第十章
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土方は指に挟んだ煙草の吸い口を小さく弾き、火種ごと落ちそうになっていた灰を先端部のみ足元に落とした。
狭い路地から見上げた空はいつしか分厚い雪雲にすっかり覆われ、時折落ち葉を舞わせる寒風が、長い立ち話をしている土方の身体を芯から冷やす。
壁に凭れていた土方は、頭をあまり動かさずに目だけを空に向け、肺に溜め込んでいた煙をゆっくりと吐き出した。そしてまた新たに有害な煙を肺まで送り込み、語りを止めた雪乃を一瞥して言った。
「お前の身の上には同情するが、それと昨夜の事と、一体どう繋がるんだ」
「今お話したのは、私がこれまでずっとそう だと思っていた事です」
「あァ?」
謎掛けのような言い回しに土方は眉をしかめる。
雪乃がこれまでずっと『そう』だと思っていた事――雪乃は土方に芸者になった経緯を語った。
彼女の実家は呉服商を営んでいて、幼い頃はそれなりに裕福に育ったという。だが、父親が知人の借金の連帯保証人となり、その知人が行方知れずとなったせいで、借金全てを肩代わりしなければならなくなった。
そして、その借金を苦に雪乃の両親は川に身を投げ死んだという。
だからそれが昨夜の事と何の関係があるってんだ。胸中で毒を吐きながら苛立ちを表情に滲ませる土方を前に、雪乃が再び口を開いた。
「昨夜、あの座敷に居た勘定所の高官――安藤定之介。私はね、あの男に育てられたんですよ」
「えっ?」
件の高官との関係性を雪乃に打ち明けられ、土方は驚きのあまり指に挟んでいた煙草を落としそうになってしまった。
眉を上げてまじまじと雪乃を見つめれば、彼女は少しずれてしまった藍色の肩掛けを直しながら痛ましげに笑って見せる。
「借金のカタに遊郭に売られるところだった私を、両親の知人だったと言う安藤が借金の肩代わりをしてくれて・・・ね」
言い終えると、雪乃は小さく身震いした。ちょうど二人のいる路地を寒風が吹き抜けたからだろう。
寒さから身を守るように、胸の前で腕を交差させて自身の両肘を掴み話を続ける。
「当時まだ十歳だった私にとって、遊郭に売られるところを救ってくれた安藤は本当に神様のようでした。だから、肩代わりした借金は立派な芸妓になっていずれ返してくれればいいという言葉に、感謝こそすれど疑いなど持たなかった」
「という事は、一つ屋根の下に引き取られたんじゃなくて・・・」
「ええ。安藤が懇意にしていた置屋に引き渡されました」
芸妓や、芸妓になるために修業をしている舞妓、それらをまとめるおかみが共同生活を送る置屋。それ以外にも芸妓や舞妓達の世話をする仕込みと言う少女達もそこに暮らす。
雪乃が引き渡された置屋は、他の置屋に比べて待遇も悪くなく、彼女は早く一人前になれるようにと必死に稽古に励んだと言う。そしてそんな彼女を何かと援助し続けたのが、安藤なのだった。
「全ては私を救ってくれたあの人のため・・・それだけで頑張れました。そして数年が経ち、座敷に上がれるようになった私は安藤に全てを・・・」
自身を抱き締めるように、肘を掴んでいた雪乃の色白の両手に力がこもる。自分を護れるのは自分だけなのだと、そんな意志がそこから見えるようで、土方は何も言わずに彼女の話に耳を傾ける。
「そうして私は十年以上、あの男に私の全てを捧げたんです。両親を殺した・・・あの男に」
紅を引いた薄い唇をギュッと噛む。冷静な口調だったが、そこには明らかに憎悪の感情が含まれていた。
「・・・おいおい、殺したってのは穏やかな話じゃねえな。確証のある話なのか」
