第十章
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――――――
「さむ・・・」
ぴゅぅっと首筋を吹き抜けた風に、紗己は呟きながら肩を縮こまらせた。牡丹唐草文が描かれた淡紅色の着物の下に、暖かな素材の肌襦袢を重ねて寒さ対策を講じてはいるものの、冬の朝はやはり冷える。
高く結い上げた髪を馬の尾のように跳ねさせ、ようやく空になった洗濯籠を取り上げて、足早に縁側へと上がる。
洗濯物を干す間にすっかり冷えきってしまった指先を温めようと、紗己は籠を一旦足元に置いて両手を擦り合わせ、ハァっと息を吐き掛けた。チリチリとした痒みを伴い、次第に両手指が温もりを取り戻していく。
もう一度、ハァ・・・とやると、白い息が勢いよく広がって、やがて朝の光の中に消えた。
紗己は穏やかな表情で、縁側から中庭を見渡す。
厚い雲の切れ間から、控え目に射し込む陽光。塀の内側に沿うように並ぶ、すっかり葉を落とした木々たち。季節は移ろい、紗己の住むこの真選組屯所も、もう冬の匂いに包まれている。
時間が経つのは早いとしみじみ思ってしまうのは、所謂年の瀬だからだろうか。紗己は両手を揉むようにして温めながら、感慨深く吐息した。
緑がもっと青々と繁っていた半年前、紗己は生まれ育った田舎から上京した。都会での暮らしは何もかもが新鮮な日々。とりわけ働き者の彼女には仕事自体が楽しく、同じく屯所で働く女中達と他愛ない話をしては笑い合った。
この庭にも、楽しい記憶はたくさん詰まっている。
真夏の盛りを過ぎた頃、同僚と共に池の周りを掃除をしていて、足を滑らせ池にはまってしまい、びしょ濡れになったことがあった。そのびしょ濡れで池から這い上がるところを、当時まだ世間話をする程度の間柄だった土方に見られてしまい、大層恥ずかしい思いをしたのだった。
どんくさい奴だなァ。風邪引かねーように気を付けろよ。
今紗己の立つ縁側から、通りすがりに土方は呆れたように言葉を投げて、けれど過ぎ行き様には肩を揺らして小さく笑っていた。
思いがけず笑顔を見れる時もあれば、怒っている顔を見ることも多々あった。
紗己がここで洗濯物を干していると、休憩や仕事の合間によく隊士逹が悩みや愚痴をこぼしに来ていた。特に口を挟むでもなく、穏やかに頷き話を聞いてくれる彼女に、多くの面々は甘えに来ていたのだろう。
ところが一人、その風潮を良しとしない男がいた。言わずもがな、土方十四郎だ。
彼女に甘える他者の気配を察知する能力によほど長けているのか、眉を吊り上げしょっちゅう隊士達を蹴散らしに来ていた。そのくせ自分はさっさと仕事に戻るでもなく、口ごもりながらも軽く世間話はしていくのだった。
なんだか懐かしいなぁ・・・ふふ、大して前の事でもないのにね。
思い出して、胸の奥がほっこりと温かくなった。あのよそよそしかった二人が今では夫婦なのだ、人生とは何がどうなるかわからない。これが運命というものであれば、心の底からこの運命に感謝したいと紗己は思う。
けれど最近、時々ふと考えることがある。あの時、あの夏の夜、もしも妊娠していなかったら――二人は今頃どうなっていただろう。想いを伝え合う関係になっていただろうか。
彼は私を、好きになってくれただろうか――?
