第八章
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――――――
自室から風呂場へと、夜風が入り込む廊下を一人歩く。
目的地に辿り着くまでに早く誰かに会いたいのだが、今のところまだ誰にも遭遇していない。屯所内の居住区を歩いているせいもあるのかも知れないが。
ならばさっさと、隊士達の住まう部屋に入って行けばいいのだが、彼はその行動に出ようとはしない。理由が理由なだけに、単に恥ずかしいだけなのだ。
比較的ゆっくりと歩いているのだが、やはりまだ誰にも会えずにいる。このまま風呂にコレを持っていくのかと、片眉を上げて自身の右手に視線を落としたその時。
「あれ副長、今から風呂ですか?」
「あ?」
途中の廊下で、角を曲がってきた人物が声を掛けてきた。声の主は、監察方の山崎退だ。
それに反応した土方は、目線を前方に合わせた。そして山崎の行く手を遮るように、廊下のど真ん中で立ち止まる。
「山崎か。まァお前でいいか・・・」
本当は、ちょっとだけホッとしているのだけれど。
だがそれを知られたくないがために、あえてどうでもいいような言い方をしながら、唐突に右手に持っている物を部下の眼前に差し出した。
「ほら、受け取れ」
「はい?」
いきなり目の前に突きつけられたソレに、山崎は訝しげに首を捻る。
「・・・何ですか、コレ」
「何って、これが饅頭以外の何に見えんだよ」
「いや、そりゃ見れば分かりますけど・・・」
思わず口ごもってしまった。上司の手の平に乗っている饅頭とその手の主の顔を、まじまじと交互に見つめる。
片方の手に着替えとタオルを持っていることと向かっている方向から、土方が風呂場に行こうとしているのは明らかだ。だからこそ山崎も、出会い頭にそう訊ねた。
だが、何故今から入浴という時に、そんな物を持っているのかが分からない。おまけにそれが、自分の知っている上司にはあまり似合っていなくて、違和感を覚えずにはいられない。
そんな風に部下が疑問を抱いていることに気付いているのかいないのか、土方は饅頭を乗せた手を更に前へと突き出した。
「捨てるのは勿体無いって紗己が言うから、仕方ねェから、ほら」
「いやいやいや、それならアンタらが食べればいいじゃないですか。紗己ちゃん甘い物好きでしょ」
「アイツは今日、もう二つ食ってんだよ」
「えっ・・・あ、いえ」
土方の発した言葉に、山崎は少しだけ驚いたような顔をする。
しかしそれを露わにしてしまったら、何か攻撃をされると思ったらしい。慌てて口元を塞ぐと、コホン、と咳を落として再び口を開いた。
「じゃあ明日に食べれば・・・」
「賞味期限は今日までだ」
山崎の言葉を最後まで聞く気はなかったのか、被せるようにそう言い切る。
さっさと風呂に行きたいのだろう。いや、それよりも、和菓子一つに振り回されている自分が気に入らないのだ。怠そうに片足を床板に押し付け、その足先は不規則なリズムを刻んでいる。
一方の山崎は、食べ物に関して一番大切な『食べ時』のリミットを告げられ、それと今までの流れを反芻し、つい抗議の声を上げた。
「はぁ? 何期限切れのモン人に押し付けようとしてんですか!?」
「今ならまだ期限切れじゃねーだろ、ほら受け取れよ」
部下の言葉など気にもせず、平然と言ってのける。
その姿に若干腹が立ったものの、立場上そこまでの反論は出来ない山崎は、この人はいつもこうだし・・・と自身に言い聞かせると、気を取り直して控え目に意見した。
「いやいや、なら副長が食べればいいでしょ」
彼としては当然の言い分で、どうしてこの夫婦の残り物が自分に回ってくるのか、理解出来ないといった様子だ。
だが土方には、自分がいかに筋の通らないことを言っているのかという自覚はない。自身の中では、きちんと筋道が通っているのだから。
それよりもむしろ、思い通りにいかないことに大いに苛立っている。山崎の言葉に対しても、理不尽を前面に押し出してきた。
「今から風呂入るってのに、なんで饅頭食わなきゃなんねーんだよ!」
「俺だって今から任務なんですって! 懐に饅頭入れて、敵の動き探りに行けって言うんですかっ」
二人して、大声で主張し合う。もう夜中だというのに、騒がしいことこの上ない。
言っていることの内容は、明らかに山崎の方が納得のいくもので、それは土方も分かっている。真選組副長という立場でなら、監察の任務に赴く部下の言い分に耳を貸すところだ。
しかし今は、一家庭人としての立場の方がやや上回っている。風呂場へ向かうまでに最初に会った人物に渡してくると、そう言ってきたのだ。
愛しい妻との約束は破れない。それに加えて、土方は心の底からさっさと饅頭を手放したい。新たな決意を掲げるきっかけとなりはしたが、今日一日自分を支配し続けていた素敵な欲望を、見事に打ち砕いてくれたこの饅頭を。
土方は眉をしかめて嘆息すると、手の平にそれを納めたまま自身のベストを脱ぎ始めた。
「え、ちょ・・・何やってんですか副長?」
突然の上司の行動に山崎は三白眼を見開くが、土方は部下の言葉に答えない。
ここはまだ風呂場でもない、夜風が通り抜ける廊下だ。このままここで脱衣していくつもりかと、山崎が困惑の色をした目で上司を見ていると。
視線の先の男は、脱いだベストをパサッと廊下に落とし、その上に着替えとタオルを乗せた。これで彼の左手は完全に自由になった。更にそれを見せつけるかのように、左腕を回し始める。
