第十章
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空になった自身のコップをテーブルに戻してもう一方を手に取り、左隣に座る紗己の胸の前にぬっと差し出す。
「好きだろ、甘いモン」
「・・・・・・」
紗己は小さく頷くと、コップを受け取り口元へと運んだ。
こくん、と一口飲む。途端、紗己の半月型の瞳から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「ふ・・・っ、うっ・・・」
泣き声を殺そうと必死なのか、コップを持つ両手に力が入り、中身がたぷたぷと揺れている。
「紗己・・・」
どう接するべきか考えあぐねていた銀時だったが、悲愴な紗己の姿を目の当たりにしてますます気持ちが迷い始める。
紗己は夫に裏切られたと思い、身を裂かれる思いで苦しんでいるのだ。ならば、沖田から聞いた話を伝えてやれば、少なくとも今彼女を苦しめている感情からは解放してやれるのではないか。
思いはするも、迷う心が待てと言う。この涙を止めてやれる術があるというのに、自分でも判別出来ない感情が思考を鈍らせる。どうしよう、俺はどうしたいんだ?
言おうか言うまいか。迷いながらも少しだけ尻をずらし、じりじりと距離を詰めてみる。じんわりとした温もりが空気を介して互いの半身に届き始める中、微かに衣擦れの音がした。それは泣いて肩をしゃくりあげる紗己の着物が、銀時の着物と触れた際に生じた音だった。
本当に微かな音、彼女の嗚咽にかき消されているそれを聴き分ける方が困難な程なのに、まるで部屋中にこだましているかのように銀時の耳の奥深くまで強く響いてくる。
隣に居るのは、きっと『妹』のように思っている女だ――。左半身がむずむずと焦れ出して、堪らず銀時は唇を一文字に結んで両目をきつく閉じた。落ち着け、冷静になれ。
そう自身に言い聞かせるが、裏腹に心音が乱れだす。それもそのはず、無意識のうちに息を止めてしまっていたため鼓動が速まっただけのことだ。なのにそう認識出来ないくらいに、得体の知れない感情が銀時の心に揺さぶりをかける。
泣いている姿を見るのが初めてというわけではないし、以前公園のベンチで泣き出した紗己を抱き締めて宥めたこともあった。
あの時と一緒だろ? なんでこんなにどきどきしてんだ俺は。こいつは妹的な…いねーからわかんねェけど、きっとそんな感じだろ? 雑念を振り払うように乱暴に頭を振る。
少し気持ちを落ち着かせようと、隣に座る紗己に気付かれぬよう静かに深呼吸を繰り返す。
もう大丈夫だ・・・いや、何が大丈夫なんだ? 不安定な自分自身に突っ込みながらも、ゆっくりと左側に視線を移す。
その瞬間――銀時はごくりと唾を飲み込んだ。
泣き続ける紗己の、そっと触れただけでも痕が付いてしまいそうな真っ白い首筋。そこに涙で濡れた髪が数本張り付いていて、思わず汗に濡れた艶っぽい姿を想像してしまい、もうそこから目が離せなくなる。
体内で派手に太鼓を打ち鳴らされているような気分に、不愉快ながらも気持ちの高揚を抑えきれなくなってきた。
そんな時、頭の中でもう一人の自分の声がした。
――そうだ、あの時と同じだろ。
何かの決意を固めたように銀時は静かに息を吐き出すと、紗己の手からコップを取り上げテーブルに置いた。
小さく音がした方へ紗己が泣き顔を向けるが、涙に濡れた瞳にコップは映らなかった。代わりに隣に居る男の着物の柄が間近に見える。
あ、と小さな声がすると同時に、銀時は紗己の華奢な肩をグッと引き寄せていた。どうしようもなく、そうせずにはいられなかった。
涙を止めるという手段を選ぶか悩んでいるうちに、言葉になりかけていた『何か』は、いとも簡単に喉奥へと消えてしまっていた。
銀時に肩を抱かれながら、彼女は何を感じたのだろう。安心か、それとも愛する夫との抱擁を思い出したのか。
紗己は震える両手で自身の顔を覆うと、堰を切ったように声を上げて泣き出した。
――――――
愛しい者にするように情熱的に肩を抱いたのはほんの短い間の事で、すぐに銀時は子供をあやすように紗己の肩を優しくさすっていた。
あー、やっぱり言ってやれば良かったよなァ。紗己の旋毛に視線を落としつつ胸中で呟く。
そもそもこの事態を引き起こした原因は自分には無い。その正当性を盾にこうして紗己の肩を抱いているのだが、軟らかな髪が首元に触れるくすぐったさも、彼女が悲しみに打ちひしがれているからこそ感じることが出来るもの。
解決には結び付かなくても、流れる涙を止める事は出来たはずだ。そう、出来たのだ。
なのにそれを選ばずに、長い髪が首元に触れるこそばゆさにささやかな優越感を抱いている自分に、銀時は罪悪感を抱く。
別に悲しませたいわけじゃねーんだけど、でもなー。丸々全部話すのも、それはそれでちょっとなー。
だから何なんだと自身に突っ込みたくなるような言い訳を頭の中に並べ、それでもやはり自分が悪いのではないとの思いを込めて紗己の肩と二の腕を優しくさする。
つくづく損な役回りだ。吐息とともに胸中で呟きながら。
「好きだろ、甘いモン」
「・・・・・・」
紗己は小さく頷くと、コップを受け取り口元へと運んだ。
こくん、と一口飲む。途端、紗己の半月型の瞳から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「ふ・・・っ、うっ・・・」
泣き声を殺そうと必死なのか、コップを持つ両手に力が入り、中身がたぷたぷと揺れている。
「紗己・・・」
どう接するべきか考えあぐねていた銀時だったが、悲愴な紗己の姿を目の当たりにしてますます気持ちが迷い始める。
紗己は夫に裏切られたと思い、身を裂かれる思いで苦しんでいるのだ。ならば、沖田から聞いた話を伝えてやれば、少なくとも今彼女を苦しめている感情からは解放してやれるのではないか。
思いはするも、迷う心が待てと言う。この涙を止めてやれる術があるというのに、自分でも判別出来ない感情が思考を鈍らせる。どうしよう、俺はどうしたいんだ?
