第八章
名前変換はこちら
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「なな、何謝って・・・おい、紗己・・・・・・?」
彼女が畏縮しないようにと、出来るだけ明るい声を出してみた土方。しかし紗己の只ならぬ様子に、言葉も途中で切れてしまう。
「紗己・・・・・・?」
「ごめん、なさい・・・我慢しようとしたんですけど・・・」
再び謝罪を口にする紗己に対し、猜疑心が増幅する。土方は疑念に満ちた眼差しを愛しい妻に向けた。
「お前、まさか・・・」
「つい誘われちゃって・・・その・・・」
「う、嘘だろ・・・・・・?」
血の気が引いていくのが分かる。ショックか怒りか、わなわなと震える唇。全てを否定したくて、思考を停止させようと両目と額を右手で覆う。
そんな彼の耳に、紗己の「匂いに誘われちゃって・・・」という控え目な呟きが引っかかった。
「そうか・・・匂いに誘われ・・・・・・・・・ん? 匂い?」
「すごくいい匂いだったんです、シュークリーム」
「・・・は? シュークリーム?」
言いながら、その語感に激しい違和感を覚える。
今の今まで心を塗り潰していた絶望と、この可愛らしい響きがあまりにも合わないのだ。まあ、実際全く関連性のないもの同士なのだから、合わなくても当然だ。
唖然とした表情の土方とは対照的に、紗己はきょとんとした顔で小首を傾げた。
「え? シュークリームのこと、銀さんから聞いたんじゃないんですか?」
「・・・・・・」
紗己の言葉に、土方は大いに肩を落とす。まだ詳しいことは何も分かっていないが、シュークリームがいい匂いだったと聞かされれば、あらぬ方向に勘違いをしていたのは明白だ。
さっきまでの絶望感はなんだったのかと、激しい脱力感に見舞われる。それでも本当は、ただの勘違いで良かったと内心深く安堵しているのだが。
しかしまだ、完全に疑念が晴れたわけではない。九割方晴れてはいるが、それに足りる確証はまだ得ていないのだ。
シュークリームにはさらさら興味無いが、二人はなんでもなかったのだという真実を聞きたい土方は、眉をしかめてこめかみを指先で掻くと、溜め息を落としながら面倒臭そうに質問を投げた。
「ハァ・・・で、シュークリームが、どうしたんだ」
「え? どうしたって・・・食べちゃいました」
「・・・・・・」
どうしたのかと訊かれれば、そう答えるしかない。紗己の返答は特段間違ったものではないのだが、それを聞いた土方は閉口してしまった。
菓子を食べたくらいで、何故謝ってきたのかは不明なままだ。だが、彼女のあっけらかんとした口調を聞くにあたり、そこに色恋が関連していないのは十分伝わってくる。
だったらもう、これ以上追求しなくてもいいだろう。残り一割の疑いは晴れたも同然だ。これ以上この話を掘り下げたら、先程までの嫉妬に駆られた自分を思い出して、恥ずかしい気持ちになるだけだ。
そう結論に至った土方は、こめかみを掻いていた指で自身の眉間を押さえると、少しの間を置いてから「そうか・・・」と気力無さげに返事をした。
どうも、投げやりな感が垣間見える。
紗己のこととなると、どうにも土方は冷静な判断力を失いがちになる。この場での本来の目的がすっかり頭から抜け落ちてしまっているのか、まだがっくりと肩を落としたままだ。やはり、全体的に物事を見る目を失っているらしい。
一方、そんな夫を目の当たりにした紗己は、何故彼がそんなにも項垂れているのかさっぱりわからない。声を掛けようにも、何と言えばいいのかも思い付かない。
二人きりの部屋に、嫌な静寂が流れる。それに耐え兼ねた紗己は、何とか会話をしなければと、おずおずと土方との距離を詰め始めた。
互いの膝がぶつかりそうなくらいまで近付くと、そこで少し上体を落として、項垂れる彼の顔を覗き込もうとする。瞬間、遅まきながら気配を感じ取った土方と目が合った。
いつもとまるで違う、覇気のない双眸――前髪に身を隠しているような存在感の無いそれに、紗己は何かを読み取ったのか、一度大きく頷いた。そしてすぐに上体を起こし姿勢を正すと、晴れやかな表情で手を打った。
静かな室内に突然響き渡った、パンッという乾いた音。かなりの至近距離で行われたアクションに驚いたのか、土方は逞しい肩を一瞬強張らせた。
しかし驚いたと思われることが恥ずかしくて、それを誤魔化すために前髪を掻き上げる仕草を見せる。
「な、なんだいきなり・・・」
「ごめんなさい、言葉足らずでしたよね」
「あ?」
何の脈絡もない、唐突な謝罪の言葉。全くもって意味がわからない土方は、ただただ怪訝な顔で彼女を見つめる。
