Garnet
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Garnet ―3―
翌日のナナシはとても大人しかった。とにかく部屋で黙々と何か難しい本を読んでいる。
机に高々と積み上げられた本は経営理念や戦略経営マニュアル、射撃指南書まで様々でその量の多さに俺はうげぇと項垂れた。「毎日出てたらさすがに怒られそうだし」って、まぁそうだけど。でっかい声で叫んで落ち着きがない奴だと思ったら途端に別人かと思うくらい淑やかになったりと、こいつの色々な顔を見せられて正直戸惑う。
「ねーレノ、今日のお兄様の予定は?」
「確か今日は朝から魔晄炉の視察とか言ってたぞ、と」
「ふーん、そっか。会いに行きたかったのに、残念だわ」
読書に疲れたのかうーんと上半身を伸ばせるナナシ。すると急に何かを思いついたのか俺にこう言った。
「そうだ! ちょっと久しぶりに探検しましょう!」
「はぁ? 今日はもう出ないって言ってたじゃねぇか」
「会社の外には、よ! 社内なら問題ないわ!」
そんな屁理屈を言って腕を引っ張るナナシに黙ってついていく。やっぱりこいつ、落ち着きがない。
「カフェテリアにも行ってみたいわ!」
「あぁ、そこ、コーヒーなかなか美味いんだよなぁ」
「そうなの? 早く行きましょう!」
無邪気に笑うナナシを見て自然と顔が綻ぶ。そういえば、こいつまだ十代だった。今まで部屋に籠りがちだった分、外の世界が新鮮で仕方ないのだろう。仕方ないからナナシの護衛をしている間くらいは付き合ってやろうか。
しかし、すぐにその朗らかな空気は一変してしまった。カフェテリアに向かう通路の先からこちらに向かってくる集団を見て、さっきまで笑顔だったナナシの表情は一気に強張る。その中心にいるお方が誰か分かり、俺も道の端に寄って頭を下げた。
「お父様」
「ナナシか、いつからこっちに来ていた?」
「一昨日からです……ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「構わん、ただ騒ぎだけは起こすんじゃないぞ」
「はい、承知しています」
その光景に俺は驚きで目を見張った。社長や、後ろにいた秘書や役員たちのナナシを見る目が明らかに家族を見るそれとは違う。まるで汚いものを見るような目。歓迎されていないとは言っていたが、ここまで酷いとは思わなかった。沸々と湧き上がる怒りで拳が震えてくるのを必死に抑える。
社長は俯くナナシを一瞥するとすぐに歩き出して行く。ナナシは、その姿が見えなくなるまで視線を落としたままだった。あ、また胸ポケットを掴んでいる。昨日もしていたが、何かのまじないなのだろうか。どう声をかけようか迷っていると、顔を上げたナナシが先に口を開いた。
「レノ! 予定変更よ!」
「は?」
「街で、美味しいものを食べたい気分!」
「会社から出ないって言ったばっかじゃねぇか」
「さっきので気分を害したわ! 外に出ないとやってらんないの!」
そんなこんなで、着いた場所はまさかの六番街のラーメン屋。もっと高級なやつを期待していたけど、何でラーメン?
「ここのラーメン美味しいって聞いて、一度食べてみたかったのよね!」
「いやに庶民的なお食事だな、と」
「あら、いいじゃない。高級なとこは堅苦しくて味がわからないの」
いただきます! と元気よく言って麺を啜る。その顔はとても幸せそうで思わずこっちも釣られて笑ってしまう。
「美味しい!」
「そりゃ良かったな」
「ふふ、着いてきてくれてありがとう。レノ」
本当に、変な奴。想像の斜め上の行動をしてくれる彼女にもはや楽しみを覚えている自分がいる。振り回されている気もするがナナシが楽しい時間を過ごせるのなら少々は目を瞑ってやるか。そんなことを考えながら、自分も目の前のラーメンに箸をつけた。
◇
ミッドガルに来てから三日が経った今日もナナシは朝から部屋で読書をしている。今日は一日部屋にいる予定だから、レノには遅れて出勤で良いと伝えてある。するとコンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえ、返事と共に扉を開けた。レノかと思ったが、扉を開けた先に立っていた人物を見て思わず目を見開いた。
「ナナシ、調子はどうだ?」
「お兄様!」
そこにいたのは最愛の兄ルーファウスで、ナナシは途端に笑顔になる。勢いよく抱き着くと彼も優しく抱きしめ返した。多忙の為に顔を見たのは初日以来だっただけに、喜びも一入だ。