土方は手にしていた煙草を携帯灰皿へと押し付け、新たな一本を箱から摘み取りながら言った。すると雪乃は、この場の雰囲気にはあまりにも不似合いな甲高い笑い声を上げた。それに驚いた土方は、煙草を摘んだままの姿勢で訝しげに雪乃を一瞥する。
狭い路地に響いていたヒステリックな笑い声も次第に落ち着き、雪乃は最後にハアッと息を吐くと、「ごめんなさいね」と言いながら、自身の右頬から首筋をゆっくり撫でた。
「確証・・・おおありですよ。本人がそう話しているのを、私がこの耳でしっかりと聞いたんですから」
「盗み聞きか?」
「ええ。さすが副長さん、よくお分かりで」
「あの手の男が、真実を知った人間を放っておくわけねーからな」
そう言いながら、摘んだままだった新しい煙草を咥え、袂から取り出したライターで火を点ける。ふうっと煙を吐き出すと、それに合わせたように雪乃が続きを話し出した。
「知ったのは、ちょうど去年の今頃です。その日、とある料亭での一仕事を終えた私は、荷物を置いていた部屋に向かうために一人で廊下を歩いていたんです。そしたら、たまたま通り掛かった部屋から馴染みのある声が聞こえてきましてね」
「安藤か」
煙草を咥えたまま訊ねた土方は、空いた両手でやや開き気味だった襦袢の衿を軽く閉じた。いくら襟巻きをしているとはいえ、さすがに寒過ぎたのだ。
渋面を浮かべて着物の胸元を整えている土方の姿にクスッと笑うと、雪乃はまた話を続けた。
「ええ。それともう一人、安藤がずっと以前から個人的に雇っている用心棒の浪士です。二人が話している内容が私の事だってすぐに分かったんで、音を立てないよう花かんざしを握って息を殺し、襖に耳を押し付けて話に聞き入ったんです」
先程のように感情を昂ぶらせることもなく、静かな口調で淡々と話し続ける雪乃。それに耳を傾けながら土方は、その声音も話の内容もまるで今の空模様のようだと、どんよりとした雪雲に覆われた空を狭い路地から見上げて思った。
土方は指に挟んだ煙草の吸い口を小さく弾き、火種ごと落ちそうになっていた灰を先端部のみ足元に落とした。
狭い路地から見上げた空はいつしか分厚い雪雲にすっかり覆われ、時折落ち葉を舞わせる寒風が、長い立ち話をしている土方の身体を芯から冷やす。
壁に凭れていた土方は、頭をあまり動かさずに目だけを空に向け、肺に溜め込んでいた煙をゆっくりと吐き出した。そしてまた新たに有害な煙を肺まで送り込み、語りを止めた雪乃を一瞥して言った。
「お前の身の上には同情するが、それと昨夜の事と、一体どう繋がるんだ」
「今お話したのは、私がこれまでずっと
「あァ?」
謎掛けのような言い回しに土方は眉をしかめる。
雪乃がこれまでずっと『そう』だと思っていた事――雪乃は土方に芸者になった経緯を語った。
彼女の実家は呉服商を営んでいて、幼い頃はそれなりに裕福に育ったという。だが、父親が知人の借金の連帯保証人となり、その知人が行方知れずとなったせいで、借金全てを肩代わりしなければならなくなった。
そして、その借金を苦に雪乃の両親は川に身を投げ死んだという。
だからそれが昨夜の事と何の関係があるってんだ。胸中で毒を吐きながら苛立ちを表情に滲ませる土方を前に、雪乃が再び口を開いた。
「昨夜、あの座敷に居た勘定所の高官――安藤定之介。私はね、あの男に育てられたんですよ」
「えっ?」
件の高官との関係性を雪乃に打ち明けられ、土方は驚きのあまり指に挟んでいた煙草を落としそうになってしまった。
眉を上げてまじまじと雪乃を見つめれば、彼女は少しずれてしまった藍色の肩掛けを直しながら痛ましげに笑って見せる。
「借金のカタに遊郭に売られるところだった私を、両親の知人だったと言う安藤が借金の肩代わりをしてくれて・・・ね」
