Pearl
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+Pearl -3-+
「よぅナナシ、今日も元気にやってるか」
先日落し物を届けたことで一緒に食事して以来、レノさんは残業中の私の元に頻繁に会いに来るようになった。彼の明るい声が私しかいない閑散としたオフィス内に響く。
「レノさん、お疲れ様です」
「今日は何の仕事任されたんだ?」
「備品の移動と整理です」
「力仕事までやんのかよ。おら、手伝うからそれ渡せ」
「ややや、いいです悪いです!」
「こんなのいつ終わるかわかんねえぞ、と。またコーヒー奢ってくれりゃいいだろ」
「ぐぅ……いつもすみません」
こうしてレノさんは会いに来る度簡単な仕事を手伝ってくれる。有難いのだが、手伝ってくれた日には缶コーヒーをご馳走するだけでいいと言うのだからやはり申し訳なさの方が勝つ。しかし今までこの時間を一人で過ごしてきただけに、最近増えてきた彼との時間が素直に嬉しくて、手離したくない気持ちにもなる。
そもそも何故レノさんはそこまで手を貸してくれるんだろうか。初めて会った日も礼とは言えほとんど無理矢理連れていかれたし、既に私の事知っていたからヤバい人かとビビらされたが、適当な理由を付けて二件目行きを遠慮したら思ったよりすんなり帰してくれた。何となく悪い人ではないのだろうと直感で思う。
「すごい、もう終わりました!」
「二人がかりならこんなもんだろ、と」
「ありがとうございます!」
ペコペコとお辞儀しながらいつものコーヒーを買いに自販機へ向かう。温かい缶コーヒーを手渡して、流れるように二人でベンチにもたれかかった。
「レノさん、明日も仕事なんですよね? すみません、遅くまで付き合わせてしまって」
「構わねえぞ、と」
ふっと笑みを浮かべながらコーヒーを飲む彼は、優しい人だなとしか印象が出てこない。
「あの、何でここまでしてくれるんですか?」
「あ?」
「だってレノさんも仕事終わりで疲れているのに、私の仕事まで手伝ってちゃ大変じゃないですか」
「俺の仕事は相棒が何とかしてくれるぞ、と」
「いや……その相棒さんが可哀想でしょ……」
私のせいでごめんなさい相棒さん。とまだ会ったこともない人を哀れんでしまった。
「相棒はどうでもいいとして、面倒ならここまで来たりしねえから気にしなくていいぞ、と」
「いいんでしょうか。それ」
「それとも」
「ん? ……んぇ⁉」
うーん、と考え込んでいる私の顎を突然レノさんが片手でクイっと持ち上げ、無理矢理彼の方に向けられる。急な展開に目を見開いて驚いた顔を見てレノさんは綺麗な薄緑色の瞳を細めてニヤリと微笑んだ。
「こうしてイチャつきたいからて手伝ってんだぞ、と」
「……!」
「って言ったほうが嬉しいか?」
「〜っ! かか、からかわないでください!」
突然の口説き文句に顔が真っ赤に爆発してしまっているのが嫌でもわかって恥ずかしさで声が上擦ってしまった。その様子を見てレノさんは満足気に笑って私の顔からパッと手を離す。
「くはっ! 顔真っ赤」
「当たり前です! 冗談でも私には刺激が強すぎます!」
「これくらいで? 免疫無さすぎじゃね?」
「ほっといてください!」
プンとそっぽ向く私に、レノさんは悪かったと軽く謝った。そして今度は逸らしたままの私の耳元に自身の唇を寄せ、吐息を感じる距離でさらにこう言った。
「じゃあ、これからもっと慣れさせないとな」
「っ‼」
「そんな顔も可愛くてそそるけど、そんなんじゃこの先大変だぞ、と」
そう言ってレノさんはコーヒーご馳走さん、とベンチから立ち上がり手をひらりと挙げながら颯爽と去っていった。私は耳元にかかった生々しい吐息の感触がまとわりつき顔の熱が更に上がってきたように感じる。何なんだ今日は。全くとんでもない人と知り合いになってしまった。優しくてでもちょっと意地悪な彼のペースに飲まれていくような感覚に、クラクラと目眩がする。
