第八章
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紗己はアイロン台を片すと、重ねた衣類を手に寝室へと移動した。それらを仕舞うため、箪笥の前に膝をついて引き出しを開ける。そこに一枚一枚丁寧に収めていくと、先にアイロンを掛け終わっていた着物も同じように引き出しに仕舞った。
「ふぅ・・・終わった、うん」
達成感からぽつり呟く。全ての用事を片付け、後はもう寝るだけだ。
羽織っていた薄手の半纏を脱ぐと、自分の布団の上に一旦腰を下ろした。
またフウッと息をついて、ぼんやりと室内を見回す。穏やかな幸せを感じる一瞬だ。
しかしそれを長々と満喫することなく、紗己は布団の上を膝で歩くと、寝ている夫の元気な右腕をくすりと笑いながら布団の中に戻した。
そのまま枕元に腰を落ち着け、端正な寝顔を覗き込む。
歪みのない高い鼻梁、静かな寝息が漏れる形のよい唇。しっかりと閉じられた、普段は鋭い切れ長の瞳に、開いて欲しいとほんの少しだけ期待してみる。
起きるかな、とイタズラな笑みを浮かべながら愛する夫の寝顔を見つめるが、深い眠りの中にいる土方が妻の熱視線に気付くわけもなく、当然閉じられたままの瞼に、気付くわけないよね――と、小さく笑う。
しかしこのままずっと見続けていれば、いずれその気配に気付かれてしまうだろう。
これで見納めとばかりに夫の寝顔を目に焼き付けると、優しい手付きで掛布団を直した。
「ゆっくり眠ってください」
穏やかな声音で囁くと、スッと立ち上がり部屋の電気を落とした。
――――――
夜の静けさが、彼女を眠りから遠ざける。なかなか寝付けない紗己は、暗闇の中そっと目を開けた。
初めは何も見えなかったが次第に目も慣れてきて、天井には電気を落とした蛍光灯、ころりと左側に寝返りを打つと、鏡台が目に留まった。
愛する夫からの、大切な贈り物。紗己は漆塗りの立派なそれを、一生物だと大事にしている。
この部屋にある鏡台も箪笥も、二組の布団も――それら全てが、一人ではないと感じさせてくれる。共に生きる者がいる幸せを教えてくれる。
そんな幸せな空間で、明日から三日間は一人になる。今が、毎日が幸せだからこそ、寂しさが募るのだ。だがいくら寂しくても、それを土方に伝えることは出来ない。
言ってしまえば困らせることになるし、優しい人だからきっと心配に思うだろう。だからこそ余計な心配を感じずに、心置きなく仕事をしてほしい――と、紗己は思っている。
そう、紗己の中では、土方は『優しい人』なのだ。鬼でもなく冷徹でもなく、頼りになり尊敬する優しい夫なのだ。
これを普段の、主に真選組副長としての土方を知る者が聞いたら、さぞや驚くことだろう。ひょっとしたら、そのギャップを想像して吹き出してしまう者もいるかもしれない。
それほどまでに、仕事の時に見せる顔と妻の前での彼は違うのだ。
とはいえ、一見してもなかなか違いは分かりにくい。別段態度が豹変するわけでもなく、デレデレなんて一切していない。物凄く会話が増えるというわけでもない。
けれど、彼の優しさを紗己は日々感じている。
例えば、仕事を終えて自室に戻ってきた時。
毎日ではないにしろ、明け方近い時間に戻ることも多い土方。そんな時は、着替えをしている間に紗己にその日の出来事を訊ねる。大体は、ちゃんと食事をしたかとか、この時間までに仮眠を取ったかだとかそういった内容だ。
紗己はそれに答えながら、脱いだ上着やシャツを彼の背後から受け取る。すると土方は、決まってその時に軽く彼女の頭を撫でるのだ。
