桜舞う季節に
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桜舞う季節に — 参話 —
「千寿郎くん、こっちおいで~」
初めて子守をした日から、千寿郎はナマエを見つけると喜んで傍に寄っていくようになった。これには瑠火も槇寿郎も驚いた様子。だけどそれと共に彼女が少しずつ『家族』へと近づいていっているようで、それからは頻繁に千寿郎の相手をお願いするようになった。庭で遠くから呼んでもきゃっきゃと笑いながら駆け寄っていく様子が何とも微笑ましい。ナマエは勢いよく腰に抱き着いてくる千寿郎を抱き留めて優しく頭を撫でた。
「危ないから、こっちで一緒に見よう?」
「はぁい」
にへらと笑う顔がまさに天使のように可愛くてナマエもつられて顔を綻ばせる。そんな二人の間に春の陽気のような和やかな空気が広がるが、それも一瞬の事で庭から響く大きな声によって簡単に断ち切られた。
「はっ!」
「もっと腰を落として、しっかり踏ん張れ」
「はいっ!」
ビュン、と風を切る音が聞こえてくる。何度も何度も竹刀を振り下ろす杏寿郎くんとそれを教える槇寿郎さんを、ナマエは千寿郎くんと一緒に縁側に座りながら感嘆の面持ちでじっと眺める。
千寿郎くんは二人の稽古の様子を見るのが好きらしく、子守を任されるようになってからは共にここにいるのが日課になりつつあった。汗を流しながら、槇寿郎さんの教えを逃さまいと必死に鍛錬する姿は誰が見ても輝いていて、隣で転がっている千寿郎くんをあやしながら視線は二人に釘付けになっていた。
「もうまもなく昼餉の時刻か、今朝はここまで」
「はい!ありがとうございました!父上!」
激しい動きをして息を切らしたままの杏寿郎くんが礼儀正しく挨拶をする。実の親だというのにそこは師として敬う姿勢を崩さないのは煉獄家という由緒ある家柄ならではなのだろう。自分と同じくらいの歳の子供なのに立派だなとナマエは思った。
稽古終了の声に千寿郎が反応し、井戸に向かう槇寿郎の元へテテテと歩き出した。そのまま二人で瑠火さんの所まで行くのだろう。ここで子守は一旦終了。もう昼餉の時刻ならスミ江さんの手伝いをしなければ、とその場を立ち上がろうとした時。
「ナマエ!」
顔を見るなりぱっと花を咲かせたような笑みを浮かべる杏寿郎。さっきの真剣な表情とは打って変わって年相応の無邪気な笑顔に思わず惹き付けられた。まだ息は整いきっていないと言うのに、こちらに向かって駆けつけてくる様子にナマエは自然と頬を綻ばせる。
ナマエがお疲れ様です、と声を掛けると杏寿郎はにかりと快活に笑った。
「汗、拭かないと風邪ひいちゃうよ」
そう言って近くに置いていた手拭いを手渡すと彼は「ありがとう!」と疲れを感じさせない様子で受け取る。こんなに汗水垂らして毎日全力で稽古して、本当に杏寿郎くんは偉いなぁ…そういえば。
「杏寿郎くんは、将来何になりたいの?」
ふと気になったことを聞いてみると、汗を拭いていた杏寿郎はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりの勢いで顔を上げた。
「俺は鬼殺隊に入る!もっと強くなって、父上のような柱になって鬼から人を守るんだ」
「きさつたい?柱…?」
てっきり警察官だとか、そういう類かと思っていたナマエは予想外の聞き馴染みのない単語に目を瞬かせた。そう言えば、自分はこの家の事を詳しく聞いたことが無かった。自分のことに精一杯だった為に槇寿郎の仕事が何かなんて知る余裕もなく、決して興味が無かったわけじゃないとナマエは心の中でちょっぴり言い訳をする。
