* SS集 (鬼滅) *
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(本命なくとも蜜の味)
〝彼氏が学校の先生だったら、毎年バレンタインは生徒達から貰ったチョコの消費で大変だね〟
いつだったか友達に言われた言葉をふと思い出した。
私も彼と初めてのバレンタインを迎えるまではそう思っていたりもしたけれど、実際は想像と全く違ったものだったのだ。
「いやぁ、今年も宇髄先生がぶっちぎりだったわ」
仕事から帰ってくるなり目の前の男は全身の力が抜けたように座り込むと、丸一日締めていた窮屈なネクタイを慣れた手つきで緩めていく。一緒に住むようになったこの部屋で飾らぬ姿を見せられることは喜ばしいけど、私の口元はまだ緊張を含ませていた。
「んで、今年も後藤くんは? 誰からもらったりしたの?」
「もちろん、ぜーろー」
後藤はご丁寧に親指と人差し指で丸を作ってケラケラと笑う。モテないことを笑い飛ばして誤魔化しているようだけれど、逆に痛いと言うか何と言うか。そんなことを言ったら今後はこの男はどん底まで落ち込んでしまうのだろうけど。
「俺は誰かさんと違って存在感ねぇし」
「そうかなぁ」
自分の彼氏がモテないというのは彼女にとっては不安になる要素が少なくて安心ではある。とはいえひとつも収穫が無いのはさすがに不自然にも思う。恋多き女子高生が沢山いる空間にいながら義理チョコのひとつも貰ってこないのはどうなのか。そこまで生徒にも教師にも人気が無いのか。そう考えると不安よりも彼の仕事場での様子が少々心配になってくる。
「本当は貰ってるんじゃないの? あッ! 私にバレないように後でこっそり食べる気なんだ!」
「んなわけ」
「ほらほら、ぽっけにひとつくらいあるでしょ。出てこい!」
「だーかーら、ないって!」
私の揺さぶりにも当たり前のように動じない後藤がなんだか気に入らなくて、今度は物理的に揺さぶってみた。後藤の脱いだジャケットのポケットを上からぱたぱたと叩いてみたり、中に手を突っ込んでは雑に掻き探る。
後藤がチョコを貰って欲しいのかそうじゃないのか、勢いでここまでしている自分は一体結局何がしたいのだろう。後藤もそんな私の内心を表す様に困惑と呆れの混ざった表情を浮かべていた。
ええい、ここまでくればもう強行突破だ。
「あ、ねぇお菓子入ってるじゃん!」
「はぁ?」
もちろん、私の言ったことは真っ赤な嘘だ。実の所ポケットの中はいくら探しても塵ひとつ入ってやしない。私の虚言に後藤も普段怠そうに垂れた目をこれでもかと開く。
「全部断ってきたのにいつのまに……って、あ」
後藤がしまったと言わんばかりに口と噤んだのと、私が「え」と発したのはほぼ同時だった。
お互いの顔をじっと見合い、慌てた様子で先に口を開いたのはもちろん彼の方で。
「いや待て、今のは違う」
「待てるわけないでしょ、全部断ってきたってマジ? え、告られたってこと?」
「違う違う! 全部義理だって」
「義理なら有難く貰ってくればいいじゃん」
義理であれば、きっと恋愛感情はなく日頃の感謝等の気持ちで渡してくる人もいるだろう。それを断る理由はないのではないか。私にそんなことを言われた後藤は腑に落ちないのか少しむくれて、すっと私から視線を逸らす。
「……たとえ義理だったとしても、お前からの以外はもらっちゃダメだと思ったんだよ」
今度は私が目を見開いた。照れたように少し赤みを帯びた後藤の頬に、私の胸がぐっと一気に熱くなっていく。
私はふらりと後藤の前に座り込むと、その首へ腕を回しぎゅっと抱き着いた。
「なにそれ、ほんっとバカ真面目……でもすきぃ……」
「うるせー俺も好き」
後藤ははいはいと宥めるように首にしがみつく私の頭をポンポンと撫でる。
悔しい、こいつはいつもこんな何気ない一言で私の心をがっちり掴んでくるのだから困る。不器用だけど飾らず偽りのない言葉で私を安心させてくれるこの人が愛おしくてたまらないのだと何度も気付かされるのだ。
「……ところで、俺の本命からの本命チョコは頂けるんですかね」
留めにこんな台詞まで吐かれては、もう私の口からは好きしか出てこなくなってしまう。
「……冷蔵庫」
「あざまーす」
のんびりとした声とは反対に冷蔵庫へ真っ直ぐ歩き出す彼の背中を見つめながら、私はそっと心で願った。
これからも彼が私以外にモテたりしませんように——と。
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