特に何か言葉を付け足したりはなく、ただ穏やかな表情で話に頷きそうするだけ。そこから先は長々と話したりせず、口を潤す程度に茶を飲んですぐに床につく。
実際に疲れて眠いのもあるが、本当はそれだけではない。自分が率先して布団に入らないと、紗己が床につけないからだ。
朝には確実に先に起きて、家事に取り掛かっている紗己。彼女を寝不足にしないために、会話は翌朝に回すことにしている。
これが土方なりの思いやりであり、とても小さな、見えにくい優しさ。だが紗己はそれをちゃんと理解し、彼の優しさに気付いている。
前の晩に訊き足りなかったことを翌朝に訊ねてきたりと、会話を面倒がっているのではないと分かるからだ。
他者からしてみれば非常に分かりにくいだろうが、紗己にとってはやはり土方は『優しい人』。
だからこそ、困らせたくない。けれど、寂しい。
一人が耐えられないというほどは、元々寂しがりではない紗己。しかし、一度でも『寂しくない』ことを知ってしまえば、その後訪れる寂しさはより一層強いものになる。
それを、土方と出会ってから知った。結婚してからは特にそうだ。
紗己は再びころんと寝返りを打った。今度はすぐ隣に、土方の寝顔がある。
「・・・・・・」
彼女は眉をきゅっと寄せると、自身の布団からごそごそと左手を抜き出した。その手を、規則正しく上下する彼の胸のあたりにそっと乗せる。
「・・・・・・」
紗己は唇をキュッと引き締めると、何やら決意した表情で左手を土方の布団に忍ばせた。
もぞもぞと、布団の中を下へと移動していったしなやかな手。それが、目的のモノを見つけて動きを止めた。
温かい、骨ばった男の指。土方の左手に、紗己の左手がこわごわと触れる。
眠っているために力の抜けたその指は、五本全てが僅かに曲げられている。そこに、起こさないように慎重に、紗己は自身の指を絡めた。
中指と薬指、その二本だけが互いの温もりを分かち合う。それだけで、寂しさが紛れた気がした。
「おやすみなさい・・・」
眠る夫に小さく囁くと、紗己はようやく訪れた眠気に瞼を下ろした。
「ふぅ・・・終わった、うん」
達成感からぽつり呟く。全ての用事を片付け、後はもう寝るだけだ。
羽織っていた薄手の半纏を脱ぐと、自分の布団の上に一旦腰を下ろした。
またフウッと息をついて、ぼんやりと室内を見回す。穏やかな幸せを感じる一瞬だ。
しかしそれを長々と満喫することなく、紗己は布団の上を膝で歩くと、寝ている夫の元気な右腕をくすりと笑いながら布団の中に戻した。
そのまま枕元に腰を落ち着け、端正な寝顔を覗き込む。
歪みのない高い鼻梁、静かな寝息が漏れる形のよい唇。しっかりと閉じられた、普段は鋭い切れ長の瞳に、開いて欲しいとほんの少しだけ期待してみる。
起きるかな、とイタズラな笑みを浮かべながら愛する夫の寝顔を見つめるが、深い眠りの中にいる土方が妻の熱視線に気付くわけもなく、当然閉じられたままの瞼に、気付くわけないよね――と、小さく笑う。
しかしこのままずっと見続けていれば、いずれその気配に気付かれてしまうだろう。
これで見納めとばかりに夫の寝顔を目に焼き付けると、優しい手付きで掛布団を直した。
「ゆっくり眠ってください」
穏やかな声音で囁くと、スッと立ち上がり部屋の電気を落とした。
――――――
夜の静けさが、彼女を眠りから遠ざける。なかなか寝付けない紗己は、暗闇の中そっと目を開けた。
初めは何も見えなかったが次第に目も慣れてきて、天井には電気を落とした蛍光灯、ころりと左側に寝返りを打つと、鏡台が目に留まった。
愛する夫からの、大切な贈り物。紗己は漆塗りの立派なそれを、一生物だと大事にしている。
