第九章
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スカーフの形を整えている紗己が手を動かす度に、優しい匂いがふわりふわりと土方の鼻腔をくすぐる。それが着物からなのか彼女自身からなのか、今すぐに、是非とも確かめたいと、鼓動のテンポが速くなる。
土方は心境を表に出さないようにと唇を一文字に引き締めて、鼻から大きく息を吸い込んだ。
香水、じゃねェよな多分。コイツはんなこじゃれたモン使ったりしねーだろ。だとすれば、石鹸か・・・
「シャンプー・・・」
「え?」
「・・・っあ、いや別に!」
胸の辺りから疑問符の付いた紗己の声が聞こえてきて、慌てて口を閉じる。誤魔化すように咳払いをすると、直してもらったばかりのスカーフが巻かれている首筋を指先で掻いた。
急に焦ったような仕草を見せる土方を、きょとんとした表情で見上げる紗己だが、「別に」と言われれば、余程でない限りは信じるのが彼女の性格だ。
夫の不審な様子に気付かないのか、それともいつものことだと思っているのか、紗己は一度軽く首を傾げただけで、すぐにまたスカーフを整えるため手を動かし出した。
一方の土方は、自らが作り出した気まずさに飲まれまいと、必死に思考を働かせ進展を図ろうとしている。
「シャンプー・・・」とか言ってる場合か俺は! そんなもんは時間のある時に、帰ってからでもじっくり確かめりゃいいだろ!! 今はそれよりも、どうやってスキンシップを・・・いやまァ、簡単と言えば簡単な話なんだが・・・・・・。
そう堅く考える程のことではないだろうと、密かに吐息する。匂いが胸を騒がせるくらいに、こんなにも近くにいるのだ。すぐにでも手を伸ばして、愛しい妻を抱き寄せればいい。
元々はあの場面を目撃した時に、彼女を抱き締めたいと強く思っていたのだ。
今更特別な理由など無くとも、アクションを起こせばいいじゃないか。思いはするが、そうしないささやかな理由が土方には存在していた。
彼は、紗己に「寂しい」と言わせたいのだ。
それは自身が満足感を得たいからではなく、むしろ彼女のためである。勿論、そう言ってもらいたいという願望もあるにはある。しかしそれは微々たるものだ。
大事なのは、己の感情を素直に吐き出すということ。
自己を持たないことが普通になってしまっている彼女に。感情をねじ曲げることが得意になってしまっている彼女に。何とか本音を言わせてやりたいと、土方は強く思う。
すがり付くまではしなくても、ちらっとでいいから「寂しい」って言ってくんねーかねェ。
そうしたら、きちんと流れが出来る。抱き締めて愛を囁いて、彼女の気持ちに応えられる。
自分から望みを告げることで得る達成感や充実感、それを紗己に味わわせてやりたい――それが土方の、自分からアクションを起こさないささやかな理由なのだ。
とはいえ、そう悠長に構えていられないところもある。何よりも時間が無いのだ。表には車を待たせてあるので、いつまでも自室でのんびりとしているわけにはいかない。
だからこそ、紗己が本音を言ってくれるのを心待ちにしている土方なのだが、彼女にその様子は一切見受けられない。
土方は半分諦めたように苦笑いを浮かべると、柱の時計に目をやった。上着と荷物を取りに戻ってから、既に十分程経過している。
予め決めていた出発予定時間よりはまだ余裕があるが、予定より早くに呼びに来たとはいえあまり待たせるのは、相手がいくら部下であっても気分のいいものではない。
タイムオーバー、か・・・・・・。コイツに言わせたかったんだが、今回は諦めるしかねーよな。
人間の望みなど知ったことではないと、時を刻み続ける秒針。その無機質な音に、物事はなかなか思い通りに進まないと土方は嘆息する。
こうして触れているうちに、昨日のあの悩ましげな指先が再現されるのでは・・・と僅かに期待していたが、無情にも紗己は笑顔のままスカーフの形を整え終えてしまった。
しなやかな指先が、そっと土方の身体から離れていく。その空気の流れを察知して、土方は残念そうに瞼を閉じて盛大に溜め息を落とした。
ひょっとしたら、あの一時寂しさが込み上げただけで、本当は大して何も感じてねえんじゃねーのか?
