* SS集 (鬼滅) *
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( せめて今だけは )
黎明の光がぼんやりと部屋に差し込む時刻。
玄関の辺りからカタリと微かな音が耳に入ってふと目を開けた。戸の隙間から入り込む空気がひんやり冷たい。やはり早朝は冷えるなと身体を少し震わせ傍に置いていた羽織を着て部屋の外へ出る。
「……おかえりなさい、杏寿郎さん」
「む!起きていたのか」
玄関で座り込み一息つく愛しい背中に小さく声を掛けると、彼は驚いた表情で私に振り返る。
「音が聞こえたので」
「そうか、起こしてすまなかった」
彼がただいま、と微笑みながら私の頬を撫でる。
その表情はいつもの様子ではなく、疲労と何処か憂いを帯びている。一晩中鬼と戦ってきたのだから疲れているのは当たり前なのだけれど、笑顔から垣間見える影がどうしても気になる。
何か、あったんだろうかと思わずにはいられない。
そもそも、いつもなら明け方に帰ると皆を起こすからと言って近くの藤の家で数刻休んでから帰ってくるのに、そうじゃない所から様子が可笑しいのは明白。ただ、それを聞いた所で杏寿郎さんの事だから大丈夫だと言って話を無理矢理終わらせるのだろう。鬼滅隊士ではない私に対する配慮、それはいつものことだから私も何も聞かない。でもその滲み出る苦しみを必死に隠そうとする様は見るに堪えなくて、少しでもそれを和らげたいという思いで口を開いた。
「お腹、空いてませんか?」
すぐさま台所に向かい、残っていた米で握り飯二つを作りそっと差し出した。杏寿郎さんは「うまいっ」といつもより控えめの声で喜んで食べてくれた。本当ならこんな量では足りるわけがないのだけれど、彼は寝る前だからこれだけで充分だと言う。起きたら、沢山作ってあげよう。
「まだ寝てなかったのか」
着替えた杏寿郎さんが戻ってきた。早いから寝ていなさいと言って別れたのに、まだ起きて布団の上で座っている私に目を見開いている。
「杏寿郎さん、こちらへ」
ちょいちょいと手招きをして杏寿郎さんを呼び込む。彼は頭に「?」を浮かべて言われるがままに私と向かい合うように座った。じっと彼の顔を見つめる。薄暗い部屋の中でも分かるくらいの違和感に胸が痛くなって、自然と身体を前にのめらせた。
「……っ!」
すっと両手を前に伸ばして彼の頭を丸ごと包み込むと、彼が少しだけ息を呑む音が聞こえた。そのまま苦しくならないように気を遣いながらぎゅっと抱き締めて、彼の柔らかい黄金の髪を優しく撫でる。親が子をあやす様に、心で子守唄を歌いながら。
柱として計り知れない責務を抱える彼に私がしてあげれることなんて実に細やかだ。だからこそ、私といる時間は心穏やかに過ごせるように出来る限りのことをしてあげたい。
「…いつも有難うございます」
そう言うと、腕の中に埋もれていた杏寿郎さんがピクリと微かに震えた。だらんと項垂れていた腕がゆっくり私の背に回り、ぎゅっと私の着物を掴む。
「……君は温かいな」
ぽつりと呟いた声にいつもの活気は感じられず、何処か子供らしさを感じた。
「ふふ、そうですか?」
「ああ…すまない、もう少しいいか?」
「もちろん。子守唄、歌いましょうか?」
「はは、それもいいな」
ごろりと膝に横向きで頭を乗せ楽な姿勢にさせると、彼だけに聞こえるように小さく子守唄を口ずさむ。最初はくすくすと笑っていたけど、やはり疲れが溜まっていたのだろう、いつの間にか規則正しい寝息が聞こえてきた。そっと頭を撫でて顔に掛かった髪を掻き上げると杏寿郎さんのあどけない寝顔が見えてつい頬が綻ぶ。
「お休みなさい、杏寿郎さん」
また起きたら、「おはよう!」と明るく元気な声が聞こえてくるのだろう。
せめて今だけは、心休まる時間を。
〈end〉