だが紗己は自分の会話の進め方がおかしいとは思っておらず、土方の表情を気にも留めていない。自身の頬にかかった髪をさっと耳に掛けると、今日の出来事を、記憶を辿るように話し出した。
彼女が畏縮しないようにと、出来るだけ明るい声を出してみた土方。しかし紗己の只ならぬ様子に、言葉も途中で切れてしまう。
「紗己・・・・・・?」
「ごめん、なさい・・・我慢しようとしたんですけど・・・」
再び謝罪を口にする紗己に対し、猜疑心が増幅する。土方は疑念に満ちた眼差しを愛しい妻に向けた。
「お前、まさか・・・」
「つい誘われちゃって・・・その・・・」
「う、嘘だろ・・・・・・?」
血の気が引いていくのが分かる。ショックか怒りか、わなわなと震える唇。全てを否定したくて、思考を停止させようと両目と額を右手で覆う。
そんな彼の耳に、紗己の「匂いに誘われちゃって・・・」という控え目な呟きが引っかかった。
「そうか・・・匂いに誘われ・・・・・・・・・ん? 匂い?」
「すごくいい匂いだったんです、シュークリーム」
「・・・は? シュークリーム?」
言いながら、その語感に激しい違和感を覚える。
今の今まで心を塗り潰していた絶望と、この可愛らしい響きがあまりにも合わないのだ。まあ、実際全く関連性のないもの同士なのだから、合わなくても当然だ。
唖然とした表情の土方とは対照的に、紗己はきょとんとした顔で小首を傾げた。
「え? シュークリームのこと、銀さんから聞いたんじゃないんですか?」
「・・・・・・」
紗己の言葉に、土方は大いに肩を落とす。まだ詳しいことは何も分かっていないが、シュークリームがいい匂いだったと聞かされれば、あらぬ方向に勘違いをしていたのは明白だ。
さっきまでの絶望感はなんだったのかと、激しい脱力感に見舞われる。それでも本当は、ただの勘違いで良かったと内心深く安堵しているのだが。
しかしまだ、完全に疑念が晴れたわけではない。九割方晴れてはいるが、それに足りる確証はまだ得ていないのだ。
シュークリームにはさらさら興味無いが、二人はなんでもなかったのだという真実を聞きたい土方は、眉をしかめてこめかみを指先で掻くと、溜め息を落としながら面倒臭そうに質問を投げた。
「ハァ・・・で、シュークリームが、どうしたんだ」
「え? どうしたって・・・食べちゃいました」
「・・・・・・」
どうしたのかと訊かれれば、そう答えるしかない。紗己の返答は特段間違ったものではないのだが、それを聞いた土方は閉口してしまった。
菓子を食べたくらいで、何故謝ってきたのかは不明なままだ。だが、彼女のあっけらかんとした口調を聞くにあたり、そこに色恋が関連していないのは十分伝わってくる。
だったらもう、これ以上追求しなくてもいいだろう。残り一割の疑いは晴れたも同然だ。これ以上この話を掘り下げたら、先程までの嫉妬に駆られた自分を思い出して、恥ずかしい気持ちになるだけだ。
そう結論に至った土方は、こめかみを掻いていた指で自身の眉間を押さえると、少しの間を置いてから「そうか・・・」と気力無さげに返事をした。
どうも、投げやりな感が垣間見える。
紗己のこととなると、どうにも土方は冷静な判断力を失いがちになる。この場での本来の目的がすっかり頭から抜け落ちてしまっているのか、まだがっくりと肩を落としたままだ。やはり、全体的に物事を見る目を失っているらしい。
一方、そんな夫を目の当たりにした紗己は、何故彼がそんなにも項垂れているのかさっぱりわからない。声を掛けようにも、何と言えばいいのかも思い付かない。
二人きりの部屋に、嫌な静寂が流れる。それに耐え兼ねた紗己は、何とか会話をしなければと、おずおずと土方との距離を詰め始めた。
互いの膝がぶつかりそうなくらいまで近付くと、そこで少し上体を落として、項垂れる彼の顔を覗き込もうとする。瞬間、遅まきながら気配を感じ取った土方と目が合った。
いつもとまるで違う、覇気のない双眸――前髪に身を隠しているような存在感の無いそれに、紗己は何かを読み取ったのか、一度大きく頷いた。そしてすぐに上体を起こし姿勢を正すと、晴れやかな表情で手を打った。
静かな室内に突然響き渡った、パンッという乾いた音。かなりの至近距離で行われたアクションに驚いたのか、土方は逞しい肩を一瞬強張らせた。
しかし驚いたと思われることが恥ずかしくて、それを誤魔化すために前髪を掻き上げる仕草を見せる。
「な、なんだいきなり・・・」
「ごめんなさい、言葉足らずでしたよね」
「あ?」
何の脈絡もない、唐突な謝罪の言葉。全くもって意味がわからない土方は、ただただ怪訝な顔で彼女を見つめる。
だが紗己は自分の会話の進め方がおかしいとは思っておらず、土方の表情を気にも留めていない。自身の頬にかかった髪をさっと耳に掛けると、今日の出来事を、記憶を辿るように話し出した。