* SS集 (鬼滅) *
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(夢は夢のままで)
「……痛い」
浮遊感と共に襲った頭痛で目が覚めた。吐き気すら覚える程の最悪な目覚めに自然と眉間に皴が寄る。未だ痛むこめかみを軽く撫でながら、重たい体をゆっくり起こすとカーテンの隙間から指す太陽の光に目を細めた。
時計を見れば時間は8時を指している。遅刻だと飛び起きかけたがすぐに今日が休みだということに気付いてホッと胸を撫で下ろす。座ったことでベッドのスプリングがギシリと軋み、反応するように隣から「うぅん」と唸る声が聞こえてゆるりと視線を落とした。
私の腰まで伸びてだらりとしている逞しい腕、服越しでも分かるくらいに鍛え上げられた上肢。もう立派な大人だというのにまだ夢の中を彷徨うあどけない寝顔。もう見慣れた筈の姿をじっと見つめ、彼の左頬と閉じられた左瞼をそっと自身の親指で撫でた。
「怪我、はない……よね」
当たり前のことを思わず口走る。彼が目を負傷するなんて今まで一度も無かったことなのに、こんなことを気にしてしまうのはさっき見てしまった夢のせいだ。
夢って起きたら大体忘れていることが殆どなはずなのに、今日に限って覚えているなんて神様も嫌味なことをする。
とにかく酷い、夢だった。
後味が悪いどころの話ではない。それは夢なのかも疑わしい程リアルで、思い出すだけで手が震えてくる。
目を閉じれば鮮明に浮かび上がる、彼の姿。顔や髪型はまるで一緒なのに、見たことも無い変わった服を着て刀を持って何かと闘う姿は別人のようだった。沢山傷を負って、沢山血を流して。あまりにも痛々しい彼の姿に気がおかしくなってしまいそうだった。それでも、彼は怯むことなく敵に立ち向かい、闘い、そして——。
ぞわりと寒気がしてふるふると頭を振る。
触れたままだった手を動かし、ペタリ、ペタリと寝ている彼の顔や腕、腹を触って無傷を確かめた。夢での感触が酷く生々しくて、直接触れていないとどうしても落ち着かない。怖い。アレは一体誰なんだ。あんな杏寿郎さん、知らない。見たことも無い。
無意識に荒くなる呼吸に焦り、ズキズキとこめかみが再び痛み出した。まだ気持ち良く寝ていて欲しいのに、思わず起きてと口から言葉がまろびでてしまいそうで、咄嗟に彼に覆いかぶさりその首にきゅっとしがみ付く。
「……よもや、今朝から大胆だな」
ふと頭上から届いた掠れた声。「おはよう」と言うと同時に絡み付く腕の強さに、さっきまでの不安が僅かだけ拭われた気持ちになった。
「君から甘えてくるのは珍しいな、何かあったのか?」
杏寿郎さんの問いかけに私は彼の胸に顔を埋めたまま小さく首を振る。何もなければこんな状態になることは有り得ないのに、彼はそれ以上何も聞くことはなく「そうか」と一言だけ返して私の頭をポンポンと撫でた。
「8時か……そういえば、今日は水族館に行くんだろう?」
「う、」
そうだ。昨夜見たCMに影響されて明日は出掛けたいと言ったのは他でもない私の方で。張り切ってバスの時間まで調べていたと言うのに。残念ながら夢見が最悪だったせいで全然そんな気になれない。
でも自分から言い出した手前、やっぱやめるとは言い難いところがある。だけど行くとなればもう起きて準備を始めなければいけない。頭では理解しているけど、今はどうしても彼の胸にぎゅうぎゅうにしがみついてじんわり伝わる体温と奥から聞こえてくる心地いい鼓動を感じていたい。少しでも離れてしまえば不安に押しつぶされそうだ。
「そうだな、今週はバタついていたから今日はこのままのんびり過ごすというのも悪くないな」
私の不安を察してか、背中をずっと撫でたままの杏寿郎さんがそう提案をする。反射的に顔を上げると、彼はにこりと微笑んで私を見つめていた。金色の髪が朝日で照らされ、キラキラと輝いて神々しさまで感じる。理由をしつこく聞くわけでもなく、ただ私を安心させようとしている表情は私の目頭をより熱くさせた。勝手に不安になっているのは私なのに、困らせているだけなのに。貴方はいつだって人の事ばかり。優しすぎて、優しすぎて、いつか本当に消えてしまうんじゃないかって。夢の延長線を思わせて私は再び彼を強く抱きしめた。
「……っ、ねぇ」
「ん?」
「今度、人間ドック行こう」
「んん?!」
「歯医者、嫌いだけど一緒に行こう」
「何故今そんな話を……!?」
「食事も、睡眠も、ちゃんととって」
「……」
「出来る事全部しよう。……ずっと、健康でいようね」
もう、夢の中でもあんな辛い姿を見たくない。ずっと一緒に生きていきたいから。そう少しでも不安を拭いたくてポロポロと零れ出た願いは、彼にどう伝わっただろうか。変に思われただろうな。急にこんなことを言って、不思議に思わないわけがない。
そう思って押し黙ったままいる彼の顔を伺う為に伏せていた視線を再び上げたが、私は目を見開いた。
「本当に君は……昔っから心配性だな」
いつもの迫力のある瞳はそこには無く、困ったようにへたりと眉を下げて緩く微笑む彼は、いつもと様子が違うように見えた。
「杏寿ろ……」
思わず口からは彼を呼ぶ声が零れたが、名前を呼びきる前にグイっと頭を引き寄せられ強く抱きしめられる。
視界が遮られ、聴覚が少しだけ過敏になる中、彼の「気を付けるよ」と小さく呟いた声は、微かに、震えていた気がした。