第七章
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――――――
近藤と別れた土方は、重たい気持ちを引きずったまま自室の前へと戻ってきた。
上着も脱いだまま、しばらく夜風に当たりながら話し込んでいた二人。おかげで頭は冷えたが、その分身体も冷えてしまった。
早く部屋に入って身体を温めたい――と思いはするが、たった一枚、薄い障子がひどく厚く感じる。
土方は右手を障子戸へと軽く伸ばしたが、その手は宙を掴むような仕草をしてから動きを止めた。
入りたくないわけじゃない。だがこのまま中へと進めば、当然また紗己の伏せっている姿を見なければいけない。
そうすると、何も気付かずに浮かれていた自分への怒りにも似た後悔や、彼女に対する申し訳なさに苛まれてしまう。その思いが彼を躊躇させた。
とはいっても、やはり心配の方が遥かに大きい。怖じ気付いた自分に軽く舌打ちをすると、土方は自身の手を睨み付けてから障子戸を開けた。あまり足音を立てないように、極力静かに奥の和室へと向かう。
「紗己、戻ったぞ・・・」
言いながらスッと襖を開くと、目に入ったのは愛しい妻の寝顔。待ち疲れた、というほどは待たせていないが、やはり相当疲れていたのだろう。スウスウと寝息を立てて眠る彼女の姿に安心したのか、土方は小さく息をついて紗己の傍らに腰を下ろした。
首元のスカーフを少し緩め、妻の寝顔に視線を落とす。貧血のせいであまり血色は良くない。見れば、下瞼には分かりやすく濃い隈が出来ていた。
それに今頃になって気付いた土方は、太ももに置いていた手できつく拳をつくった。
こんなにもはっきり疲れた顔してたってのに、なんで気付かなかったんだよ俺は・・・・・・! ちゃんと毎日顔見てただろ、俺はコイツの何を見てたんだ!!
「っ・・・」
くそっ、と思い切り吐き捨てたい気分だったが、紗己の眠りを妨げたくない一心でぐっと言葉を飲み込んだ。
透けるような白肌を見つめ続けるうちに、だんだんと激しい後悔が襲ってくる。自分の帰りを待ってくれていることを、どうして強く拒否しなかったのか――と。
よくよく考えれば、彼女の性格からして無茶をしている可能性は十分にあった。だがそれに気付けなかったのは、『誰か』が待っている生活に喜びを感じていたからだろう。
とんだ馬鹿野郎だな、俺ってやつァ。結婚して一週間と経ってねーのに、もう倒れさせちまうなんて・・・・・・。
情けなさで胸がいっぱいになる。それを紛らせたくて、土方は自身の黒髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。
傍らでごそごそと動かれているのだが、紗己はまだ深い眠りの中。額から頬にかけて掛かっている数本の髪が、やけに儚さを際立たせている。
「紗己・・・・・・」
ぽつり呟く。本当は少しだけ、ほんの少しだけ彼女に対して腹を立てているのだ。どうしてそこまで無理をするのか、自分の体調を疎かにするのか、と。
それでなくとも身重の身体でつわりだってまだあるのに、普段と同じ感覚で行動されたら困る。
妻を、お腹の子供を大事に想うからこそ、土方の紗己への少々の不満も当然といえるものだろう。
しかし、紗己の行動の全てが自分を想ってのことだと理解はしている。
隊士達に特別な勤務体制を強いたのは、他の誰でもない、副長である自分なのだ。勿論隊士達も嫌がってなどいなかったし、紗己がそこまで気を遣う必要もなかった。
けれどそこは必要以上に、時にはありえないほどに気遣い症な彼女のこと。心からの感謝を表現するにあたって、夫の立場なども考慮すれば、行き着く先はこれだったのだろう。
