元ヤン先生と錆兎くん
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元ヤン先生と錆兎くん⑧
「錆兎!!」
無意識に出した言葉のボリュームが思いの外耳に響いて途端に我に返った。
視線の先には私の呼びかけに目を丸くする宍色の彼がこちらを呆然と見ている。直後に起こった一瞬の沈黙は、私にとっては異常に長いものに感じた。
「あ、え、えぇっと……」
声を掛けたのは私の方からなのに、変な緊張が走って碌な言葉が出てこない。錆兎もだんまりを決めこんで会話が続かなくて、やっぱり声を掛けるんじゃなかったと後悔が過る。
すると、錆兎は公園の外からこちらに来ることなく遠くで私を見据えると、他人行儀にぺこりと会釈をした。ふいっと離れていく視線、それは今までの思い出を全て切り離していくような冷たいもので、私は反射的に声を上げた。
「ま、待って!……って、うわぁ!」
勢いよくベンチから立ち上がるも、今日一日酷使したせいか膝に力が入らなくて思わず前のめりに倒れてしまった。
嘘でしょ、ここでこける人いる?
地面に手をついて街灯に光る土を呆然と見つめながら、さっきからの自分の醜態に「カッコ悪……」と小さく言葉を洩らした。他に人はいないのかと思う程の沈黙が痛い。もしかすると錆兎はもう呆れて立ち去ってしまっているのではないか。それならどれだけ気が楽だっただろう。だがゆっくりと視線を上げて見えた人影に、その思いはあっさりと打ち消された。
ぁ、とか細い声を洩らす。緊張した重たい空気がズシリと周りに纏わりついて体が固まった。もういっそ派手に笑い飛ばしてしまいたい。そう思って口を開こうとした、その時。
「……ぶっっ」
「え、」
意外なことに、先に噴き出したのは錆兎の方だった。自分が笑うことはあってもまさか笑われることはないと思っていたから、驚愕で目をパチパチ瞬いてしまう。余程ツボにはまったのか錆兎はお腹を抱えて盛大に笑いだした。
「あっはは……っ!何だよ、ヘロヘロだな」
「う、うるさい…!今日は特別頑張ったんだから仕方ないでしょ!」
「……ああ、そうだった。すごく頑張ってたよな」
「……え、見てたの……?」
お互い顔を合わすタイミングは無かったはずなのに、いつの間に。そう問うような私の視線に、錆兎はふっと微笑んだ。嘘でしょう、合間にこちらを見てくれていたのだと思うと嬉しいような気恥ずかしいような、なんとも言い難い気持ちが込み上げた。
いつの間にか目の前まで歩み寄ってきた錆兎が私に手を差し伸べる。「立てるか」と掛けられた言葉はあまりにも穏やかで、久しぶりに聞いたいつもの錆兎の声にきゅうっと胸を締めつけられた。
何を言おうとか、これを伝えなくちゃとか、色々考えていた筈なのに。差し出された錆兎の手を握り返した瞬間、私の口から自然に言葉が溢れ出す。
「ごめん」
まず飛び出してきたのはたった一言の謝罪だった。
私の言葉に錆兎は何も言わず、黙って私の手を握り返している。私はその手を再びぎゅっと強く握った。
「私、五年の間で見違える程成長した錆兎を見て焦ってたみたい」
私の中でずっと錆兎はあの時の少年のままで、それが次に出会った時にはこんなにも大きく素敵な青年になっていた。
時の流れとしては当たり前のことだけど何故か感情が追い付かなくて、波打ってしまう心を落ち着かせる為にずっとその場凌ぎで目を背けていたように思う。
その結果、生徒に気を遣わせてしまった。情けないの一言に尽きる。ダサい。
何時から私はこんなつまんない大人になったんだろう。今の状態なら不良時代の私の方がよっぽど筋が通っていたように思う。たった一人の生徒ですら満足に相手も出来ないで、何を目指してここまでやってきたんだろう。こんな回りくどい大人になりたかったわけじゃない。
これまでの自分を受け入れてちゃんとした道でまっとうな人間になろうって、導く側に立ちたいって思わせてくれたのは、誰でもない錆兎なのに。
そんな彼をただの生徒として扱うなんて、誠意に欠けているに決まってる。
「今日まで変な態度ばかり取ってごめんなさい」
錆兎の手を借りて立ち上がり、深く頭を下げる。
言いたい事を正直に言えてちょっとすっきりした。錆兎にどう思われようと、これが私の想いなのだから潔くしていよう。
錆兎はまた何も言わなくなった。もしかして呆れかえっているのかもしれない。それならばここに長居しない方がいいと、起こしてくれたことに「ありがとう」と礼を伝え、未だ握られたままの手をくっと内に引いた。
……が、抜けない。なんでやねん。
それどころか、錆兎の手はよりぎゅうっと力を込められ私の手を放そうとしない。
「錆兎、手……」
「……俺だってそうだよ」
「……え?」
今まで聞いたことのないか細い声が聞こえて、己の手元から視線を上げる。
私よりずっと背の高い錆兎の目線は余所に逸らされ、夜の暗闇の中ということもあって至近距離なのに表情がよく見えない。
だけど髪の間から出ている耳は、ほんのりピンク色に染まっているように見えた。
「ナマエだって五年の間にすごく大人の女になってるし、知らない人を見ているような気がして動揺した」
「嘘でしょう、全くそんな風に見えなかったんですけど!」
「だって久しぶりに会った途端格好悪い所見せたくないだろ、意地張ってたんだよ!」
珍しく声を荒げ、もうこれ以上見るなと言わんばかりにぐりんと顔を背ける錆兎に目を丸くする。
そして、その後私の内から込み上げたのは、全身の力が抜けるような笑みだった。
「へへへ……なぁんだ。一緒だったかぁ」
気の抜けた笑い声に錆兎が「笑うなよ」と横目で睨んでくるが、それでも笑ってしまう。
だって錆兎と再会してから今までの私の意地だとか、葛藤とか、悩みとか、ずっと抱いていたその全部が無意味なものだったのだから。
もっと素直に向き合えばよかったんだ。なんでもっと早く気付かなかったんだろう。
「はぁ……とことん私って不器用だなぁ」
「それは否定しない」
「そこはそんなことないよっていうとこだろ!お前それでも男か!」
「女らしくない言葉使いの奴に言われたくない」
「……急に可愛げが無くなったなおい」
さっきまでの好青年な錆兎はどこ行った。
そう言えば、五年前のコイツもああ言えばこう言うような頑固な奴だったことを思い出した。何だ、全然変わってないじゃん。
けど猫被っていた時とは雲泥の差で可愛げが無いことは確かで、じとりと睨むと錆兎はまた声をあげて笑った。ほぉら、可愛くない!
「ぶっくく、やっぱ昔と変わらないナマエがいいな」
無邪気な顔で名を呼ばれて、思わず、ぶわっと体に電流が走る。ちょっと、反則食らってしまった。
悔しいけど、やっぱりコイツは顔が良い。更に”昔の私”がいいと言ってくれたことも正直嬉しかった。ダブルコンボ。もう少しでKO食らう所だった。危ない危ない。
だけど、昔と変わらない方が良いと思ったのは私も一緒で。
でも今それを伝えるのは少し恥ずかしくて、苦し紛れに「先生と呼べ」と吐き捨てることくらいしか出来なかった。