第十章
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――――――
広い和室に三味線の音が響く。幽玄なそれに耳を傾けながら、土方十四郎は手にした猪口の酒をクイッと飲み干した。上等の酒だ。
喉奥から口内、そして鼻へと抜ける芳香は、通常の純米酒よりも遥かに薫り高い。もう一杯と徳利を手に取ると、向かいに座る男が得意気に胸を張った。
「なかなかいい酒だろう。京からわざわざ取り寄せた下り酒でねえ」
「・・・ああ、なかなかだな」
土方は一瞬眉をピクッと動かしたが、当たり障りの無い言葉を選んだ。
「真選組の副長殿をもてなすには、これくらいは当然だよ。いや、まだまだ足りんくらいかな?」
鼻の下に携えた髭を触りながら男は言う。
几帳面な性格なのだろう、きちんと形が整っていないと落ち着かないらしい。顔付きも少々神経質そうだと思いながら、土方は空になった猪口に酒を注ぐと、徳利を膳に置いて言った。
「いや、随分とイイ扱いを受けてるぜ。ただの田舎侍相手に、わざわざ座敷まで設けてくれてるってんだからな」
全くの無表情で一瞥する。すると髭の男の隣、土方から見て斜向かいに座る男が、垂れ下がった双眸を細め首を振った。弛んだ頬が、ぷるぷると左右に揺れている。
「これはこれは、ただの田舎侍とはまたご謙遜を。真選組副長殿ともあらば、ただの宴席では申し訳がたちませんて」
「ほぅ・・・俺の上にはまだ、真選組局長がいるんだがな」
言いながら、向かい側の男達を試すような目付きで見据える。
この顔合わせは想定外のはずじゃないのか。
少なくとも土方にとってはそうだった。それに、必要以上に持ち上げられることにも違和感を覚える。
鬼の副長の視界に取り込まれた二人のうち、髭の男の方が、ほんの少しの間を置いて、企みを奥に秘めたいやに明るい声で答えた。
「いやはや、これは君のための宴席だよ、土方君」
「・・・・・・」
――まだだ、まだ早い。
胸中で呟くと、土方は無言のまま猪口を口元へと運んだ。上等の酒は先程よりも不味く感じた。
土方は今、とある待合茶屋にて接待を受けている。
相手は幕府に強い後ろ楯を持つ武器商人と、その後ろ楯である幕府の高官だ。
当初土方は、この接待にあまりいい顔をしていなかった。過去に取引関係が無かったことは、さして問題ではない。幕府の勘定所に籍を置く高官が、わざわざ仲介人として話を持ってきたのが引っ掛かっていたからだ。相手方の関係性をしっかり洗ってから返答すべきだとも、近藤に進言した。
しかし真選組という警察組織にいる以上、『上』からの要請を簡単に突っ撥ねるわけにもいかないと言われ、仕方なく高官の顔を立てるという形でこの話を了承した。
だが、今朝方話が一変した。接待を受けるはずだった近藤が何故かまた『上』からの要請で、緊急の会合に出席させられることになったのだ。となれば、代わりに出向くのは土方しかいない。
接待の相手を考えると、どこかきな臭いこの話に、彼とてあまり関わりたくないというのが本心。身重の妻に、要らぬ心配を掛けるようなことは極力避けたい。
けれど、これはれっきとした仕事だ。おまけに半ば強制ときている。近藤から頼まれたというのもあって、土方は渋々今日の出席を約束したのだった。
膳に載せられた、大好物の白い飾りがなされていない料理。酒の肴のつもりで箸を動かしつつ、土方はふと耳を澄ました。
三味線の奏に交じり聴こえる、静かな夜にちらつく雪のような繊細な音。それは花かんざしが揺れる音だった。しなやかに舞う芸者達をゆっくりと目で追いながら、妖艶とは真逆の位置に存在する妻のことを想う。
今頃アイツ、何してんだろうな。飯・・・は食ったか。寝るにはまだ早ェ気もするが。
