第八章
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――――――
「・・・さん、土方さん」
「っ! え、あ、ああ・・・」
差し出された湯呑みを慌てて受け取る。三回名を呼んでようやく気付いた土方に、それでも紗己は嫌な顔一つしない。むしろ心配そうな表情で、茶を啜る夫の顔を覗き込んだ。
「どうか、しましたか?」
「ん、いや・・・なんでもねェ」
「そうですか」
そう答えると、紗己は安心したように柔らかく笑った。
今日は仕事も順調に進み、予定通り夕飯時には勤務を終えた土方。途中屯所を出たところで予想外に時間を浪費してしまったが、その後の仕事に支障を来す程ではなかった。
つい先程夕食を終え、今はまさしく夫婦団らんの時間。そんな中紗己は、食事の後片付けをしてもなお、腰を落ち着けることなく二間続きの部屋を行き来している。その流れの中で、夕刊に目を通している土方に食後の茶を淹れたのだ。
自分が茶を飲んでいる間にもすぐに腰を上げる妻を、土方は気付かれぬようにじっと目で追う。
紗己は隣の和室に移ると、箪笥から肌着を取り出し始めた。数枚の男物の肌着を丁寧に畳み、そしてそれをしっかりとした革素材の鞄に収めていく。
まるで旅行の準備でもしているかのようだが、あくまでも土方一人分だ。しかも、決して遊興というわけではない。
明日から三日間、土方は仕事の都合で江戸を離れる。要するに出張だ。
自分の出張の準備をしてくれている妻を、横目でこっそりと盗み見る。視界の端に捉えた紗己はいつも通りの穏やかな表情で、特別寂しそうというわけでもなければ、嬉しそうというわけでもない。まあ、嬉しそうな顔をされても傷付くだけなのだが。
ともあれ、こんな時間も夫婦なのだと土方は改めて実感する。
今までなら、出張の時の宿泊準備等は全て自分で行っていた。他にしてくれる者がいないのだから、当然といえば当然だ。
それに、こうして茶を淹れてくれることもそうだし、買い置きの煙草だってそうだ。何もかも、彼女が自分を想ってくれているという証――。
一人を苦だと思ったことはないが、この幸せを知ってしまった今、一人を感じるのは少々辛いものがある。そんなことを、ぼんやりと考えてしまう。
おいおい、なんでこんなセンチメンタルになってんだ? 俺は別に寂しくなんかねーよ、ああそうだ寂しくなんかねえ。コイツに寂しい思いをさせるのが、ちょっと心苦しいってだけだああそうだ。
今しがた考えたことを、認めたくないとばかりにきつく目を閉じる。たかが三日だ。大した時間じゃない。思いはするも、されど三日だと思う自分もいる。
土方は自分への言い訳をした上で、ゆっくりと目を開けてまた隣の和室に視線を移した。就寝時以外は襖を開け放っているため、紗己の様子がよくわかる。
周囲に伝わるほどのせわしい動きは見せないが、常に何かしら用事をこなしていることが多い紗己。別に、のんびりと足を伸ばして寛いでいたって構わないと土方は思う。身重の身体なのだ、休みたい時だってあるだろう。
けれど、彼女は少なくとも土方の知る限り、あまりそうした姿を見せることはない。それは愛する者にだらしなく思われたくない、というところからではなく、単にこまごまと動くことが好きな性分なのだ。
それでも、今はそんな彼女を見ていると少しだけ切ない気持ちになってしまう。結婚する前もしてからも、紗己と出逢ってからは彼女を残して丸一日以上屯所を空けたことがないからだ。
寂しいと駄々をこねられても困りものだが、こうもあっさりとされると物足りなさを感じてしまう。
寂しいと思ってんのは、俺の方かもな。珍しく自分の弱さを認めてしまうのは、本当に寂しいと思っているからなのだろう。
土方はそんな自分に呆れたように小さく笑うと、慈しむような瞳で愛する妻を見つめた。
隣の部屋から熱い視線を送り続ければ、いくら鈍感な彼女と言えどさすがに気付く。紗己は一旦手を止めると、土方の方を向いて小首を傾げた。
「土方さん?」
先程と同様に、どうかしましたかと訊ねる紗己。しかしどうかしたかと訊かれたところで、それをうまく伝えられるくらいならこんなにも悩んだりはしない。
土方は一瞬の間を置いてから、少し気まずそうにぎこちない笑みをつくった。
「ああいや、別に・・・」
言いながら、手にしていた湯呑みを座卓に置く。するとそれを見た紗己は、何か閃いたような表情で両手を合わせた。
「もう一杯、淹れましょうか」
「・・・・・・え」
どうやら、土方が茶を欲していると思ったらしい。腿の上で重ね合わせていた替えの靴下を畳に置いて、茶を淹れるために腰を上げかけた紗己に、隣の部屋から制止の声が届けられる。
「いや、いいから! まだ残ってっから!!」
「そうですか?」
「あ、ああ」
そんなに必死に制さなくても良かったのに、と自分自身に突っ込みたくなる。それもあってか土方は、一度は読み終えた夕刊を再度おもむろに開き出した。