火照りあがってしまったこの体は、何時になったら治まってくれるのだろうか。
◇
「最近疲れた顔しなくなってきたんじゃない?」
昼休みの食堂、作ってきたお弁当をつついていると向かいに座っていた同僚が突然そんなことを言い出した。彼女は営業職だから勤務中は外回りが多く、会社で休憩の時はこうして一緒に昼食をとっている。
「そうかな?」
「調子よさそう。やっと残業無くなった?」
「ううん、相変わらずだよ。でも最近は手伝ってくれる人がいて早く帰れる日が増えたかも」
「そっかぁ、優しい人がいて良かったね」
「う、ん、優しい……」
不意に先日のベンチでのレノさんとの出来事を思い出し、顔が赤くなってしまったのを同僚は見逃さなかった。
「男か。ナナシにもようやく春が来たのね!」
「えぇ⁈ ちょっと! そんなんじゃないって! 手伝ってくれているだけだから!」
「ねえ誰? その相手って!」
キラキラと目を輝かせて質問してくる同僚から逃げるのはなかなか難しく、諦めて答えることにする。
「総務部の人」
「はぁ? 階も違う人がわざわざ手伝いにくる?」
「うん、それは私も不思議に思ってる」
「絶対ナナシにに気があるんだって!」
「モテそうな人だし、私なんか相手にしないよー」
「え、じゃあイケメン⁉ 見てみたい!」
「総務部調査課のレノさんっていうの。派手な格好だけど親切な人だよ」
そう言った所で、何故か同僚がさっきまでの勢いをピタリと止めた。さっきの浮かれた空気は一体どこへ行ったのか、一瞬でそれはピリついたものへと変わる。
「総務部調査課ってタークスじゃない」
「タークス? 何それ?」
「あんた、ホント他部門のこと興味ないよね……」
総務部調査課、通称タークス。諜報や調査、護衛などを任されていて任務となれば暗殺や誘拐も行う、言わば神羅の裏側に立つ組織。そう同僚が教えてくれて、私はゴクリと息を飲んだ。
「あんた、そんな人と何処で知り合ったのよ」」
「たまたま。そうか、全然違う世界の人なんだね」
「そう、しかもそのレノって人そこら中の女社員と遊んでるって噂聞いたことある」
「やっぱりモテるんだ……」
「真面目なナナシだから遊ばれてないか心配だよ」
はぁ、と溜息を吐く同僚に苦笑いしかできなかった。
昼休みが終わり同僚と別れてオフィスに向かっている間、頭の中を巡るのはレノさんのことばかり。遊ばれている、と言われたらそうかもしれないけどそもそも恋愛関係ではないので何とも言えない。だからと言って彼と距離を置くという選択が出来る気もしない。彼といるのはとても居心地がいいし、楽しいから。
これは恋、なのだろうか? 未だにハッキリしない自分の気持ちにもどかしさを拭えない。何より私はまだ彼の事を何も知らないのだから分からなくて当然だ。
同僚の言う通り自分は都市開発の仕事以外の興味が薄いから自ら聞かなかったというのもあるけど、彼はあまり自分の話をしない。基本的に私が喋ることの方が多かった。話を聞いてくれている間のレノさんはいつも穏やかに笑っていて、私にはそれだけで彼がどんな人かわかった気になっていた。
タークスの仕事内容は誰が聞いてもおっかない印象を抱くだろう。想像しても毎日平和に過ごしている自分とは縁が遠すぎて上手くイメージができない。ただ分かることは、レノがいつも危険と隣り合わせの場所にいるんだということ。それを考えただけでゾクッと身震いがした。急に心配になって無性に彼に会いたくなる。今すぐ無事な姿を確認したい。
「今日、レノさん来てくれるかな」
◇
定時を過ぎていつも通り残業をしていてもレノが来る気配がない。仕事か用事があるのだろう、それは仕方ないのだが今日は特に残念に思えた。
やがて今日分の仕事を終えて帰り支度を整える。ちらりと時計を眺めて、小さい溜息を吐いたその時。カツカツと誰かが向かってくる足音が耳に入って私は勢いよくドアへ振り向いた。
「よう。今日はもう終わりか、と」
「レノさん!」
