が、左手を腰に携えた刀の鍔に触れさせて、睨み付けてきたからだ。
「今後・・・俺と紗己の観察なんてしやがったら・・・殺すぞ?」
言いながら口端をニィッと上げる。だが鋭い双眸は全く笑っておらず、これには山崎も背筋が凍る思いだ。
「はっ、はいィ!!」
直立不動で即座に返事をすると、そんな部下を横目に土方はそのまま休憩所を後にした。
しばらく廊下を歩いてから、周囲に誰も居ないことを確認すると、
「クッ・・・」
土方は込み上げる笑いに思わず声を漏らした。今朝からの出来事を歩きながら思い出していたからだ。
あまりにも展開の早い一日に、疲れも飛び越え何だか笑えてきてしまった。
喜怒哀楽を僅か一日で全て味わった気分だ。思いながら立ち止まると、咥えていた煙草を携帯灰皿に押し付けた。ジュッ・・・と火種が消える音がミミに届く。
土方は吐息しながら携帯灰皿をポケットに仕舞うと、気持ちを切り替えるように胸を張り、ぐっと背筋を伸ばした。
まだ仕事中だ、気ィ緩め過ぎだろ。胸中で自身に檄を飛ばし、紗己に会いたくなってしまった気持ちをも仕舞い込んで、再び歩き出した。