一方の紗己は、彼のその行動に本当に用は無かったのだと思い、また手を動かし始めた。
「・・・さん、土方さん」
「っ! え、あ、ああ・・・」
差し出された湯呑みを慌てて受け取る。三回名を呼んでようやく気付いた土方に、それでも紗己は嫌な顔一つしない。むしろ心配そうな表情で、茶を啜る夫の顔を覗き込んだ。
「どうか、しましたか?」
「ん、いや・・・なんでもねェ」
「そうですか」
そう答えると、紗己は安心したように柔らかく笑った。
今日は仕事も順調に進み、予定通り夕飯時には勤務を終えた土方。途中屯所を出たところで予想外に時間を浪費してしまったが、その後の仕事に支障を来す程ではなかった。
つい先程夕食を終え、今はまさしく夫婦団らんの時間。そんな中紗己は、食事の後片付けをしてもなお、腰を落ち着けることなく二間続きの部屋を行き来している。その流れの中で、夕刊に目を通している土方に食後の茶を淹れたのだ。
自分が茶を飲んでいる間にもすぐに腰を上げる妻を、土方は気付かれぬようにじっと目で追う。
紗己は隣の和室に移ると、箪笥から肌着を取り出し始めた。数枚の男物の肌着を丁寧に畳み、そしてそれをしっかりとした革素材の鞄に収めていく。
まるで旅行の準備でもしているかのようだが、あくまでも土方一人分だ。しかも、決して遊興というわけではない。
明日から三日間、土方は仕事の都合で江戸を離れる。要するに出張だ。
自分の出張の準備をしてくれている妻を、横目でこっそりと盗み見る。視界の端に捉えた紗己はいつも通りの穏やかな表情で、特別寂しそうというわけでもなければ、嬉しそうというわけでもない。まあ、嬉しそうな顔をされても傷付くだけなのだが。
ともあれ、こんな時間も夫婦なのだと土方は改めて実感する。
今までなら、出張の時の宿泊準備等は全て自分で行っていた。他にしてくれる者がいないのだから、当然といえば当然だ。
それに、こうして茶を淹れてくれることもそうだし、買い置きの煙草だってそうだ。何もかも、彼女が自分を想ってくれているという証――。
一人を苦だと思ったことはないが、この幸せを知ってしまった今、一人を感じるのは少々辛いものがある。そんなことを、ぼんやりと考えてしまう。
おいおい、なんでこんなセンチメンタルになってんだ? 俺は別に寂しくなんかねーよ、ああそうだ寂しくなんかねえ。コイツに寂しい思いをさせるのが、ちょっと心苦しいってだけだああそうだ。
今しがた考えたことを、認めたくないとばかりにきつく目を閉じる。たかが三日だ。大した時間じゃない。思いはするも、されど三日だと思う自分もいる。
土方は自分への言い訳をした上で、ゆっくりと目を開けてまた隣の和室に視線を移した。就寝時以外は襖を開け放っているため、紗己の様子がよくわかる。
周囲に伝わるほどのせわしい動きは見せないが、常に何かしら用事をこなしていることが多い紗己。別に、のんびりと足を伸ばして寛いでいたって構わないと土方は思う。身重の身体なのだ、休みたい時だってあるだろう。
けれど、彼女は少なくとも土方の知る限り、あまりそうした姿を見せることはない。それは愛する者にだらしなく思われたくない、というところからではなく、単にこまごまと動くことが好きな性分なのだ。
それでも、今はそんな彼女を見ていると少しだけ切ない気持ちになってしまう。結婚する前もしてからも、紗己と出逢ってからは彼女を残して丸一日以上屯所を空けたことがないからだ。
寂しいと駄々をこねられても困りものだが、こうもあっさりとされると物足りなさを感じてしまう。
寂しいと思ってんのは、俺の方かもな。珍しく自分の弱さを認めてしまうのは、本当に寂しいと思っているからなのだろう。
土方はそんな自分に呆れたように小さく笑うと、慈しむような瞳で愛する妻を見つめた。
隣の部屋から熱い視線を送り続ければ、いくら鈍感な彼女と言えどさすがに気付く。紗己は一旦手を止めると、土方の方を向いて小首を傾げた。
「土方さん?」
先程と同様に、どうかしましたかと訊ねる紗己。しかしどうかしたかと訊かれたところで、それをうまく伝えられるくらいならこんなにも悩んだりはしない。
土方は一瞬の間を置いてから、少し気まずそうにぎこちない笑みをつくった。
「ああいや、別に・・・」
言いながら、手にしていた湯呑みを座卓に置く。するとそれを見た紗己は、何か閃いたような表情で両手を合わせた。
「もう一杯、淹れましょうか」
「・・・・・・え」
どうやら、土方が茶を欲していると思ったらしい。腿の上で重ね合わせていた替えの靴下を畳に置いて、茶を淹れるために腰を上げかけた紗己に、隣の部屋から制止の声が届けられる。
「いや、いいから! まだ残ってっから!!」
「そうですか?」
「あ、ああ」
そんなに必死に制さなくても良かったのに、と自分自身に突っ込みたくなる。それもあってか土方は、一度は読み終えた夕刊を再度おもむろに開き出した。
一方の紗己は、彼のその行動に本当に用は無かったのだと思い、また手を動かし始めた。