言おうか言うまいか。迷いながらも少しだけ尻をずらし、じりじりと距離を詰めてみる。じんわりとした温もりが空気を介して互いの半身に届き始める中、微かに衣擦れの音がした。それは泣いて肩をしゃくりあげる紗己の着物が、銀時の着物と触れた際に生じた音だった。
本当に微かな音、彼女の嗚咽にかき消されているそれを聴き分ける方が困難な程なのに、まるで部屋中にこだましているかのように銀時の耳の奥深くまで強く響いてくる。
隣に居るのは、きっと『妹』のように思っている女だ――。左半身がむずむずと焦れ出して、堪らず銀時は唇を一文字に結んで両目をきつく閉じた。落ち着け、冷静になれ。
そう自身に言い聞かせるが、裏腹に心音が乱れだす。それもそのはず、無意識のうちに息を止めてしまっていたため鼓動が速まっただけのことだ。なのにそう認識出来ないくらいに、得体の知れない感情が銀時の心に揺さぶりをかける。
泣いている姿を見るのが初めてというわけではないし、以前公園のベンチで泣き出した紗己を抱き締めて宥めたこともあった。
あの時と一緒だろ? なんでこんなにどきどきしてんだ俺は。こいつは妹的な…いねーからわかんねェけど、きっとそんな感じだろ? 雑念を振り払うように乱暴に頭を振る。
少し気持ちを落ち着かせようと、隣に座る紗己に気付かれぬよう静かに深呼吸を繰り返す。
もう大丈夫だ・・・いや、何が大丈夫なんだ? 不安定な自分自身に突っ込みながらも、ゆっくりと左側に視線を移す。
その瞬間――銀時はごくりと唾を飲み込んだ。
泣き続ける紗己の、そっと触れただけでも痕が付いてしまいそうな真っ白い首筋。そこに涙で濡れた髪が数本張り付いていて、思わず汗に濡れた艶っぽい姿を想像してしまい、もうそこから目が離せなくなる。
体内で派手に太鼓を打ち鳴らされているような気分に、不愉快ながらも気持ちの高揚を抑えきれなくなってきた。
そんな時、頭の中でもう一人の自分の声がした。
――そうだ、あの時と同じだろ。
何かの決意を固めたように銀時は静かに息を吐き出すと、紗己の手からコップを取り上げテーブルに置いた。
小さく音がした方へ紗己が泣き顔を向けるが、涙に濡れた瞳にコップは映らなかった。代わりに隣に居る男の着物の柄が間近に見える。
あ、と小さな声がすると同時に、銀時は紗己の華奢な肩をグッと引き寄せていた。どうしようもなく、そうせずにはいられなかった。
涙を止めるという手段を選ぶか悩んでいるうちに、言葉になりかけていた『何か』は、いとも簡単に喉奥へと消えてしまっていた。
銀時に肩を抱かれながら、彼女は何を感じたのだろう。安心か、それとも愛する夫との抱擁を思い出したのか。
紗己は震える両手で自身の顔を覆うと、堰を切ったように声を上げて泣き出した。
――――――
愛しい者にするように情熱的に肩を抱いたのはほんの短い間の事で、すぐに銀時は子供をあやすように紗己の肩を優しくさすっていた。
あー、やっぱり言ってやれば良かったよなァ。紗己の旋毛に視線を落としつつ胸中で呟く。
そもそもこの事態を引き起こした原因は自分には無い。その正当性を盾にこうして紗己の肩を抱いているのだが、軟らかな髪が首元に触れるくすぐったさも、彼女が悲しみに打ちひしがれているからこそ感じることが出来るもの。
解決には結び付かなくても、流れる涙を止める事は出来たはずだ。そう、出来たのだ。
なのにそれを選ばずに、長い髪が首元に触れるこそばゆさにささやかな優越感を抱いている自分に、銀時は罪悪感を抱く。
別に悲しませたいわけじゃねーんだけど、でもなー。丸々全部話すのも、それはそれでちょっとなー。
だから何なんだと自身に突っ込みたくなるような言い訳を頭の中に並べ、それでもやはり自分が悪いのではないとの思いを込めて紗己の肩と二の腕を優しくさする。
つくづく損な役回りだ。吐息とともに胸中で呟きながら。