第八章
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どうにもまだ納得いかない気もするが、土方は部屋を出るために腰を上げた。
気が逸れたためほぼ問題ないのだが、念には念をと、手にしている着替えとタオルで下腹部を隠すようにして紗己に背を向ける。
そして二、三歩進んで引き手に手を掛けた時――、
「あ、土方さん!」
「な、なんだどうした?」
背後から突然名を呼ばれ、半分開いた障子戸はそのままに、首だけ後ろに振り返った。
すると紗己は、少し困ったような表情を浮かべて戸棚の前まで足を進める。
「あの、お饅頭・・・」
「あ? 饅頭?」
「はぁ、その・・・このお饅頭、今日が賞味期限なんです」
言いながら、戸棚に置いていた饅頭を手に取った。
手の平にどしりとくる大きさのそれを、どうすればいいのかと、土方の元まで持ってくる。
だが土方はまるで大したことではないといった様子で、また饅頭の話に戻るのかと、やや面倒臭そうに首を鳴らした。
「まァ一日くらいどうってこたねーだろうが、腹壊すとまずいからお前は食うなよ」
「じゃあ、どうしたら・・・」
「どうしたらってお前・・・」
下手したら食べてくださいと言いかねない紗己に、思わず言葉が詰まってしまう。そもそも、夜に好き好んで饅頭を食べたいと思うような甘党ではない。
第一、今から風呂に入るのだ。いくら賞味期限が今日までとはいえ、入浴前に饅頭を食えと言うのかと、土方は片眉を上げて紗己を一瞥した。
「んなモン適当に食堂にでも置いとけば、誰かが食うだろ」
「はぁ、でも・・・」
土方の提案に納得がいかないのか、紗己は差し出した形の饅頭に、ジッと視線を落とす。
何かを言いたげな妻を放ったらかして、このまま風呂場に行くわけにもいかない。土方は重心を片足にかけると、盛大に溜め息をついた。
「ハァ・・・でも、なんだよ?」
「一個だけだから不公平になってもいけないし・・・それなら皆さんが食べられるように明日人数分買ってきた方が・・・」
「・・・・・・」
まだ饅頭を持ったまま真剣な面持ちの紗己に、土方は思わず閉口してしまう。
オイオイなんで全員に饅頭差し入れる話になってんだ? 論点がずれてるじゃねーか!
あれこれ考えているうちに、『残り一つをどうするか』が大きく様変わりしてしまったようだ。
紗己としては、あくまでも公平を期したいというだけ。副長の妻という立場も考えて、自分の何かしらの行動がそのバランスを崩すことを懸念しているのだ。
しかしそこまでの意図を汲んでいない土方は、たかだか饅頭一つで・・・と明らかに呆れている。もうすっかりただの入浴準備に戻った着替えとタオルを片手に持ち替えると、空いた方の手で頭を掻きながら言葉を放った。
「じゃあ捨てればいいだろ。そうすりゃァ、わざわざ饅頭買いに行く必要もねーからな」
「捨てるのは・・・勿体無いですよ」
「四つはもう食ってんだし、どうせ貰いモンだ。そこまで気にするこたねーだろ」
「でも・・・やっぱり勿体無いです。せっかく土方さんが、いただいてきて下さったのに・・・」
そう言った紗己の顔が、しょんぼりと下を向いた。
これには、土方も参ってしまう。そこまで悩むような話でもないだろうと思いはするが、彼女にとっては深刻な問題なのだろう。今の彼女を見ればそれは一目瞭然で、馬鹿馬鹿しいと簡単に切り捨てることも出来なくなってしまった。
紗己からしてみれば、この饅頭は甘い物に興味の無い夫が、自分のために持って帰ってきてくれたもの。捨てるなんて暴挙に出られるわけがない。
その気持ちを何となくではあるが察した土方は、首の後ろを撫でて肩を落とすと、その手をスッと紗己に向けて差し出した。
「分かった。俺が持ってく」
「・・・え? 食べてくださるんですか?」
「んなわけあるか! 違ェよ、今から風呂に行くまでに最初に会った奴に渡してくる」
若干苛ついたように、紗己の持つ饅頭に手を伸ばした。すると紗己は、一旦は土方の案に納得して頷いたのだが、少しの間を置いてから頬に手を当てて悩む素振りを見せる。
「でも、そんな特別なことをされたら、やっぱり不公平に・・・」
「なるわけねーだろ!」
不安な表情を浮かべる紗己に、間髪入れずに言い放った。
「こんな夜中にばらの饅頭一つ押し付けられて、誰も特別になんて思わねーよ」
言い終えてから嘆息すると、手に持っている饅頭を宙に投げて上手で掴み、障子戸の引き手を引いて、身体半分廊下に出た。
「じゃあな」
「あ、土方さん」
「あ? なんだ?」
またしても呼び止められ、中途半端な体勢で立ち止まる。踏み出した足を戻すのも面倒で、そのまま完全に廊下に出てから振り返ると、紗己は風呂場へと向かう夫に優しく言葉を掛けた。
「お腹、冷えないように、しっかり温まってきてくださいね」
そう言って柔らかく微笑む彼女は、普段と何一つ変わらない。その姿に土方は、がっかりしたようなホッとしたような、複雑な気持ちになった。
やはり彼女は鈍感なままで、あの口付けを求めるような表情も仕草も、きっと全て自分の思い込みだったのだろう――と。
それでも土方は、そんな妻をとても可愛く思う。良いも悪いも、時に空気をがらりと変えてしまう彼女との生活を、心の内ではなんだかんだで結構楽しんでいるのだ。
「ああ」
