元ヤン先生と錆兎くん
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元ヤン先生と錆兎くん⑦
久しぶりにひと暴れしたい気分だった。
なんて、ふとそんな物騒なことを考えてしまったことは認める。思いっきり体を動かして陰気な気分を払拭してやりたいんだ。
昔はよく喧嘩してスッキリしてたもんなぁ。ちょっとだけその頃が懐かしく感じちゃう。随分と動かしてないから腕、鈍ってるだろうな。さすがに喧嘩なんてもう二度と出来ないんだけど。
何か、他に良い気分転換はないもんかねぇ……
「……とは言ったけどさぁ~~!!」
「ミョウジ!ボール行ったぞ!」
「えっ、うわぁっ!」
とある日の体育館に響く爽やかな声援とピーッと言う軽やかな笛の音。
煉獄先生の呼びかけも虚しく、コロコロと転がるボール。ワッと湧き上がる相手チームの歓声。
やっちまった、と慌ててそれを追いかけ、拾って戻ってきた私の頭をバレーボールネットの高さとそう変わらない背丈の宇髄先生が小突いた。
「しっかりボール見ろよ〜そんなんじゃ大会優勝なんて夢のまた夢だろ」
「いてっ、すみませーん!…って、いやいややっぱりおかしい!」
「なんだよ」
「生徒の為の球技大会に先生陣が当たり前のように参戦しているのは百歩譲っていいとして、なんで私が男性組に入れられてるんですかね?!」
年に一度の定番イベント。快晴の今日は絶好の球技大会日和。若さゆえか、ダサいはずの体操服をしっかり着こなしながらキラキラと汗が眩しく輝いている様はまさに青春そのもの。
必死に切磋琢磨する彼らを見て、淡い恋心が生まれたり友情を深めたりするのがこのイベントの醍醐味なんじゃないかと思うのだけれど、今日女子生徒たちの憧れの視線を一心に集めているのはフレッシュな生徒達に負けず劣らず顔が良いと評判の男性教師だった。彼らは「毎年恒例だ」と謳って生徒の為のイベントにも関わらず本気で大会に参加しているのだ。
しかも、そんな注目の的の集団の中に一人、女である筈の私が混じっているのは控えめに言っても違和感しかない。
今朝いきなり『お前はこっち』と半ば無理矢理引きずり込まれあれよあれよとここに立たされて今でも正直状況が読めていないのに。まだ試合中にも関わらずコートの中心でやっぱり納得できないと犬のように吠える私へ、近くに居るのにまるで動じていない男がやや呆れたようにすっと手を挙げた。
「俺が推薦した」
「また!冨岡先生すぐそういうことする!」
「まぁまぁ、冨岡がそう言うんだから運動神経が良いのは事実なんだろ?」
「いやさっきも言いましたよね、私スポーツ未経験ですから」
「それにしても反射神経が素晴らしい!何も経験していないとは俄かに信じ難い!」
「う、それは」
身に覚えがないわけではないのだけど、恐らく過去の度重なる乱闘で得ましたなんて口が裂けても言えない。そんなこと口が滑った時には全ての終わり。はい失業。急いでハローワークに相談する自分の姿を一瞬で想像して、死んでも言うまいと口を噤む。
そんな私の様子を不思議に思ったのか、宇髄先生が何か言おうと口を開いた時、それを遮るように後ろから怒号が飛んできた。
「さっさとポジションにつきやがれェ!まだ試合は終わってねぇだろォが!」
不死川先生の厳しい声にハッとして慌てて相手コートを見ると戸惑った様子でボールを持ったまま固まる生徒の姿。結局私の抗議は虚しく、そのまま試合を続行せざるをえない状況に諦めの心を抱くしか他なかった。はぁ、っと一息吐いて自分の持ち場に戻ると、ニヒルに笑って袖を捲った宇髄先生が私にこう声を掛ける。
「よっし、優勝したら学食一ヵ月無料だかんな。何が何でも勝つぞ~」
「え、賞品あるんですか?!」
知らなかった。だから皆マジなのか、とようやくこの場の熱量に納得する。いやでも、そこは生徒に譲りましょうよ。
◇◇
「しんど……」
順調に勝ち進めてさすがと言いたいところだけど、連続三試合はさすがにきつい。近頃の運動不足が祟って足が棒のように動かなくなってきた。おばあちゃんのようによっこいしょと色気の無い声を出しながらグラウンドの隅の木陰に腰をかけて、ようやくできた束の間の休憩時間を噛み締める。爽やかな風が良い具合に疲れた体を癒してくれて思わずふっと目を閉じた。
視界を閉ざしてみれば、他のクラスが行っている試合への熱い声援が耳にストレートに入ってくる。その声はどれも楽し気で、こうして絆って深まっていくんだなとしみじみ感じた。
あまりの心地よさにこのまま目を閉じていれば寝てしまいそうだったが、急に近くでひと際大きい声援が耳を指して思わず飛び起きた。もう教師組の試合が始まってしまったのかと慌てて時計を見るが予定の時間にはまだ余裕がある。ならば他のクラスのものなのだろうとぼんやり目の前の女子集団を見守った。
キャーっと黄色い声援をあげている彼女たちに青いなぁ等と微笑ましく思った——その時。
「「錆兎くん頑張ってー!」」
その中心にいる女子が叫んだ言葉に不覚にも肩をびくりと震わせてしまった。
思わず耳を澄ましてみれば、次々に女子生徒達の口から飛び出るアイツの名前。さすがファンクラブが結成されるだけあると思えるほどの注目度に少しだけ気圧されてしまう。彼女達の視線の先に彼がいるんだろうと思うとつい先日の事を思い出して胸が苦しくなった。あれから錆兎とは一言も話せていないからなおさらだ。