本来ならば、今夜は紗己とともに出掛ける予定だった。何かの記念であるとか、そんな特別な事柄ではないが、夫婦水入らずで外食をすることになっていたのだ。
一般家庭に比べれば、かなり安全な所に居を構えているのだから、身の危険という心配はない。ここの居心地の悪さと若干の申し訳なさが、彼に妻のことを考えさせるのだろう。
「・・・だろう、土方君」
「・・・・・・あ?」
考え事をしていたため、何と話し掛けられたのか聞き取れなかった。
頭の中の紗己の柔らかな笑みが、野太い男の声に掻き消されて、少しだけ不愉快になり眉をしかめる。向かいに座る髭の男は、もう一度、土方に言葉を掛けた。
「どうだろうか土方君、我々と手を組まないかね」
実に堂々とした、自信に満ちた表情だ。相手がそれを拒まないという確信のもと、発言をしているように思える。否、拒めないという確信かもしれない。
「・・・・・・」
土方は特別な反応は示さず、無言のまま喉奥へと酒を流し込んだ。
この接待の見返り――それは真選組への武器の卸しである。
もしこれが何の仲介もなく来た話だったのならば、問屋の身辺を洗った上で、それなりに今後の付き合いも考えたかも知れない。まあ、いずれ身辺調査の段階で、役人との繋がりが明らかとなっていただろうが。
そろそろ探っておくか。胸中で呟く。
一度目は適当に聞き流し、二度目は手を組もうと持ち掛けられた。三度目はもうかわせない。もしも今後、この者逹が真選組に害をもたらすならば、いつか『潰す』ことになるだろう。その時のためにも、情報はあるに越したことはない。
野性の嗅覚を働かせ始めたのを気取られぬよう、土方はあっさりとした声音で話し出した。
「手を組むメリットはなんだ? 問屋側は商売だからいいとして、アンタの狙いは何なんだ」
言葉の深みを打ち消すために、宴を華やげる優雅な舞に目をやりながら話すと、真ん中で踊る芸者と目が合った。
土方に『アンタ』呼ばわりされた高官は、怒るわけでもなく口元に薄い笑いを浮かべている。
広い和室に三味線の音が響く。幽玄なそれに耳を傾けながら、土方十四郎は手にした猪口の酒をクイッと飲み干した。上等の酒だ。
喉奥から口内、そして鼻へと抜ける芳香は、通常の純米酒よりも遥かに薫り高い。もう一杯と徳利を手に取ると、向かいに座る男が得意気に胸を張った。
「なかなかいい酒だろう。京からわざわざ取り寄せた下り酒でねえ」
「・・・ああ、なかなかだな」
土方は一瞬眉をピクッと動かしたが、当たり障りの無い言葉を選んだ。
「真選組の副長殿をもてなすには、これくらいは当然だよ。いや、まだまだ足りんくらいかな?」
鼻の下に携えた髭を触りながら男は言う。
几帳面な性格なのだろう、きちんと形が整っていないと落ち着かないらしい。顔付きも少々神経質そうだと思いながら、土方は空になった猪口に酒を注ぐと、徳利を膳に置いて言った。
「いや、随分とイイ扱いを受けてるぜ。ただの田舎侍相手に、わざわざ座敷まで設けてくれてるってんだからな」
全くの無表情で一瞥する。すると髭の男の隣、土方から見て斜向かいに座る男が、垂れ下がった双眸を細め首を振った。弛んだ頬が、ぷるぷると左右に揺れている。
「これはこれは、ただの田舎侍とはまたご謙遜を。真選組副長殿ともあらば、ただの宴席では申し訳がたちませんて」
「ほぅ・・・俺の上にはまだ、真選組局長がいるんだがな」
言いながら、向かい側の男達を試すような目付きで見据える。
この顔合わせは想定外のはずじゃないのか。
少なくとも土方にとってはそうだった。それに、必要以上に持ち上げられることにも違和感を覚える。
鬼の副長の視界に取り込まれた二人のうち、髭の男の方が、ほんの少しの間を置いて、企みを奥に秘めたいやに明るい声で答えた。
「いやはや、これは君のための宴席だよ、土方君」
「・・・・・・」