この部屋にある鏡台も箪笥も、二組の布団も――それら全てが、一人ではないと感じさせてくれる。共に生きる者がいる幸せを教えてくれる。
そんな幸せな空間で、明日から三日間は一人になる。今が、毎日が幸せだからこそ、寂しさが募るのだ。だがいくら寂しくても、それを土方に伝えることは出来ない。
言ってしまえば困らせることになるし、優しい人だからきっと心配に思うだろう。だからこそ余計な心配を感じずに、心置きなく仕事をしてほしい――と、紗己は思っている。
そう、紗己の中では、土方は『優しい人』なのだ。鬼でもなく冷徹でもなく、頼りになり尊敬する優しい夫なのだ。
これを普段の、主に真選組副長としての土方を知る者が聞いたら、さぞや驚くことだろう。ひょっとしたら、そのギャップを想像して吹き出してしまう者もいるかもしれない。
それほどまでに、仕事の時に見せる顔と妻の前での彼は違うのだ。
とはいえ、一見してもなかなか違いは分かりにくい。別段態度が豹変するわけでもなく、デレデレなんて一切していない。物凄く会話が増えるというわけでもない。
けれど、彼の優しさを紗己は日々感じている。
例えば、仕事を終えて自室に戻ってきた時。
毎日ではないにしろ、明け方近い時間に戻ることも多い土方。そんな時は、着替えをしている間に紗己にその日の出来事を訊ねる。大体は、ちゃんと食事をしたかとか、この時間までに仮眠を取ったかだとかそういった内容だ。
紗己はそれに答えながら、脱いだ上着やシャツを彼の背後から受け取る。すると土方は、決まってその時に軽く彼女の頭を撫でるのだ。
特に何か言葉を付け足したりはなく、ただ穏やかな表情で話に頷きそうするだけ。そこから先は長々と話したりせず、口を潤す程度に茶を飲んですぐに床につく。
実際に疲れて眠いのもあるが、本当はそれだけではない。自分が率先して布団に入らないと、紗己が床につけないからだ。
朝には確実に先に起きて、家事に取り掛かっている紗己。彼女を寝不足にしないために、会話は翌朝に回すことにしている。
これが土方なりの思いやりであり、とても小さな、見えにくい優しさ。だが紗己はそれをちゃんと理解し、彼の優しさに気付いている。
前の晩に訊き足りなかったことを翌朝に訊ねてきたりと、会話を面倒がっているのではないと分かるからだ。
他者からしてみれば非常に分かりにくいだろうが、紗己にとってはやはり土方は『優しい人』。
だからこそ、困らせたくない。けれど、寂しい。
一人が耐えられないというほどは、元々寂しがりではない紗己。しかし、一度でも『寂しくない』ことを知ってしまえば、その後訪れる寂しさはより一層強いものになる。
それを、土方と出会ってから知った。結婚してからは特にそうだ。
紗己は再びころんと寝返りを打った。今度はすぐ隣に、土方の寝顔がある。
「・・・・・・」
彼女は眉をきゅっと寄せると、自身の布団からごそごそと左手を抜き出した。その手を、規則正しく上下する彼の胸のあたりにそっと乗せる。
「・・・・・・」
紗己は唇をキュッと引き締めると、何やら決意した表情で左手を土方の布団に忍ばせた。
もぞもぞと、布団の中を下へと移動していったしなやかな手。それが、目的のモノを見つけて動きを止めた。
温かい、骨ばった男の指。土方の左手に、紗己の左手がこわごわと触れる。
眠っているために力の抜けたその指は、五本全てが僅かに曲げられている。そこに、起こさないように慎重に、紗己は自身の指を絡めた。
中指と薬指、その二本だけが互いの温もりを分かち合う。それだけで、寂しさが紛れた気がした。
「おやすみなさい・・・」
眠る夫に小さく囁くと、紗己はようやく訪れた眠気に瞼を下ろした。