第九章
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荷物と上着を取ってくると言い残して、土方は自室へと戻ってきた。
先程少しだけ開いた障子戸がそのままになっている。今彼女はどうしているのか。
だが、中の様子を窺っている時間的余裕はない。土方は障子戸に手を掛けると、存在を知らせるようにわざと大きく音を立てて開けた。
「悪い、遅くなった」
言いながら中に入っていく。遠慮がちに奥の和室を覗き込むと、そこにはハンガーに掛けた上着にブラシをかける紗己がいた。
ようやく戻ってきた夫を、いつもと変わらぬ柔らかな笑顔が出迎えてくれる。
「あ、お帰りなさい。そろそろお時間ですよね」
紗己は手を止めて振り返り、柱の掛時計に目線をやった。その言葉と動作があまりに予想通りのものだったので、それが可笑しくてついつい吹き出しそうになってしまう。
「クッ・・・ああ、だな」
喉の奥で笑いを殺し、返事をする。
つい先程までは、その台詞を聞けば落ち込んでしまうと思っていたのに――今は笑いさえも込み上げてくる余裕っぷりに、なんと単純な男なのかと自分自身に呆れる程だ。
そんな土方の耳に、彼の心境の変化を全く知らない紗己の声が届けられる。
「すぐに出られますか?」
「ん? ああ、車の用意が出来てるからな」
「分かりました」
にっこりと頷くと紗己は、すぐ足元に置かれていた革の鞄へと手を伸ばした。持ち手をしっかりと掴んで室内を移動し、それを障子戸の前に置く。土方はというと、二間を仕切る襖に寄り掛かりながら、そんな妻を目で追っていた。
さっきのアレを見てなきゃ、コイツは絶対に寂しがってないって勘違いしちまうよな・・・・・・。
改めて思う。今の彼女を見れば到底寂しがっているようには思えないのだが、それも見せかけのもので、本当は寂しいということを言えないだけなのだ。
そう分かったからこそ、笑顔を見せる紗己に土方の胸は堪らなく熱くなる。
せめてこの部屋を出る前に、彼女に「寂しい」と言わせてやりたいと、そう本音を吐き出させてやりたいと強く思う。
だが熱に酔った土方の心とは裏腹に、紗己は彼にそのきっかけを与えない。すたすたと部屋の中を移動すると、ハンガーから隊服の上着を外して、それを手に夫の元へとやってきた。
「寒かったでしょう?」
まだ襖に寄り掛かったままの土方の横に立ち、袖を通しやすいように上着を広げる。
そうされてしまったら、着ないわけにはいかない。ここで上着に袖を通したら、あとはもう出発するしかないのだが・・・と思いはするが、土方は背中を起こして半歩前に出た。それに合わせるように背後に回った紗己は、土方が袖を通しやすいように上着の襟元を左右に広げる。
両袖を通した土方は、肩の位置をしっかりと合わせるために上着を軽く引っ張る。背中から肩にかけてじんわり広がる温もりに、いかに身体が冷えていたのかを知った。
すぐに紗己は土方の前方に回り込み、改めて上着の前を正していく。手入れ済みではあるが、肩口や胸の辺りもササッと払う。こうして触れる分には、何の躊躇いも無いようだ。
隊服越しからでもよく分かる、紗己の柔らかな手の感触。だがそこに特別な意味が込められていないのは分かっているので、さすがにいい大人の男が過剰に反応することはない。それでも、嬉しそうに身だしなみを整えてくれる紗己の姿に、胸の中が愛しさで満たされていく。
土方は肩の力を抜いて、ゆっくりと吐息した。とても穏やかな表情で、目の前の紗己を視界に収める。
本当は寂しいだろうに、そんな素振りは一切見せねェで・・・・・・。いいんだぞ、寂しいって言ったって駄々こねたって。
むしろそうして欲しいと心が逸る。
『穏やか』を絵に描いたような愛しい妻。時には我が儘くらい言ってくれてもいいのにと思いつつも、その居心地の良さに甘えていた。
土方が目撃したあの光景は、そんな紗己への勝手なイメージを覆すものだった。
彼女はいつでも優しく穏やかに生きているが、痛みや悲しみを感じる心だって当然持ち合わせている。そんな当たり前のことを、幸福の中に見落としていた。
機械じゃねーんだ、喜怒哀楽があって普通だよな。今更ながらに、認識を改める。
心がほっこりするような笑顔ばかり見せてくれるから、彼女にも確かに存在するはずの『怒』や『哀』を、まるで無いものと受け止めていたのだ。
土方は若干の申し訳なさを含んだ面持ちで、詫びるように目線を下げた。その目に映るのは、隊服の上着とベストを正してくれている紗己の旋毛。
「・・・」
自然に手が動きそうになる。どうしてか、見るたびに彼女の頭を撫でたくなってしまうのだ。いや、撫でても構わないし、スキンシップなら今こそすべきだろう。