――まだだ、まだ早い。
胸中で呟くと、土方は無言のまま猪口を口元へと運んだ。上等の酒は先程よりも不味く感じた。
土方は今、とある待合茶屋にて接待を受けている。
相手は幕府に強い後ろ楯を持つ武器商人と、その後ろ楯である幕府の高官だ。
当初土方は、この接待にあまりいい顔をしていなかった。過去に取引関係が無かったことは、さして問題ではない。幕府の勘定所に籍を置く高官が、わざわざ仲介人として話を持ってきたのが引っ掛かっていたからだ。相手方の関係性をしっかり洗ってから返答すべきだとも、近藤に進言した。
しかし真選組という警察組織にいる以上、『上』からの要請を簡単に突っ撥ねるわけにもいかないと言われ、仕方なく高官の顔を立てるという形でこの話を了承した。
だが、今朝方話が一変した。接待を受けるはずだった近藤が何故かまた『上』からの要請で、緊急の会合に出席させられることになったのだ。となれば、代わりに出向くのは土方しかいない。
接待の相手を考えると、どこかきな臭いこの話に、彼とてあまり関わりたくないというのが本心。身重の妻に、要らぬ心配を掛けるようなことは極力避けたい。
けれど、これはれっきとした仕事だ。おまけに半ば強制ときている。近藤から頼まれたというのもあって、土方は渋々今日の出席を約束したのだった。
膳に載せられた、大好物の白い飾りがなされていない料理。酒の肴のつもりで箸を動かしつつ、土方はふと耳を澄ました。
三味線の奏に交じり聴こえる、静かな夜にちらつく雪のような繊細な音。それは花かんざしが揺れる音だった。しなやかに舞う芸者達をゆっくりと目で追いながら、妖艶とは真逆の位置に存在する妻のことを想う。
今頃アイツ、何してんだろうな。飯・・・は食ったか。寝るにはまだ早ェ気もするが。
本来ならば、今夜は紗己とともに出掛ける予定だった。何かの記念であるとか、そんな特別な事柄ではないが、夫婦水入らずで外食をすることになっていたのだ。
一般家庭に比べれば、かなり安全な所に居を構えているのだから、身の危険という心配はない。ここの居心地の悪さと若干の申し訳なさが、彼に妻のことを考えさせるのだろう。
「・・・だろう、土方君」
「・・・・・・あ?」
考え事をしていたため、何と話し掛けられたのか聞き取れなかった。
頭の中の紗己の柔らかな笑みが、野太い男の声に掻き消されて、少しだけ不愉快になり眉をしかめる。向かいに座る髭の男は、もう一度、土方に言葉を掛けた。
「どうだろうか土方君、我々と手を組まないかね」
実に堂々とした、自信に満ちた表情だ。相手がそれを拒まないという確信のもと、発言をしているように思える。否、拒めないという確信かもしれない。
「・・・・・・」
土方は特別な反応は示さず、無言のまま喉奥へと酒を流し込んだ。
この接待の見返り――それは真選組への武器の卸しである。
もしこれが何の仲介もなく来た話だったのならば、問屋の身辺を洗った上で、それなりに今後の付き合いも考えたかも知れない。まあ、いずれ身辺調査の段階で、役人との繋がりが明らかとなっていただろうが。
そろそろ探っておくか。胸中で呟く。
一度目は適当に聞き流し、二度目は手を組もうと持ち掛けられた。三度目はもうかわせない。もしも今後、この者逹が真選組に害をもたらすならば、いつか『潰す』ことになるだろう。その時のためにも、情報はあるに越したことはない。
野性の嗅覚を働かせ始めたのを気取られぬよう、土方はあっさりとした声音で話し出した。
「手を組むメリットはなんだ? 問屋側は商売だからいいとして、アンタの狙いは何なんだ」
言葉の深みを打ち消すために、宴を華やげる優雅な舞に目をやりながら話すと、真ん中で踊る芸者と目が合った。
土方に『アンタ』呼ばわりされた高官は、怒るわけでもなく口元に薄い笑いを浮かべている。