ナマエが明らかに初耳な反応を見せた為に杏寿郎は一瞬だけ何故知らない?と言いたげな表情をしたが、すぐに得意げな表情に変わりナマエに力いっぱい説明をした。
鬼殺隊とは鬼を倒す為に作られた組織で、槇寿郎さんはその中でも最も強いとされる『柱』の一人なんだと言う杏寿郎の話にナマエは興味深く耳を傾ける。世の中にはそうして私達を守ってくれる人たちが存在しているなんて知らなかった。
私の住んでいた町も、鬼殺隊が守ってくれていたのかな。
ふと、亡き父の最期を思い出して顔が青ざめてしまった。あの時真面に見てはいなかったとはいえあの場にいた記憶はそう簡単に消せるわけもなく、飛び散った血の量はまだ脳裏に焼き付いている。あんな残酷で人の心を持たない鬼と戦おうとしているのか、槇寿郎さんも杏寿郎くんも。想像しただけでカタカタと手が震えて、無意識にナマエは隣に座る杏寿郎の道着の袖を掴んでいた。早く止まれと思っているのに震えは中々治まらなくて、黙って俯いていると手を覆うように杏寿郎の温かい手が重なった。
「大丈夫だ!これからは俺や父上がナマエを守るから!」
重ねた手をぎゅっと力強く握りしめ、見上げたナマエの瞳を真っ直ぐ見つめた。今にも泣きだしてしまいそうだったナマエも曇りの無い琥珀の瞳と目が合った瞬間、重かった空気は一瞬にして取り払われたように軽くなった。
「うん…ありがとう、杏寿郎くん」
こもり気味に礼を伝えると彼はまた笑ってくれた。それがまた余計に照れ臭くて、誤魔化す様に笑い返す。以前から思っていたが、彼の瞳に見られると体の内側から温かくなってホッと安心すると同時に、何だかむず痒い気持ちが込み上げてくる。それがどんな感情なのか、まだ全然分からないけれど。
そういえば、話が長くなってしまった。杏寿郎の話を必死に聞いていたナマエは何か忘れていることに気付く。
「昼餉の準備!」
すっかり忘れていた。もうスミ江さんが殆ど終わらせてしまっているかもしれない。慌てて立ち上がると、杏寿郎も「俺も手伝う!」とついてきてくれた。
あれ、でも杏寿郎くん、こないだ火を起こすときに爆発させてなかったっけ……?
◇◇
「あ、槇寿郎さん」
夕方、廊下の玄関の掃き掃除を行っていたナマエは真剣な面持ちでこちらに向かってくる槇寿郎に声を掛けた。
「ナマエか。掃除、いつもすまないな」
「いえ、楽しいです。どこかお出かけですか?」
「ああ、仕事だ」
”仕事”と聞いて、今朝杏寿郎から聞いた話を思い出しピクっと身体を震わせた。今夜鬼と戦うことになるのか。いくら槇寿郎が柱として強いと言えど、心配な気持ちは出てくるもので。箒を持つ手の力をぎゅっと込める。
「あの、無事に帰って来てくださいね…!」
さっきまでの穏やかな様子から一転して切羽詰まった声を出すナマエに槇寿郎は何事かと驚いたが、不安を滲ませた瞳を見れば何を思っているのかはよく分かる。慣れないことをするのは気が引けるが、槇寿郎は安心させるようにナマエの頭にポンと手を置いて優しく撫でた。
「近場だから翌朝には帰れるだろう、握り飯でも用意しておいてくれると助かる」
その言葉にナマエは元気よく食い気味に「はいっ!」と答え、まるで大きな使命を抱えたような大袈裟さに槇寿郎はふっと控えめに笑みを浮かべた。
そして「いってくる」と背後を振り返り、白く裾が炎のように赤く染められた羽織をふわりと靡かせ歩いていく背中をナマエは見えなくなるまで見送る。槇寿郎の強さを象徴したような心強い背中は、いつか杏寿郎にも引き継がれていくのだろうか。
「私も強くならなきゃ」
いつまでも、めそめそしてられない。こうして前線で戦う人たちがいてくれるからこそ、自分も弱いままではいられない。
そんな気持ちが炎のようにナマエの内に込み上げた。