あの場面を目にしておいて、あれほどまでに心を震わせておきながら、何の進展も無いことを今更紗己に転嫁しようとしている。
それでもそういうところも全部含めて紗己なんだ、これが自分が愛した女なのだと、胸中できれいにまとめて納得すると、土方はやれやれといった具合にゆっくりと目を開いた。そこには見慣れた妻の笑顔があると思い込んで。
しかし、彼の鋭い双簿に映ったのは、予想に反して今にも泣き出しそうな紗己の顔だった。
土方は心境を表に出さないようにと唇を一文字に引き締めて、鼻から大きく息を吸い込んだ。
香水、じゃねェよな多分。コイツはんなこじゃれたモン使ったりしねーだろ。だとすれば、石鹸か・・・
「シャンプー・・・」
「え?」
「・・・っあ、いや別に!」
胸の辺りから疑問符の付いた紗己の声が聞こえてきて、慌てて口を閉じる。誤魔化すように咳払いをすると、直してもらったばかりのスカーフが巻かれている首筋を指先で掻いた。
急に焦ったような仕草を見せる土方を、きょとんとした表情で見上げる紗己だが、「別に」と言われれば、余程でない限りは信じるのが彼女の性格だ。
夫の不審な様子に気付かないのか、それともいつものことだと思っているのか、紗己は一度軽く首を傾げただけで、すぐにまたスカーフを整えるため手を動かし出した。
一方の土方は、自らが作り出した気まずさに飲まれまいと、必死に思考を働かせ進展を図ろうとしている。
「シャンプー・・・」とか言ってる場合か俺は! そんなもんは時間のある時に、帰ってからでもじっくり確かめりゃいいだろ!! 今はそれよりも、どうやってスキンシップを・・・いやまァ、簡単と言えば簡単な話なんだが・・・・・・。
そう堅く考える程のことではないだろうと、密かに吐息する。匂いが胸を騒がせるくらいに、こんなにも近くにいるのだ。すぐにでも手を伸ばして、愛しい妻を抱き寄せればいい。
元々はあの場面を目撃した時に、彼女を抱き締めたいと強く思っていたのだ。
今更特別な理由など無くとも、アクションを起こせばいいじゃないか。思いはするが、そうしないささやかな理由が土方には存在していた。
彼は、紗己に「寂しい」と言わせたいのだ。
それは自身が満足感を得たいからではなく、むしろ彼女のためである。勿論、そう言ってもらいたいという願望もあるにはある。しかしそれは微々たるものだ。
大事なのは、己の感情を素直に吐き出すということ。
自己を持たないことが普通になってしまっている彼女に。感情をねじ曲げることが得意になってしまっている彼女に。何とか本音を言わせてやりたいと、土方は強く思う。
すがり付くまではしなくても、ちらっとでいいから「寂しい」って言ってくんねーかねェ。
そうしたら、きちんと流れが出来る。抱き締めて愛を囁いて、彼女の気持ちに応えられる。
自分から望みを告げることで得る達成感や充実感、それを紗己に味わわせてやりたい――それが土方の、自分からアクションを起こさないささやかな理由なのだ。
とはいえ、そう悠長に構えていられないところもある。何よりも時間が無いのだ。表には車を待たせてあるので、いつまでも自室でのんびりとしているわけにはいかない。
だからこそ、紗己が本音を言ってくれるのを心待ちにしている土方なのだが、彼女にその様子は一切見受けられない。
土方は半分諦めたように苦笑いを浮かべると、柱の時計に目をやった。上着と荷物を取りに戻ってから、既に十分程経過している。
予め決めていた出発予定時間よりはまだ余裕があるが、予定より早くに呼びに来たとはいえあまり待たせるのは、相手がいくら部下であっても気分のいいものではない。
タイムオーバー、か・・・・・・。コイツに言わせたかったんだが、今回は諦めるしかねーよな。
人間の望みなど知ったことではないと、時を刻み続ける秒針。その無機質な音に、物事はなかなか思い通りに進まないと土方は嘆息する。
こうして触れているうちに、昨日のあの悩ましげな指先が再現されるのでは・・・と僅かに期待していたが、無情にも紗己は笑顔のままスカーフの形を整え終えてしまった。
しなやかな指先が、そっと土方の身体から離れていく。その空気の流れを察知して、土方は残念そうに瞼を閉じて盛大に溜め息を落とした。
ひょっとしたら、あの一時寂しさが込み上げただけで、本当は大して何も感じてねえんじゃねーのか?
あの場面を目にしておいて、あれほどまでに心を震わせておきながら、何の進展も無いことを今更紗己に転嫁しようとしている。
それでもそういうところも全部含めて紗己なんだ、これが自分が愛した女なのだと、胸中できれいにまとめて納得すると、土方はやれやれといった具合にゆっくりと目を開いた。そこには見慣れた妻の笑顔があると思い込んで。
しかし、彼の鋭い双簿に映ったのは、予想に反して今にも泣き出しそうな紗己の顔だった。