「元気そうだな」
「えぇ、お陰様で快適に過ごしてます」
「そうか」
ルーファウスは嬉しそうに擦り寄るナナシの頭を撫でる。
「お兄様、今日も忙しいの?」
「いや、ちょうど仕事のキリがついたから今日は休もうと思ってな」
「なら、美味しいお菓子があるの! お茶を入れるわ!」
「あぁ、頂こうか」
腕を引っ張り中へ誘うナナシに、ルーファウスは小さく微笑みかける。最初は全然俺に見向きもしなかったのに、今となっては随分と懐かれたものだ。と初めて会った時のことをふと思い出した。
◇
ナナシと初めて会ったのは俺が十歳の時。父は、お前の妹だとしか紹介してくれなかった。愛人の子だと聞いたのは周りの噂話からだ。最初は別に仲良くする必要も無いと、会う機会を極力避けていた。まぁナナシは殆ど部屋から出ることが無かったから会うことは少なかったが。
彼女は想像以上に歓迎されてなく、周りの大人に冷たく扱われている所を遠目で見かけたことがある。愛人の子、それだけでこんな仕打ちを受けるのか。彼女だって好きで親父の子に産まれてきたわけじゃないのに。大人たちの勝手な都合じゃないか。とそこにいた大人たちに怒りしか感じなかった。
でも彼女は泣かなかった。いや、泣けなかったのかもしれない。だたひたすら口唇を噛み締めて、容赦なく浴びせられる罵りに堪えている姿はさすがの俺も心が痛くなった。
そんな彼女が一度だけ、家出をしたことがある
。
周りは騒然としてバタバタと辺りを探しているのを見ながら、俺は、こんなとこにいるくらいなら、別の場所にいた方がいいと思った。これ以上、五歳の小さな女の子の感情を押し殺させるようなことはさせたくない。どこかで素直に笑える場所を見つけてほしいと、そう願った。
なのにナナシは帰ってきたのだ。何故、という声を上げたかったが声が出なかった。それは帰ってきたナナシの顔つきがいつもと変わっていたから。怯えと怒りが混じっていた以前までの瞳とは違い、強い意志を持った芯のあるそれに不覚にも圧倒されてしまった。
この短時間で何があったのだろう。五歳とは思えぬその気丈な姿に、思わず身震いがした。それと同時に抱いたナナシへの興味。彼女のこの瞳の火を消してはいけないという感情。消そうとするものがいるならば容赦なく排除してやりたい。今思えば、愛情とはまた違う感情だったのかもしれない。
でもそれが、俺とナナシが本当の兄妹になっていくきっかけとなった。
「——お兄様?」
「……ん? あぁ、どうした?」
「それはこっちのセリフよ! ボーっとして」
「すまない、色々思い出していた」
「? 何を思い出していたの?」
「そうだな……ナナシが六歳の頃、寝小便をした時の……」
「あー! やめて! だめだめ! 思い出さないで!」
顔を真っ赤にして慌てて俺の口を両手で塞ぐナナシ。あの頃とは全く違う、感情豊かな姿が可愛らしくて思わず笑ってしまった。
ふと、机の端に寄せられた本の山が目に入る。
「相変わらず、勉強熱心だな」
「でも、読んでても分からないところが沢山あって、理解するのに精一杯よ」
特にこの経営戦略の…と本を開き、ぶつぶつと話し始める。そういうところが熱心だって言っているんだが。
「……なら、今度の視察にお前も参加するか?」
「え! 良いの⁉」
「俺が話をつけてやろう」
「やったー! ありがとう! お兄様大好き!」
また勢いをつけて首に抱き着かれる。思っていた以上に俺はナナシにとことん甘くなってしまったようだ。頭を優しく撫でていると、ナナシが口を開いた。
「私、早くお兄様の役に立てるようになりたい」
身体を離して見つめてきたその瞳は、あの時から変わらない強かなもので。
「ふっ、大いに期待しているよ」
「えぇ、もっと頑張らなきゃ!」
「十分頑張っていると思うが。この髪も……」
ナナシの髪を少し掬って、軽く口づける。その様子にナナシは、困ったように笑った。
「あら、私は気に入っているわ、お兄様によく似てるって言われるから!」
「ふっ、そうか、それは喜ばしいな」
「えぇ、あ、お茶が冷めちゃうわ! 早く頂きましょう!」
「あぁ、そうだな」
そう笑うナナシが今ではとても愛おしく思う。彼女の澄んだアクアマリンの瞳が曇ることのないように、俺も最善を尽くそう。そう堅く決意した。
「……ところで、護衛はどうした?」
「あぁ、今日は特に出る予定なかったし、レノ朝弱そうだから出勤遅れていいって言ったの」
「ほう?」
俺はいいとは言ってないが。ナナシを一人にするとはいい度胸だな、レノ?
