第八章
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紗己の意外な反応に、土方は目を見開いて言葉に詰まってしまった。しかし、驚いたのは一瞬のこと。
饅頭の話の時と同様に、むしろ寛容な様を見せているというのに。どうしてそこまで力いっぱい否定するのかと、次第に不愉快さが顔を出し始めた。
土方は驚いた自分を隠すように、腕を組んだまま両肩を軽く揺すり背筋を伸ばした。肩甲骨に押し上げられたシャツとベストが、背中にぴったりと張り付いている。そのまま小さく咳を一つ、鼻白みながらも気持ちを切り替え話を切り出した。
「な、何がそんなに駄目なんだよ。一日に一、二杯飲んだくらいで、何が変わるってことでもねェんだろ。それとも、全く駄目だって医者に言われたのか?」
「いいえ、それくらいなら問題無いそうです」
「なら、飲めばいいじゃねーか」
これで解決だとばかりに、首を鳴らして面倒そうに言い放つ。だが紗己にとっては、この折衷案は必要のないものらしい。話を終わらせようとした土方に対して、穏やかながらも強い表情で静かに首を横に振る。
これに気付いた土方は、首を解す動きをぴたり止めた。ハァっと息を吐き出すと少々気怠げに紗己を見やる。
「・・・なんだよ好きなんだろ紅茶、一日に何杯も飲むくらい」
同じようなやり取りをさっきもしなかったかと、呆れながら言葉を続ける。
「量はまァ、ある程度加減したとして、あとはお前の好きにすればいいだろ・・・」
襟足を掻きつつ話す姿からは、適当に終わらせようとしている彼の心情が滲み出ている。
夫婦生活、夜の営みについて話し合うつもりだったのに。本来の対話の目的から、いつの間にか遠く離れてしまっているのだ。これ以上無駄な時間を費やしたくないと、ここまでの話をどうでもいいことだったと土方は結論付ける。確かに、饅頭や紅茶には、色気のいの字も含まれてはいないが。
言うべきことは言い終えたと、すぐにでも触れられる距離に座る妻をじっと見下ろす。すると紗己も、それに合わせるように少し顔を上げて夫を見つめ返した。何か言いたげなその視線に土方が眉を上げて促すと、艶やかな唇がゆっくりと動き出す。
「私、すごく反省してるんです」
「は?」
何の脈絡も無くそう言われても、どこにどう話が繋がっているのかがわからない。つい頓狂な声を出してしまった土方だが、それも一時のことだった。
彼女の真摯な思いが、時折身勝手なことが浮かんでしまう男の耳に、しっかりと届けられたのだ。
「私、勝手に無茶して倒れたりして、土方さんにも、すごい心配掛けちゃいましたよね。反省してます、妻としても母親としても、自覚が足りなかったって・・・」
「紗己・・・・・・」
「あの時、思ったんです。もう二度と、土方さんにこんな顔させちゃ駄目だって・・・」
思い出して胸が詰まったのか、紗己のしなやかな手にキュッと力が入った。
三日前に過労と寝不足がたたり倒れてしまった時、布団の中から見た土方の姿。ぼやけた視界に映った夫は、額に汗を浮かべ、一瞬泣きそうな顔をしていた。だが、その後また眠りから覚めた自分に土方が見せた顔は、一転安堵の色濃い優しいものだった。
気付いてやれなくて悪かったと、そして、ありがとうと温かい言葉をくれた土方。そのことに紗己は嬉し涙を流しながらも、もう絶対にこんな心配を掛けてはいけないと心に誓ったのだ。
紗己は短い深呼吸を数回繰り返し気持ちを落ち着かせると、黙ったままの土方ににこり笑って見せた。特別な反応こそ返ってこなかったが、彼女は帯にそっと手を当てて思いの丈を吐き出す。
「紅茶もね、妊娠を知った前日までは、一日に何杯も飲んでたから、もしかしたら赤ちゃんを苦しめてたかも知れない・・・・・・。だから、もう飲まないって決めたんです。願掛けと言えば、そうかも知れないですね」
言いながら、自分でも納得したように大きく一度頷いた。先程の土方の発言も、あながち間違ってはいなかったようだ。
妊娠したと知った日から、大好きな紅茶をすっぱりと止めた紗己。胎児に及ぼす影響を知り、それまでに摂取していた量を考えると、とてもじゃないが飲む気にはなれなかった。そこには固い決意よりも前に、不安や恐怖も混ざっていたのだ。
だが先日倒れたのを境に、その心境にも変化が訪れた。
大事に至らなかったことに心から安心している土方を見て、自分の浅はかさを思い知らされた。もう二度と、こんな心配を掛けてはいけないと強く思った。
「私が身体を壊したら、お腹の赤ちゃんだって苦しむに違いないのに。そんな当たり前のことにも気付かないなんて、ほんと私、馬鹿ですよね」
自嘲気味にそう言うと、彼女は大事なものに触れる力加減で下腹部を撫でた。
「紗己・・・・・・」
「私の浅はかな行動でこの子が苦しまないように、徹底しなきゃって思ってます」
「ああ・・・」
喉の奥がキュッと熱くなる。紗己の決意が胸に沁みて、真っ直ぐ見つめることが出来ず、目を逸らすように顔を横に向けた時――座卓の向こう側、ふとある物が目に入った。