何が屯所の掃除だ。そんなものはここに住んでいる奴らが担うのが当然だし、そのために当番制にしているんだ。どうしてお前がそこまで無理をする。お前はただ笑顔でいてくれればそれでいい――。
「・・・・・・」
考えてから、土方は深く吐息した。何を勝手なことを考えてるんだと、自分自身に呆れてしまう。
ただ笑ってくれてりゃいいなんて、コイツは人形じゃねーだろうが・・・・・・。そんなこと思ってるから、気付いてやれなかったんじゃねェのか。
どんな時でも、彼女は自分をちゃんと見てくれているのに。それを幸せだと思う気持ちの向こう側に、『居心地がいい』『楽だ』と思う気持ちはなかったか――? そう自分に問い掛ける。
「昼寝・・・しねェだろ、コイツは・・・・・・」
落ち着いて考えてみれば、分かりそうなことなのだ。
確かに紗己は、夫がせっせと働いている時間に自主的に昼寝をするようなタイプではない。だが、その言葉を鵜呑みにしてしまった。ちゃんと見ていたつもりだったのに。誰よりも彼女を理解しているつもりだったのに。
いや、ちゃんと見ていたのだ。彼女の柔らかい笑顔を、自分に向けられる優しい笑みを――それだけに満足しきっていた。
「悪かったな、紗己・・・・・・」
躊躇いがちに彼女に手を伸ばすと、その軟らかな髪に触れながら低く呟いた。そっと起こさないように、顔に掛かる髪を払いのける。その意識的にしていた丁寧な動作に、ふと思う。
自分は男なのだから、手も大きいし力も強い。気を付けて制御しなければ、触れたものを簡単に壊せてしまうし、今も眠る彼女を起こすことは容易なことだ。
だったら、力を制御することと同じように、気持ちの面でももっと思慮深く発言しなければいけなかったのではないか。
起きて待ってくれていることを喜べば、その期待に応えたいと思うのは当然だ。自分だって、彼女が望めばなんだってしてやりたいと思う。
こうして疲れた様相の彼女を目の当たりにして、ようやくそのことに気付くなんて。土方は、改めて自分の不甲斐無さを痛感した。
近藤と別れた土方は、重たい気持ちを引きずったまま自室の前へと戻ってきた。
上着も脱いだまま、しばらく夜風に当たりながら話し込んでいた二人。おかげで頭は冷えたが、その分身体も冷えてしまった。
早く部屋に入って身体を温めたい――と思いはするが、たった一枚、薄い障子がひどく厚く感じる。
土方は右手を障子戸へと軽く伸ばしたが、その手は宙を掴むような仕草をしてから動きを止めた。
入りたくないわけじゃない。だがこのまま中へと進めば、当然また紗己の伏せっている姿を見なければいけない。
そうすると、何も気付かずに浮かれていた自分への怒りにも似た後悔や、彼女に対する申し訳なさに苛まれてしまう。その思いが彼を躊躇させた。
とはいっても、やはり心配の方が遥かに大きい。怖じ気付いた自分に軽く舌打ちをすると、土方は自身の手を睨み付けてから障子戸を開けた。あまり足音を立てないように、極力静かに奥の和室へと向かう。
「紗己、戻ったぞ・・・」
言いながらスッと襖を開くと、目に入ったのは愛しい妻の寝顔。待ち疲れた、というほどは待たせていないが、やはり相当疲れていたのだろう。スウスウと寝息を立てて眠る彼女の姿に安心したのか、土方は小さく息をついて紗己の傍らに腰を下ろした。
首元のスカーフを少し緩め、妻の寝顔に視線を落とす。貧血のせいであまり血色は良くない。見れば、下瞼には分かりやすく濃い隈が出来ていた。
それに今頃になって気付いた土方は、太ももに置いていた手できつく拳をつくった。
こんなにもはっきり疲れた顔してたってのに、なんで気付かなかったんだよ俺は・・・・・・! ちゃんと毎日顔見てただろ、俺はコイツの何を見てたんだ!!