「・・・なんて、ね」
ポソッと呟くと、廊下のずっとずっと向こう、屯所の端に位置する自室の方角に目を向けた。愛しい夫は明け方に帰ってきたため、今もまだ眠りの中にいる。
酔い潰れていたせいもあるだろうが、ずいぶんと疲れた顔をして眠っていた。溜まりにたまった疲れがどっと出たのだろう。
土方の険しい寝顔を思い出せば、紗己の胸はきゅうっと切なくなる。今日は夕方まで仕事は無いはずだから、ゆっくり寝かせてあげたい。そう思う反面、早く起きてほしいという気持ちも少なからずある。
このところ土方は多忙極める状態で、夫婦でじっくり会話する時間にもなかなか恵まれなかった。紗己はその寂しさをじっと耐えていたのだ。
そうだ、寂しかったんだ。だからこんな、『もしも』のことなんて考えちゃうんだ。
「ひゃ・・・っ」
落ち葉と戯れていた風が、紗己を目掛けて強く吹いた。むき出しのうなじを寒風が撫でていき、後れ毛がそよそよするこそばゆさに頬を緩める。
背筋がしゃんと伸びる心地良い冷たさの風は、どことなく土方を彷彿とさせるようで、何くだらねーこと考えてんだと言われた気がして、また少し大きくなった腹を優しく擦りながら紗己はクスクスと笑った。
「さむ・・・」
ぴゅぅっと首筋を吹き抜けた風に、紗己は呟きながら肩を縮こまらせた。牡丹唐草文が描かれた淡紅色の着物の下に、暖かな素材の肌襦袢を重ねて寒さ対策を講じてはいるものの、冬の朝はやはり冷える。
高く結い上げた髪を馬の尾のように跳ねさせ、ようやく空になった洗濯籠を取り上げて、足早に縁側へと上がる。
洗濯物を干す間にすっかり冷えきってしまった指先を温めようと、紗己は籠を一旦足元に置いて両手を擦り合わせ、ハァっと息を吐き掛けた。チリチリとした痒みを伴い、次第に両手指が温もりを取り戻していく。
もう一度、ハァ・・・とやると、白い息が勢いよく広がって、やがて朝の光の中に消えた。
紗己は穏やかな表情で、縁側から中庭を見渡す。
厚い雲の切れ間から、控え目に射し込む陽光。塀の内側に沿うように並ぶ、すっかり葉を落とした木々たち。季節は移ろい、紗己の住むこの真選組屯所も、もう冬の匂いに包まれている。
時間が経つのは早いとしみじみ思ってしまうのは、所謂年の瀬だからだろうか。紗己は両手を揉むようにして温めながら、感慨深く吐息した。
緑がもっと青々と繁っていた半年前、紗己は生まれ育った田舎から上京した。都会での暮らしは何もかもが新鮮な日々。とりわけ働き者の彼女には仕事自体が楽しく、同じく屯所で働く女中達と他愛ない話をしては笑い合った。
この庭にも、楽しい記憶はたくさん詰まっている。
真夏の盛りを過ぎた頃、同僚と共に池の周りを掃除をしていて、足を滑らせ池にはまってしまい、びしょ濡れになったことがあった。そのびしょ濡れで池から這い上がるところを、当時まだ世間話をする程度の間柄だった土方に見られてしまい、大層恥ずかしい思いをしたのだった。
どんくさい奴だなァ。風邪引かねーように気を付けろよ。
今紗己の立つ縁側から、通りすがりに土方は呆れたように言葉を投げて、けれど過ぎ行き様には肩を揺らして小さく笑っていた。
思いがけず笑顔を見れる時もあれば、怒っている顔を見ることも多々あった。
紗己がここで洗濯物を干していると、休憩や仕事の合間によく隊士逹が悩みや愚痴をこぼしに来ていた。特に口を挟むでもなく、穏やかに頷き話を聞いてくれる彼女に、多くの面々は甘えに来ていたのだろう。
ところが一人、その風潮を良しとしない男がいた。言わずもがな、土方十四郎だ。
彼女に甘える他者の気配を察知する能力によほど長けているのか、眉を吊り上げしょっちゅう隊士達を蹴散らしに来ていた。そのくせ自分はさっさと仕事に戻るでもなく、口ごもりながらも軽く世間話はしていくのだった。
なんだか懐かしいなぁ・・・ふふ、大して前の事でもないのにね。
思い出して、胸の奥がほっこりと温かくなった。あのよそよそしかった二人が今では夫婦なのだ、人生とは何がどうなるかわからない。これが運命というものであれば、心の底からこの運命に感謝したいと紗己は思う。
けれど最近、時々ふと考えることがある。あの時、あの夏の夜、もしも妊娠していなかったら――二人は今頃どうなっていただろう。想いを伝え合う関係になっていただろうか。
彼は私を、好きになってくれただろうか――?
「・・・なんて、ね」
ポソッと呟くと、廊下のずっとずっと向こう、屯所の端に位置する自室の方角に目を向けた。愛しい夫は明け方に帰ってきたため、今もまだ眠りの中にいる。
酔い潰れていたせいもあるだろうが、ずいぶんと疲れた顔をして眠っていた。溜まりにたまった疲れがどっと出たのだろう。
土方の険しい寝顔を思い出せば、紗己の胸はきゅうっと切なくなる。今日は夕方まで仕事は無いはずだから、ゆっくり寝かせてあげたい。そう思う反面、早く起きてほしいという気持ちも少なからずある。
このところ土方は多忙極める状態で、夫婦でじっくり会話する時間にもなかなか恵まれなかった。紗己はその寂しさをじっと耐えていたのだ。
そうだ、寂しかったんだ。だからこんな、『もしも』のことなんて考えちゃうんだ。
「ひゃ・・・っ」
落ち葉と戯れていた風が、紗己を目掛けて強く吹いた。むき出しのうなじを寒風が撫でていき、後れ毛がそよそよするこそばゆさに頬を緩める。
背筋がしゃんと伸びる心地良い冷たさの風は、どことなく土方を彷彿とさせるようで、何くだらねーこと考えてんだと言われた気がして、また少し大きくなった腹を優しく擦りながら紗己はクスクスと笑った。