それは、盆に載せられた小さな湯呑み。
今日この時まで全く気に留めていなかったが、今になってようやくその存在の意味を知る。
饅頭の話の時と同様に、むしろ寛容な様を見せているというのに。どうしてそこまで力いっぱい否定するのかと、次第に不愉快さが顔を出し始めた。
土方は驚いた自分を隠すように、腕を組んだまま両肩を軽く揺すり背筋を伸ばした。肩甲骨に押し上げられたシャツとベストが、背中にぴったりと張り付いている。そのまま小さく咳を一つ、鼻白みながらも気持ちを切り替え話を切り出した。
「な、何がそんなに駄目なんだよ。一日に一、二杯飲んだくらいで、何が変わるってことでもねェんだろ。それとも、全く駄目だって医者に言われたのか?」
「いいえ、それくらいなら問題無いそうです」
「なら、飲めばいいじゃねーか」
これで解決だとばかりに、首を鳴らして面倒そうに言い放つ。だが紗己にとっては、この折衷案は必要のないものらしい。話を終わらせようとした土方に対して、穏やかながらも強い表情で静かに首を横に振る。
これに気付いた土方は、首を解す動きをぴたり止めた。ハァっと息を吐き出すと少々気怠げに紗己を見やる。
「・・・なんだよ好きなんだろ紅茶、一日に何杯も飲むくらい」
同じようなやり取りをさっきもしなかったかと、呆れながら言葉を続ける。
「量はまァ、ある程度加減したとして、あとはお前の好きにすればいいだろ・・・」
襟足を掻きつつ話す姿からは、適当に終わらせようとしている彼の心情が滲み出ている。
夫婦生活、夜の営みについて話し合うつもりだったのに。本来の対話の目的から、いつの間にか遠く離れてしまっているのだ。これ以上無駄な時間を費やしたくないと、ここまでの話をどうでもいいことだったと土方は結論付ける。確かに、饅頭や紅茶には、色気のいの字も含まれてはいないが。
言うべきことは言い終えたと、すぐにでも触れられる距離に座る妻をじっと見下ろす。すると紗己も、それに合わせるように少し顔を上げて夫を見つめ返した。何か言いたげなその視線に土方が眉を上げて促すと、艶やかな唇がゆっくりと動き出す。
「私、すごく反省してるんです」
「は?」
何の脈絡も無くそう言われても、どこにどう話が繋がっているのかがわからない。つい頓狂な声を出してしまった土方だが、それも一時のことだった。
彼女の真摯な思いが、時折身勝手なことが浮かんでしまう男の耳に、しっかりと届けられたのだ。
「私、勝手に無茶して倒れたりして、土方さんにも、すごい心配掛けちゃいましたよね。反省してます、妻としても母親としても、自覚が足りなかったって・・・」
「紗己・・・・・・」
「あの時、思ったんです。もう二度と、土方さんにこんな顔させちゃ駄目だって・・・」
思い出して胸が詰まったのか、紗己のしなやかな手にキュッと力が入った。
三日前に過労と寝不足がたたり倒れてしまった時、布団の中から見た土方の姿。ぼやけた視界に映った夫は、額に汗を浮かべ、一瞬泣きそうな顔をしていた。だが、その後また眠りから覚めた自分に土方が見せた顔は、一転安堵の色濃い優しいものだった。
気付いてやれなくて悪かったと、そして、ありがとうと温かい言葉をくれた土方。そのことに紗己は嬉し涙を流しながらも、もう絶対にこんな心配を掛けてはいけないと心に誓ったのだ。
紗己は短い深呼吸を数回繰り返し気持ちを落ち着かせると、黙ったままの土方ににこり笑って見せた。特別な反応こそ返ってこなかったが、彼女は帯にそっと手を当てて思いの丈を吐き出す。
「紅茶もね、妊娠を知った前日までは、一日に何杯も飲んでたから、もしかしたら赤ちゃんを苦しめてたかも知れない・・・・・・。だから、もう飲まないって決めたんです。願掛けと言えば、そうかも知れないですね」
言いながら、自分でも納得したように大きく一度頷いた。先程の土方の発言も、あながち間違ってはいなかったようだ。
妊娠したと知った日から、大好きな紅茶をすっぱりと止めた紗己。胎児に及ぼす影響を知り、それまでに摂取していた量を考えると、とてもじゃないが飲む気にはなれなかった。そこには固い決意よりも前に、不安や恐怖も混ざっていたのだ。
だが先日倒れたのを境に、その心境にも変化が訪れた。
大事に至らなかったことに心から安心している土方を見て、自分の浅はかさを思い知らされた。もう二度と、こんな心配を掛けてはいけないと強く思った。
「私が身体を壊したら、お腹の赤ちゃんだって苦しむに違いないのに。そんな当たり前のことにも気付かないなんて、ほんと私、馬鹿ですよね」
自嘲気味にそう言うと、彼女は大事なものに触れる力加減で下腹部を撫でた。
「紗己・・・・・・」
「私の浅はかな行動でこの子が苦しまないように、徹底しなきゃって思ってます」
「ああ・・・」
喉の奥がキュッと熱くなる。紗己の決意が胸に沁みて、真っ直ぐ見つめることが出来ず、目を逸らすように顔を横に向けた時――座卓の向こう側、ふとある物が目に入った。
それは、盆に載せられた小さな湯呑み。
今日この時まで全く気に留めていなかったが、今になってようやくその存在の意味を知る。