思いはするが、一瞬反応しかけた右手を、その動きを封じるようにやや乱暴にポケットに押し込んだ。
先程少しだけ開いた障子戸がそのままになっている。今彼女はどうしているのか。
だが、中の様子を窺っている時間的余裕はない。土方は障子戸に手を掛けると、存在を知らせるようにわざと大きく音を立てて開けた。
「悪い、遅くなった」
言いながら中に入っていく。遠慮がちに奥の和室を覗き込むと、そこにはハンガーに掛けた上着にブラシをかける紗己がいた。
ようやく戻ってきた夫を、いつもと変わらぬ柔らかな笑顔が出迎えてくれる。
「あ、お帰りなさい。そろそろお時間ですよね」
紗己は手を止めて振り返り、柱の掛時計に目線をやった。その言葉と動作があまりに予想通りのものだったので、それが可笑しくてついつい吹き出しそうになってしまう。
「クッ・・・ああ、だな」
喉の奥で笑いを殺し、返事をする。
つい先程までは、その台詞を聞けば落ち込んでしまうと思っていたのに――今は笑いさえも込み上げてくる余裕っぷりに、なんと単純な男なのかと自分自身に呆れる程だ。
そんな土方の耳に、彼の心境の変化を全く知らない紗己の声が届けられる。
「すぐに出られますか?」
「ん? ああ、車の用意が出来てるからな」
「分かりました」
にっこりと頷くと紗己は、すぐ足元に置かれていた革の鞄へと手を伸ばした。持ち手をしっかりと掴んで室内を移動し、それを障子戸の前に置く。土方はというと、二間を仕切る襖に寄り掛かりながら、そんな妻を目で追っていた。
さっきのアレを見てなきゃ、コイツは絶対に寂しがってないって勘違いしちまうよな・・・・・・。
改めて思う。今の彼女を見れば到底寂しがっているようには思えないのだが、それも見せかけのもので、本当は寂しいということを言えないだけなのだ。
そう分かったからこそ、笑顔を見せる紗己に土方の胸は堪らなく熱くなる。
せめてこの部屋を出る前に、彼女に「寂しい」と言わせてやりたいと、そう本音を吐き出させてやりたいと強く思う。
だが熱に酔った土方の心とは裏腹に、紗己は彼にそのきっかけを与えない。すたすたと部屋の中を移動すると、ハンガーから隊服の上着を外して、それを手に夫の元へとやってきた。
「寒かったでしょう?」
まだ襖に寄り掛かったままの土方の横に立ち、袖を通しやすいように上着を広げる。
そうされてしまったら、着ないわけにはいかない。ここで上着に袖を通したら、あとはもう出発するしかないのだが・・・と思いはするが、土方は背中を起こして半歩前に出た。それに合わせるように背後に回った紗己は、土方が袖を通しやすいように上着の襟元を左右に広げる。
両袖を通した土方は、肩の位置をしっかりと合わせるために上着を軽く引っ張る。背中から肩にかけてじんわり広がる温もりに、いかに身体が冷えていたのかを知った。
すぐに紗己は土方の前方に回り込み、改めて上着の前を正していく。手入れ済みではあるが、肩口や胸の辺りもササッと払う。こうして触れる分には、何の躊躇いも無いようだ。
隊服越しからでもよく分かる、紗己の柔らかな手の感触。だがそこに特別な意味が込められていないのは分かっているので、さすがにいい大人の男が過剰に反応することはない。それでも、嬉しそうに身だしなみを整えてくれる紗己の姿に、胸の中が愛しさで満たされていく。
土方は肩の力を抜いて、ゆっくりと吐息した。とても穏やかな表情で、目の前の紗己を視界に収める。
本当は寂しいだろうに、そんな素振りは一切見せねェで・・・・・・。いいんだぞ、寂しいって言ったって駄々こねたって。
むしろそうして欲しいと心が逸る。
『穏やか』を絵に描いたような愛しい妻。時には我が儘くらい言ってくれてもいいのにと思いつつも、その居心地の良さに甘えていた。
土方が目撃したあの光景は、そんな紗己への勝手なイメージを覆すものだった。
彼女はいつでも優しく穏やかに生きているが、痛みや悲しみを感じる心だって当然持ち合わせている。そんな当たり前のことを、幸福の中に見落としていた。
機械じゃねーんだ、喜怒哀楽があって普通だよな。今更ながらに、認識を改める。
心がほっこりするような笑顔ばかり見せてくれるから、彼女にも確かに存在するはずの『怒』や『哀』を、まるで無いものと受け止めていたのだ。
土方は若干の申し訳なさを含んだ面持ちで、詫びるように目線を下げた。その目に映るのは、隊服の上着とベストを正してくれている紗己の旋毛。
「・・・」
自然に手が動きそうになる。どうしてか、見るたびに彼女の頭を撫でたくなってしまうのだ。いや、撫でても構わないし、スキンシップなら今こそすべきだろう。
思いはするが、一瞬反応しかけた右手を、その動きを封じるようにやや乱暴にポケットに押し込んだ。