言い終えると、雪乃は小さく身震いした。ちょうど二人のいる路地を寒風が吹き抜けたからだろう。
寒さから身を守るように、胸の前で腕を交差させて自身の両肘を掴み話を続ける。
「当時まだ十歳だった私にとって、遊郭に売られるところを救ってくれた安藤は本当に神様のようでした。だから、肩代わりした借金は立派な芸妓になっていずれ返してくれればいいという言葉に、感謝こそすれど疑いなど持たなかった」
「という事は、一つ屋根の下に引き取られたんじゃなくて・・・」
「ええ。安藤が懇意にしていた置屋に引き渡されました」
芸妓や、芸妓になるために修業をしている舞妓、それらをまとめるおかみが共同生活を送る置屋。それ以外にも芸妓や舞妓達の世話をする仕込みと言う少女達もそこに暮らす。
雪乃が引き渡された置屋は、他の置屋に比べて待遇も悪くなく、彼女は早く一人前になれるようにと必死に稽古に励んだと言う。そしてそんな彼女を何かと援助し続けたのが、安藤なのだった。
「全ては私を救ってくれたあの人のため・・・それだけで頑張れました。そして数年が経ち、座敷に上がれるようになった私は安藤に全てを・・・」
自身を抱き締めるように、肘を掴んでいた雪乃の色白の両手に力がこもる。自分を護れるのは自分だけなのだと、そんな意志がそこから見えるようで、土方は何も言わずに彼女の話に耳を傾ける。
「そうして私は十年以上、あの男に私の全てを捧げたんです。両親を殺した・・・あの男に」
紅を引いた薄い唇をギュッと噛む。冷静な口調だったが、そこには明らかに憎悪の感情が含まれていた。
「・・・おいおい、殺したってのは穏やかな話じゃねえな。確証のある話なのか」
土方は手にしていた煙草を携帯灰皿へと押し付け、新たな一本を箱から摘み取りながら言った。すると雪乃は、この場の雰囲気にはあまりにも不似合いな甲高い笑い声を上げた。それに驚いた土方は、煙草を摘んだままの姿勢で訝しげに雪乃を一瞥する。
狭い路地に響いていたヒステリックな笑い声も次第に落ち着き、雪乃は最後にハアッと息を吐くと、「ごめんなさいね」と言いながら、自身の右頬から首筋をゆっくり撫でた。
「確証・・・おおありですよ。本人がそう話しているのを、私がこの耳でしっかりと聞いたんですから」
「盗み聞きか?」
「ええ。さすが副長さん、よくお分かりで」
「あの手の男が、真実を知った人間を放っておくわけねーからな」
そう言いながら、摘んだままだった新しい煙草を咥え、袂から取り出したライターで火を点ける。ふうっと煙を吐き出すと、それに合わせたように雪乃が続きを話し出した。
「知ったのは、ちょうど去年の今頃です。その日、とある料亭での一仕事を終えた私は、荷物を置いていた部屋に向かうために一人で廊下を歩いていたんです。そしたら、たまたま通り掛かった部屋から馴染みのある声が聞こえてきましてね」
「安藤か」
煙草を咥えたまま訊ねた土方は、空いた両手でやや開き気味だった襦袢の衿を軽く閉じた。いくら襟巻きをしているとはいえ、さすがに寒過ぎたのだ。
渋面を浮かべて着物の胸元を整えている土方の姿にクスッと笑うと、雪乃はまた話を続けた。
「ええ。それともう一人、安藤がずっと以前から個人的に雇っている用心棒の浪士です。二人が話している内容が私の事だってすぐに分かったんで、音を立てないよう花かんざしを握って息を殺し、襖に耳を押し付けて話に聞き入ったんです」
先程のように感情を昂ぶらせることもなく、静かな口調で淡々と話し続ける雪乃。それに耳を傾けながら土方は、その声音も話の内容もまるで今の空模様のようだと、どんよりとした雪雲に覆われた空を狭い路地から見上げて思った。