* SS集 (FF) *
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( 眠り姫のキス )
「入るぞ。」
久々に時間ができた。そんな時大概この部屋へ足を運んでしまうのは最早病気か。
扉の前で自分の溺愛具合に笑った後、コンコンとノックをするが返事が無い。おかしい。今朝連絡した時には部屋にいると言っていたのに。レディの部屋に勝手に入るのは少々気が引けるが、このまま待っていても仕方がないと思い扉を開けた。
「…寝ているのか。」
どうりで返事が無いわけだ。部屋の主である私の妹は机いっぱいに広げた教材の上に突っ伏して寝ていた。どうやら勉強中に寝てしまったようだ。前に組んだ腕に顔を預けすやすやと今にも涎が垂れそうな気の抜けた顔で寝ている妹が心底可愛いと思ってしまう。
周りに乱雑に散らばった教材の一つを手に取った。それが経済学の本だと知ってつい笑みが漏れる。
そういえば、昔っから計算が苦手だったな。空いている椅子にもたれ座り、未だ起きる気配のない彼女の寝顔を眺めながらちょうど十年前の記憶を思い出した。
***
「あの、お、にい、さま·····?」
小さい控えめなノック音と共に自室の扉からひょっこりと顔を出したのは、少し前に突然、それこそひょっこり現れた俺の妹だった。一人でここに来るなんて珍しい。
「どうした?」
「あのね…勉強、教えて欲しいの…。」
両手で何冊かの参考書とノートを抱え込み、おどおどと恥ずかしそうにお願いをしてくる妹に俺は首を傾げた。
「家庭教師がいただろ?」
「…あの人の言っていること、全然理解できない。」
余程相性が悪いのだろう。思い出して嫌悪したのか満面のしかめっ面で不満を漏らした。その教師に俺も一度教わったことがあるが、確かに自分本位な奴で腹が立った覚えがある。理解できないのも無理はない。少し妹が気の毒になった俺は妹の申し出を快く受けることにしたのだ。
「…見事に算数の教科書ばかりだな…。」
「うぅ…計算苦手…。」
数字を見るのも嫌、と言いながら机に項垂れる。これは教えるのも苦労しそうだ。ふぅ、と小さくため息をついて、まずは簡単なものから解くように言うと素直に問題と向き合い始めた。どうやら基本的な公式は覚えているらしい。その辺は問題なくクリアしていった。
だが応用になると途端にその手は動きを止める。まあ、よくありがちなパターンだな。隣で参考書と睨めっこしながら「うぐぅ」と小さく唸り声をあげている様がなんとも面白くてつい笑ってしまった。それに気づいた妹は笑われたことに少し眉を顰めてじとりと見つめてきた。
「…もうっ笑わないで!」
「くく、悪かった。どこが解けないんだ?」
「うぅ…ここ、、」
おずおずと指をさした問題に目を通す。参考書を見ても分からないくらいなのだからと、細かく一から説明してやると、さっきまで渋い顔をしていた妹の表情は次第に驚きのものに変わり、教え終わる頃にはキラキラと目を光らせていた。コロコロと表情の変わる奴だな、と見ている方まで微笑ましくなる。
「すごい!お兄様、私初めて数字が好きになれそう!」
飲み込みが早い方で助かった。理解できた喜びから次々と応用問題を解こうとする妹を隣で静かに見守る。勢いに乗った者はそっとしておく方がいい。その間に紅茶でも入れようかと席を立った。
「……嘘だろう。」
席を外していたのはほんの十分程だった筈だ。さっきまで真面目に勉学に勤しんでいた妹は今、何故か机の上で突っ伏し寝息を立てている。ノートを見れば決めていた範囲の問題は解けているようだ。一気に脳みそを使って燃料切れしたのか?それにしてもこの短時間で状況がごろッと変わってさすがの俺も驚きを隠せない。
普段の妹の生活をいつ外に出ても恥ずかしくないよう指導の毎日過ごしていればさすがに疲れるだろう。まだ十にも満たない少女がよく頑張っているな、と感心した。
今くらいは寝かしてやろうか、などと考えていたら「ん…おにいさま…ありがと…」と寝言で呟かれて思わず頬が緩んだ。
***
「ふっ…寝るのは今も変わらず、か。」
まだ隣で眠りこける妹の頭を優しく撫でる。もうすっかり数字とは仲良くなれたのだろうか。途中で寝てしまうあたり、まだまだ、と言う所なのかもしれない。山積みにされた経済学の本たちを見ればなおさらだ、乗り越えねばならない課題は多いらしい。また教えて欲しいと言われる日はそう遠くない気がする。
「さて、いつまで寝ているつもりだ?」
さすがに痺れを切らしてきた。試しに頬を撫でるがぴくりともしない。これでは少ない自由時間を妹の寝顔を眺めるだけに費やしてしまう。いや、それはそれでいいのだけど。せめて眠り姫の如く静かに寝息を立てる彼女の声を聞いてから仕事に向かいたい。
眠り姫ならば目覚めのキスでもすれば起きるのだろうか。自分でもらしくない考えに笑ってしまう。しかし、そんな戯れも愛する妹とならば悪くない。
「さぁ、起きてくれ、私の大事なお姫様。」
早く昔話の続きでもしようじゃないか。
そう願いながら、彼女の白い頬に口づけを落とした。
<end>