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2007年8月

人気のない校内に足音が響く。
焦ったような、苛立ったような荒い音は、普段の大堰のそれとはかけ離れていた。
木造校舎の一角、他の部分とは異なり、酷く無機質な印象を抱かせる区画がある。そこに詰めるのは医療関係者か家入のような反転術式を有する術師たちだ。
怪我をした時ぐらいしか用のない場所の更に奥、冷たい闇が占める場所。

「くそったれ…」

連絡を受けたのは任務先だった。
近隣数軒を梯子する簡単な討伐任務を片付け、そろそろ帰還予定の後輩たちを誘って食事にでも行こうと思っていた。
そんな大堰に伝えられたのは『高専生1名死亡』という無情な伝達だった。

「健人」

ノックも忘れて飛び込んだ部屋は酷く無機質だ。
危険とは隣り合わせの死が近い世界。
大堰自身、死を覚悟したのは1度や2度の話ではない。
いつ誰が死んだっておかしくはない。覚悟はしていたはずだ。
それでも、まさか自分より先に後輩が死ぬことなど夢にも思わなかった。

「世那さん」

疲れたように目元を覆っていたタオルを外す七海は全身傷だらけだった。

「…お疲れ様。よく帰ってきたよ」

かける言葉の正解がわからない。
身近な人の死が辛いことは身をもって知っている。
剰え、七海は彼を、灰原を親友と呼んでいた。
そんな彼に一体何と声をかければいいのか。

「さっき夏油さんがいらっしゃいましたよ」

「そっか、直で来ちまったから会わなかったな」

「任務は五条さんが引き継いだそうです」

「そうか」

「2級呪霊の筈だったんです…!」

2級呪霊討伐。彼らの実力なら何ら問題なく熟るレベルの筈だった。
しかし実際の任務は産土信仰による土地神の討伐、1級以上の術師が請け負うべき案件だったと聞いている。

「おかえり、雄。よく頑張ったな」

冷たい台の上に寝かされた灰原は顔には激戦を物語る傷が刻まれていた。
術師には稀有なほど明るく暖かな灰原には似つかわしくない無機質なベッドに横たわる姿に酷く心が痛んだ。

「…守れませんでした」

覗き込んだ七海は泣き腫らしたような酷い顔をしていた。

「イケメンが台無しだな」

「茶化してます?」

「いんや?
建人も知っての通り、オレは人を慰めるのが不得意だ」

「それを今言いますか」

馬鹿な先輩達に絡まれてうんざりした様な目元が朱に彩られていて、流石に普段通りに絡めるほど大堰はクズになりきれていないらしい。

「…ありがとうな」

絶望と喪失が立ち込める無機質なこの部屋の中で、こぼれ落ちそうになる翡翠が、その雫が、柄にもなく美しいと思えてしまった。

「本当に、下手くそですね」

「悪かったな」

散々考えた挙句、でてきた台詞がコレとは、我ながら意味不明だと思う。
しかし、出てしまったものはしょうがない。

「お前だけでも生きて、帰ってきてくれてよかったと思ったんだよ」

青い筋を浮かべる拳や喰い千切れそうな薄い唇に不甲斐なさを感じる。
夏油だったら、もう少し気の利いた事が言えるのだろうが、残念なことに今この場にいるのは、呆れる程に不器用な自分だけなのだ。

「オレにだって“誰かの”任務を引き継いだ経験はある」

一度失敗した任務は無惨としか言いようがない。
せめて、そこにいた誰かの痕跡をと求めても、まともに見つけられた試しがない。

「割り切れだなんてオレには言えねえ。
お前のせいじゃないなんて無責任に言ってやれねえ。でも、建人が生きててくれたお陰で、雄はここに帰って来れた。
だから、ありがとう」

振り払われないのをいいことに撫でつけた金糸は、汗と土埃に塗れてもなお柔らかく指に絡みついてくる。

「回りくどい上にわかりにくいですね」

「うるせえよ」

「…五条さんだけでいいんじゃないですか」

「あん?」

「夏油さんにそう言ってしまいました」

「同期の面倒ぐらいみてやるから、ちゃんと休め」

痺れかけた足を伸ばしながら振り返ると、寝ているだけなんじゃないかと錯覚しそうなほど、穏やかな灰原がいる。

(なあ、お前の笑い声が恋しいって言ったら笑ってくれるか、雄)
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