「うおお⁉」
丁度その時、レノは謎の悪寒に震えていた。
◇
——翌日。
「今日こそはカフェテリアに行くわ!」
「へいへい。お望みのままに、お嬢様、と」
意気揚々と歩き出すナナシの後ろをのろのろと歩く。
時間は朝の七時。早すぎんだろ。欠伸止まんねぇ。昨日若様にキレ気味にそう命令されたからだが、何で怒られたんだ? ナナシが遅れていいって言うから素直に甘えただけなのによぉ。
でもあの時の若様、笑っていたけど目が全然笑ってなくてめちゃくちゃ怖かった。あれを見た瞬間、彼を絶対に怒らしてはいけないと心に誓った。
というわけで、仕方なしに朝っぱらからナナシに付き合ってモーニングしているわけだ。そんなお嬢さんは今カフェのメニューと睨めっこしている。どうやらサンドイッチかベーグルにするか悩んでいるらしい。どっちが美味しいかなぁ、と首を傾げながらつぶやく姿がちょっと可愛いなんて思ってしまった。朝から調子狂うな、ったく。
「両方頼めばいいだろ」
「そんなに食べれないもん」
「半分食べてやるから」
「ほんと? じゃあそうするわ!」
やったぁ、と嬉しそうに言って店員にあれとこれとと注文をする。すぐに商品は用意されて、俺たちは近くのテーブルに座った。まだ早朝ともあって辺りに人気はあまりないから快適だ。ナナシは音符が飛び交うのが見えそうなくらいウキウキとした様子で、目の前のサンドイッチを半分に割っている。
「はい! レノの分!」
「サンキュ」
半分にされたサンドイッチを受け取り、一緒に頼まれたコーヒーに口をつける。その様子をナナシは何故かじーっと見つめて、クスクスと笑い始めた。
「なんだよ」
「ふふ、なんか、デートみたいね」
「ぶっ!」
完全に不意打ちをつかれて、思わずコーヒーを噴いた。
「きゃぁ! ちょ、きたない!」
「……デートなんぞしたことがない子供が変なこと言うからだぞ、と」
「こど……っ! 少ししか変わらないじゃない!」
「俺は色々経験ほーふなの」
「……ふぅん、何よ、それ」
急にナナシの声のトーンが下がって俯いたからギョッとした。あれ、なんで拗ねるんだ? いつもならキーキー言い返してくるのに、急に大人しくなって何なんだよ、また調子が狂う。これ以上怒らしても面倒だと思って、悪いと軽く謝ろうとしたその時だった。
「……ナナシ?」
突然、名前を呼ばれて二人して振り返ると思わぬ人物がそこに立っていてナナシは驚愕で目を見開く。そして大きな声でその男の名を発した。
「セフィロス!」
「久しいな」
「えぇ、二年ぶり、かしら?」
「ジュノンに行っても顔を合わせられなかったからな」
「会いに来てもくれなかったくせに」
「ふっ、悪かった」
セフィロス。今やその名を知らないというものは殆どいないのではないか。そんな男がさっきまでサンドイッチを頬張ってたナナシを、微かに笑みを浮かべながら見つめている。あの英雄が微笑むところを見たことがないレノは、にわかに信じがたい光景に目を見張った。
「久しく見ない間に、随分女らしくなったな」
「ちょ、なによ、お世辞なんて言っても何も出ないわよ!」
「ふ、可愛げがないのは相変わらずか」
「余計なお世話!」
その光景はまさに仲睦まじい美男美女。誰もが見惚れる程だろう。
しかしなんだ。なんか、気に入らない。絵になる二人を目の当たりにさせられて、何故か胸の辺りがもやもやしてくる。英雄さんも満更じゃない様子だしよ。正直、これ以上はあまり見ていたくない。そう思った瞬間、手が勝手にナナシに向かって伸びていた。
「ナナシ、口、ついてる」
「……へ?」
二人の邪魔をするようにナナシの肩を掴んで自分の方へ軽く向き直させ、僅かに口の端に付いていたサンドイッチのソースを親指で掬う。そのソースをさり気なく、でも見せつけるようにペロリと舐めると、ナナシの顔がボンっと真っ赤になった。ちょっとだけ爽快感。
「……! な、なななにやって!」
「あーもう時間だ、そろそろ失礼しますよ、と」
「ちょ、レノ! あぁごめん、セフィロスまたね!」
素早く腕をとって、黙っているセフィロスを横目にしながら足早にカフェを後にする。あ、ベーグルサンド食べ損ねた。ナナシ、怒るかもな。
ちょっと衝動的に動きすぎたと後になってから少し後悔する。エレベーターに乗り込んだところでナナシの方をちらりと振り返ると、なぜか口に俯いて肩を震わせて、なんか、堪えている?
「ふ、ふふ」
「何笑ってんだよ、と」
「だって、レノに引っ張られた後のセフィロスの顔、みた?」
いつも殆ど無表情なのに、ちょっとだけ驚いていたらしい。そりゃそうだ。まだ食べ始めたばかりなのに、普通におかしいだろ。今更になってらしくもない行動をしてしまったと、少し後悔する。気恥ずかしくなって頭をガシガシ掻くとナナシはまた笑った。
「ふふっ、レノ、変なの」
「うるせ」
全部お前のせいだ。何度も調子狂わせんなバカ。
仕返しと言わんばかりに、ナナシの頭をわしゃわしゃと撫でまわしてやった。
「ちょっとなによ! ぐしゃぐしゃになるじゃない!」
「ばーか」
「もう! 何怒ってるのよ。ベーグル食べ損ねたし、怒りたいのはこっちなんですけど!」
「わかったって。今度買ってってやるよ、と」
「ほんと⁉ ぜったい買ってよね!」
セフィロスはどこまで見たことがあるのかは知らないが、できることならこれ以上、ナナシを知らないでいてほしい。なんでかそう思った。