あの時は思わずショックを受けてしまったけど少し頭を冷やして考えてみれば、当時の錆兎の行動が少し理解できる。ああやって詰め寄る女子生徒達にきつく言ってくれなければ良からぬ噂は広がってしまう一方だっただろう。私の思い過ごしで無ければアイツは私の事を思って敢えて突き放した、のだと思いたい。
「いや、思いたいって何なんだよ」
自分で自分に突っ込む程馬鹿らしいことは無い。そう思ったのならそれでいいじゃないか。何をうじうじと考える必要があるんだろう。これから錆兎と良い距離間を保って接していけばいいだけなのに、自分がそう望んだ筈なのに、何故かずっとスッキリしない。
このままではいけないよ、って心の何処かで何かが叫んでる。そんな気がした。
「はーぁ、だからと言って話す機会も無いんだよねぇ」
生憎部活も大会前で殆ど冨岡先生がつきっきりで見ているから私の出番があまりない。
かといって自分が呼び出そうにも周りの視線が痛い。もたもたしている間に冬が来てしまいそうだ。今まで人間関係を疎かにしてきたツケが回ってきた気分。
結局どうしようもできなくて、機会を待つしかないかと諦めの息を吐くと、丁度次の試合の呼び出しが掛かって慌ててまだ疲れの残る重い腰をぐっと上げた。
——結果、先生チームは悲しいことに準決勝で敗退。
そらバレー部が多いクラスには負けちゃうに決まっている。宇髄先生は本気で食券が欲しかったみたいで心底悔しがっていた。大人げないなぁなんて思いつつも、これだけ生徒と同じ目線でいられる先生だからこそ人気が出るのだろうと自分を納得させることにした。
「こんなことになるくらいなら事前に慣らしておけばよかった……」
既に日も暮れて真っ暗な帰り道をフラフラと覚束無い足どりで歩く。全力疾走で駆け抜けた一日は何とか無事に終わってほっと一安心したはいいが、帰る体力を残しておくのをすっかり失念していた。何という馬鹿な結末か。
だけど、時間が過ぎるのはあっと言う間だった。何だかんだ言って充実した時間を過ごせた証拠だろう。暴れたいと秘かに思っていた願望は、スポーツという形で健康的に発散できたことは良かった。そう思うと、大変だったけどあのふざけたチームに入れて貰えて感謝すべきなのかもしれない。ミスする度不死川先生の睨みが怖くて幾度と泣きそうになったけど。
「ひぃ、ひぃ、家までちゃんと辿り着けるのかなぁ」
自分の家ってこんなに遠かったっけ、なんて錯覚を起こしてしまう。足も馬鹿になってきたし、このペースだと家に着く頃には日が昇ってしまうのではないか。そんな気がして思わずゾッとする。帰り際に「送ろうか」と言ってくれた煉獄先生の好意を断るんじゃなかったと今更後悔の念に駆られた。
「……あ」
その時、ふと目に入ったのは帰り道沿いの小さな公園。最近は見もせず通り過ぎるだけだったのに、今日は余程疲れているのだろうか。
隅に置かれた古びたベンチが今にも座ってくれと言うように街灯のスポットライトを浴びている。嫌と言う程見覚えがあるそれは五年前まで毎日のようにお世話になっていたあのベンチだった。
ちょっと一休みしてから帰ろうか。
疲れ果てた体は導かれるように中へと誘われ、久方ぶりの木製ベンチに何となく「失礼します」と会釈してからそこに腰を下ろす。五年ぶりの座り心地は前より軋み音が大きいけど懐かしい感じがして、全身の力が抜けふぅっと一息ついた。明日は全身筋肉痛確定だ。
少しでも体を休めて、早く家に帰ろう。生憎明日も通常勤務だ。冷蔵庫に確か冷凍のうどんがあったし、ささっと食べてお風呂に使ってすぐ寝てしまいたい。
とは言え、ぼーっとしていたら眠くなりそう。何か眠気を紛らわすことが出来るようなことを考えなきゃと思考を巡らすと、ふと脳裏に過ったのは今考えても仕方のない宍色の髪の少年だった。
「そう言えば、ここで初めて錆兎と出会ったんだっけな」
私が酔っ払いに絡まれていると勘違いして助けに来てくれた勇敢な少年。ちび助がちょろちょろしていたなぁ、と当時を思い出して懐かしく思う。
たった二日だけの出来事は、今でも鮮明に覚えている程私の中でとても大きな思い出の一つ。彼に出会っていなければ、今の私は存在していないのだから。
そう思うと、尚更今のこのモヤモヤの残る状況を何とかしないといけない気がするのに、どうにもできなくて焦りばかりが蓄積されていってしまう。
「あーあ、都合良く目の前を通ってくれたりしないかなぁー」
そんな偶然があるものか、と頭で分かっているけどつい有り得もしないことを口走ってしまう。そもそもこんな遅い時間にフラフラと出歩いていいわけがない。いたら即刻捕まえて指導だ。
うっかりとは言えこんな馬鹿なことをボヤいてしまうなんて、私も相当疲労が溜まっているようだ。本格的に眠気が襲ってくる前に帰ってしまおうと立ち上がろうとした時、思いも寄らない光景が目に入った。
まさか、そんなわけはない。もう夢を見ているのかも、なら早く起きて。
まるで私が会いたいと願ったから現れてくれたのかと思う程いいタイミングで見えた暗闇に映える鮮やかな髪色に、思わず目を瞬かせた私は時間を無視して声を張り上げた。
「……錆兎!」
だって、こんな偶然が存在するのは漫画の世界だけでしょう?