「っ・・・」
くそっ、と思い切り吐き捨てたい気分だったが、紗己の眠りを妨げたくない一心でぐっと言葉を飲み込んだ。
透けるような白肌を見つめ続けるうちに、だんだんと激しい後悔が襲ってくる。自分の帰りを待ってくれていることを、どうして強く拒否しなかったのか――と。
よくよく考えれば、彼女の性格からして無茶をしている可能性は十分にあった。だがそれに気付けなかったのは、『誰か』が待っている生活に喜びを感じていたからだろう。
とんだ馬鹿野郎だな、俺ってやつァ。結婚して一週間と経ってねーのに、もう倒れさせちまうなんて・・・・・・。
情けなさで胸がいっぱいになる。それを紛らせたくて、土方は自身の黒髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。
傍らでごそごそと動かれているのだが、紗己はまだ深い眠りの中。額から頬にかけて掛かっている数本の髪が、やけに儚さを際立たせている。
「紗己・・・・・・」
ぽつり呟く。本当は少しだけ、ほんの少しだけ彼女に対して腹を立てているのだ。どうしてそこまで無理をするのか、自分の体調を疎かにするのか、と。
それでなくとも身重の身体でつわりだってまだあるのに、普段と同じ感覚で行動されたら困る。
妻を、お腹の子供を大事に想うからこそ、土方の紗己への少々の不満も当然といえるものだろう。
しかし、紗己の行動の全てが自分を想ってのことだと理解はしている。
隊士達に特別な勤務体制を強いたのは、他の誰でもない、副長である自分なのだ。勿論隊士達も嫌がってなどいなかったし、紗己がそこまで気を遣う必要もなかった。
けれどそこは必要以上に、時にはありえないほどに気遣い症な彼女のこと。心からの感謝を表現するにあたって、夫の立場なども考慮すれば、行き着く先はこれだったのだろう。
何が屯所の掃除だ。そんなものはここに住んでいる奴らが担うのが当然だし、そのために当番制にしているんだ。どうしてお前がそこまで無理をする。お前はただ笑顔でいてくれればそれでいい――。
「・・・・・・」
考えてから、土方は深く吐息した。何を勝手なことを考えてるんだと、自分自身に呆れてしまう。
ただ笑ってくれてりゃいいなんて、コイツは人形じゃねーだろうが・・・・・・。そんなこと思ってるから、気付いてやれなかったんじゃねェのか。
どんな時でも、彼女は自分をちゃんと見てくれているのに。それを幸せだと思う気持ちの向こう側に、『居心地がいい』『楽だ』と思う気持ちはなかったか――? そう自分に問い掛ける。
「昼寝・・・しねェだろ、コイツは・・・・・・」
落ち着いて考えてみれば、分かりそうなことなのだ。
確かに紗己は、夫がせっせと働いている時間に自主的に昼寝をするようなタイプではない。だが、その言葉を鵜呑みにしてしまった。ちゃんと見ていたつもりだったのに。誰よりも彼女を理解しているつもりだったのに。
いや、ちゃんと見ていたのだ。彼女の柔らかい笑顔を、自分に向けられる優しい笑みを――それだけに満足しきっていた。
「悪かったな、紗己・・・・・・」
躊躇いがちに彼女に手を伸ばすと、その軟らかな髪に触れながら低く呟いた。そっと起こさないように、顔に掛かる髪を払いのける。その意識的にしていた丁寧な動作に、ふと思う。
自分は男なのだから、手も大きいし力も強い。気を付けて制御しなければ、触れたものを簡単に壊せてしまうし、今も眠る彼女を起こすことは容易なことだ。
だったら、力を制御することと同じように、気持ちの面でももっと思慮深く発言しなければいけなかったのではないか。
起きて待ってくれていることを喜べば、その期待に応えたいと思うのは当然だ。自分だって、彼女が望めばなんだってしてやりたいと思う。
こうして疲れた様相の彼女を目の当たりにして、ようやくそのことに気付くなんて。土方は、改めて自分の不甲斐無さを痛感した。