Pearl
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+Pearl -4-+
突然キスをされたあの日から一週間経った今もレノさんは顔を見せに来ていない。来ない日があっても一週間も来ないなんてことは今までになくて、あの時変なこと言い過ぎて呆れられかもなんて嫌な考えが頭をよぎる。
それとも、怪我が悪化したのか、はたまた危ない目に合ってしまって動けないでいるのか。悪い方にばかり想像が偏って憂鬱な気持ちになる。
そんな時ふと、以前同僚に言われた言葉を思い出した。
『真面目なナナシだから、遊ばれてないか心配だよ』
やっぱり遊ばれていたのかな。いや一度キスされただけだけど。恋愛経験の乏しい私にとってはそれはとんでもない刺激的なこと。実は免疫の無い私の反応見て楽しんでいただけなのかもしれない。でも、そう思ってもやっぱり何処か違和感がある。あの時、キスをした後のレノさんの目は私を嘲笑うものではない気がしたから。でもそんな気がしたことすらも気のせいだったのではと自慢だったはずのポジティブさが今は欠片も存在しない。会わない時間にこんなにグルグルと頭が混乱するのは初めてで余計に頭の整理がつかない。
会いたいけど、今は少し、会うのが怖い。
◇
自分のデスクの椅子にやる気なく腰掛けて天井を眺めながら、あの日の自分のしたことを思い出していた。
あんなこと本当はするつもりなかった。大事にしたかったのに。今までは大体甘い香水を漂わせて擦り寄ってくるような女共と遊ぶことが多かった。まぁ俺がそんな女ばかり選んできたってこともあるけど。後腐れないし楽だ。
だけどナナシはこれまでの女達と何処か違った。約束無しに会いに行って何でもないことを話して、時折ふざけ合って、またなって言って別れて。そんな関係で居られる女なんて今まで傍に居なかったから、ナナシとの時間が何だか居心地が良かった。迂闊に手を出してしまったら壊れてしまいそうで。自分の仕事柄、そういう馴れ合いを避けてきたつもりだったのに今はまだこの関係を手離したくないなんて思ってしまう。
だからこの間初めてタークスの話になった時、俺のやっていることをナナシに拒絶されるのが怖くなった。離れたくないと、縋ることも許されないのに。ならば今のうちに自分から突き放した方がまだ気が楽だと強がってみたが、ナナシは離れる所か更に寄り添ってきたのだ。今までの女達のように艶かしく近づくのでは無く、おずおずと遠慮がちに自分の服を掴む様子に嬉しさと戸惑いが入り交じって居てもたってもいられなくなって、結果彼女の唇を強引に奪ってしまった。その後はナナシの顔をちゃんと見ずに出てってしまったから、よくわからない。
ナナシはどう思っているのだろうか。やっぱり怒っているだろうか。怒った顔も可愛いかもな。本当は会いに行きたいのに、会った時に言いたい言葉が中々整理つかなくて、かれこれ一週間も会いに行けずにいる自分は過去最高にかっこ悪いと思う
。
「あー拗らせてんなーっと」
「……早くその報告書仕上げなくていいのか」
「何だよ相棒つめてえな。俺がこんなにおセンチになってるってゆーのに」
「報告書が完成してから労わってやろうと思っていた」
「おっ! ならこの後飲みに行くぞ、と!」
隣に座っていたルードに促され、目の前のまだ仕上がってない報告書に手をかけた。ルードは黙々と作業を進めていたが、ふと手を緩めチラリと俺を見てこう聞いた。
「……上、行かなくていいのか?」
「あー、いいんだよ。それは」
「珍しく長期戦だと思ったが、振られたか」
「何で俺が振られたことになってんだよ! と!」
「遊ぶのは自由だが、程々にしてくれ」
「あいつは、そんなんじゃねえ」
ボソボソと言いながら机に突っ伏してしまう俺を見て、ルードは何か察したのかそれ以上何も言わなかった。
「なぁ相棒」
「どうした相棒」
「愛って、何だ?」
「……気持ち悪いことを聞くな」
飲みに行くぞってさっき言ったばかりなのに、また手が止まってしまった。するとオフィスのドアが開き、入ってきたツォンさんが俺に向かってこう言った。
「レノ、仕事だ」
はい了解、と。まだ仕上がってない報告書は相棒に押し付けてやる。気持ち悪いって言った仕返しだ。
◇
あの、何でもないようで温かかった夜のベンチでの時間は、再び訪れることはもうないのか。そんな私の思いを無視するように時は無情にも一定の時間を刻んでいく。目の前で日に日に落ち込んでいく私を見た同僚はやっぱりね、と言いたげに小さくため息をついた。
「ナナシ、ちゃんとご飯食べてる?」
「え、食べてるよ? ほらお弁当」