口元を綻ばせて短く返事をすると、愛しい妻に見送られ、手の中の饅頭を軽く揉みながら風呂へと旅立っていった。
気が逸れたためほぼ問題ないのだが、念には念をと、手にしている着替えとタオルで下腹部を隠すようにして紗己に背を向ける。
そして二、三歩進んで引き手に手を掛けた時――、
「あ、土方さん!」
「な、なんだどうした?」
背後から突然名を呼ばれ、半分開いた障子戸はそのままに、首だけ後ろに振り返った。
すると紗己は、少し困ったような表情を浮かべて戸棚の前まで足を進める。
「あの、お饅頭・・・」
「あ? 饅頭?」
「はぁ、その・・・このお饅頭、今日が賞味期限なんです」
言いながら、戸棚に置いていた饅頭を手に取った。
手の平にどしりとくる大きさのそれを、どうすればいいのかと、土方の元まで持ってくる。
だが土方はまるで大したことではないといった様子で、また饅頭の話に戻るのかと、やや面倒臭そうに首を鳴らした。
「まァ一日くらいどうってこたねーだろうが、腹壊すとまずいからお前は食うなよ」
「じゃあ、どうしたら・・・」
「どうしたらってお前・・・」
下手したら食べてくださいと言いかねない紗己に、思わず言葉が詰まってしまう。そもそも、夜に好き好んで饅頭を食べたいと思うような甘党ではない。
第一、今から風呂に入るのだ。いくら賞味期限が今日までとはいえ、入浴前に饅頭を食えと言うのかと、土方は片眉を上げて紗己を一瞥した。
「んなモン適当に食堂にでも置いとけば、誰かが食うだろ」
「はぁ、でも・・・」
土方の提案に納得がいかないのか、紗己は差し出した形の饅頭に、ジッと視線を落とす。
何かを言いたげな妻を放ったらかして、このまま風呂場に行くわけにもいかない。土方は重心を片足にかけると、盛大に溜め息をついた。
「ハァ・・・でも、なんだよ?」
「一個だけだから不公平になってもいけないし・・・それなら皆さんが食べられるように明日人数分買ってきた方が・・・」
「・・・・・・」
まだ饅頭を持ったまま真剣な面持ちの紗己に、土方は思わず閉口してしまう。
オイオイなんで全員に饅頭差し入れる話になってんだ? 論点がずれてるじゃねーか!
あれこれ考えているうちに、『残り一つをどうするか』が大きく様変わりしてしまったようだ。
紗己としては、あくまでも公平を期したいというだけ。副長の妻という立場も考えて、自分の何かしらの行動がそのバランスを崩すことを懸念しているのだ。
しかしそこまでの意図を汲んでいない土方は、たかだか饅頭一つで・・・と明らかに呆れている。もうすっかりただの入浴準備に戻った着替えとタオルを片手に持ち替えると、空いた方の手で頭を掻きながら言葉を放った。
「じゃあ捨てればいいだろ。そうすりゃァ、わざわざ饅頭買いに行く必要もねーからな」
「捨てるのは・・・勿体無いですよ」
「四つはもう食ってんだし、どうせ貰いモンだ。そこまで気にするこたねーだろ」
「でも・・・やっぱり勿体無いです。せっかく土方さんが、いただいてきて下さったのに・・・」
そう言った紗己の顔が、しょんぼりと下を向いた。
これには、土方も参ってしまう。そこまで悩むような話でもないだろうと思いはするが、彼女にとっては深刻な問題なのだろう。今の彼女を見ればそれは一目瞭然で、馬鹿馬鹿しいと簡単に切り捨てることも出来なくなってしまった。
紗己からしてみれば、この饅頭は甘い物に興味の無い夫が、自分のために持って帰ってきてくれたもの。捨てるなんて暴挙に出られるわけがない。
その気持ちを何となくではあるが察した土方は、首の後ろを撫でて肩を落とすと、その手をスッと紗己に向けて差し出した。
「分かった。俺が持ってく」
「・・・え? 食べてくださるんですか?」
「んなわけあるか! 違ェよ、今から風呂に行くまでに最初に会った奴に渡してくる」
若干苛ついたように、紗己の持つ饅頭に手を伸ばした。すると紗己は、一旦は土方の案に納得して頷いたのだが、少しの間を置いてから頬に手を当てて悩む素振りを見せる。
「でも、そんな特別なことをされたら、やっぱり不公平に・・・」
「なるわけねーだろ!」
不安な表情を浮かべる紗己に、間髪入れずに言い放った。
「こんな夜中にばらの饅頭一つ押し付けられて、誰も特別になんて思わねーよ」
言い終えてから嘆息すると、手に持っている饅頭を宙に投げて上手で掴み、障子戸の引き手を引いて、身体半分廊下に出た。
「じゃあな」
「あ、土方さん」
「あ? なんだ?」
またしても呼び止められ、中途半端な体勢で立ち止まる。踏み出した足を戻すのも面倒で、そのまま完全に廊下に出てから振り返ると、紗己は風呂場へと向かう夫に優しく言葉を掛けた。
「お腹、冷えないように、しっかり温まってきてくださいね」
そう言って柔らかく微笑む彼女は、普段と何一つ変わらない。その姿に土方は、がっかりしたようなホッとしたような、複雑な気持ちになった。
やはり彼女は鈍感なままで、あの口付けを求めるような表情も仕草も、きっと全て自分の思い込みだったのだろう――と。
それでも土方は、そんな妻をとても可愛く思う。良いも悪いも、時に空気をがらりと変えてしまう彼女との生活を、心の内ではなんだかんだで結構楽しんでいるのだ。
「ああ」
口元を綻ばせて短く返事をすると、愛しい妻に見送られ、手の中の饅頭を軽く揉みながら風呂へと旅立っていった。