自室から風呂場へと、夜風が入り込む廊下を一人歩く。
目的地に辿り着くまでに早く誰かに会いたいのだが、今のところまだ誰にも遭遇していない。屯所内の居住区を歩いているせいもあるのかも知れないが。
ならばさっさと、隊士達の住まう部屋に入って行けばいいのだが、彼はその行動に出ようとはしない。理由が理由なだけに、単に恥ずかしいだけなのだ。
比較的ゆっくりと歩いているのだが、やはりまだ誰にも会えずにいる。このまま風呂にコレを持っていくのかと、片眉を上げて自身の右手に視線を落としたその時。
「あれ副長、今から風呂ですか?」
「あ?」
途中の廊下で、角を曲がってきた人物が声を掛けてきた。声の主は、監察方の山崎退だ。
それに反応した土方は、目線を前方に合わせた。そして山崎の行く手を遮るように、廊下のど真ん中で立ち止まる。
「山崎か。まァお前でいいか・・・」
本当は、ちょっとだけホッとしているのだけれど。
だがそれを知られたくないがために、あえてどうでもいいような言い方をしながら、唐突に右手に持っている物を部下の眼前に差し出した。
「ほら、受け取れ」
「はい?」
いきなり目の前に突きつけられたソレに、山崎は訝しげに首を捻る。
「・・・何ですか、コレ」
「何って、これが饅頭以外の何に見えんだよ」
「いや、そりゃ見れば分かりますけど・・・」
思わず口ごもってしまった。上司の手の平に乗っている饅頭とその手の主の顔を、まじまじと交互に見つめる。
片方の手に着替えとタオルを持っていることと向かっている方向から、土方が風呂場に行こうとしているのは明らかだ。だからこそ山崎も、出会い頭にそう訊ねた。
だが、何故今から入浴という時に、そんな物を持っているのかが分からない。おまけにそれが、自分の知っている上司にはあまり似合っていなくて、違和感を覚えずにはいられない。
そんな風に部下が疑問を抱いていることに気付いているのかいないのか、土方は饅頭を乗せた手を更に前へと突き出した。
「捨てるのは勿体無いって紗己が言うから、仕方ねェから、ほら」
「いやいやいや、それならアンタらが食べればいいじゃないですか。紗己ちゃん甘い物好きでしょ」
「アイツは今日、もう二つ食ってんだよ」
「えっ・・・あ、いえ」
土方の発した言葉に、山崎は少しだけ驚いたような顔をする。
しかしそれを露わにしてしまったら、何か攻撃をされると思ったらしい。慌てて口元を塞ぐと、コホン、と咳を落として再び口を開いた。
「じゃあ明日に食べれば・・・」
「賞味期限は今日までだ」
山崎の言葉を最後まで聞く気はなかったのか、被せるようにそう言い切る。
さっさと風呂に行きたいのだろう。いや、それよりも、和菓子一つに振り回されている自分が気に入らないのだ。怠そうに片足を床板に押し付け、その足先は不規則なリズムを刻んでいる。
一方の山崎は、食べ物に関して一番大切な『食べ時』のリミットを告げられ、それと今までの流れを反芻し、つい抗議の声を上げた。
「はぁ? 何期限切れのモン人に押し付けようとしてんですか!?」
「今ならまだ期限切れじゃねーだろ、ほら受け取れよ」
部下の言葉など気にもせず、平然と言ってのける。
その姿に若干腹が立ったものの、立場上そこまでの反論は出来ない山崎は、この人はいつもこうだし・・・と自身に言い聞かせると、気を取り直して控え目に意見した。
「いやいや、なら副長が食べればいいでしょ」
彼としては当然の言い分で、どうしてこの夫婦の残り物が自分に回ってくるのか、理解出来ないといった様子だ。
だが土方には、自分がいかに筋の通らないことを言っているのかという自覚はない。自身の中では、きちんと筋道が通っているのだから。
それよりもむしろ、思い通りにいかないことに大いに苛立っている。山崎の言葉に対しても、理不尽を前面に押し出してきた。
「今から風呂入るってのに、なんで饅頭食わなきゃなんねーんだよ!」
「俺だって今から任務なんですって! 懐に饅頭入れて、敵の動き探りに行けって言うんですかっ」
二人して、大声で主張し合う。もう夜中だというのに、騒がしいことこの上ない。
言っていることの内容は、明らかに山崎の方が納得のいくもので、それは土方も分かっている。真選組副長という立場でなら、監察の任務に赴く部下の言い分に耳を貸すところだ。
しかし今は、一家庭人としての立場の方がやや上回っている。風呂場へ向かうまでに最初に会った人物に渡してくると、そう言ってきたのだ。
愛しい妻との約束は破れない。それに加えて、土方は心の底からさっさと饅頭を手放したい。新たな決意を掲げるきっかけとなりはしたが、今日一日自分を支配し続けていた素敵な欲望を、見事に打ち砕いてくれたこの饅頭を。
土方は眉をしかめて嘆息すると、手の平にそれを納めたまま自身のベストを脱ぎ始めた。
「え、ちょ・・・何やってんですか副長?」
突然の上司の行動に山崎は三白眼を見開くが、土方は部下の言葉に答えない。
ここはまだ風呂場でもない、夜風が通り抜ける廊下だ。このままここで脱衣していくつもりかと、山崎が困惑の色をした目で上司を見ていると。
視線の先の男は、脱いだベストをパサッと廊下に落とし、その上に着替えとタオルを乗せた。これで彼の左手は完全に自由になった。更にそれを見せつけるかのように、左腕を回し始める。