「全然減ってないじゃない。一昨日もそうだった!」
「ほら! 早食いはよくないって誰かが言ってたから」
「元から早食いじゃないでしょ。逆に遅すぎだわ!」
私もうとっくに食べ終わったんだけど! と綺麗に浚えられたお皿を見せてきた。いつもなら食べ終わる時間は一緒くらいなのにね。
「あぁ、ごめん。 本当はここの所あまり食欲なくて」
「……まさか妊娠⁉」
「に、にんっ⁉ 違う違う! それは絶対無い!」
「ごめんごめん冗談だから! でも、レノって人絡みじゃなんでしょ?」
あっさり悩みの元を当てられて、私は何とも言えない恥ずかしさに見舞われた。私は同僚に最近のレノとあった出来事を説明した。すると彼女は、うーん、と考え込む素振りを見せ、私は何を言われるのかソワソワしてしまった。
「聞いた感じ、遊ばれてるってことは無さそうだね」
「そう、かな。もうよく分からなくて」
「会って話したら早いだろうけど、連絡先も居場所も知らないんでしょ?」
「うん」
「そこはさすがタークスだねぇ」
「……もう、会えないのかなぁ」
結局、落ち込みが増すことになってしまった。同僚はそんな私を見据えて、よしっ! と私に向き合って元気よく私に声を掛ける。
「考えていても仕方ない! 最近飲みに行ってないでしょ? パーッと飲みに行こう!」
同僚と約束した時間に間に合うように仕事を終わらせ、先に同僚が待っている六番街の居酒屋まで小走りで向かっていく。友人と飲みにいくのも、お酒飲むのも久しぶりだからちょっとだけワクワクする。私を元気付けようと今日は仕事を早く切り上げてこの時間を企画してくれた彼女には感謝しかない。
しかしこのペースでは六番街に辿りつくには予定時間を過ぎてしまいそう。せっかく私の為に同僚が時間を割いてくれているのに待たせてしまうのは心許ないから、近道をしようといつもは使わない小道に入る。薄暗くて細い道に一瞬たじろぐが、早く辿り着きたいと逸る思いが勝り障害物にぶつからないように歩み進む。
暗く誰もいない道を歩いた先に、何かの影が微かに目に入ったので私は歩くスピードを弛めた。視線の先の男女は、クスクスと笑い合いながら壁にもたれ軽く身体を密着させていて、今にも事を始めてしまいそうな雰囲気を醸し出していた。いけない場面に遭遇してしまった。見なかったフリをして今から来た道を戻っても大遅刻だし、かと言ってここをすり抜けていく勇気もない。どうしようか戸惑っていると、男女の方から艶かしい声が聞こえてきてその声に思わず息が止まった。
「ねえ、早く……」
「こんなことして、怒られても知らねぇぞ、と」
今の声、聞き間違いではないだろうか。目を凝らすと、暗闇からでも分かるくらい燃えるような赤い髪が見えて、気のせいだと思いたかったものが確信に変わり目眩がした。思わずぐらついてしまった拍子に足元の空き缶を蹴ってしまって、二人に見つかってしまった。
「あ……」
「ちょっと! 誰⁉」
「あ、ご、ごめんなさい!」
女の人が私のいる方を見てキツく言い放つ。もはや隠れていても意味が無い私は、ゆっくり彼らの前に立った。
「! お前……」
目撃者の正体が私だと分かったレノさんは目を見開いて明らかに驚いている。女の人は私を警戒したのか、見せつけるようにレノさんの腕に絡みつき甘い声をかける。
「なぁに? レノ、知り合い?」
「あー……いんや。知らね」
「っ!」
冷たい目でそう言い放たれ、ガンと頭を打たれたような感覚になる。こんな形で会うのは不本意だけど顔を見られたという微かな喜びはガラガラと崩れ去っていった。色々想いを巡らせていたのは私だけだったのだと思い知らされ、思い上がっていたことの羞恥心で顔が赤くなる。
「あ、あの、近道していただけなので、 邪魔しちゃってごめんなさい……!」
それだけ吐き捨てて二人の横をすり抜けた。早く立ち去らなければ目の奥に溜まり始めた涙が勝手に出てきそう。
「道!」
気まずい静けさを断ち切るように後ろからレノさんの大きな声が聞こえて思わず立ち止まった。
「……暗いから、気をつけろよ、と」
ゆっくりとそれだけ告げられ、私は思わず後ろを振り向いた。レノさんは既にこちらを向いておらず、女の人の肩を抱き私と反対の方向へ歩き出していた。その後ろ姿を私は見つめるなんて出来なくて、すぐさま同僚の待つ店まで走り続けた。今あった出来事を早く笑って忘れたかったのに、笑顔で迎えてくれた同僚の顔を見た瞬間に堪えていた涙がボロボロと流れてきて止めることが出来なかった。ナナシ⁉ と狼狽える同僚に、この後なんて言おう。
レノさんが好きなんだって、こんな形で思い知りたくなかった。