「嬉しそうな顔しちゃって、そんなに俺に会いたかったかナナシちゃん♪」
「や、あの……今日はもう来ないと思ってたのでビックリしただけです」
「待たせたな、と」
そう言ってゆっくり近寄り、ポンと頭を撫でてくれた。会えた嬉しさと恥ずかしさで何だか擽ったい。彼の香水の香りに酔いしれたい衝動を堪えていると、微かに入り交じった薬品の匂いがツンと私の鼻を刺激する。匂いの出処を探るといつも通りはだけたシャツの合間から微かに包帯が見えて目を見開いた。服も所々傷だらけで、誰が見ても何か危険な目にあったことは容易に想像できる。
「レノさん……これ」
「あぁ、ちょっとヘマしちまったぞ、と」
「だ、大丈夫なんですか⁉」
「大した傷じゃないから気にすんな」
「……タークスのお仕事って、危険が多いんですね」
初めて私の口からタークスという言葉が出てきて驚いたのか、レノさんは目を見開いて見つめてきた。
「タークス、知ってたんだな」
「今日友達から聞きました」
「ははっ、おっせえなー」
レノは笑っているが傷が痛むのか微かに眉を顰めている。その痛みを少しでも和らげたくて、私はレノの腹部の傷を服の上からそっと片手を這わして優しく撫でた。
「痛そうですね」
「……なぁナナシ、怖くないのか?」
「何がですか?」
「俺の仕事。命令なら何でもするって聞いたんだろ」
「暗殺、とか?」
「後は必要ならば誘拐とか? こんなことしてるし、ナナシが怯えちゃうくらいならもうここに来れないしなぁ」
そう笑いながら話しているが不意に見せる苦笑いを見逃せなくて、そんなレノさんの表情に私の胸は締め付けられた。もう来てくれないとか言ってほしくない。今離れたら本当にもう会えないんじゃないかと怖くなって私は反対の手でキュっと彼の黒いスーツを掴んだ。
レノさんも悪びれたように話しているけど、無理に私を怖がらせているようにする素振りになんだか腹が立つ。暗殺とか、誘拐とか、そりゃ怖いけど、本当に怖いのはそこじゃない。
あぁ、そうか。レノさんがやりたくてやっているように見えないから、仕事だからしなきゃならないってことくらい私でも分かっているのにレノさんが分かってないから。
「それより、レノさんが危険な目に合うかもしれないって方が怖いのに」
心配なんです。と俯きがちに小さく呟く。言いたいことが上手く出てこない感覚がすごくもどかしい。
ナナシ、とレノさんの低い声で呼ばれてハッと我に返る。あれ、これレノさんの質問の答えになってないんでは。そう考えたら段々冷静になってきて、今の自分の状況にギョッとした。私ったら人様のお腹撫で回して、とんでもなくすごいことしているんでは。しかも勢いでもう好きですって言っているようなもんだよね?
近すぎる距離に恥ずかしすぎて居たたまれなくなって、そっと離れようとしたらレノさんに腕をグッと掴まれた。さっきより近い距離に引き寄せられ、ほぼ体が密着している様子に胸が高鳴りすぎてどうにかなりそう。
「あの、レノさん?」
「はぁ、お前……」
「あぁ、調子に乗ってごめんなさい!」
「わり、今日はちょっと止めらんねえわ」
「は? どういうこ……っ!」
言い切るより早く、レノさんの手が私の頬を捉え上を向かされ気付いた時には自分の唇は彼のそれで塞がれていた。一瞬軽く合わされた後、間髪入れずに今度は噛み付くように口付けられる。無理矢理に唇の感触を感じさせられ息をすることすら忘れてしまう。突然のことに思考は完全に停止させられ、ゆっくり離された彼の顔をただ見つめることしかできなった。
「はっ……」
「……そんな顔して、襲われても知らねえぞ、と」
「レ、レノさ」
「もう今日は帰るわ。また、な」
微かに苦笑いを浮かべながら私の頭を撫でて、流れるように出ていくレノさんの背中を黙って見送る。一人残された夜遅くのオフィス内はより一層静けさを増した。
彼のことを知る度に心の中を掻き乱されていくばかり。
混線した思考回路が完全に回復してくれたのはしばらくしてからだった